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一章 10歳になって
16、怪しいお薬 4(彼女はニーニャ・ブラーデン)
しおりを挟むある日の夕食の事だ。
アルベラがエリーと共に食事の間へ向かうと見慣れない客人がいた。
客人はアルベラへ背を向け彼女の父ラーゼンと話し込んでいる。
客人と話していたラーゼンはアルベラの存在に気づき、彼女へ微笑み片手を上げた。エリーはお辞儀をして後ろへ下がり、他の使用人たちに混ざり食事の準備を手伝いに行く。アルベラは何気ないエリーの所作に「この数か月で慣れたものだなぁ」と感心した。
ラーゼンの視線に気づき、客人は振り向いて優し気な笑みを浮かべた。
豊かな白髪と白ひげを蓄えた老人だ。深い青色の瞳と同じ色の生地の袖の広い服。服には模様のような言語が金や銀の刺繍の装飾が施されており、質は良いが何となく貴族とは異なる出で立ちだった。
(渋い。何このかっこいいおじいちゃん……!)
今まで会う事のなかった人種にアルベラは目を輝かせる。
巻物や望遠鏡を持たせたら占星術師と思わせるような、王冠をかぶせたら慈悲深い王様とも思わせるようなオーラを感じた。
老人はアルベラの前へ行くと視線を合わせるように腰をかがめてくれた。
「こんばんは、お邪魔しております」
その声はしわがれており、見た目の通り柔らかく優しい。
「は、はじめまして」
(こんなに絵になる物腰の柔らかな老紳士が存在してるなんて……流石ファンタジー。原作乙女ゲームありがとう……)
アルベラは無意識に胸の前で手を組んでいた。
ラーゼンが老人の隣に並び、アルベラへ紹介する。
「こちらは魔術研究家のアート・フォルゴート殿だ。今日仕事で相談に乗ってもらってね。そのお礼にと夕食に招待させて頂いた」
アルベラは「フォルゴート」という名を聞き、ミーヴァの顔を思い出し納得した。
(あぁ、この人が……)
我が国が誇る魔術研究科。見た目通りいい意味でそのままだ、とアルベラは感動する。
「フォルゴート様。アルベラ・ディオールです。お初にお目にかかります」
彼女はスカートの端をつまんみ、ちょこんと挨拶をする少女にアート卿は嬉しそうに笑った。
「やはり女の子は可愛いですな。私は男しか育てた事がありませんので新鮮です」
アルベラはニコニコと笑みを返す。その裏ではこんな事を考えていた。
(ミーヴァのやつ、人攫いの件は口留めしてたしアート様には伝わってないよな。あいつ、もし話してたらただじゃおかない……)
アルベラとラーゼンとレミリアス、そして客人のアート卿が向かい合うテーブル。順々にいつもよりも少し見た目が華やかな食事が運ばれてくる。出てくる食事は多少外行きではあったが、大体はいつも通りでとても和やかな空気が流れていた。
ディオール側も客人であるアート卿側も気張っておらず、仕事の付き合い上なのかお互い肩ひじを張らなくていい相手であるようだ。
それはあまり我が家で客人を持て成したことが無いアルベラにとって、とても有難い事だった。
「うちにもアルベラ様と同じぐらいの孫がおりまして。それがなかなか……私に似て気難しいのですよ」
ラーゼンとの話の中でアート卿の孫の話が出て、祖父である彼は苦笑を浮かべアルベラへと説明した。
アルベラは口では「そうなんですか?」と返し、心の中では「気難しい」という点において「……確かに」と頷いていた。
この老紳士がミーヴァと同じく気難しいとは感じられない。
それどころかあの「生意気」な孫と異なり、礼儀正しくそして気品もある。
(全然似ても似つかない祖父と孫ね……)
何であんな育ち方をしてしまったのか、とアルベラは不思議に思う。
「このご夕食のお誘いを頂いた時、実は孫にも声を掛けていたんですよ。ですがあの子ときたら、『貴族』と聞いたとたん首を横に振りまして」
アート卿は困ったようにふさふさで真っ白な眉の尻を下げた。
「私の孫はいつからなのか、高貴な方々へ苦手意識を持ってしまいましてね……。私の仕事上、ラーゼン様にもとてもよくして頂いておりますので、アルベラ様はこれから顔を合わす機会があると思うのです。ですからその時はどうか、良い友達になってあげてください。少し気難しい所はありますが『そういう子』なのだと悪く思わないでやっていただけると幸いです。……勿論、失礼を働いてしまうようでしたら、きつく注意して頂いて構いません。どうか『何がどう悪かったか』等を本人にしっかり伝えてやっていただければと思います。この爺にも言って頂ければ、私からもよく注意しておきますので」
「は、はい」
孫への愛が感じられる真摯な目にアルベラはじんと胸を痛めた。
(もう既にアート様の危惧してる通りだなアイツ。こんな素敵なお爺様に心配させるなんて……、頭いいんならそういう所もしっかりしなさいよ)
アート卿の言葉にラーゼンが返す。
「アルベラ、フォルゴート殿のお孫さんはとても将来有望でね。もう生活用の基本的な魔術印なんかは空で描けてちゃんと展開する事もできるそうだ。本を見ながらなら陣も描けるとの事で、仲良くしておくに越したことは無いぞ」
「子供の興味です。これからどうなるか分かりません」とアート卿が恥ずかしそうに笑う。
(ああ……うん。見事にやってましたね、魔術)
とアルベラはヤブガラシの件で「温室育ち」「勉強不足」と言われた事を思い出し悔しさが込み上げる。
あれからアルベラも勉強し、魔法と魔術の違いや魔術を展開するために必要な陣と印について知った。
魔法は個人が自力で起こせる「力」。魔術は自然界の魔力などを利用して現象を起こす「技術」だ。生まれつき魔力の無い人でも、魔術を利用すれば魔法と同等の力を使える。
そのために必要なの「陣」や「印」である。
要はアルベラが前世、本やゲーム、アニメで触れてきた魔法陣が「陣」であり、それを地図記号ほどに更に簡略化したもの「印」だ。
(ちゃんと学べば私にだってわかるんだから)
「――ですがお孫さん、今日は体調が悪そうだったとも仰っていましたよね。鳥肌が立ったり身震いをしていたと……。きっと体調が悪かったのでしょう。いつかお元気な時にでもまたお誘いできればと思います」
「お気遣い痛み入ります。研究は体が資本ですしな。体調の管理もこれからしっかり叩き込んでおきましょう」
(鳥肌……身震い……?)
二人の話を聞きながら、アルベラは「まさか?」と食事中後ろに控えてるオカマの顔をちらりと盗み見た。
オカマは視線に気づきにこやかに手を振る。が、アルベラはそれを無視して食事に戻る。
(エリーがこの屋敷にいることを察した……なーんて、まさかね。そんな事がわかったらそれこそ魔法かエスパーだよな。ははは……)
単なる風邪というのがあり得そうな話だが、アルベラは何となく「エリーがいたから」という理由も捨てきることが出来なかった。
その頃フォルゴート卿の自宅では、祖父の本を物色して寛いでいたミーヴァが風邪でもないのにくしゃみを連発していたのだった。
食事を終え、アート卿もそろそろ帰ろうかという時、アルベラは気になっていたことを思い出し尋ねてみた。
「アート様。私、まだ魔法を使ったことがないんですが大丈夫でしょうか? 魔力が目覚めるのが遅くはありませんか? 魔力が何なのか、今まで自分の中で全く感じた事が無いんです」
アート卿は「ほう」と頷き興味深そうな目をアルベラへ向ける。
「なるほど、なるほど。ふぉっふぉっふぉ……。大丈夫ですよ。その不安はアルベラ様の歳のころの子が皆共通で抱くものです。ご両親が魔法を問題なく使っているのなら、アルベラ様もそのうち自然と体内や周囲の魔力の感覚を掴んでいける事でしょう。――それに、アルベラ様もご存知かもしれませんが、魔力は祈りによっても得る事ができます。不安でしたら聖堂でお祈りを捧げると良いでしょう」
「は、はい……」
(聖堂……)
アルベラは「あそこは何か苦手なんだよな……」と心の中呟く。
「もし魔法が使えなくとも、その時は魔術の知識を深めることで補う事も可能です。魔法で起こした火も魔術で起こした火も、どちらも精霊が魔力を変換した形であることには変わりませんゆえ」
(魔法は個人の所有する魔力を精霊を介して現象化するもの。魔術は個人の保有する魔力だけでなく、自然界の魔力を印や陣により精霊を誘導――踊らせて、魔力の流れを計算で導き魔力を現象化させる……だっけ)
アルベラは教科書の内容を思い浮かべる。
「精霊の力を借りなくても魔法を使える人が居るんですよね」
「あぁ、『加護』や『寵愛』の事ですな。『加護』は己の魔力を自力で現象化できます。つまり精霊の力を借りなくとも、魔力を火や水に変えたりできんです。一方『寵愛』は『特殊体質』とでもいいましょうか」
「特殊体質?」
「『加護』も特殊体質ではありますが、あれは精霊無しで魔法を現象化できる者達を差します。しかし『寵愛』は魔法とは少し異なる、神の愛が与えた特別な能力と言われております。その力が何なのか……私達の間でもまだよく分かっていないのです」
(ほう……特殊能力……)
「それはいつ、どうやって自分が持っていると分かるんですか?」
「生活の中で気づくか、教会で教えてもらう事も可能です」
(そうか、教会……――あそこも苦手だ……)
考え込むアルベラにラーゼンは少し落ち着きが無かった。
「アルベラ、そろそろフォルゴート殿もお疲れだろう……」
「じゃあ最後にもう一つ良いですか!?」
魔法や魔術の話に目を輝かせる少女。
それを他でもない魔術大好きな研究家がどうして拒否できよう。
アート卿は嬉しそうに「なんですかな」と答える。
「今はまだ魔法を使えない私でも、魔術は使えるかもしれないという事ですか?」
「勿論です」
アート卿の答えにラーゼンは「あぁ」と両手で顔を覆った。
「実際、私の孫も魔法が使え無い時期から魔術は使ってはおります。農民の子は生活の中で農業に便利な魔術を覚えていくともいいます。いつから学ぶようになるかはご両親やその環境次第なのですよ」
「……!」
アルベラはサッと父へ目をやった。
そして父はサッと視線を逸らせた。
「魔法も魔術もどちらも人により向き不向きはありますが、目的の現象によっては魔術の方が敷居が低いでしょう。……それに、万人に使える魔術で少しでも人々の生活を楽にしたいと言う思いのもと我々も『術』を開発しております。魔力が一切なくとも、努力次第で魔法が使える人達よりも魔力を扱えるようになる術が『魔術』なのです」
アルベラはしつこくラーゼンを見つめ続ける。
やがて根負けして耐えられなくなった彼が口を開く。
「……だ、だってなぁ、危ないだろう! 怪我をしたらどうする!」
「はぁ、」
ずっと黙っていた母がため息をついた。
どうやらこのやり取りは二人の間でも既に何度か交わされているようだ。
「ふぉっふぉっふぉ、まぁ公爵様のお気持ちもわかります」
「そ、そうですよね!」とラーゼンは語尾に力を込め頷く。
「アルベラ様、魔法も魔術も中等学問からでも遅くはありません。その前に魔力を使えるようになるかもしれませんし、その時はそのタイミングから学び始めれば良いでしょう」
「そういう事だぞ、アルベラ。だから心配するな」
言葉上はアルベラへ向けて、しかし視線はしっかりと妻に向け、頼みこむようにラーゼンは言った。
話しも終わり、アート卿は公爵家が準備した馬車で帰っていった。
――『アルベラ様、きっとうちの孫とは三か月後に会うことになりましょう。その時はどうぞよろしくお願いいたします』
という言葉を置いて。
「三か月後?」と疑問に思いながら頷くアルベラに、レミリアスが説明するからと彼女を部屋へ招いた。
レミリアスはアルベラへ深紅の封筒を渡し中を確認しておくように伝える。
「三か月後にラツィラス殿下の誕生祭があります。フォルゴート様が仰っていたのはその事です。お孫さんも出席されるそうですので、しっかりご挨拶するのですよ」
「はあ……誕生祭」
「オノディの一の月、五の日です。王都で一二時から同じ年ごろの子たちでお食事があり、時間をおいて一七時からは舞踏会が開かれます。舞踏会の方は大人が中心となるでしょう。私たちは十時頃に屋敷を出る予定です。舞踏会の後は近くの宿に一晩泊まり、次の日の朝ストーレムに帰ってきます。分かりましたか?」
『オノディ』は十二か月を四等分にしたうちの十~十二月の期間を示す。
この世界では一年を四つの期間に分け数えている。その中に、それぞれ「一の月」「二の月「三の月」があり、結果的に日本と同じく一二か月の月日で数えられている。
今回の話では、その「一の月」という事なので日本で言う十月だ。
ラツィラス王子の誕生日は十月五日ということになる。
父と母は去年もその前の年も王子の誕生日を祝いに行っていたようだが、そこにアルベラが参加するのは初めてだった。
(十歳から社交界への参加が増える、か。もう舞踏会に参加できるなんて……。ていうかあの王子様の十歳の誕生日ね。私の方が六カ月年上だったのか)
アルベラは手紙を封筒に戻し、後から部屋にやってきたエリーへと預けた。
「……あの、お母様」
「なんでしょう」
「お母様はお父様と踊られるのですか?」
「ええ。夫婦ですから」
「私はパーティーの参加者の方たちと踊るんですよね。空いた時は休んでいてもいいんでしょうか。それともこちらからも声をかけてずっと踊っていた方がいいんでしょうか?」
「ふふふ、大丈夫ですよ。無理に踊り続ける必要はありません。あなたたちの年なら『誘われれば踊る』『誘いたければ誘う』『踊りたくなければ踊らない』でいればいいのです。ですが、誘われたときは出来るだけ踊って差し上げた方が礼儀として正しいですね」
「は、はぁ」
(分かったような、分からないような。実際経験してみないと塩梅がつかめそうにないなぁ)
いったいどれだけの人が踊り、どれだけの人が休んでいるのか。
子供同士の社交界も、まだ片手で数える程度しか経験したことがないアルベラにとって、大勢が参加する舞踏会というのは未知の世界だ。
「身構えずとも良いんですよ。ルールに捕らわれず楽しめるのは今のうちです。あなたがすべきは同年代の子たちとの交流です。ダンスとマナーについては今までも学んで来たでしょう。これからの三ヵ月もしっかり学ぶ機会を設けますから心配はいりません。あとは気にせず楽しみなさい」
「はい」
母の様子的に子供も安心して楽しめる雰囲気ではあるのだろう、と今はそう思う事にした。
前世で経験のなかったことはまるっきしこの十年の記憶や知識に頼るしかないのでやけに不安に思えてしまう。
アルベラは「なるようになるって事ですかね」と独り言のように呟き、それに母が「ええ。なる様になりますよ」と上品にほほ笑んだ。
***
アルベラが自室に戻ると、当たり前のようにエリーが身支度を始めた。
デュオール家のメイド服を脱ぎ、三つ編みにして上品に巻きまとめてた髪をラフなポニーテールに結い直している。
三つ編みの跡がついて普段よりウェーブがきつくなっているが、それがまた色っぽいと思えるのは彼女の特権だろう。
鼻歌を歌ってご機嫌なエリーは、町娘のワンピースを身にまとい鞄を小脇に抱えていた。その中に光沢のあるピンク色のドレスが見える。街に行って更に着替えるらしい。
最近「大胆でどエロいドレスを購入した」とはしゃいでいたのを思い出す。色的にきっとそれだろう。
「じゃあお嬢様、行ってきます」
そう言い、エリーは窓に足をかける。今夜はここから出て、ここから戻って来てまたメイド服に着替えて自室へと帰るのだそうだ。
「あ、エリー」
「はぁい?」
「もし売人とのやり取りになったらだけど、できるだけ太客かもしれないと思わせる事って出来る? こっちが公爵家だとか貴族だとか、そう言うのは絶対に隠してて欲しいんだけど」
「りょうか~い。いい感じに売人の期待とかその他諸々のもろとか膨らませてきま~す」
「うん、よろしく……」
(……あ、ん? もしかして今コイツ下ネタ言った?)
「それでは行ってきまぁ~す」
冷めた表情のアルベラにエリーはにんまり笑い返し、華麗な動きで窓の外へ出ていった。
(くのいちか)
アルベラが外をのぞくとエリーの姿は壁に無く、既に庭先へ足をつけ、その向かいにある雑木林の影の中へ消えていた。
その後、エリーが街から帰ってきたのは深夜二時を過ぎた頃だった。
窓から現れたオカマに、アルベラは寝ぼけ眼で「話はお昼に聞かせて……」と言ってすぐ眠りについた。
容易く睡魔に負ける幼い主人に「はーい。おやすみなさいお嬢様」と微笑みかけ、エリーは自分に与えられた使用人専用の部屋へと帰っていく。
もちろんその日の朝、オカマはしっかりいつも通りの時間に起きてきぴんぴんした様子で責務を全うしていた。
お昼になって話を切り出すと、エリーは軽い口調でこう言う。
「いましたよ売人。話をしたらなんと……今度大きな会合があるとかで誘われちゃいました~!」
「有能か!!!」
アルベラは反射的に「タンッ」と両手でテーブルを叩く。テーブルに並べられた茶器類が小さく跳ねてガチャリと音を立てた。
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