アスタッテの尻拭い ~割と乗り気な悪役転生~

物太郎

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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)

225、 初の前期休暇 6(挨拶と例の報告)

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 ラツィラスが会場に足を踏み入れてから、辺りからカツカツ、コツコツと近づいてくる踵の音が聞こえていた。

 それは「いざ挨拶せん」と、会場のそこかしこから第五王子様のもとへ訪れる人々の足音だ。

 ラツィラスが近場の人間へ片手をあげて笑いかける。その視線の先、頭を下げたのは一人の男性だった。

「これはこれはラツィラス殿下」

「お久しぶりでございます。少し見ない間に随分ご立派になられて」

ジーンはラツィラスと言葉を交わす彼には見覚えがある。西の地の辺境伯だ。

 六十を手前にしたその人は今だ背筋は伸び、空気や言葉もはきはきとしている。辺境の地を治める者達と言うのは実力重視の傾向が強い。西の地を治める彼も例に違わずその一人であり、社会的な地位や外見に捕らわれない人柄だ。

「ジーン・ジェイシ『卿』もお噂はかねがね」

 赤い瞳の自分に向ける友好的な笑顔は前会った時と変わらない。

 「噂」と言う言葉が引っかかりつつも、ジーンは頭を下げて挨拶をした。

「遂に騎士になられたとか」

 噂とはそれの事か、とジーンは納得する。

「叙勲おめでとうございます。親子二代で騎士団長を務める日も遠くないのではと私共は思っています」

「身に余るお言葉ありがとうございます。団長になるかはともかく、ご期待に添えられるよう精進いたします」

「ご謙遜を。是非ザリアス殿と共にまた我が家へ遊びに来てください」

 ジーンとの軽い挨拶もそこそこに、彼とラツィラスとの間でお互いの軽い近状報告がはじまる。

 ジーンは十歳の頃からディオール家の誕生日会に招かれて訪れていたが、今までこの場で西の辺境伯と顔を合わせることは無かった。

(今年はいつもより大掛かりだな)

 会場の広さ、飾り付け、招かれた客人の数。全てを見渡し、ジーンはそんな感想を抱く。

 辺境伯との挨拶が済んだら、その後は大伯や中伯、準伯、男爵や騎士家の者、積極的なご令嬢方、といった順で挨拶を待つ者達が訪れてくる事だろう。あくまでも律儀に全ての人々に応えていたらの場合だが。

(気が遠くなる……)

 勿論ラツィラスの匙加減でそれらの挨拶を切り上げる事は可能だ。ジーンが希望すれば少し場所を離れて休憩を取ることもできる。

 今日も自分の他に五人、ベテランの騎士が会場内に待機しこの第五王子様を見守っているのだから。

(次はきっとあちらか、あちらあたりか……)

 気を紛らわせるために会場を見たのだが、その視界に入ったのはスタートをきる準備をしている貴族たちの姿だった。

 こちらを見たり見ていなかったり。目がどこに向いて居ようと、その意識が矢尻や槍先となって視認できそうなくらいに、ラツィラスの背や肩に突き刺さっているのを感じた。

 ジーンは始まったばかりのパーティーに途方もない時間を覚悟し息をついた。





 主の会話を聞きつつ、ジーンの耳や意識は癖で辺りの気配や言葉を拾い上げる。

『―――舞踏会の話など一切聞いたことが無かったでしょう。この屋敷にはそう言った設備がないのかと思っていたよ』

『―――知ってますかな。このホールの地下には拷問部屋があるそうですぞ。彼にはそういう趣味もあると、前にこの屋敷で働いてたってメイドが噂していたよ。拷問の後にも人前では平然と温厚にふるまう、とても恐ろしい人だと』

『ハハハ、準伯上がりが急に公爵と言う座を与えられ、そんな趣味でも持たねば心の余裕が保たれないんでしょうな。余裕の顔もいつ剥がれ落ちる事か』

『―――ご令嬢も随分大きくなられた。見た目だけなら文句の言いようもない……。なのに彼女、平民の男を誑かして遊んでいると聞くではないですか』

『平民と。そんなものを候補に残して、殿下は大丈夫でしょうか。妃に迎えた女性が変な病気でも持っていたら王族としても一大事でしょう』

『父親があれでは……。親が親なら子も子だ。やはり王の気まぐれで与えられた張りぼての爵位で……』

『―――他の公爵家のご令息にまで色目を使っているという噂じゃないですか。まだ候補の座とはいえいただけない話ですな』

(客人の質もかなり広げたんだな)

 ジーンの表情が無意識に強張る。

 去年まではこんな話を彼女の誕生日で口にする者達は居なかった。それが今年は規模も人数もあからさまに増えている。

 ―――ずっと囲ってはおけない。自分の身を自分自身で守る術を鍛えなければ。

 今までじっくりと鍛えあげ、横へ横へと広げてきた土台。これからはその上に強固な砦を作るのだ。

 この会場からは、彼女の両親のそんな考えが含まれているような気がした。

 学園で耳にするものとも異なる、いい歳の大人たちが口にする陰湿な陰口や噂話にジーンは不快感を覚えた。

(ここが誰の屋敷で、誰の誕生日だか分からなくなりそうだ)

 一体当の本人はどんな気分なのだろう。気になり目を向けた先、人の波の奥に見えたのはいつもと何ら変わらないお嬢様の真っすぐな背だった。話している相手の様子から談笑をしているのが分かった。

 ジーンは息を吐き、固くなった眉間や口元から力を抜く。

(……人の顔色伺って、居たくもない場所に居てやるほどお人好しでもないか)

 少なくとも本人はああしてこの会場に留まり笑っているのだ。なら今はそれでいいじゃないか。

 それより今自分が気にするべきは、自分の主が今日は一体いつになったら貴族たちとの挨拶に飽きてくれるかだ。

 「今日は早めに挨拶に飽きてくれますように」と言う思いを込めて、人付き合いが良くも気まぐれな主の背をジーンは眺める。





「……お声をかけていただきありがとうございました。ジェイシ殿も。お二方、また後程機会がありましたら」

「はい。またお話しましょう、カケット卿」

 ラツィラスが人懐っこく笑む。

 ジーンも社交の笑みを浮かべ頭を下げた。

 カケット卿がその場から一歩引くと、「殿下、ご無沙汰しております」と別の貴族が前に出て頭を下げた。

 彼に笑いかけ対応する王子様と、その後ろに仕える騎士を眺め辺境伯カケットはしみじみと自身の従者へ尋ねかける。

「合わない間に……どちらも表情が自然になったと思わないか? 良い傾向だ」

 カケット伯爵はアルコールを含み、口の中で美味しそうに転がす。

「ジェイシ様は随分貴族らしくなりましたね。前会った時はまだまだ『平民』が抜けきれていませんでしたから。まあ、あの頃は実際平民だった訳ですが……。あれから真面目に頑張られてきたのでしょうね」と従者は懐かしそうに笑った。

「殿下は変わらずな気も致しますが……。あの方は小さい頃から文句のつけようがございませんでしたので」

「そうかもしれないな。あの方は前から完璧であられたとも」

 自分だけが感じた事であればそれでいいさ、とカケットはくつりと笑う。





 ***





「……王子様ね。アレは正に王子様だわ。身分を名乗らなくったって王子様よ」

 とビオが感激の表情で呟いた。

 金髪の美男子に目が奪われている彼女の隣でカスピが「そうね」と苦笑する。

「この国の王子ってあんな顔だったんだな。まんま絵本の世界じゃねぇか。完璧すぎて人目が無けりゃ大笑いしてたぜ」

 とスナクス。

 ゴヤは椅子に座ったままのアンナを見下ろした。彼女は大人しく座ったまま、ひじ掛けに肘を乗せ頬杖をついていた。その膝の上にミミロウ。これは彼女の動きを封じる一手としてビオが乗せたものだ。

 アンナの膝の上、ミミロウは年相応に足をぶらつかせてフルーツやミニチュアのような装飾品で可愛らしくデコレーションされたジュースをストローで飲んでいた。

「流石のアンナも王族相手なら空気を読むか。何もねぇならそれでよかったが……」

 六人がいるのは王子様と挨拶を交わすご令嬢から距離を取った壁際だ。

 王族が来場してすぐ、「もしも」を危惧した冒険者たちがアンナを椅子ごと持ち上げ邪魔にならない場所に移動したのだ。

 仲間達の声など聴いてもいないかのように、アンナはぽんぽんとミミロウの頭を撫でながらお嬢様と王子様を眺める。

 彼女は首を捻り「うーん……? 黒……?」と納得いかない様子で独り言つ。

 その隣にそっと立つ人影が現れた。その人物は「あら」と呟く。

「ルーディンちゃんとガーロンちゃんいらっしゃったのね。お兄様はやっぱりいらっしゃらなかったの」

 いつもより装飾が多い黒の使用人服。この服とその声に、アンナは「よお」と顔を上げる。

姉さんエリーどこ行ってたんだい。大事なお嬢様一人にしていいのかねぇ」

「ここで皆といるのを確認して離れたから大丈夫よ。ナールちゃんがひとりで敷地内をお散歩してたから声をかけてたの」

 にこり、とエリーは微笑む。

 ビオが「え゛?!」と低い声を上げ「がばり」とエリーを見た。

「どおりで姿がねぇと思った」とゴヤが呆れる。

「んで牢屋に放り込んでたってか?」

 ケラケラと笑うアンナにエリーは「まさか」と返す。

「ちゃんと案内人を付けたから、引き続きお散歩してもらってるわ。屋敷の貴重品に手を出す方じゃないでしょう?」

「そうだな。あいつが興味あるのは獣や魔獣だけだ。根っからの動物大好きっ子だからな」

 アンナはお嬢様に目を向けたままパチリと瞬く。

 彼女の口から思い当たったかのように「……ん? となると」と言う呟きが漏れた。

 その呟きをエリーが拾い上げ続ける。

「となると……目的は厩かスーちゃんかしら。私が見つけたのも、庭へ出ようと窓から飛び降りようとしているとこだったし」

 「もう! あのバカ……!」とビオが声を殺して頭を抱えた。

「けど人付けたんなら問題ないだろ。騎士さんのどっちか……」

 アンナがさらりと会場を見渡せばすぐに彼らの姿が目に入り、「……じゃないね」と付け加えた。

「いいタイミングで『先輩』が通りがかりましたのでその方にお願いしました」

「先輩? メイドの先輩かい?」

「ええ」

「にしてもなんであいつ窓から出ようとしたんだ?」とゴヤが訝しがる。

「道に迷ったと言ってましたよ?」

「あいつが道にねぇ。野山と貴族様のご邸宅とじゃ勝手が違うってか?」





 月の明るい夜の庭園。

 整えられた芝生をザクザクと踏みつけ二人の人物が距離を空けて歩いていた。

 方や正装の紫頭の青年。方や屋敷の使用人。本日パーティーに招かれた冒険者の一員ナールと、ディオール公爵邸に勤める使用人のリリネリだ。

 そのどちらも負けず劣らずの仏頂面を浮かべている。

(ちっ、見張りつきかよ……。しかもなんか感じわりーし。折角人が話題振ってやったってのに反応も薄かったしよ。ここにはそういう人材しかいないのか?)

(ちっ、陰険な男。何が『このお屋敷の奥様、お嬢様とそっくりですね。もしかして娘さんと同じかそれ以上に性格悪くてガサツだったりします?』よ。まだまだがきんちょなお嬢様に比べたらレミリアス様の方が数十倍品があるっての。人の主人馬鹿にしておいていいサービス受けられると思うなよ)

 リリネリは案内役だと言うのに何方かと言えば監視の体でナールの後ろを歩いていた。彼女は後ろからぎろりと目の前の男の細い背を睨みつける。

(うっわ。この女、客人を睨んでやがる。質の悪い使用人置きやがって)

 目も合わせない双方の間で火花が散った。

 どちらも心の中で「ケッ!」と不快の声をあげる。





「ではアルベラ嬢、ラツやルーの番もあるので僕はこれで。時間があったらまた後でお話ししましょう」

「はい。ルーディン様もガーロン様も、楽しんでいただけますと幸いです」

 挨拶の最期、立ち去ろうとしたルーディンははっとし、表情を曇らせた。

 首を傾げるアルベラの前、彼はポケットに手を入れ封筒を取り出した。事務的な簡素さのあるそれを、アルベラは受け取り今中を見ていい物か考える。

「これは……?」

「兄さんの誕生日の時の……廊下での件だよ。警備隊からその後どうなったかとか、あの件に関しての事が纏めてある。内密にね」

(忘れてた)

「ルーディン様自ら、申し訳ありません」

「大したことじゃないよ。……それで、もし何か言いたい事とかあれば、僕かガーロンに連絡してくれていいから」

「はい……?」

 ただの報告だけとは思えないような憂いを帯びた彼の目が封筒へと注がれていた。何があったのだろうか、とアルベラも封筒へ視線を落とす。

「これは、早急に確認した方が良い類の物でしょうか?」

「いいや。終わった事の報告にすぎないよ。だからパーティーが終わってからでも大丈夫。特に個人的には「」パーティー終わり』がお勧めかな」

(なぜ苦笑……? 『言いたい事とかあれば』?)

 先ほどから王子様が浮かべる表情や、後ろめたさや罪悪感を思わせる不可解な言動にアルベラは封筒の中を見たいような見たくないようなどっちつかずの気持ちになる。

「ありがとうございます。ではこちらは会が終わりましたら……」

「いいえ。では僕らはこれで」





 彼らが去ったのちアルベラはエリーに手紙を渡した。

「あの時の報告ですって。私の部屋に置いといて。気になるようだったら先にエリーが目を通しててもいいから。……何か、王子様的にあまり良くない事が書いてあるみたい」

「まあ……。ではお言葉に甘えて。お部屋についてから見させていただきますね」

「ええ。お願い」

 折角戻って来たというのに、またお嬢様の傍から離れないといけないのかとエリーは苦笑する。

 彼女は封筒を受け取ると速やかに会場を去り主の部屋へと向かった。



 アルベラはエリーを見送る。彼女が見届ける先、エリーとすれ違いながら挨拶を交わし、こちらに向かってくるもう一人の王子様の姿が目に入った。

「あら、殿下」

(思ったより早かったな)

「やあ。エリーさんはお使い?」

 ラツィラスはアルベラの元にたどり着くとニコリとほほ笑んだ。

 その隣で「よお」とジーンが普段のラフな挨拶を述べる。

(―――……ま、眩しい!)

 ビオが両目に手を当てた。

 先ほどの王子様とそっくりな容姿。しかし先ほどの彼に神々しさでも追加したかのようなもう一人の王子様の登場。

 ゴヤはしみじみと「破壊力えげつねぇな……」と呟いた。

「あ! そうそうこっちだ! やっときたね王子様!」

 アンナが嬉しそうに椅子から立ち上がろうとし、膝の上にいたミミロウがズシリと体重をかけてそれを制した。

「ミミロウ……」

 アンナはムッとした表情で膝上の少年を見下ろす。

 エリーに何かしらの使いを頼んだのか、と言う彼の問いにアルベラは「ええ」と答える。

「『彼』から手紙を受け取っていたように見えたけど、何かあった? ……ふふ。もしかしてラブレターとか?」

「恐れ多い事をおっしゃらないでください……」とアルベラはため息をつく。



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