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5.遠ざかる背中
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やっぱり無理だ!
心配が過ぎた俺は、こっそり彼らのあとを追った。
渡り廊下の向こう、木が生い茂った場所に人影が見える。少し距離を取って、彼らに気付かれないよう近づくと、まさに今、修羅場が始まったところだった。
遠くて表情は見えない。けれど、雰囲気は十分に伝わってくる。
女は興奮したように、早口で何かをまくし立て、イケメンが何やら懸命に言葉を発していた。
春人は、何も言わない。
ただ、イケメンの隣でじっと黙ったまま、立ち尽くしていた。
……そうか。
下手に声を出せば、男だってバレる。
それを分かってて、春人は自分の役割を演じているんだ。
すると突然、女が怒鳴り声を上げて、その場を駆け去った。
靴が砂を蹴る音だけが微かに聞こえる。
その場に残された春人とイケメンが、何かを短く話し、やがて解散した。
今だ。
俺は物陰から出て、春人の方へと歩き出した。
「岡――」
言いかけたその瞬間、さっきの女が戻ってきた。
鬼のような形相で春人に詰め寄り――その細い腕を、勢いよくつかんだ。
「アンタ……! 何よあれ! なによその態度! こっちは本気だったのに!ふざけんなよ!!」
怒りの暴言が、一気に浴びせかけられる。
けれど春人は、何も言わなかった。
最後まで仕事として全うしようとしていたんだろう。
ただ、ぐっと唇を噛んでいるだけだった。
そして――
ぱしんっ!
平手打ちの音が、校舎の壁に乾いて響く。
その衝撃で春人の体がぐらりと揺れた。
けれど彼は、倒れることなく、ただまっすぐ立っていた。
「……アンタみたいなの、大っ嫌い!!」
女は最後にそう叫んで、踵を返し、今度こそ教室へと走り去った。
⸻
「岡崎っ!」
俺は駆け寄って、ふらついた春人の肩を支える。
頬には、真っ赤な手の跡。
目は伏せられ、髪がその表情を隠していた。
「……大丈夫? 今の、めっちゃ痛かっただろ……!」
俺の言葉に、春人はふと顔を上げた。
「……平気。仕事のうち」
それだけ言って、ひらりと俺の手を振り払う。
「じゃあな」
たったそれだけの言葉を残して、春人は踵を返し、足早に歩き去った。
その背中は、どこまでも真っ直ぐで――
でも、なんだかすごく、遠かった。
⸻
ぽつんと残された俺は、静かにベンチに腰を下ろす。
思い出すのは、前世のこと。
犬猫になる前の、人間だった時のことだ。
俺は――
幼馴染だった春人のことを、小さい時からずっと、ずっと好きだった。
子供の頃は一緒にいて、気づけばいつも春人を目で追ってた。でも結局、言葉にはできなかったんだ。
そのまま大人になって、それぞれの道を歩いて。社会人になってから連絡も取らなくなってそれっきり。
それでも、忘れられなかった。
仕事に逃げて、忙しさに紛れて、
結局、俺は早い段階で倒れて――
……そうだ。
俺、過労死したんだった。
あの時も、こんな感じだったな。
想いを伝えられないまま、春人のことばっかり考えて、終わった。
そして、ようやく再会できたと思ったら犬と猫だったんだよな。けど、今回こそはと思いを伝えて両思いになれたのはすごく幸せだった。
それなのに、今回はまた、片思いのまま?
あの頃と同じなら、俺はまた気持ちを伝えられず、自分の気持ちに蓋をして最期は孤独に死んでいくのだろうか。
……嫌だ。
そんなのはもう嫌だ。
どんな形でも春人の側に居続けたい。
ずっと。
「はあ、人間は難しいな」
犬猫の頃なら、二人で寄り添っているだけでよかった。
番犬としての仕事をしておばあさんにご飯を貰って。
お互いに記憶だってあったのに。
俺の横を、風が通り抜けていく。
その風の中に、どこか懐かしい匂いが混じっていた。
草の匂い。陽だまりの匂い。黒猫のぬくもり。
そして――
「……春人……」
つぶやいたその名前は、風に溶けて空へと消えていった。
次の授業が始まっても、春人は教室に戻ってこなかった。
俺は気になって、斜め後ろの席をちらちらと見てしまう。
思ったより痛みが酷いんだろうか。他にも怪我したところあったのか?一体どこにいるんだろう……。
休み時間、俺は意を決して、前の席の男子に声をかけた。
「なあ、岡崎……どこ行ったか知らないか?」
「ああ、この時間は保健室だと思うよ。たぶん寝てるんじゃない?」
「……保健室?寝てる?」
「うん。ってかあいつ、しょっちゅうだよ。夜、遅くまでバイトしてるから昼に寝てること多い」
思わず言葉を失った。
またバイト?どうしてそこまで……何か事情があるんだろうか。
「ねえ」
声をかけてきたのは、隣の席の女子だった。
「岡崎くん、バイト掛け持ちしててね。最近、顔色もよくないし……。でも誰にも助けを求めないの。実はみんな心配してるんだけどね……」
「そっか……でもなんでそんなにバイトばっかやってんの?」
俺の問いに、彼女が肩をすくめる。
「“やりたいことがある”って言ってた。『そのために金貯めてる』って。それ以上は教えてくれないけど」
やりたいこと。
春人が――そんな夢を持ってるなんて、なんだか意外だった。
いつもクールで何に関しても我関せずの態度を貫いていたのに、そんな熱い気持ちで叶えたい夢があるのか……。
なんだか俺の知らない春人のようで、少しだけ胸がきゅっとなった。
心配が過ぎた俺は、こっそり彼らのあとを追った。
渡り廊下の向こう、木が生い茂った場所に人影が見える。少し距離を取って、彼らに気付かれないよう近づくと、まさに今、修羅場が始まったところだった。
遠くて表情は見えない。けれど、雰囲気は十分に伝わってくる。
女は興奮したように、早口で何かをまくし立て、イケメンが何やら懸命に言葉を発していた。
春人は、何も言わない。
ただ、イケメンの隣でじっと黙ったまま、立ち尽くしていた。
……そうか。
下手に声を出せば、男だってバレる。
それを分かってて、春人は自分の役割を演じているんだ。
すると突然、女が怒鳴り声を上げて、その場を駆け去った。
靴が砂を蹴る音だけが微かに聞こえる。
その場に残された春人とイケメンが、何かを短く話し、やがて解散した。
今だ。
俺は物陰から出て、春人の方へと歩き出した。
「岡――」
言いかけたその瞬間、さっきの女が戻ってきた。
鬼のような形相で春人に詰め寄り――その細い腕を、勢いよくつかんだ。
「アンタ……! 何よあれ! なによその態度! こっちは本気だったのに!ふざけんなよ!!」
怒りの暴言が、一気に浴びせかけられる。
けれど春人は、何も言わなかった。
最後まで仕事として全うしようとしていたんだろう。
ただ、ぐっと唇を噛んでいるだけだった。
そして――
ぱしんっ!
平手打ちの音が、校舎の壁に乾いて響く。
その衝撃で春人の体がぐらりと揺れた。
けれど彼は、倒れることなく、ただまっすぐ立っていた。
「……アンタみたいなの、大っ嫌い!!」
女は最後にそう叫んで、踵を返し、今度こそ教室へと走り去った。
⸻
「岡崎っ!」
俺は駆け寄って、ふらついた春人の肩を支える。
頬には、真っ赤な手の跡。
目は伏せられ、髪がその表情を隠していた。
「……大丈夫? 今の、めっちゃ痛かっただろ……!」
俺の言葉に、春人はふと顔を上げた。
「……平気。仕事のうち」
それだけ言って、ひらりと俺の手を振り払う。
「じゃあな」
たったそれだけの言葉を残して、春人は踵を返し、足早に歩き去った。
その背中は、どこまでも真っ直ぐで――
でも、なんだかすごく、遠かった。
⸻
ぽつんと残された俺は、静かにベンチに腰を下ろす。
思い出すのは、前世のこと。
犬猫になる前の、人間だった時のことだ。
俺は――
幼馴染だった春人のことを、小さい時からずっと、ずっと好きだった。
子供の頃は一緒にいて、気づけばいつも春人を目で追ってた。でも結局、言葉にはできなかったんだ。
そのまま大人になって、それぞれの道を歩いて。社会人になってから連絡も取らなくなってそれっきり。
それでも、忘れられなかった。
仕事に逃げて、忙しさに紛れて、
結局、俺は早い段階で倒れて――
……そうだ。
俺、過労死したんだった。
あの時も、こんな感じだったな。
想いを伝えられないまま、春人のことばっかり考えて、終わった。
そして、ようやく再会できたと思ったら犬と猫だったんだよな。けど、今回こそはと思いを伝えて両思いになれたのはすごく幸せだった。
それなのに、今回はまた、片思いのまま?
あの頃と同じなら、俺はまた気持ちを伝えられず、自分の気持ちに蓋をして最期は孤独に死んでいくのだろうか。
……嫌だ。
そんなのはもう嫌だ。
どんな形でも春人の側に居続けたい。
ずっと。
「はあ、人間は難しいな」
犬猫の頃なら、二人で寄り添っているだけでよかった。
番犬としての仕事をしておばあさんにご飯を貰って。
お互いに記憶だってあったのに。
俺の横を、風が通り抜けていく。
その風の中に、どこか懐かしい匂いが混じっていた。
草の匂い。陽だまりの匂い。黒猫のぬくもり。
そして――
「……春人……」
つぶやいたその名前は、風に溶けて空へと消えていった。
次の授業が始まっても、春人は教室に戻ってこなかった。
俺は気になって、斜め後ろの席をちらちらと見てしまう。
思ったより痛みが酷いんだろうか。他にも怪我したところあったのか?一体どこにいるんだろう……。
休み時間、俺は意を決して、前の席の男子に声をかけた。
「なあ、岡崎……どこ行ったか知らないか?」
「ああ、この時間は保健室だと思うよ。たぶん寝てるんじゃない?」
「……保健室?寝てる?」
「うん。ってかあいつ、しょっちゅうだよ。夜、遅くまでバイトしてるから昼に寝てること多い」
思わず言葉を失った。
またバイト?どうしてそこまで……何か事情があるんだろうか。
「ねえ」
声をかけてきたのは、隣の席の女子だった。
「岡崎くん、バイト掛け持ちしててね。最近、顔色もよくないし……。でも誰にも助けを求めないの。実はみんな心配してるんだけどね……」
「そっか……でもなんでそんなにバイトばっかやってんの?」
俺の問いに、彼女が肩をすくめる。
「“やりたいことがある”って言ってた。『そのために金貯めてる』って。それ以上は教えてくれないけど」
やりたいこと。
春人が――そんな夢を持ってるなんて、なんだか意外だった。
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