転生おばさんは有能な侍女

吉田ルネ

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ジェームズ

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 べつに、王なんてなりたくもなかった。



 ウィリアムにもルークにも、いじわるなんてされたことはない。物心つくころにはいっしょに勉強させられた。

 教師が差別をしたこともない。



 勉強自体はきらいじゃなかった。知らなかった知識に触れるのは楽しかったし、兄たちもやさしかった。

 差別されているなんて、微塵も感じなかった。



 ただ、母親は差別したがった。

「ウィリアム殿下もルーク殿下もあなたとはちがうのよ」

「いっしょに勉強するなんておこがましいわ」

「あなたは側妃の子なのだから、一歩下がらないといけないの」



 「側妃の子」の意味がわかったのは、ずいぶん後だ。母親がちがうのはわかっていた。母親と自分の順番が一番最後であるのがなぜなのか。



 ああ、そうか。だからウィリアムとルークとならんではいけないのか。



 ウィリアムもルークもそう言ったことはない。言ったのは母親だった。



 後になって、それは母親の劣等感だったのだとわかった。ただ、そのときにはもう、自分自身にもしっかりと劣等感が植え付けられていた。



 どうせ勉強したって、三番手の自分にはお鉢は回ってこない。やるだけ無駄だ。

 そんな劣等感。



「無駄なんかじゃない。おれといっしょに兄上の手助けをしよう」

 ルークはそう言った。

 考えてみれば、二番手のルークだって立場は同じだ。腹違いなんて関係がないことだった。

 理屈はわかっても、もはや素直に「うん」とは言えない。

 それくらい自分の中で劣等感は大きく育っていた。



 ジェームズ殿下は兄ふたりにくらべて出来が悪い。態度もよくない。性格も悪い。

 やはりあの側妃の子だから。



 そのように言われはじめると、母親は「ほらね」と言った。

「どうせなにをやっても、側妃だからと悪く言われるのよ」

 そう言われるように仕向けたのは自分だろうが。



 ブライスはきらいだった。見下すようなあの目がヘビみたいだった。
 カミラも嫌いだった。自分と同じように親に飼い慣らされているから。自分を見ているようで虫唾が走った。



 ただ、シャーロットは。シャーロットだけが安らぎだった。

「ご機嫌うるわしゅう、ジェームズ殿下」

 その声が聴きたくて、王宮内を無意味にうろついた。

 あのふわふわのピンクの髪に一度でいいから触れてみたかった。

 あの菫色の瞳に、一度でいいから自分を映してほしかった。

 あのぷるぷる震える体を、自分の腕の中に閉じ込めてみたかった。



 でもそれは全部ルークのものだった。



 だからブライスが計画を持ちこんだとき、あれが自分のものになるのなら、と思ってしまった。

 ルークに裏切られたかわいそうなシャーロットを、自分がなぐさめるのだ。

 そうすれば、自分を見てくれる。あの髪にも自由に触れられる。シャーロットが、自分の腕の中に来てくれる。

 それならば。



 しかたがないから、王になってやる。



 だからあのとき、シャーロットを放したくなかった。一秒でも長くこの腕の中に置いておきたかった。



 はじめて触れたシャーロットは想像よりもずっと華奢で、すこし力を入れたら壊れそうだった。

 彼女の動く感触がまだこの腕に残っている。

 ジェームズは自分の腕を抱きこんだ。まるでシャーロット本人がそこにいるかのように。



 冷たい石の牢獄の中に、ジェームズはひとりすわっている。テーブルもソファもない。小さなベッドがひとつきり。湿った薄いふとんが一枚。

 ここへ入れられて、何日が経ったのだろう。

 母はどうしただろう。



 ウィリアムは回復しただろうか。

 あの侍女、アメリアだっけ? 元気になっただろうか。悪いことをした。あんなに吹き飛ぶなんて思わなかった。



 カツカツと足音がした。

 ああ、もう食事の時間か。一日二回、食事が出される。パンとスープだけ。フォークもナイフもいらない。スプーンだけで足りる食事だ。



 だけど、鉄格子の前に立ったのは国王陛下だった。

「ジェームズ」

 なぜそんなにやさしい声で話しかけるんだ。

「わたしは後悔しているんだ」

 やさしい声で話を続ける。

「おまえには乳母をつけて、早くにイザベラから離すべきだった」

 ああ、その話か。



「兄弟三人で力を合わせてこの国を守っていってほしかった。残念だよ」

 そう言うと、陛下はガラスの小瓶を鉄格子のすき間から差し入れた。



 そうか、おれは死ぬのか。

「見届けてやる」

 見上げたら父親が涙を流していた。

「ちゃんと導いてやれなくて、すまなかった」



 いや。いつだって手は差し出されていたのだ。父も兄たちも、王妃でさえ。その手を取らなかったのは自分自身だ。



「父上。ごめんなさい」

 視界がぼやけた。

「うん」

「兄上たちとシャーロットにも、あやまっていたと伝えてください。あとアメリアにも」

「わかった。伝えよう。イザベラは先に逝って待っている」





 シャーロット。嫌いでも憎くてもときおり思い出してくれないか。そう思うのはあまりに虫がよすぎるだろうか。

 シャーロット。きみのしあわせを願ってやまない。





 ジェームズは小瓶を手にとった。ふしぎなことに怖くはなかった。ふたを開けて口に持っていく。量にして一口ほど。

 ふう、と一息吐いて、口に含んだ。それはとろりとやけに甘ったるかった。

 最後に口にしたものが、苦くなくてよかった。それからひと息に飲み干した。喉が焼けついた。



 暗闇に堕ちていくしゅんかん、「ジェームズ」と呼ぶ父の声が聞こえた。

 最後に聞いたのが、父の声でよかった。

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