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1日目
第5節 動かぬ目撃者
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「はぁ……マジかよ、校長先生に直接取材か……」
俺、荒川直人は、校長室へと続く廊下を歩きながら、内心で大きなため息をついていた。隣には、スクープのためなら火の中水の中も厭わないであろう三鷹と、普段はクールに見えて時折とんでもなく物騒なことを言い出す一年生の久留里がいる。なんで俺までこんな大役を……。
「よし、着きましたね。じゃあ、行きますよ!」
俺が内心でウジウジしている間に、久留里はもう校長室の重厚な扉の前に立っていた。そして、ためらうことなく、ドンドンドン! と扉をノックする。おいおい、もうちょい遠慮ってものを知らんのか、君は!
「失礼しまーす! 新聞部でーす! 校長先生、いらっしゃいますかー?」
しーん……。
返事はない。まあ、そうだよな。こんな非常時に、いきなり押しかけてきた新聞部の取材なんて、受けてくれるわけ……。
「校長せんせーい! 中にいるのは分かってるんですよー! ちょっとだけ、お話聞かせてくださいよー!」
久留里のやつ、今度はまるで立てこもり犯への呼びかけみたいに叫び始めた! おい、やめろって! 周りに他の先生とかいたらどうすんだ! 俺は慌てて久留里の口を塞ごうとしたが、隣にいた三鷹が冷静に俺を制した。
「まあ、荒川、落ち着け。久留里さんのやり方も、時には有効かもしれん。今はなりふり構っていられない状況だ」
三鷹はそう言うが、その顔は「面白いことになってきた」とでも言いたげに少しニヤついているように見える。こいつ、楽しそうにしてやがる!
それでも、校長室からの応答はない。やっぱり無理か……。部長たちには悪いけど、これは不発に終わるかもな。そう諦めかけた、その時だった。
キィ……。
重い音を立てて、校長室の扉がわずかに開いた。隙間から、疲れ切った表情の漆原校長が顔を覗かせた。
「……やあ、君たちか。新聞部だったね」
その声は、いつもの温和な響きを失い、ひどく掠れていた。
「すまないが……見ての通り、今日はちょっと取り込んでいてね。取材なら、また日を改めてもらえないだろうか?」
校長の顔には深い疲労が窺えた。今朝の放送で感じた硬さや震えは、やはり尋常ではない事態による心労の表れだったのだ。こんな状態の校長に、無理に取材を続けるのは……。
「……わかりました。お忙しいところ、突然押しかけてすいません」
三鷹が丁寧に詫びの言葉を口にする。意外にも、さっきまで強引だった久留里も、校長の疲弊した様子を見て、すんなりと引き下がった。俺もそれに倣って頭を下げた。
「いや、気にしないでくれ。君たちも、色々と大変だろうが……。うん、頑張ってくれたまえ。応援しているよ」
校長は、力なく微笑むと、再び扉を静かに閉めた。
「さて、久留里さん。次にどこに行きたいかな?」
三鷹が久留里に聞いた。次にどこに行きたいっていうのは、どういう意味なのだろうか。
「えーと、部室? ですかね」
「不正解。僕だったら、事務室に行く。なぜなら、そこには我々が必要とする『目』があるからだ」
「「目……?」」俺と久留里の声がハモった。
「防犯カメラの映像だよ。校長から直接話が聞けない以上、客観的な証拠を集める必要がある。事件発生時刻前後の校門付近の映像を確認できれば、怪しい人物の出入りがなかったか、あるいは、内部犯行の可能性を高める証拠が得られるかもしれない。少なくとも、外部犯の可能性を潰すことはできるだろう」
なるほど……。確かに、校長の主観的な話よりも、映像という客観的な記録の方が、今は重要かもしれない。それに、もし本当に怪しい人物が映っていなければ、犯人はやはりこの学校の関係者、それも生徒か教職員である可能性が濃厚になる。さすが三鷹、発想の転換が早い。
「確かに。いいですね! さすが三鷹先輩、冴えてます!」
「よし、決まりだな。早速、事務室へ向かおう」
俺たち三人は校長室を離れ、事務室へと向かった。事務室は本校舎2階の職員室の隣にある。嵯峨ノ原高校の事務室には、事務員が20人ほどおり、日々忙しく働いている。
ほどなくして俺たちは、事務室の生徒対応窓口に着いた。
「俺が声をかけよう。二人とも静かにしてて」
さっきの久留里の初動は、校長の寛容な心によって許されていたが、ここではそうはいかない。忙しく働いているのに、あんな五月蠅い生徒がやってきたら当然、怒りが湧いてくるだろう。意外と久留里は予想外の出来事には反応できないところがあるし、まだ1年生にこれだけ働かせるのも酷だ。代わりに三鷹とも思ったが、三鷹は三鷹で粗雑なところがある。この場での適任者は俺しかいないと思ったからだ。
「すみませーん」
俺はなるべく慎重に、穏やかな声で言った。
だが、応答はなかった。
「すみませーん!!!!!」
さっきよりも大きな声で言った。今度は聞こえただろうか。
その声に、窓口の奥から一人の若い女性事務員さんが気づいて、こちらに歩み寄ってきた。ふんわりとしたウェーブのかかった髪に、優しそうな大きな瞳。年は、おそらく二十代半ばくらいだろうか。どこか親しみやすさを感じさせる人だ。
「はい、こんにちは。どうかなさいましたか?」 事務員さんは窓口の小窓を開け、にっこりと微笑みかけてきた。
「あ、あの、我々、新聞部の者なんですが……」
「すみません、新聞部の三鷹と申します。昨日起きた事件について、何か事務のほうで把握されている情報があれば、教えていただけませんか?」
俺がどう話を切り込もうかと言い淀んでいると、隣にいた三鷹が一歩前に出て、きっぱりとした口調で言った。危うく言葉に詰まるところだった。さすが三鷹、こういう場面での切り込みは早い。
事務員さんは一瞬困ったような表情を見せたが、すぐに柔らかな笑顔に戻った。
「えーっと……ごめんなさいね。事件の詳細については、私たち事務の者にはまだ詳しいことは知らされていないんです。それに、警察の捜査に関わることなので、お話しできることは限られていて……」
事務員さんは、申し訳なさそうに眉を下げ、顔の前で小さく両手を合わせた。
「そうですよね、失礼しました」
三鷹は、あっさりと引き下がった。さすがに、内部情報をいきなり聞き出すのは無理か。
「では、質問を変えます。恐らく、今日か明日あたりに、全校生徒と保護者に向けて、今回の件に関する連絡メールが配信されるかと思いますが、どのような内容になる予定か、教えていただけないでしょうか?」
「ああ、メールのことなら、お話しできますよ」
「えっとね、メールは今日の夕方に配信される予定です。内容は、大きく分けて三点。まず、本校生徒が校内施設で事件に巻き込まれ、残念ながら亡くなった、ということ。次に、明日も引き続き臨時休校となること。明日から予定されていた定期テストは、延期になりますね。そして、事件の詳細や今後の学校の対応については、後日、保護者説明会を開催してご説明する、ということです」
明日も休校。まあ当然の対応か。今後の対応の協議や保護者説明会の準備などやることがたくさんある上、犯人をいち早く確保し、生徒に危害が及ばないようにしなくてはならない。そういえば、この騒動で忘れていたが、明日から一学期最後の定期テストが行われる予定だった。準備していなかったから、ある意味救われたな。俺はそっと胸を撫で下ろす。
「なるほど、ありがとうございます。大変参考になりました。では、最後に一つだけ、よろしいでしょうか?」
三鷹は不敵な笑みを浮かべながら、人差し指を立てた。ここで、我々の本来の目的である防犯カメラ映像について話を切り出すのだろう。
「ええ、なんでしょう?」
「この学校には防犯カメラがいくつか設置されていますよね」
「ええ、正門と裏門それぞれ設置されていますが……」
「その防犯カメラ映像を見させていただきたいのですが、よろしいですか?」
事務員さんの顔が曇った。流石に新聞部といえども生徒に防犯カメラの映像は公開できないか……。
「ちょっと上の者に確認してきますね」
事務員さんは奥の事務長室に入ったが、ほんの数分で戻ってきた。一蹴されたか。
「お待たせして申し訳ありません。……やはり、生徒の皆さんには、防犯カメラの映像を公開することはできない、とのことです」
「誰の許可があれば見させてくれるのでしょうか」
「えっと、それは……」
「やあ、有村さんじゃないか」
廊下の奥から若い男性の声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには新聞部の顧問、布留川真先生の姿があった。布留川先生は、三十代後半という若さでありながら、その鋭い知性と、大胆な行動力で、校内でも一目置かれる存在だ。今は進路指導部の主事を務めているが、その裏では、学校内のリベラル派閥「布留川派」のトップとして、学校の権力構造を変えようと画策している、という噂もある。
今の嵯峨ノ原高校の教員組織は、大きく三つの派閥に分かれていると言われている。一つは、現理事長である川崎篤志氏をトップとする保守派の「理事長派」。主に古き良き伝統と秩序の維持、そして自らの地位の保身に重きを置いているとされる。次に、漆原校長を中心とする中道派の「校長派」。急進的な改革よりも、着実な教育実践と生徒指導を重視し、多くの現場教師がこの派閥に属していると言われている。そして最後が、布留川先生率いるリベラル派の「布留川派」。制服の自由化や校則の緩和、旧態依然とした伝統の廃止などを掲げ、時代の変化に合わせた学校改革を訴えている。近年、多様性を重視する風潮の中で、布留川派はじわじわと勢力を拡大しているらしい。
この学校の理事長は、数年に一度行われる教職員による選挙で選ばれる。理事は理事長が指名する仕組みだ。任期は確か4年だったか。内閣のように、理事長が任期満了や辞職などで交代すれば、理事会も総辞職となり、再び理事長選挙が行われる。このルールだけは、どんな権力者も変えられない学校の根幹を成す不文律らしい。その頂点のポストを、我らが顧問、布留川真が虎視眈々と狙っている。
そんな布留川先生が顧問であることは、こういう学校の中枢が関わる取材においては非常に心強いのだが、一方で、普段から我々新聞部を自身の情報収集ツールとして利用しようとする魂胆が見え隠れするため、正直、部員の中ではあまり好かれていない。もちろん、俺も例外ではない。先生の底知れない野心と、時折見せる冷徹な一面に、どこか畏怖に近い感情を抱いている。
有村と呼ばれた事務員さんも表情と声色が堅くなった。
「どうしたんだい、キミたち。何か事務室に要件があるのかな?」
「ええ。今回の事件の詳細を調べるために、防犯カメラの映像を確認したくてですね。事務室に伺いました。ですが、規定上、生徒には公開できないとのことで……」
俺が布留川先生に事務室に来た理由を伝えた。
三鷹が簡潔に状況を説明すると、布留川先生は「ふむ」と顎に手を当て、少しの間、何かを考えるような仕草を見せた。そして、有村さんに向き直ると、穏やかな、しかし有無を言わせぬ口調で言った。
「なるほど……そういうことでしたか。有村さん、事務長にお取次ぎ願えますか? 私から少しお話ししたいことがあるのですが」
「は、はい。少々お待ちください」
有村さんは、やや緊張した面持ちで頷くと、再び事務室の奥へと消えていった。数分後、恰幅の良い、いかにも「事務長」といった風格の中年の女性が現れた。
「どうも、ご無沙汰しておりますわね、布留川先生。今日はどのようなご用件で?」
事務長は内田と名乗った。どうやら布留川先生と面識があるらしい。布留川先生はことの顛末を伝え、許可を求めた。
「しょうがないわね。布留川先生がそう言うなら、防犯カメラのデータを渡してもいいわよ。キミたちはどこからどこまでの映像が欲しいの?」
「あ……ありがとうございます! えっと、昨日の、できれば朝から、そうですね……夜8時くらいまで……いや、念のため、昨日の丸一日分の映像をいただけると助かります!」
三鷹が、興奮を隠しきれない様子で答えた。
「はいはい、分かりましたよ。ちょっと待ってなさい」
内田事務長はそう言うと、内田事務長は自身のデスクに戻り、パソコンを操作し始めた。数分後、一本のUSBメモリを手に戻ってきた。
「はい、これに昨日の正門、裏門のカメラ映像、それぞれ24時間分を入れておきました」
布留川先生恐るべし!! この後、俺たちは礼を言い、事務室を後にした。布留川先生も仕事が溜まっているのか職員室に戻った。
「やりましたね、三鷹先輩!」久留里が小さなガッツポーズをする。
「ああ。これで、事件の真相に一歩近づけるかもしれない」三鷹も、満足げに頷いた。
部室に戻ると、部長たち二人の姿はまだなかった。代わりに、新聞部のグループチャットに「こっちはまだ時間がかかりそうだ。先に帰っていてくれ。明日の朝9時、部室で改めて情報共有と分析を行おう」とのメッセージが届いていた。
入手したばかりの防犯カメラ映像をすぐにでも確認したい気持ちは山々だったが、部長の言う通り、今日はもう遅い。それに、この膨大な量の映像を分析するには、全員の目が必要だろう。俺たちは、今日の活動はここまでとし、明日、改めて部室に集合することを約束して、それぞれの帰路についた。
帰路についた。
俺、荒川直人は、校長室へと続く廊下を歩きながら、内心で大きなため息をついていた。隣には、スクープのためなら火の中水の中も厭わないであろう三鷹と、普段はクールに見えて時折とんでもなく物騒なことを言い出す一年生の久留里がいる。なんで俺までこんな大役を……。
「よし、着きましたね。じゃあ、行きますよ!」
俺が内心でウジウジしている間に、久留里はもう校長室の重厚な扉の前に立っていた。そして、ためらうことなく、ドンドンドン! と扉をノックする。おいおい、もうちょい遠慮ってものを知らんのか、君は!
「失礼しまーす! 新聞部でーす! 校長先生、いらっしゃいますかー?」
しーん……。
返事はない。まあ、そうだよな。こんな非常時に、いきなり押しかけてきた新聞部の取材なんて、受けてくれるわけ……。
「校長せんせーい! 中にいるのは分かってるんですよー! ちょっとだけ、お話聞かせてくださいよー!」
久留里のやつ、今度はまるで立てこもり犯への呼びかけみたいに叫び始めた! おい、やめろって! 周りに他の先生とかいたらどうすんだ! 俺は慌てて久留里の口を塞ごうとしたが、隣にいた三鷹が冷静に俺を制した。
「まあ、荒川、落ち着け。久留里さんのやり方も、時には有効かもしれん。今はなりふり構っていられない状況だ」
三鷹はそう言うが、その顔は「面白いことになってきた」とでも言いたげに少しニヤついているように見える。こいつ、楽しそうにしてやがる!
それでも、校長室からの応答はない。やっぱり無理か……。部長たちには悪いけど、これは不発に終わるかもな。そう諦めかけた、その時だった。
キィ……。
重い音を立てて、校長室の扉がわずかに開いた。隙間から、疲れ切った表情の漆原校長が顔を覗かせた。
「……やあ、君たちか。新聞部だったね」
その声は、いつもの温和な響きを失い、ひどく掠れていた。
「すまないが……見ての通り、今日はちょっと取り込んでいてね。取材なら、また日を改めてもらえないだろうか?」
校長の顔には深い疲労が窺えた。今朝の放送で感じた硬さや震えは、やはり尋常ではない事態による心労の表れだったのだ。こんな状態の校長に、無理に取材を続けるのは……。
「……わかりました。お忙しいところ、突然押しかけてすいません」
三鷹が丁寧に詫びの言葉を口にする。意外にも、さっきまで強引だった久留里も、校長の疲弊した様子を見て、すんなりと引き下がった。俺もそれに倣って頭を下げた。
「いや、気にしないでくれ。君たちも、色々と大変だろうが……。うん、頑張ってくれたまえ。応援しているよ」
校長は、力なく微笑むと、再び扉を静かに閉めた。
「さて、久留里さん。次にどこに行きたいかな?」
三鷹が久留里に聞いた。次にどこに行きたいっていうのは、どういう意味なのだろうか。
「えーと、部室? ですかね」
「不正解。僕だったら、事務室に行く。なぜなら、そこには我々が必要とする『目』があるからだ」
「「目……?」」俺と久留里の声がハモった。
「防犯カメラの映像だよ。校長から直接話が聞けない以上、客観的な証拠を集める必要がある。事件発生時刻前後の校門付近の映像を確認できれば、怪しい人物の出入りがなかったか、あるいは、内部犯行の可能性を高める証拠が得られるかもしれない。少なくとも、外部犯の可能性を潰すことはできるだろう」
なるほど……。確かに、校長の主観的な話よりも、映像という客観的な記録の方が、今は重要かもしれない。それに、もし本当に怪しい人物が映っていなければ、犯人はやはりこの学校の関係者、それも生徒か教職員である可能性が濃厚になる。さすが三鷹、発想の転換が早い。
「確かに。いいですね! さすが三鷹先輩、冴えてます!」
「よし、決まりだな。早速、事務室へ向かおう」
俺たち三人は校長室を離れ、事務室へと向かった。事務室は本校舎2階の職員室の隣にある。嵯峨ノ原高校の事務室には、事務員が20人ほどおり、日々忙しく働いている。
ほどなくして俺たちは、事務室の生徒対応窓口に着いた。
「俺が声をかけよう。二人とも静かにしてて」
さっきの久留里の初動は、校長の寛容な心によって許されていたが、ここではそうはいかない。忙しく働いているのに、あんな五月蠅い生徒がやってきたら当然、怒りが湧いてくるだろう。意外と久留里は予想外の出来事には反応できないところがあるし、まだ1年生にこれだけ働かせるのも酷だ。代わりに三鷹とも思ったが、三鷹は三鷹で粗雑なところがある。この場での適任者は俺しかいないと思ったからだ。
「すみませーん」
俺はなるべく慎重に、穏やかな声で言った。
だが、応答はなかった。
「すみませーん!!!!!」
さっきよりも大きな声で言った。今度は聞こえただろうか。
その声に、窓口の奥から一人の若い女性事務員さんが気づいて、こちらに歩み寄ってきた。ふんわりとしたウェーブのかかった髪に、優しそうな大きな瞳。年は、おそらく二十代半ばくらいだろうか。どこか親しみやすさを感じさせる人だ。
「はい、こんにちは。どうかなさいましたか?」 事務員さんは窓口の小窓を開け、にっこりと微笑みかけてきた。
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「すみません、新聞部の三鷹と申します。昨日起きた事件について、何か事務のほうで把握されている情報があれば、教えていただけませんか?」
俺がどう話を切り込もうかと言い淀んでいると、隣にいた三鷹が一歩前に出て、きっぱりとした口調で言った。危うく言葉に詰まるところだった。さすが三鷹、こういう場面での切り込みは早い。
事務員さんは一瞬困ったような表情を見せたが、すぐに柔らかな笑顔に戻った。
「えーっと……ごめんなさいね。事件の詳細については、私たち事務の者にはまだ詳しいことは知らされていないんです。それに、警察の捜査に関わることなので、お話しできることは限られていて……」
事務員さんは、申し訳なさそうに眉を下げ、顔の前で小さく両手を合わせた。
「そうですよね、失礼しました」
三鷹は、あっさりと引き下がった。さすがに、内部情報をいきなり聞き出すのは無理か。
「では、質問を変えます。恐らく、今日か明日あたりに、全校生徒と保護者に向けて、今回の件に関する連絡メールが配信されるかと思いますが、どのような内容になる予定か、教えていただけないでしょうか?」
「ああ、メールのことなら、お話しできますよ」
「えっとね、メールは今日の夕方に配信される予定です。内容は、大きく分けて三点。まず、本校生徒が校内施設で事件に巻き込まれ、残念ながら亡くなった、ということ。次に、明日も引き続き臨時休校となること。明日から予定されていた定期テストは、延期になりますね。そして、事件の詳細や今後の学校の対応については、後日、保護者説明会を開催してご説明する、ということです」
明日も休校。まあ当然の対応か。今後の対応の協議や保護者説明会の準備などやることがたくさんある上、犯人をいち早く確保し、生徒に危害が及ばないようにしなくてはならない。そういえば、この騒動で忘れていたが、明日から一学期最後の定期テストが行われる予定だった。準備していなかったから、ある意味救われたな。俺はそっと胸を撫で下ろす。
「なるほど、ありがとうございます。大変参考になりました。では、最後に一つだけ、よろしいでしょうか?」
三鷹は不敵な笑みを浮かべながら、人差し指を立てた。ここで、我々の本来の目的である防犯カメラ映像について話を切り出すのだろう。
「ええ、なんでしょう?」
「この学校には防犯カメラがいくつか設置されていますよね」
「ええ、正門と裏門それぞれ設置されていますが……」
「その防犯カメラ映像を見させていただきたいのですが、よろしいですか?」
事務員さんの顔が曇った。流石に新聞部といえども生徒に防犯カメラの映像は公開できないか……。
「ちょっと上の者に確認してきますね」
事務員さんは奥の事務長室に入ったが、ほんの数分で戻ってきた。一蹴されたか。
「お待たせして申し訳ありません。……やはり、生徒の皆さんには、防犯カメラの映像を公開することはできない、とのことです」
「誰の許可があれば見させてくれるのでしょうか」
「えっと、それは……」
「やあ、有村さんじゃないか」
廊下の奥から若い男性の声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには新聞部の顧問、布留川真先生の姿があった。布留川先生は、三十代後半という若さでありながら、その鋭い知性と、大胆な行動力で、校内でも一目置かれる存在だ。今は進路指導部の主事を務めているが、その裏では、学校内のリベラル派閥「布留川派」のトップとして、学校の権力構造を変えようと画策している、という噂もある。
今の嵯峨ノ原高校の教員組織は、大きく三つの派閥に分かれていると言われている。一つは、現理事長である川崎篤志氏をトップとする保守派の「理事長派」。主に古き良き伝統と秩序の維持、そして自らの地位の保身に重きを置いているとされる。次に、漆原校長を中心とする中道派の「校長派」。急進的な改革よりも、着実な教育実践と生徒指導を重視し、多くの現場教師がこの派閥に属していると言われている。そして最後が、布留川先生率いるリベラル派の「布留川派」。制服の自由化や校則の緩和、旧態依然とした伝統の廃止などを掲げ、時代の変化に合わせた学校改革を訴えている。近年、多様性を重視する風潮の中で、布留川派はじわじわと勢力を拡大しているらしい。
この学校の理事長は、数年に一度行われる教職員による選挙で選ばれる。理事は理事長が指名する仕組みだ。任期は確か4年だったか。内閣のように、理事長が任期満了や辞職などで交代すれば、理事会も総辞職となり、再び理事長選挙が行われる。このルールだけは、どんな権力者も変えられない学校の根幹を成す不文律らしい。その頂点のポストを、我らが顧問、布留川真が虎視眈々と狙っている。
そんな布留川先生が顧問であることは、こういう学校の中枢が関わる取材においては非常に心強いのだが、一方で、普段から我々新聞部を自身の情報収集ツールとして利用しようとする魂胆が見え隠れするため、正直、部員の中ではあまり好かれていない。もちろん、俺も例外ではない。先生の底知れない野心と、時折見せる冷徹な一面に、どこか畏怖に近い感情を抱いている。
有村と呼ばれた事務員さんも表情と声色が堅くなった。
「どうしたんだい、キミたち。何か事務室に要件があるのかな?」
「ええ。今回の事件の詳細を調べるために、防犯カメラの映像を確認したくてですね。事務室に伺いました。ですが、規定上、生徒には公開できないとのことで……」
俺が布留川先生に事務室に来た理由を伝えた。
三鷹が簡潔に状況を説明すると、布留川先生は「ふむ」と顎に手を当て、少しの間、何かを考えるような仕草を見せた。そして、有村さんに向き直ると、穏やかな、しかし有無を言わせぬ口調で言った。
「なるほど……そういうことでしたか。有村さん、事務長にお取次ぎ願えますか? 私から少しお話ししたいことがあるのですが」
「は、はい。少々お待ちください」
有村さんは、やや緊張した面持ちで頷くと、再び事務室の奥へと消えていった。数分後、恰幅の良い、いかにも「事務長」といった風格の中年の女性が現れた。
「どうも、ご無沙汰しておりますわね、布留川先生。今日はどのようなご用件で?」
事務長は内田と名乗った。どうやら布留川先生と面識があるらしい。布留川先生はことの顛末を伝え、許可を求めた。
「しょうがないわね。布留川先生がそう言うなら、防犯カメラのデータを渡してもいいわよ。キミたちはどこからどこまでの映像が欲しいの?」
「あ……ありがとうございます! えっと、昨日の、できれば朝から、そうですね……夜8時くらいまで……いや、念のため、昨日の丸一日分の映像をいただけると助かります!」
三鷹が、興奮を隠しきれない様子で答えた。
「はいはい、分かりましたよ。ちょっと待ってなさい」
内田事務長はそう言うと、内田事務長は自身のデスクに戻り、パソコンを操作し始めた。数分後、一本のUSBメモリを手に戻ってきた。
「はい、これに昨日の正門、裏門のカメラ映像、それぞれ24時間分を入れておきました」
布留川先生恐るべし!! この後、俺たちは礼を言い、事務室を後にした。布留川先生も仕事が溜まっているのか職員室に戻った。
「やりましたね、三鷹先輩!」久留里が小さなガッツポーズをする。
「ああ。これで、事件の真相に一歩近づけるかもしれない」三鷹も、満足げに頷いた。
部室に戻ると、部長たち二人の姿はまだなかった。代わりに、新聞部のグループチャットに「こっちはまだ時間がかかりそうだ。先に帰っていてくれ。明日の朝9時、部室で改めて情報共有と分析を行おう」とのメッセージが届いていた。
入手したばかりの防犯カメラ映像をすぐにでも確認したい気持ちは山々だったが、部長の言う通り、今日はもう遅い。それに、この膨大な量の映像を分析するには、全員の目が必要だろう。俺たちは、今日の活動はここまでとし、明日、改めて部室に集合することを約束して、それぞれの帰路についた。
帰路についた。
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