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転職をくりかえす男
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あれから、店主のアドバイス通り足首にミサンガをつけて就職活動に励んだ。
しかし、ミサンガに願ったのは安定した収入を得ること。
職種は、散々悩んだ末に前職を活かしてコールセンターで働くこととなった。
個人客対応ではなく、対応相手がグループ企業ともあってストレスで胃がおかしくなりそうだ。
個人のカスタマーハラスメントよりも、企業相手の無茶振りや責任の重さに比べれば、ストレスは推して知るべしである。
「安定した収入を望んだけど、続ける自信がない……」
はぁぁぁーと愚痴にも聞こえる大きな溜息が漏れる。
手元にあるスマートフォンで『転職サイト』と検索をかけていたら、
「新人くん、もう転職するの?」
とOJTを担当してくれた先輩が、手元のスマートフォンを覗き込んで言った。
「うわっ! 驚かさないでくださいよ」
ビクッと身体を震わせる男とは対象に、先輩はくつくつと笑っている。
「難しい顔をして何を調べているんだろうと思ったら、転職サイトの画面見てるし。何? この会社に不満でもあった? お姉さんが、聞いてあげようか? 聞く時間は、お昼休みが終了するまで。報酬は、社食の日替わり定食で手を打とう」
飄々と宣う先輩に、男は眉をひそめる。
「もしかして、集ってます?」
「心外な。手塩にかけてOJTをこなして独り立ちした君を気にかけるのは、先輩として当然だろう。OJT中に飛ばなかっただけでも、一応これでもそこそこの評価はしているんだけどなぁ」
「……それ、褒めてないと思いますけど。研修中に飛ぶとか、どんだけヤバいんですか。この会社」
呆れにも諦めにも似た思いが、胸の奥に渦巻いて澱のように沈んで溜まっていく。
「労基に駆け込むくらいヤバい会社に努めていた頃に比べれば、うちは超ホワイト企業ですな! 月に一回休日があれば良い方。早朝出社、サービス残業当たり前。最低賃金以下の給与から色々天引きされて手元に残るのは、切り詰めればギリギリ生活できるくらいのお金。転職しようものなら、環境が出来ない雰囲気を作って社員を囲い込む。退職届も受理されない。一度でもそういう会社に務めたことはある?」
「いえ、ありませんけど……」
「だろうねぇ。君の職歴をどうこう言うつもりはないよ。ただ、就いて直ぐに辞めるのは勿体ないと思うんだ。なんで転職しようと思ったのか教えて欲しい」
口調は砕けているが、目は真剣味を帯びている。
誤魔化すのは難しいか。
「……合わないと思ったからです」
「どこが? どう合わない?」
「……昔、働いていたコールセンターでは個人客専用のカスタマー担当でした。日常的に罵詈雑言は当たり前でしたし、業務で分からないことを聞こうものなら怒られる。入電の度に、新しいオプションの紹介や新規契約をするよう上から圧をかけてくる。営業なしと求人情報には乗っていたのに、蓋を開ければ普通にノロマがありました。達成出来なければ文句の嵐。下手すれば、契約更新もされずクビです。更新月のときは、いつもビクビクしてました。胃を壊しましたし、不眠症も発症しました。結局、耐えきれずに退職したんですけどね」
「でも、残業代や有給は貰えたんでしょう?」
「はい、まあ……」
「本当のブラック企業だと、マジで無いからね!」
鬼気迫る様な顔で力説する先輩に、男はドン引きした。
「君の話を聞いていると、人間関係の構築がうまく出来ずに不満を自分の中に溜め込んで身体に不調をきたしたってところかな。まあ、一方の言い分しか聞いていないから片手落ちだし、その状況を知らないから正確な助言も判断も出来ないけど。会社の商品を知っているのは、従業員として当然のこと。入電したお客様相手に紹介するのは、会社の方針だ。カスタマサポートセンターに連絡する機会なんて生きていて、そう何度もあることじゃない。それがクレームでも手続きでも同じこと。新サービスの案内を営業だと思うから負担に感じるのであって、一応知らせておこうという気持ちで喋れば良い。それを聞くかどうかは、お客様次第。成約できればラッキーくらいの感覚で良いんだよ。後、すぐに判断できない。分からないという時は、お調べして何分後に折り返ししますと話を切れ」
「え? 折り返しして良いんですか?」
「何分も保留音で待たされるより、折り返しの方が自分も相手も気が楽だし配慮にもなる。相手が何を望んで連絡してきたのか詳細な情報を吸い上げる必要はあるけどな」
思いもよらない先輩の言葉に、男は今まで培ってきた仕事のノウハウが一気に崩れた気がした。
目から鱗とは、こういうことを言うのだろうか。
「会社としては、新製品を売り込みたい。でも、顧客は従来のものを使いたいという人は多い。お金を払うのは消費者であり、サービスを受けるもの消費者だ。長い目で見た時に、どちらが特になるのかを具体的な数字で計算したものを提示するだけで話を聞いてくれるものなんだよ」
「確かに、根拠のある数字や実績があれば受け入れやすいですね」
「だろう。少し考え方を変えたり、見方を変えたりするだけで物事は変わる。石の上にも三年と言うし、もう少し続けてから改めて働くか辞めるか考えたら? 次の就職先があるか分からないご時世だし」
先輩の言葉に、あの不思議なカフェでの店主とのやり取りを思い出し、男は小さく頷いた。
「……もう少し考えてみます」
男は、求人サイトの履歴を消して今の職場に従事することを決めた。
あれから三年の月日が経ち、足首に巻かれたミサンガはプツリと音を立てて最初から何もなかったかのように綺麗に消えてなくなった。
しかし、ミサンガに願ったのは安定した収入を得ること。
職種は、散々悩んだ末に前職を活かしてコールセンターで働くこととなった。
個人客対応ではなく、対応相手がグループ企業ともあってストレスで胃がおかしくなりそうだ。
個人のカスタマーハラスメントよりも、企業相手の無茶振りや責任の重さに比べれば、ストレスは推して知るべしである。
「安定した収入を望んだけど、続ける自信がない……」
はぁぁぁーと愚痴にも聞こえる大きな溜息が漏れる。
手元にあるスマートフォンで『転職サイト』と検索をかけていたら、
「新人くん、もう転職するの?」
とOJTを担当してくれた先輩が、手元のスマートフォンを覗き込んで言った。
「うわっ! 驚かさないでくださいよ」
ビクッと身体を震わせる男とは対象に、先輩はくつくつと笑っている。
「難しい顔をして何を調べているんだろうと思ったら、転職サイトの画面見てるし。何? この会社に不満でもあった? お姉さんが、聞いてあげようか? 聞く時間は、お昼休みが終了するまで。報酬は、社食の日替わり定食で手を打とう」
飄々と宣う先輩に、男は眉をひそめる。
「もしかして、集ってます?」
「心外な。手塩にかけてOJTをこなして独り立ちした君を気にかけるのは、先輩として当然だろう。OJT中に飛ばなかっただけでも、一応これでもそこそこの評価はしているんだけどなぁ」
「……それ、褒めてないと思いますけど。研修中に飛ぶとか、どんだけヤバいんですか。この会社」
呆れにも諦めにも似た思いが、胸の奥に渦巻いて澱のように沈んで溜まっていく。
「労基に駆け込むくらいヤバい会社に努めていた頃に比べれば、うちは超ホワイト企業ですな! 月に一回休日があれば良い方。早朝出社、サービス残業当たり前。最低賃金以下の給与から色々天引きされて手元に残るのは、切り詰めればギリギリ生活できるくらいのお金。転職しようものなら、環境が出来ない雰囲気を作って社員を囲い込む。退職届も受理されない。一度でもそういう会社に務めたことはある?」
「いえ、ありませんけど……」
「だろうねぇ。君の職歴をどうこう言うつもりはないよ。ただ、就いて直ぐに辞めるのは勿体ないと思うんだ。なんで転職しようと思ったのか教えて欲しい」
口調は砕けているが、目は真剣味を帯びている。
誤魔化すのは難しいか。
「……合わないと思ったからです」
「どこが? どう合わない?」
「……昔、働いていたコールセンターでは個人客専用のカスタマー担当でした。日常的に罵詈雑言は当たり前でしたし、業務で分からないことを聞こうものなら怒られる。入電の度に、新しいオプションの紹介や新規契約をするよう上から圧をかけてくる。営業なしと求人情報には乗っていたのに、蓋を開ければ普通にノロマがありました。達成出来なければ文句の嵐。下手すれば、契約更新もされずクビです。更新月のときは、いつもビクビクしてました。胃を壊しましたし、不眠症も発症しました。結局、耐えきれずに退職したんですけどね」
「でも、残業代や有給は貰えたんでしょう?」
「はい、まあ……」
「本当のブラック企業だと、マジで無いからね!」
鬼気迫る様な顔で力説する先輩に、男はドン引きした。
「君の話を聞いていると、人間関係の構築がうまく出来ずに不満を自分の中に溜め込んで身体に不調をきたしたってところかな。まあ、一方の言い分しか聞いていないから片手落ちだし、その状況を知らないから正確な助言も判断も出来ないけど。会社の商品を知っているのは、従業員として当然のこと。入電したお客様相手に紹介するのは、会社の方針だ。カスタマサポートセンターに連絡する機会なんて生きていて、そう何度もあることじゃない。それがクレームでも手続きでも同じこと。新サービスの案内を営業だと思うから負担に感じるのであって、一応知らせておこうという気持ちで喋れば良い。それを聞くかどうかは、お客様次第。成約できればラッキーくらいの感覚で良いんだよ。後、すぐに判断できない。分からないという時は、お調べして何分後に折り返ししますと話を切れ」
「え? 折り返しして良いんですか?」
「何分も保留音で待たされるより、折り返しの方が自分も相手も気が楽だし配慮にもなる。相手が何を望んで連絡してきたのか詳細な情報を吸い上げる必要はあるけどな」
思いもよらない先輩の言葉に、男は今まで培ってきた仕事のノウハウが一気に崩れた気がした。
目から鱗とは、こういうことを言うのだろうか。
「会社としては、新製品を売り込みたい。でも、顧客は従来のものを使いたいという人は多い。お金を払うのは消費者であり、サービスを受けるもの消費者だ。長い目で見た時に、どちらが特になるのかを具体的な数字で計算したものを提示するだけで話を聞いてくれるものなんだよ」
「確かに、根拠のある数字や実績があれば受け入れやすいですね」
「だろう。少し考え方を変えたり、見方を変えたりするだけで物事は変わる。石の上にも三年と言うし、もう少し続けてから改めて働くか辞めるか考えたら? 次の就職先があるか分からないご時世だし」
先輩の言葉に、あの不思議なカフェでの店主とのやり取りを思い出し、男は小さく頷いた。
「……もう少し考えてみます」
男は、求人サイトの履歴を消して今の職場に従事することを決めた。
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