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第四章 王宮の陰謀 ― 毒と香水
旧友の訪問
夜会の知らせは、一枚の銀縁の招待状として届いた。
象牙色の厚手の紙に、宮廷書記官特有の流麗な筆跡で記されていた。
「王妃陛下より、宰相夫人リシェル・クロフォードへ。来る満月の夜、王宮東翼にて開かれる春の夜会への御招待を申し上げます」
リシェルは招待状を作業台に置いて、しばらくそれを見つめた。
断れない。それだけは分かっていた。王妃からの招待を辞退すれば、王命違反にも等しい無礼として受け取られる。
けれど、この招待状からは、紙越しでも分かるほど濃い「野心の匂い」がした。甘くて刺激的な、いつか謁見の間で嗅いだ香辛料のような匂いだ。あの王妃セレスティーヌが、宰相夫人を呼び出す理由は、歓迎でも友好でもない。
罠だ、とリシェルの本能が囁いた。
だからこそ、行かなければならなかった。
夜会の前日、リシェルは調香室でいくつかの香りを調合していた。
大きな窓から差し込む午後の陽光が、並べられた空の硝子瓶をきらきら輝かせている。棚には素材の瓶が並び、乾燥させたハーブが束ねて吊るされ、作業台には羽根ペンと覚書が広がっている。
ドアを軽くノックする音がした。
「どうぞ。開いていますわ」
リシェルの返事を待って、扉が開く。そこに立っているのは、知らない男だった。
いや、そうではない。彼女はその男を知っている。王立調香師学院に在学していた頃に。
相手のまとう香りが、昔とまったく変わっているので、気づくのが遅れてしまったのだ。
「久しぶりだね、リシェル」
男は柔らかく微笑んだ。年齢はリシェルより二つほど上。亜麻色の短髪と、明るい茶色の瞳。整った顔立ちは柔和な印象を与える。が、その瞳がときおり、ひどく剣呑な光を帯びることを、リシェルは覚えていた。
深緑の上質な外套が、彼の地位の高さを物語っている。
クリス・ヴァルナー。
かつて、王立調香師学院で、リシェルとともに香りの技術を磨いた同期生。そして、技術の面では、リシェルが唯一「並ぶかもしれない」と認めた人間だった。つまりは、トップ争いをするライバルだったのだ。
二人の技能は、他の生徒から抜きん出ていた。二人は激しく競い合い、そしてどちらも優秀だったからこそ、お互いを理解し合えた。
学生時代は、あまり身なりを構わず研究に没頭していたクリスなのに。
数年ぶりにこうして顔を合わせると、すいぶん垢抜けてしまっている。彼も、世の中での立ち回りを学んだのだろう。
「クリス……どうして、ここに?」
「宰相殿に相談したいことがあって来たんだ。そうしたら、君が邸にいると聞いてね」
彼は屈託のない笑顔で調香室に入り、並んだ瓶を興味深そうに眺めた。リシェルは手元の調合を続けながら、鼻孔をひっそりと広げた。
柑橘と金属の匂い。
知性と、どこか危うい何か。
彼の香りは、どうしてこんなに変わってしまったのだろう。
「君はあいかわらず、『癒し』の香りを追求しているの?」
クリスは棚の瓶を眺めながら、さりげなく尋ねた。並んでいる素材の種類から、リシェルの調香の傾向を読み取ったらしい。
リシェルは微笑んだ。
いろいろなことがあった後でも、彼の根本がまだ変わっていないと知って、少し嬉しかった。
「学生時代よりも、かなり深くなったわよ。……あなたはどうしてるの、クリス。まだ調香を続けているのよね?」
「ああ。僕にできることなんて、他にないからね。……王妃様の夜会に出席するの?」
「……どうして知ってるの」
「宮廷の噂は早いよ。君が思っている以上に」
クリスはくるりと振り向いて、明るく笑った。
「気をつけたほうがいいよ。あの場は複雑だから」
忠告か。あるいは探りを入れているのか。
リシェルは表情を変えずに、「ありがとう」と短く答えた。
「それから」とクリスは続けた。「もし何かあれば、相談してほしい。宮廷の動きについては、僕のほうが詳しいこともあると思うから」
親切な申し出だった。笑顔は本物に見える。声には温かみがある。
それでも、リシェルは油断しなかった。
彼の香りの奥にある金属の臭気が、絶えずかすかに揺れている。感情と行動の一致を、香りは素直に示す。今のクリスは、何かを隠している。
象牙色の厚手の紙に、宮廷書記官特有の流麗な筆跡で記されていた。
「王妃陛下より、宰相夫人リシェル・クロフォードへ。来る満月の夜、王宮東翼にて開かれる春の夜会への御招待を申し上げます」
リシェルは招待状を作業台に置いて、しばらくそれを見つめた。
断れない。それだけは分かっていた。王妃からの招待を辞退すれば、王命違反にも等しい無礼として受け取られる。
けれど、この招待状からは、紙越しでも分かるほど濃い「野心の匂い」がした。甘くて刺激的な、いつか謁見の間で嗅いだ香辛料のような匂いだ。あの王妃セレスティーヌが、宰相夫人を呼び出す理由は、歓迎でも友好でもない。
罠だ、とリシェルの本能が囁いた。
だからこそ、行かなければならなかった。
夜会の前日、リシェルは調香室でいくつかの香りを調合していた。
大きな窓から差し込む午後の陽光が、並べられた空の硝子瓶をきらきら輝かせている。棚には素材の瓶が並び、乾燥させたハーブが束ねて吊るされ、作業台には羽根ペンと覚書が広がっている。
ドアを軽くノックする音がした。
「どうぞ。開いていますわ」
リシェルの返事を待って、扉が開く。そこに立っているのは、知らない男だった。
いや、そうではない。彼女はその男を知っている。王立調香師学院に在学していた頃に。
相手のまとう香りが、昔とまったく変わっているので、気づくのが遅れてしまったのだ。
「久しぶりだね、リシェル」
男は柔らかく微笑んだ。年齢はリシェルより二つほど上。亜麻色の短髪と、明るい茶色の瞳。整った顔立ちは柔和な印象を与える。が、その瞳がときおり、ひどく剣呑な光を帯びることを、リシェルは覚えていた。
深緑の上質な外套が、彼の地位の高さを物語っている。
クリス・ヴァルナー。
かつて、王立調香師学院で、リシェルとともに香りの技術を磨いた同期生。そして、技術の面では、リシェルが唯一「並ぶかもしれない」と認めた人間だった。つまりは、トップ争いをするライバルだったのだ。
二人の技能は、他の生徒から抜きん出ていた。二人は激しく競い合い、そしてどちらも優秀だったからこそ、お互いを理解し合えた。
学生時代は、あまり身なりを構わず研究に没頭していたクリスなのに。
数年ぶりにこうして顔を合わせると、すいぶん垢抜けてしまっている。彼も、世の中での立ち回りを学んだのだろう。
「クリス……どうして、ここに?」
「宰相殿に相談したいことがあって来たんだ。そうしたら、君が邸にいると聞いてね」
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柑橘と金属の匂い。
知性と、どこか危うい何か。
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クリスは棚の瓶を眺めながら、さりげなく尋ねた。並んでいる素材の種類から、リシェルの調香の傾向を読み取ったらしい。
リシェルは微笑んだ。
いろいろなことがあった後でも、彼の根本がまだ変わっていないと知って、少し嬉しかった。
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