22 / 38
第四章 王宮の陰謀 ― 毒と香水
謎めいた警告
クリスが去った後、リシェルは調合の手を止めて、窓の外を見た。
宰相邸の庭には早咲きの花が白く点々と咲き、夕風に揺れていた。美しい景色だった。それでも、胸の中には引っかかりが残った。
――あれはもう六年以上前のことだ。クリスは学院の卒業制作として、「人の本音を引き出す香り」を研究していた。彼もリシェルと同じく、虚飾に満ちた貴族社会を嫌っていた。
「仮面を剥ぎ取って、醜い本性をむき出しにしてやるんだ。そうすれば、世の中もちょっとは良くなるだろ?」
不敵に笑いながら、彼が生み出した新しい香りの名は『真実の吐露』。隠しごとができなくなり、本当のことをしゃべりたくなってしまう香りだ。
その効き目には不安定なところがあると、リシェルは警告したのに。
クリスは教官の一人を『ヴェリタス』の実験台にした。その教官は精神に異常をきたし、廃人になってしまった。
クリスは調香の技術を人心操作に悪用したかどで、退学処分を受けた。危険分子とみなされ、調香師としての将来を永遠に絶たれた、
はずだったのに――。
彼はいつの間にか、調香の世界に舞い戻っていたのか。
元・同期生としては素直に嬉しい。リシェルはずっと、クリスほどの才能が埋もれるのは惜しいと感じていた。
けれども――彼の香りが、昔と変わってしまっているのが気になる。リシェルが感じ取る人の香りは、その人の本質だ。そう簡単に変わったりはしないはずなのに――。
夜会の当日、また別の動きがあった。
リシェルは、侍女のベスに手伝ってもらって夜会の支度をした。ベスはいくらやってもリシェルの髪をきちんと編み上げることができなかったので、結局マルティナが呼ばれて、リシェルの髪を仕上げた。
「あんた意外と不器用なんだね」
マルティナにずばりと言われて――その後しばらく、ベスは明らかに落ち込んでいた。
支度を終えたリシェルが、居間で出発を待っていると、執事長ジョルジュが静かに扉を開けた。
「奥様。ジェイド商会からの使いの者が、奥様宛ての手紙を持ってまいりました」
リシェルは眉をわずかに上げた。
知らない名前だった。宰相夫人となってからだけでなく――独身だった頃にも、そんな名前の商会とつき合いはない。
「もしかして……心当たりがおありではない……?」
「ええ。でも、とにかく見ておきたいわ」
リシェルは、ジョルジュが盆に載せて差し出した封筒を受け取った。
無地の封筒だ。上等な紙質で、差出人の裕福さを想像させる。
手に取ると、スモークと林檎酒の香りが漂った。
封筒を開けると、中には一枚の便箋が入っていた。
流れるような筆跡で、たった一行、
「夜会で、王妃様から何かを命じられた場合、安易にお受けにならないことをお勧めします」
と書かれていた。
リシェルは眉をひそめた。
手紙の内容も、謎の差出人も、何もかもが不可解だ。
けれども――便箋は、はっきりした香りを漂わせていた。封筒に付いていたのとは異なる香り。まるで誰かが意図的に、便箋に香水を一滴垂らしたかのような――誰でも嗅ぎ取ることができそうな香り。
その甘くて複雑な香りを、リシェルは知っていた。
宰相邸の地下倉庫に置かれていた青い瓶。その瓶に入っていた香水の香りだ。
リシェルが瓶を手にしているのを見たときの、バートラムの表情を思い出す。
明らかに、彼の過去とつながっている香水。
この手紙を送ってきたのが何者にせよ――その者は主張しているのだ。自分はバートラムの過去にかかわりがある、と。
「ジェイド商会……」
リシェルの胸の中で、悪い予感が猛烈に湧き起こってきていた。
王妃は本当に、自分に何かを命じようとしているのだろうか。そして、それを引き受けるのは本当にまずいことなのだろうか。
この手紙の差出人は――敵、それとも味方?
宰相邸の庭には早咲きの花が白く点々と咲き、夕風に揺れていた。美しい景色だった。それでも、胸の中には引っかかりが残った。
――あれはもう六年以上前のことだ。クリスは学院の卒業制作として、「人の本音を引き出す香り」を研究していた。彼もリシェルと同じく、虚飾に満ちた貴族社会を嫌っていた。
「仮面を剥ぎ取って、醜い本性をむき出しにしてやるんだ。そうすれば、世の中もちょっとは良くなるだろ?」
不敵に笑いながら、彼が生み出した新しい香りの名は『真実の吐露』。隠しごとができなくなり、本当のことをしゃべりたくなってしまう香りだ。
その効き目には不安定なところがあると、リシェルは警告したのに。
クリスは教官の一人を『ヴェリタス』の実験台にした。その教官は精神に異常をきたし、廃人になってしまった。
クリスは調香の技術を人心操作に悪用したかどで、退学処分を受けた。危険分子とみなされ、調香師としての将来を永遠に絶たれた、
はずだったのに――。
彼はいつの間にか、調香の世界に舞い戻っていたのか。
元・同期生としては素直に嬉しい。リシェルはずっと、クリスほどの才能が埋もれるのは惜しいと感じていた。
けれども――彼の香りが、昔と変わってしまっているのが気になる。リシェルが感じ取る人の香りは、その人の本質だ。そう簡単に変わったりはしないはずなのに――。
夜会の当日、また別の動きがあった。
リシェルは、侍女のベスに手伝ってもらって夜会の支度をした。ベスはいくらやってもリシェルの髪をきちんと編み上げることができなかったので、結局マルティナが呼ばれて、リシェルの髪を仕上げた。
「あんた意外と不器用なんだね」
マルティナにずばりと言われて――その後しばらく、ベスは明らかに落ち込んでいた。
支度を終えたリシェルが、居間で出発を待っていると、執事長ジョルジュが静かに扉を開けた。
「奥様。ジェイド商会からの使いの者が、奥様宛ての手紙を持ってまいりました」
リシェルは眉をわずかに上げた。
知らない名前だった。宰相夫人となってからだけでなく――独身だった頃にも、そんな名前の商会とつき合いはない。
「もしかして……心当たりがおありではない……?」
「ええ。でも、とにかく見ておきたいわ」
リシェルは、ジョルジュが盆に載せて差し出した封筒を受け取った。
無地の封筒だ。上等な紙質で、差出人の裕福さを想像させる。
手に取ると、スモークと林檎酒の香りが漂った。
封筒を開けると、中には一枚の便箋が入っていた。
流れるような筆跡で、たった一行、
「夜会で、王妃様から何かを命じられた場合、安易にお受けにならないことをお勧めします」
と書かれていた。
リシェルは眉をひそめた。
手紙の内容も、謎の差出人も、何もかもが不可解だ。
けれども――便箋は、はっきりした香りを漂わせていた。封筒に付いていたのとは異なる香り。まるで誰かが意図的に、便箋に香水を一滴垂らしたかのような――誰でも嗅ぎ取ることができそうな香り。
その甘くて複雑な香りを、リシェルは知っていた。
宰相邸の地下倉庫に置かれていた青い瓶。その瓶に入っていた香水の香りだ。
リシェルが瓶を手にしているのを見たときの、バートラムの表情を思い出す。
明らかに、彼の過去とつながっている香水。
この手紙を送ってきたのが何者にせよ――その者は主張しているのだ。自分はバートラムの過去にかかわりがある、と。
「ジェイド商会……」
リシェルの胸の中で、悪い予感が猛烈に湧き起こってきていた。
王妃は本当に、自分に何かを命じようとしているのだろうか。そして、それを引き受けるのは本当にまずいことなのだろうか。
この手紙の差出人は――敵、それとも味方?
あなたにおすすめの小説
裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。
夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。
辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。
側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。
※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。
【完結】仕事を放棄した結果、私は幸せになれました。
キーノ
恋愛
わたくしは乙女ゲームの悪役令嬢みたいですわ。悪役令嬢に転生したと言った方がラノベあるある的に良いでしょうか。
ですが、ゲーム内でヒロイン達が語られる用な悪事を働いたことなどありません。王子に嫉妬? そのような無駄な事に時間をかまけている時間はわたくしにはありませんでしたのに。
だってわたくし、週4回は王太子妃教育に王妃教育、週3回で王妃様とのお茶会。お茶会や教育が終わったら王太子妃の公務、王子殿下がサボっているお陰で回ってくる公務に、王子の管轄する領の嘆願書の整頓やら収益やら税の計算やらで、わたくし、ちっとも自由時間がありませんでしたのよ。
こんなに忙しい私が、最後は冤罪にて処刑ですって? 学園にすら通えて無いのに、すべてのルートで私は処刑されてしまうと解った今、わたくしは全ての仕事を放棄して、冤罪で処刑されるその時まで、推しと穏やかに過ごしますわ。
※さくっと読める悪役令嬢モノです。
2月14~15日に全話、投稿完了。
感想、誤字、脱字など受け付けます。
沢山のエールにお気に入り登録、ありがとうございます。現在執筆中の新作の励みになります。初期作品のほうも見てもらえて感無量です!
恋愛23位にまで上げて頂き、感謝いたします。
魔の森に捨てられた伯爵令嬢は、幸福になって復讐を果たす
三谷朱花*Q−73@文フリ東京5/4
恋愛
ルーナ・メソフィスは、あの冷たく悲しい日のことを忘れはしない。
ルーナの信じてきた世界そのものが否定された日。
伯爵令嬢としての身分も、温かい我が家も奪われた。そして信じていた人たちも、それが幻想だったのだと知った。
そして、告げられた両親の死の真相。
家督を継ぐために父の異母弟である叔父が、両親の死に関わっていた。そして、メソフィス家の財産を独占するために、ルーナの存在を不要とした。
絶望しかなかった。
涙すら出なかった。人間は本当の絶望の前では涙がでないのだとルーナは初めて知った。
雪が積もる冷たい森の中で、この命が果ててしまった方がよほど幸福だとすら感じていた。
そもそも魔の森と呼ばれ恐れられている森だ。誰の助けも期待はできないし、ここに放置した人間たちは、見たこともない魔獣にルーナが食い殺されるのを期待していた。
ルーナは死を待つしか他になかった。
途切れそうになる意識の中で、ルーナは温かい温もりに包まれた夢を見ていた。
そして、ルーナがその温もりを感じた日。
ルーナ・メソフィス伯爵令嬢は亡くなったと公式に発表された。
【完結】どうか、婚約破棄と言われませんように
青波鳩子
恋愛
幼き日、自分を守ってくれた男の子に恋をしたエレイン。
父から『第二王子グレイアム殿下との婚約の打診を受けた』と聞き、初恋の相手がそのグレイアムだったエレインは、喜びと不安と二つの想いを抱えた。
グレイアム殿下には幼馴染の想い人がいる──エレインやグレイアムが通う学園でそんな噂が囁かれておりエレインの耳にも届いていたからだった。
そんな折、留学先から戻った兄から目の前で起きた『婚約破棄』の話を聞いたエレインは、未来の自分の姿ではないかと慄く。
それからエレインは『婚約破棄と言われないように』細心の注意を払って過ごす。
『グレイアム殿下は政略的に決められた婚約者である自分にやはり関心がなさそうだ』と思うエレイン。
定例の月に一度のグレイアムとのお茶会、いつも通り何事もなくやり過ごしたはずが……グレイアムのエレインへの態度に変化が起き、そこから二人の目指すものが逆転をみせていく。すれ違っていく二人の想いとグレイアムと幼馴染の関係性は……。
エレインとグレイアムのハッピーエンドです。
約42,000字の中編ですが、「中編」というカテゴリがないため短編としています。
別サイト「小説家になろう」でも公開を予定しています。
聖女の力を妹に奪われ魔獣の森に捨てられたけど、何故か懐いてきた白狼(実は呪われた皇帝陛下)のブラッシング係に任命されました
AK
恋愛
「--リリアナ、貴様との婚約は破棄する! そして妹の功績を盗んだ罪で、この国からの追放を命じる!」
公爵令嬢リリアナは、腹違いの妹・ミナの嘘によって「偽聖女」の汚名を着せられ、婚約者の第二王子からも、実の父からも絶縁されてしまう。 身一つで放り出されたのは、凶暴な魔獣が跋扈する北の禁足地『帰らずの魔の森』。
死を覚悟したリリアナが出会ったのは、伝説の魔獣フェンリル——ではなく、呪いによって巨大な白狼の姿になった隣国の皇帝・アジュラ四世だった!
人間には効果が薄いが、動物に対しては絶大な癒やし効果を発揮するリリアナの「聖女の力」。 彼女が何気なく白狼をブラッシングすると、苦しんでいた皇帝の呪いが解け始め……?
「余の呪いを解くどころか、極上の手触りで撫でてくるとは……。貴様、責任を取って余の専属ブラッシング係になれ」
こうしてリリアナは、冷徹と恐れられる氷の皇帝(中身はツンデレもふもふ)に拾われ、帝国で溺愛されることに。 豪華な離宮で美味しい食事に、最高のもふもふタイム。虐げられていた日々が嘘のような幸せスローライフが始まる。
一方、本物の聖女を追放してしまった祖国では、妹のミナが聖女の力を発揮できず、大地が枯れ、疫病が蔓延し始めていた。 元婚約者や父が慌ててミレイユを連れ戻そうとするが、時すでに遅し。 「私の主人は、この可愛い狼様(皇帝陛下)だけですので」 これは、すべてを奪われた令嬢が、最強のパートナーを得て幸せになり、自分を捨てた者たちを見返す逆転の物語。
婚約破棄されたら兄のように慕っていた家庭教師に本気で口説かれはじめました
鳥花風星
恋愛
「他に一生涯かけて幸せにしたい人ができた。申し訳ないがローズ、君との婚約を取りやめさせてほしい」
十歳の頃に君のことが気に入ったからと一方的に婚約をせがまれたローズは、学園生活を送っていたとある日その婚約者であるケイロンに突然婚約解消を言い渡される。
悲しみに暮れるローズだったが、幼い頃から魔法の家庭教師をしてくれている兄のような存在のベルギアから猛烈アプローチが始まった!?
「ずっと諦めていたけれど、婚約解消になったならもう遠慮はしないよ。今は俺のことを兄のように思っているかもしれないしケイロンのことで頭がいっぱいかもしれないけれど、そんなこと忘れてしまうくらい君を大切にするし幸せにする」
ローズを一途に思い続けるベルギアの熱い思いが溢れたハッピーエンドな物語。
魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。