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第四章 王宮の陰謀 ― 毒と香水
危険な依頼
王妃は広間を優雅に歩きながら、招待客たちに声をかけていた。やがてその歩みがリシェルの前で止まった。
「宰相夫人、よく来てくださいました」
甘く柔らかな声だった。笑顔は完璧で、仮面のように隙がない。
「お招きいただきありがとうございます、王妃陛下」
リシェルは礼をした。
「実は、折り入ってお願いがあるのです」
王妃はリシェルだけに向けて言った。バートラムはその場にいたが、王妃は彼の存在を最初から無視するように動いていた。
「以前から、あなたの調香の腕前には興味がありましたの。私専用の香水を調合してくださいませんこと?」
リシェルの胸の中で、警戒の鐘が鳴った。
「……光栄にございます。ただ、宰相夫人という立場上、まずは夫の意向を確認させていただかなくてはなりません」
バートラムは一拍の間を置いて、「王妃陛下のご命令であれば、妻も喜んで応じます」と静かに言った。
リシェルは心の中でため息をついた。彼も断れないと分かっている。これは王命に等しい依頼だ。断れば「王命違反」として糾弾される口実を与えることになる。
「よかった」と王妃は微笑んだ。「では、来週、材料をお渡しします。私の望む香りについても、追ってお伝えしますわ」
笑顔の奥で、黒胡椒の香りが激しく揺れた。
夜会の途中、リシェルは目立たないよう、そっと大広間を抜け出した。
テラスから階段を数段下りると、そこはもう中庭だ。人の香りと蝋燭の煙が充満した屋内から出ると、夜の空気が肌に刺さるように冷たかった。
中庭を横切って、石造りの回廊が伸びている。夜会が開かれている東翼と、本館とをつなぐ回廊だ。
リシェルは回廊の柱に背をつけ、目を閉じて深く息を吸い込んだ。
考えなくては。
王妃の気持ちが分からない。リシェルは、王太子の香水に毒を仕込んだと疑われている人間だ。あのとき、王妃はたいそうお怒りだったと聞いている。「王家を害しかけた者を、このまま放置することはできない」と言って、リシェルを正式に告発しようとしたはずだ。
それなのに、わざわざ夜会に呼びつけて、自分の香水を調合してほしいと頼むなんて。いったいどういうつもりだろう? リシェルに対する疑いはすでに晴れている、ということなのか?
乾いた足音が響いた。
リシェルが目を開けると、薄暗い回廊の奥から、見知らぬ男がこちらへ歩いてくるところだった。
年齢はリシェルと同じか、少し上ぐらい。整った涼しげな顔立ち、黒みがかった暗い茶色の髪。瞳は透明感のある深緑色で、感情を映さない鏡のようだった。身につけているのは地味な色味の上質な外套で、王妃派の宮廷貴族が好む華やかな装いとは一線を画している。
「ご気分でも悪いのですか?」
彼はリシェルの前で立ち止まり、礼儀正しく話しかけてきた。
驚きのあまり、リシェルはつかの間、考えごとを忘れた。
相手から漂ってくるのは、スモークと林檎酒の香り。
謎の警告文の封筒に付いていたのと同じ香りだ。
――すると、この男が「ジェイド商会」。王妃の依頼を受けないよう勧めてきた人物。
リシェルは懸命に、なにげないふりを装った。
「広間が少し暑かったので」
「そうですか」
男は短く言って、沈黙した。
スモークと林檎酒の香りが、廊下の冷たい空気に溶けていた。
記憶と真実、とリシェルは直感した。この人間は、何かを深く知っている。
「王妃陛下からのご依頼、引き受けるのですか」
男が静かに尋ねた。リシェルの肩越しに遠くへ視線を飛ばしており、彼女の目を見ようとはしない。
「断れる状況ではありませんでした」
「そうですね」
また沈黙。
「ご忠告が遅かったようで、申し訳ありません」
その言葉には、確かに何かがにじんでいた。謝罪というより、もっと個人的な、後悔に近い感情の匂いがする。
――この男が、あの不可解な警告状の送り主であることは、もう間違いなかった。
「宰相夫人、よく来てくださいました」
甘く柔らかな声だった。笑顔は完璧で、仮面のように隙がない。
「お招きいただきありがとうございます、王妃陛下」
リシェルは礼をした。
「実は、折り入ってお願いがあるのです」
王妃はリシェルだけに向けて言った。バートラムはその場にいたが、王妃は彼の存在を最初から無視するように動いていた。
「以前から、あなたの調香の腕前には興味がありましたの。私専用の香水を調合してくださいませんこと?」
リシェルの胸の中で、警戒の鐘が鳴った。
「……光栄にございます。ただ、宰相夫人という立場上、まずは夫の意向を確認させていただかなくてはなりません」
バートラムは一拍の間を置いて、「王妃陛下のご命令であれば、妻も喜んで応じます」と静かに言った。
リシェルは心の中でため息をついた。彼も断れないと分かっている。これは王命に等しい依頼だ。断れば「王命違反」として糾弾される口実を与えることになる。
「よかった」と王妃は微笑んだ。「では、来週、材料をお渡しします。私の望む香りについても、追ってお伝えしますわ」
笑顔の奥で、黒胡椒の香りが激しく揺れた。
夜会の途中、リシェルは目立たないよう、そっと大広間を抜け出した。
テラスから階段を数段下りると、そこはもう中庭だ。人の香りと蝋燭の煙が充満した屋内から出ると、夜の空気が肌に刺さるように冷たかった。
中庭を横切って、石造りの回廊が伸びている。夜会が開かれている東翼と、本館とをつなぐ回廊だ。
リシェルは回廊の柱に背をつけ、目を閉じて深く息を吸い込んだ。
考えなくては。
王妃の気持ちが分からない。リシェルは、王太子の香水に毒を仕込んだと疑われている人間だ。あのとき、王妃はたいそうお怒りだったと聞いている。「王家を害しかけた者を、このまま放置することはできない」と言って、リシェルを正式に告発しようとしたはずだ。
それなのに、わざわざ夜会に呼びつけて、自分の香水を調合してほしいと頼むなんて。いったいどういうつもりだろう? リシェルに対する疑いはすでに晴れている、ということなのか?
乾いた足音が響いた。
リシェルが目を開けると、薄暗い回廊の奥から、見知らぬ男がこちらへ歩いてくるところだった。
年齢はリシェルと同じか、少し上ぐらい。整った涼しげな顔立ち、黒みがかった暗い茶色の髪。瞳は透明感のある深緑色で、感情を映さない鏡のようだった。身につけているのは地味な色味の上質な外套で、王妃派の宮廷貴族が好む華やかな装いとは一線を画している。
「ご気分でも悪いのですか?」
彼はリシェルの前で立ち止まり、礼儀正しく話しかけてきた。
驚きのあまり、リシェルはつかの間、考えごとを忘れた。
相手から漂ってくるのは、スモークと林檎酒の香り。
謎の警告文の封筒に付いていたのと同じ香りだ。
――すると、この男が「ジェイド商会」。王妃の依頼を受けないよう勧めてきた人物。
リシェルは懸命に、なにげないふりを装った。
「広間が少し暑かったので」
「そうですか」
男は短く言って、沈黙した。
スモークと林檎酒の香りが、廊下の冷たい空気に溶けていた。
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男が静かに尋ねた。リシェルの肩越しに遠くへ視線を飛ばしており、彼女の目を見ようとはしない。
「断れる状況ではありませんでした」
「そうですね」
また沈黙。
「ご忠告が遅かったようで、申し訳ありません」
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