追放された香りの令嬢は、氷の宰相に溺愛されています ~契約結婚のはずが、心まで奪われました~

夢宮るか

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第四章 王宮の陰謀 ― 毒と香水

暗闇の中を歩くみたいな

「名乗るのが遅れてしまい大変失礼いたしました。私はジェイド・ノースフィールドと申します」
「ノースフィールド様は……王妃陛下のお味方でいらっしゃるのかしら?」

 リシェルの問いかけに、ジェイドはわずかに沈黙した。一呼吸分だけ。

「そのように見えますか」
「……肯定も否定もしないのですね」
「今は、どちらとも言えません」

 彼はリシェルを一瞥した。深緑の瞳に、何かがよぎった。リシェルはそれを読もうとしたが、彼はすでに視線をそらしていた。

「あなたのことは、以前から少し知っていました」
「存じませんわ」
「知らなくて当然です。私があなたを知っていただけですから」

 スモークの香りが揺れた。

「グランベール家の調香師令嬢が、王太子の舞踏会の件で追放され、宰相に拾われた。社交界では面白い噂として広まっています。しかし私は……」

 彼は言葉を切った。

「あなたに聞きたいことがあります」
「何でしょう」
「その香水の件、あなたは本当に何も知らなかったのですか」

 リシェルは静かに彼を見返した。
 初めて会う、素性も知らないような相手に答える筋合いはない。けれどもこのジェイドは、バートラムの過去につながりのある人物だ。敵か味方かはわからないが、軽く扱うことはできなかった。

「知りません。あの舞踏会で使われた香水は、私が調合したものです。しかし毒は、私が入れたものではありません」

 ジェイドは長い沈黙の末、「分かりました」とだけ言った。

 信じているのかどうかは、分からなかった。香りからは、疑いとも納得とも取れない複雑な揺れが伝わってくるだけだった。

「一つだけ」とジェイドは言った。「今夜、この廊下で話したことは、宰相殿にも内密に」

「それは応じかねます」とリシェルはきっぱり言った。「夫に隠し事はしません」

 ジェイドは一瞬、何かを考えるように瞳を伏せた。それから、かすかに口の端を上げた。

「……誠実なのですね」

 言葉は穏やかだったが、香りは複雑だった。その奥に、困惑と、かすかな羨望のような何かが混じっていた。
 彼は廊下を歩き去り、リシェルは一人で月明かりの差し込む石廊下に残された。



 そうは言ったが、リシェルは結局、ジェイドに会ったことをバートラムには話さなかった。

 地下倉庫の青い瓶について、バートラムは話題にしたくない様子だった。
 そのことを思うと――それと同じ香水を持っているジェイドの名前を、バートラムの前で口にしないほうが良さそうだ、と感じたのだ。彼はきっと気分を害するだろう。




 よく晴れた朝、リシェルの髪をくしけずりながら、ベスが思いつめたような口調で言った。

「奥方様。先日は情けないところをお見せし、申し訳ございませんでした。私に挽回の機会をいただけませんでしょうか?」

 リシェルは笑った。

「気にしなくてもいいんですよ。誰にだって得手不得手はあります」
「いえっ。このままでは私は、ただのぼんくらです。どうか、私に、奥方様のために実力を発揮する機会を与えてください。私の得意分野で」
「あなたの得意分野というと……」
「何か、お知りになりたいことはございませんか? どんなことでも調べてまいりますよ。私は諜報のプロです。……もちろん、奥方様のご依頼については、旦那様には漏らしません。私は奥方様の侍女ですから」

 リシェルは再び笑った。ベスの大まじめな口調がおかしかったのだ。

(バートラム様に内緒で調べてほしいことなんて、あるわけないわ)

 心の中でそうつぶやいた、次の瞬間、二つの顔がリシェルの胸をよぎった。
 王妃の依頼とあの二人は――おそらくつながっている。

「それじゃあ……調べてもらおうかしら。ジェイド・ノースフィールドというのは、どんな人なのか。王妃様の夜会に出席していたぐらいだから、たぶん貴族のはず。それから……クリス・ヴァルナーが今どういう立場にあるのか」

 言葉がするすると唇から出てきた。
 自分は本当は不安でたまらなかったのだ、とリシェルは気づいた。
 謎めいた男たちと、謎めいた王妃の依頼。何も知らないまま向き合うのは、暗闇を灯りなしで歩くみたいなものだ。

「かしこまりました! お任せください!」

 ベスの心底うれしそうな声が響いた。

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