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1巻

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   1章 変わる未来


「……ッお嬢様!! 誰かっ、だれか! お嬢様が目を覚まされました!!」
「…………ッ」
「まだ起き上がってはなりません! すぐにお医者様が参りますからっ!」

 長い長い眠りから目覚めた気分の少女に、周囲が慌ただしく声を掛ける。
 頭がひどく重たく感じて額を押さえようと手を伸ばして、彼女は手の小ささに驚き、そのまま固まってしまった。

(本当に『あの子』の……ローズレイの体だ……)

 とうのように白い肌……美しい白銀の髪が頬を撫でた。
 少女は目覚める前のとある『出会い』により今の状況を頭では理解してはいるが、妙な感覚だった。
 バタバタと動き回る大勢の人。
 ドレスを着た美しい女性は、ローズレイの小さな手を取り涙を流す。
 優しいの香りがした。
 改めてあたりを見渡す。
 不思議と彼らの名前は思い出すように理解出来た。
 ローズレイの両親……父親のビスク・ヒューレッドと母親のリズレイだ。
 ここにはいない兄のパルファン、ローズレイの四人家族が、国を支える三つの公爵家の一つ、ヒューレッド公爵…………別名『真紅の』である。
 家紋もの形をしており、みんな、髪色はバラバラだが、赤色が入っている。
 なのにローズレイは、一人だけ白銀の髪にとおるような銀色の瞳を持っていた。
 顔立ちは父親に似ていても、まるで別の家の子のように思えた。

「…………お父さま、お母さま」
「ああ! ローズレイッ……ほんとに良かった」
「……リズレイ、まだ意識が戻ったばかりだ。ゆっくり休ませた方がいいだろう。誰かリズレイを部屋へ」

 ビスクが言うと、執事が涙するリズレイをなだめながら部屋の外へと連れて行った。

「……ローズレイ、私は息が止まるかと思ったよ」
「…………」
「階段から足をすべらせたそうだね、パルファンに聞いたよ……」

 違う、パルファンに背を押されたのだ。
 そして、階段に頭を強く打ち付けて意識を失い、こんすい状態におちいった。

「お前に何かあったら……いや、本当に無事で良かった」

 心配そうな父親の顔をローズレイは見つめていた。
 ビスクがローズレイの手を取り、優しく握る。
 左手に巻かれた包帯を見て、なんて細い腕なのだろうと改めて思った。

(今は九歳。ここから始まるのね……ローズは大丈夫かしら? 私の九歳はあまり良いものではなかったはずだけど……)

 両親が事故で他界して、親戚中をたらい回しにされていた頃だろうか……?
 お嬢様であるローズレイには刺激が強そうだが、ローズレイが住んでいた世界もなかなかに辛そうだ。

(実の兄に突き落とされるなんて……)

 ローズレイの記憶は全て引き継いでいる。
 とはいっても記憶はローズレイが〝以前〟歩んできた人生の記憶だ。
 以前のローズレイはパルファンの言う通りに、足をすべらせた事にして、何も言う事はなかった。
 この頃のローズレイはすでに人生を諦めていた。
 流れに身を任せてただよ海月くらげのように、全てを投げ出していたのだ。

(ここからは私次第…………そして私の人生だ)


 彼女はこの場所に来る前、夢の中で〝ローズレイ〟に会った事を思い出していた。
 息を飲むほどに美しい少女、それがローズレイ・ヒューレッドだった。

「だ、れ?」
『わたくしはローズレイ…………ごめんなさい。わたくしが貴女あなたを巻き込んでしまったわ……』

 ローズレイと目が合った。
 銀色の瞳はとおっていて、とてもれいなのに瞳には生気がないように思えた。
 まるで何かに絶望しているような……そんな冷たさを感じる。
 ローズレイは、もう一度小さな声で〝本当にごめんなさい〟と呟いた。
 スッと伸びた白銀の髪はシルクのようにサラサラで、顔立ちも人形のように整っている。
 薄い唇から声が出ているのが不思議に思ってしまうほどだ。
 まばたきをするたびに長いまつれ動く。

「ローズレイ、これは夢? それとも現実なの……?」
『……残念ながら現実よ。貴女あなたは何らかの形で命を落としたのではないかしら?』
「――ッ!?」

 ズキリとした頭痛と共に彼女は思い出す。
 確か道路に飛び出した子供をかばって……
 痛みと共に意識が飛んで、気付いた時にはここにいた。

貴女あなたも……?」
『……そうね。そうなるわね』

 ローズレイはとても悲しそうにほほんだ。
 その笑みがあまりにも苦しそうで……胸が締めつけられた。

貴女あなた、泣いてるの……?』
「…………え?」
『……大丈夫?』
「うん、ありがとう」
『…………わたくしはまだ、女神様に見捨てられていなかったようね』

 どう見ても二人は同い年ぐらいなのに、ローズレイはとても大人びて見えた。
 ローズレイは私を優しく抱き締めた。
 気持ちは温かいはずなのに、腕はとてもひんやりしていて冷たかった。

『ねぇ、――……お願いがあるの』

 野薔薇……それが、今ローズレイの体にいる彼女の元の名前だ。
 ローズレイは、ゆっくりと今まで自分の身に起こった事を話してくれたのだ。そしてローズレイと野薔薇の人生を逆行させた上で入れ替わりたいと頼んできた。
 それはとても長い時間のようにも、一瞬のようにも思えた。

『わたくしは自由が欲しい……何にも縛られず何にもとらわれず……自由に歌って笑って、涙を流す……そんな日常に憧れているの』
「ローズレイ……大丈夫だよ。私の世界も大変だけれど、自由にはなれるわ」
『ふふ、もしそんな日が来るのなら……わたくしは世界一の幸せ者ね』

 ローズレイはれいに笑った。

「ローズレイは自由を手にして何をしたいの……?」
『自分の全てを変えたいの』
「自分を変える……それだけならローズレイの元の世界で逆行するだけで良いようにも思うけれど」
『罪悪感で押し潰されてしまうわ……。わたくしのせいで全て壊してしまった。後悔が今でも波のように押し寄せるの……もう少し、わたくしに勇気があれば……』

 ローズレイの言葉と涙を見て彼女は、ローズレイの世界へと行く事にしたのだ。
 ローズレイも新しい世界で、新しい自分を見つけたいと強く強く願っていた。
 ローズレイと共に語りくしたあの時間は、お互いに元の自分の人生を振り返っていたのかもしれない。


 あれから一週間、部屋から出してもらえなかった。
 あるのはペンと紙、それに本の山だ。
 ローズレイは一冊の歴史書を手に取った。
 国民ならばみんなが知っているこの国……『シルヴィウス王国』の歴史が記されたものだ。
 王族は銀色の獅子、三つの公爵家は色別に分けられている。
 ヒューレッド家は真紅の、ヴェーラー家は蒼い蝶、スピルサバル家は黄金の蛇。
 そして〝銀色の月〟と呼ばれる女神の御伽話おとぎばなしである。
 銀色の女神が怪我をして動けなくなった獅子を助け、力を与えた事で、獅子は人となり女神につかえた。
 獅子の忠誠心に、銀色の女神が褒美を与えた。
 それが真紅の、蒼い蝶、黄金の蛇だった。
 女神とげる為に、獅子は国を作った。
 そうして出来た国がシルヴィウス王国なのだと伝えられていた。
 その為、女神を深く信仰している教会と女神信者の存在は、国にとても大きな影響を与えている。
 教会には銀色の女神の像や絵画があり、女神はローズレイにそっくりなのだそうだ。
 ヒューレッド家には「女神様には是非とも教会に来て欲しい」「我々と共に教会へ来てください」と熱心な女神信者が毎日屋敷を訪ねてくるらしい。
 それに女神とは正反対の意味合いで、広大な土地を支配する〝魔王〟の存在もこの国では大きかった。
 銀色の獅子が怪我をしたのは魔王のせいだとも言われている。
 本の中では女神と魔王の不仲についても語られているほどだ。
 だから、今でもシルヴィウス王国では魔王をみ嫌い、魔族に対して、根強い差別があるのだと書かれている。
 そんな歴史書を読んでいると、元いた自分の世界とは全く異なる場所に来たのだと思い知らされる。
 ローズレイはベッドから降りて鏡の前に座り直す。
 そして自分の姿を改めて確認する。
 銀色でシルクのように滑らかな髪、何もかもかしてしまいそうな銀色の瞳……
 幼さは残るが、ローズレイは本物の女神のように美しかった。

(…………女神、ね)

 ローズレイは〝女神の再来〟と呼ばれていた。
 銀色は本来、この国の王家の色だ。
 女神の色たる白銀に最も近い色。
 その銀色を継げなければたとえ長子だとしても、王太子になれないのだと聞いた事があった。
 今の王太子の兄は、髪が鈍色にびいろだった為に王位を継ぐ事が出来なかったと……
 それほどまでに色が重要視されているのだ。
 ヒューレッド家にも王族の血が混じっている。
 けれど、ここ最近は王族との繋がりはない。
 そもそも、ヒューレッド家がいくら王族を迎えようとも、赤茶色の髪を持った子が生まれていた。
 だから、この家から銀色の瞳と髪を持つ子供など生まれるはずがないのだ。

(……お人形さんみたい)

 この世界では、髪や瞳の色が原色に近いほど力が強いと言われている。
 父親のビスクの髪と瞳は、原色に近いれいな赤だった。
 それだけ魔法の力が強く身体能力が高い為、国王を守る王国騎士をしている。
 リズレイは茶色に赤が混じった色。
 兄であるパルファンはワインのような深い赤色。
 そしてローズレイは白銀。
 ローズレイが生まれた時は驚かれたが、この世界に住むものならば誰でも知っている事だ。
 白銀は女神の生まれ変わり、それは国の宝だと。
 そうしてローズレイは大切に育てられて、一度も公爵家の敷地から出た事がなかった。

(…………まるでかごの中の鳥ね、きゅうくつだわ)

 ここ一週間で分かった事は、ローズレイに自由は一切ないという事だ。
 リズレイは美しさにこだわり、ローズレイに完璧を求めていた。
 常に侍女か執事、教育係が付きっきりでローズレイの世話をしていた。
 以前のローズレイは周囲や母親の要望に全てこたえていた。
 人生の全てを投げ出してしまうほどにローズレイは苦しんでいたのに……
 自分を押し殺して完璧な娘を演じて、親の期待にこたえようとしていた。
 しかし、心はどんどんとすり減っていく。
 そんな事とはつゆ知らず、兄は両親の愛情を一身に受けるローズレイをねたんでいた。
 ヒューレッド家は代々騎士の家系だ。
 嫡男であるパルファンは、父親であるビスクに厳しくきたえられていた。
 そうなれば、宝物のように大切にされるローズレイを見て、ねたみをいだくのは仕方ない事かもしれない。
 けれど、階段から突き落とすのはわけが違う。
 当たりどころが悪ければ、間違いなく命を落としていた。
 以前のローズレイは、兄の横暴な仕打ちに文句も言わず、ひたすら耐えていた。
 しかし、今回は許す気はない。
 これから忙しくなるというのに、いちいち邪魔されたらうっとうしい。
 命に関わる危険の芽は早めに潰しておきたかった。
 それにローズレイの死には、兄であるパルファンも関わっている。
 パルファンの学園での友人であり、この国の王太子であるランダルト・フォン・シルヴィウスと共に……
 思い出すだけで怒りが込み上げてくる。
 以前のローズレイは、十八歳の時に命を落とすと同時に、国も滅びる。
 今のローズレイは九歳、パルファンは一つ上の十歳。
 ローズレイがこの後王家の婚約者候補になり、十四歳の時に王子と初めて顔を合わせる。
 そして十六歳の時には周囲に流されるまま、ランダルトと正式に婚約した。
 ローズレイは王家にとつぐ為に、王妃教育まで受ける羽目になり、更に自由がなくなった。
 そんなローズレイに唯一、心配そうに声をけていたのが、ランダルトの兄であるスタンカートだった。
 ダメ王子と呼ばれていたスタンカートには、あまりいい噂はなかった。
 普段の荒々しい言動にローズレイはおびえてばかりいたが、第三者として見れば、彼はローズレイの事を気遣っていたのではないだろうか。
 しかし、ランダルトの婚約者になって良い事もあった。
 定期的にランダルトと会う楽しみが出来たのだ。
 初めて見る兄以外の同年代の男に、一目で恋に落ちたローズレイは、憂鬱ゆううつだった婚約を喜んで受け入れた。
 初めて生き甲斐を見つけたローズレイは、ランダルトとの時間をとても大切にしていた。
 そして、ランダルトの為にと全てをささげてきた。
 王妃教育の多忙さゆえにローズレイは通学を免除されていたが、ランダルトに会いたいという理由で十八歳の時から学園に通うほどだ。
 ローズレイは嬉しくてたまらなかった。
 全てが輝いて見えた。
 ……そう、あの時までは。
 恋に浮かれていたローズレイに悲劇が起こる。
 ランダルトは、いつの間にかスフィアという金色の髪をした可愛らしい少女に夢中になる。
 ローズレイは、まるで眼中になかった。
 今まで地道に積み上げてきた信頼や愛情を、全て横取りされた気分だった。
 恋に浮かれていた自分が恥ずかしくなった。
 それでも誰にも言わなかったのは、ランダルトをいていたからだ。
 兄のパルファンをはじめ、ランダルトの周囲にいる男はみんなスフィアのとりこになっていった。
 ローズレイは悲しみに暮れたまま学園生活を過ごしていた。
 今まで雁字搦がんじがらめな生活を送っていたローズレイには、何もする事が出来なかった。 
 ただただ、ランダルトが幸せそうにスフィアにほほむのを遠くから眺めていた。
 それなのに……

「……スフィアを階段から突き落としたのは、お前だろう?」
「他にも嫌がらせをしたな? 性悪女め」
「はっ……このクズめ! お前と血が繋がっていると思うと吐き気がする」
「女神などと言われているが……まるで貴様は悪魔だな」

 次々に投げかけられる悲惨な言葉は聞くに堪えないものだった。
 そして、スフィアをようする声……
 ローズレイは証拠もなくスフィアの証言だけで犯人に仕立て上げられた。
 ローズレイは悲しみで一杯だった。
 頭がしろになって何も言葉が出てこなかった。
 王太子に逆らえる者がいるわけもなく、ローズレイの味方はいなかった。
 スフィアにすがるような視線を送る。
〝何故こんな嘘を……?〟と。
 ローズレイの視線に気付いたのか、スフィアはおびえたようにランダルトに抱きついた。
 ランダルトに肩を寄せ、手のひらで顔をおおうスフィアの真っ赤な唇は弧を描いていた。
 そこでローズレイは全てをさとり、そして絶望した。
 められたのだと気付いた時には、もう全てが遅すぎたのだ。
 ローズレイの狭い狭い世界は一瞬で崩れ落ちていった。
 努力も、我慢も、幸せの為に耐えてきた事も、全て無駄だったと気付いてしまったのだ。
 存在を否定されて、ローズレイは目の前がくらになった。
 何より、何も出来ない自分が大嫌いになった。
 そうして、一方的に婚約破棄を告げられたのだ。
 汚名をかぶせられて家族にも迷惑をけてしまった。
 誰の声も聞こえなくなった。
 誰も信頼出来なくなった。
 そして、みずからの命を投げ捨てようとした。
 そこから呪いが噴き出したのだ。

〝全て消えてしまえ〟

 そう全てを呪って死を選ぼうとした瞬間、ローズレイの体は、もうローズレイのものではなくなった。
 ローズレイの体を媒体とした闇は、白銀の髪と瞳を真っ黒に染め上げた。
 それと同時に空も、海も、森も、黒く染まってしまった。
 地獄のごうが、国中全てに広がり、焼きくす姿をローズレイはずっと闇に乗っ取られた体の中で見せられ続けた。
 ローズレイは自分の行いを悔いた。
 最後に見たのは全てが滅び崩れ落ちた国だったものだ。
 後悔にむしばまれながら蝋燭ろうそくのようにローズレイの意識が果てた。
 そうして、死後の世界とでも言うべき場所で、女神の慈悲による逆行の提案を受けて、野薔薇とローズレイは出会い、記憶を共有して人生を交換する事にしたのである。
 といっても、野薔薇も良い人生を送っていたわけではなかった。
 両親には先立たれ、親戚中をたらい回しにされて施設に入った。
 施設に馴染めず飛び出すようにそこから逃げ、住み込みのアルバイトをしながら学校に通っていた。
 忙しい日々……だけど野薔薇は自由だった。
 夢に向かって勉強している時は何もかもを忘れられた。
 好きな時に好きな事が出来る。
 それが幸せなのだと気付いたのは、ローズレイになってからだった。
 ローズレイとなった今、生き延びる為にやる事は一つ。

「やられる前に…………潰す」

 外見は九歳の少女……けれど中身は十八歳だ。
 持っている知識を最大限に使って迎え撃つ為の準備をする。
 その為の計画を立てようと、紙とペンを取り出した。
 一つ目は、兄のパルファンとの不仲を解消する事だ。
 今はローズレイを目のかたきにしているが、ローズレイに危機が迫り、打開せねばならなくなった時に、せめて邪魔をしてこない関係性にはしておきたい。
 これだけは至急の案件だ。
 二つ目は、ランダルトの婚約者にならない事。
 両親を取り込んで味方になってもらうのもいいだろう。一番良いのは関わらない事なので、それを目標に動いていこう。
 そして三つ目は、身を守る為の力をつける事だ。
 折角騎士の家系に生まれたのだから、これをかさない手はない。
 そしてこの世界には魔法がある。
 ローズレイが武術と魔法を極めれば、そう簡単に拘束こうそくされる事はない。
 逃げる事も考えて、ルートを考えておかなければ……
 このままでは自分が国を破壊するなんて考えるだけで恐ろしい。

(何があっても絶望はしない。前向き、前向き!)

 スフィアの対策はおいおい考えるとして、今はどうやってパルファンとの距離をめるかである。
 パルファンはローズレイの側には寄らない。顔を合わせるのも食事の時だけだ。
 ならばコチラから仕けるしかないだろう……

(向こうの対応次第で、次の作戦を考えよう……)

 そう決めて、さっそく夕食の時間に動いてみる事にした。


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