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一章

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涙が地面に染み込んでいくのがまるで他人事のように見えていた。
そしてユイナから見て、自分は可哀想な存在だった。

(………わたくしは、可哀想)

何故かしっくりくるその言葉に、心臓はギュッと締め付けられた。
今までアシュリーは何をされても何を言われても、国の結界を張り、オースティンや国民たちの命を繋いできたつもりだった。
その積み重ねは無駄ではない、偽物なんかじゃない。
だからオースティンならば庇ってくれるのだと心の中で期待していた。
けれど、そんな期待は粉々に砕け散ってしまう。
オースティンとの幸せの未来のために、国のためにと頑張り続けていたのにもかかわらず、アシュリーに待ち受けていたのは地獄だった。


「さっさと俺の前から消えるがいい」

「オースティン様、そんなひどいことを言わなくても」

「ユイナは何も心配することはない。俺が君を守ってやるから」

「でも……」

「婚約者ではなくなったお前にもう二度会うこともないだろうからな。今まで言いたかったことを言わせてもらうぞ」


アシュリーは耳を塞ぎたくなった。
手を動かして耳を塞がないといけないのに、自分の体がまったくいうことを聞かない。
まるで心と体が切り離されてしまったようだ。

(逃げないと……早く)

心はそう叫んでも、アシュリーの足は震えて動いてはくれなかった。


「そもそもお前と婚約していたことが間違いだった。もっと早くユイナに出会えていたらこんなことにはならなかったのに……!」

「オースティン、殿下………わたくしは………」

「俺の名前を気安く呼ぶな。もう婚約者でもないのに不敬だぞ」

「この方はオースティン様の婚約者様だったのですか!?」

「ああ……だが元だ。ユイナ、安心してくれ。今日、この瞬間から俺の婚約者は本物の聖女であるユイナだ」

「本当ですか!?私がお姫様だなんて嬉しいっ、夢みたい……!」

「この時をどんなに待ち望んでいたか!きっと俺たちが出会うのは運命だったんだ」
 

アシュリーはオースティンの名前を呼ぶことすら許されないのに、ユイナはオースティンに触れることも名前を呼ぶ事も許されていた。

(…………どうして?)

まるで鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
恐らくまだアシュリーが体調不良で寝ている時にはオースティンとユイナの愛は育まれていたのだろう。
今日、婚約の破棄を受けたアシュリーだが、その前から二人は愛し合っていた。
二人の告白は裏切りの証ではないか。


「……ユイナ」

「オースティン様、こんなところで恥ずかしいです!」


もうアシュリーが何を言っても無駄なのだろう。
目の前で熱く抱擁している二人の横をアシュリーは静かに通り過ぎた。
震える足でエルネット公爵家の馬車に乗り込み、アシュリーは声を押し殺して涙を流した。

存在を全否定された自分に残されたものは果たして何だろう。
自分の存在意義も、理由も……何故今まで我慢してまで頑張ってきたのかも、何もわからなくなってしまった。
心が歪み、真っ黒な雲に覆われていくのを感じていた。
それに今から父と母にこのことを報告しなければならない。

そして両親がアシュリーに黙って何をしていたのか……ちゃんと確認して知らなければならない。
しかしその話を聞いてしまえば、今まで見ないフリをしていたすべてが崩れてしまうとわかっているから恐ろしかった。

今のアシュリーに一歩踏み出す勇気などありはしない。
殺伐としていた両親の仲は自分の力と金によって保たれていたに過ぎないと気づいてしまえばもう……アシュリーは空っぽになってしまう。
アシュリーは流れる涙を軽く拭ってから、エルネット公爵邸の中に入った。


────しかし、そこもまた地獄だった。


アシュリーが玄関の扉を開けると、そこには荒れ果てた玄関が見えた。
割れた陶器が散らばり、家具が倒れてひどい有様だった。
アシュリーの姿を見た両親は凄い形相で掴みかかってきた。


──バチンッ!


そして問答無用にアシュリーは頬を叩かれてしまう。
重たい音が頬を弾いた瞬間、アシュリーの体は壁に打ちつけられてドスンという音と共に体がずるりと下に下へと落ちていく。


「アシュリーお嬢様……!」


クララがアシュリーに手を伸ばすが、父がそれを防ぐように間に入る。
反対側の頬を容赦なく弾かれてしまい、アシュリーはその場に倒れ込んだ。
「おやめください、旦那様、奥様ッ!」と叫んでいる悲痛なクララの声が遠くに聞こえた。
アシュリーの視界が涙で歪んでいく。

(頭が痛い……)

アシュリーが起きあがろうとする前に首元を掴まれて服ごと体を持ち上げられてしまう。
容赦なくガクガクと揺さぶられ、声を出すこともできずに苦痛に顔を歪める。
そして玄関の扉に叩きつけられるようにして突き飛ばされた。
頭を打ちつけて力の入らない体は重力のまま崩れ落ちていく。
無造作に投げ出された自分の手足を見て、まるで壊れた人形のようだと思った。


「──アシュリー、聞いたぞッ!どういうことだ」
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