徒花の先に

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第十一話 失態

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 熱があるのだろう。体が燃えるように熱い。汗がとめどなく流れポタポタと雫が地面に落ちる。服は見苦しいほどにボロボロで、身体中傷だらけ。それにひどく腫れた右腕。ぱっと見腫れているだけであとは何もなさそうだが多分折れてる。その証拠に常に強い痛みに苛まれる。幸い邪神を封印した際に受けた代償により慣れているためかこれくらいの痛みならまだ耐えることができた。
 ぐったりとその辺の瓦礫にでも腰掛けていたらエルモアが顔を青ざめながら俺の折れた腕の応急処置に取り掛かった。その作業をぼうっと眺める。言葉も発するのも怠くて「ありがとう」も言えない。
 騎士らと言えば信じられないといった表情で俯き突っ立っていた。
「イライアス殿下が負けるなんて……」
「っっそんなのありえない」
 騎士らがそう口々に言って落胆する様子に俺は情けなくて顔を背ける。
 皆んながついて行きたいと思うようなそんな奴になるって決めたのにこの有様。今の俺は狂犬どころかボロボロになった負け犬だ。誰がこんな奴について行きたいと思うだろうか。
 反省点を挙げればキリがないとまでに演習の結果は酷いものだった。
 最初は軍の動きもそこまで悪くはなかった。だが俺が兄と対峙した時に流れは変わった。兄と剣を交え、俺は見るに堪えないほど無残に敗れた。その予想だにしない結果に騎士たちは動揺し狼狽え、それにより軍も乱れて占領された街の奪還訓練は俺たちの大失敗に終わった。
 全て俺のせいだ。俺は最後まで立っていなきゃいけない存在なのにそれが出来なかった。
 俺は負けてはいけないのに。
 演習と言えどもこの失敗は士気の低下となって今後大きく関わってくる。それにこの腕。もうしばらくは戦場には出れないだろう。
 風で砂塵が縦横無尽に走り回る。
 情景が思い起こされる。





 砂埃が舞う街。ここは訓練だけのために作られた街で住民は居らず、がらんどうの家々だけが立ち並ぶ。
 街のあちらこちらから剣と剣がぶつかり合う金属音が響き渡り、その喧騒の中心である広場に二人はいた。
 俺と兄。護衛騎士であるエルモアは既に兄の作戦により分断されここにはいなかった。
 戦いたくない。その思いでするりと剣を躱すも容赦なく兄は斬りかかる。
 俺はこんなことのために剣を取ったわけじゃないのに。
 だけど負けるわけにはいかない。戦場に出るのは俺一人で充分だと証明するために俺は誰にも負けない狂犬でならなくてはいけないんだ。
 どうにかして戦いを避けるもしくは無力化しようと踏ん張るが、そんな中途半端な気持ちじゃあ兄には敵わなかった。
 突き飛ばされ、地面に勢いよく倒れる。追撃を許さないように剣先を兄に向けるが、兄はそれを振り払うように一振りし、剣を叩き落とす。
 敗北が頭に過ぎる。そう思った瞬間、腹部に強い衝撃が走る。
 兄から蹴り上げられたことを気付いた時にはガンッと強く肩を踏みつけられていた。
「っっ……!!」
 なんとか拾った剣を振り距離を取るが、その後はもう目を背けたくなるほど痛々しいものだった。
 突き飛ばされ何度も地面に転がり、擦り傷が至るところに出来る。
 まるでお前は俺に勝てないと思い知らされているようだった。
 実際俺は体調がどんなに崩れていても戦いにおいて膝をつくことなどなかった。だけど今は劣勢もいいところ。たとえ気持ちに揺らぎがあって戦闘に集中できなくてもここまで追い詰められたことはない。
 今まで知らなかった。
 兄はとてつもなく強かったのだ。
 もう剣も握れないほどに痛めつけられ、だけどここで倒れるわけにはいかないとなんとか立ち上がろうとするもそこに追い討ちをかけるように兄の一撃が加わる。それを受け流しはしたが、押されるように地面に倒れる。
 動かない身体に鞭打ち、もう一度起き上がろうとする。しかし兄が地面に縛るように腕をじりじりと踏み付ける。怪我の重なった身体にはそれは拷問に近かった。
「あ、あにうえっっ……」
 そのあまりの痛さに顔を歪める。
 兄は戦闘が始まってからずっと感情など一切ないような無表情のままだった。今もそれは少しも崩さない。
「…………にいちゃっっ」
 容赦のない凍てついた瞳に見つめられ、どうしようもなく悲しくなって思わず縋るように兄に手を伸ばす。
「……っっ」
 一瞬、鉄仮面のように貫いていた兄の無表情が微かに歪む。しかし振り下ろしたハンマーのように兄の足が俺の腕を踏み潰す。
 ボキッ。
 鈍い音が腕に走る。
「ぁああ゛あ゛──!!」
 腕を襲う壮絶な痛みに悶え絶叫する。
 その威厳も何もない俺の姿を騎士が茫然と見つめていた。

 それから戦況は見る間に変わり、俺たちは負けた。


 皇族用に充てがわれた大きなテント。怪我をしたとあって俺はすぐ基地の方に戻された。エルモアから絶対安静にするよう言われ、ベッドで寝転がるも中々寝付けない。エルモアが手配してくれているいつもの薬のおかげで多少熱は下がってはいるが、汗ばんで気持ちが悪い。
 本当は軍医からきちんと診てもらった方がいいのだがそんなことすれば芋づる式に俺の身体が虚弱であることが分かってしまうので処置は全てエルモアに任せた。


 寝返りを打って瞳を閉じる。しかし色々なことが頭に纏わりついて安らかな眠りにはつけなかった。


 兄は迷いなく俺を痛めつけ、腕を折った。

 演習にしてはやりすぎだった。
 一体兄は何のためにあそこまでしたのか。
 俺が兄を怒らせたからか??
 あれはイェルクと関わるなという言いつけを破った俺への罰か??

 兄は俺のことをどう思っているのだろう。
 俺は弟として兄に認められてはいない。それは兄の態度を見るからに明らかだ。
 兄のあの凍てついた瞳を思い出す。あれはまるで……。
「……ああ、そうか。俺は見限られたんだ」
 自嘲の笑みが勝手に浮かぶ。
 兄のその瞳は皇帝だった時に能がなく不必要だと切り捨てた臣下たちに向けられたものと似ていた。
 見限られたのも当然かもしれない。
 簡単な言いつけも守れず、剣術も兄より劣っている。こんな俺になんの価値があるのか。

 兄にとって俺はもういらない人間なのだ。

『屈強なのはいいが頭がないとこうも煩わしいとは』

『はぁ。お前はとんでもない愚弟だな』

 兄から言われてきた数々の言葉。兄に認められていないのは分かっていたが、戦場を俺に任せている以上信用はしていたのだと思う。
 だけど言いつけを破ったことでその微かにもあった信用を無くした。
 失った信頼を再び築くのは難しい。
 もう見限られた事実は変わりようがないのだ。
 演習にも関わらず必要以上に痛めつけ腕を折ったのはあわよくば俺を排除しようとしていたからか。実際兄が皇帝だった時は面倒な貴族派の人物を事故と見せかけて消していた。
 俺も彼と同じく演習時の事故として消される手筈だったのだろうか。
 しかしこうはっきりと突きつけられるとやはりどうしようもなく悲しくなる。
 兄にとって俺はいらない人間。
「ハハッ……救えねぇな」
 思わず笑みが溢れる。
 兄の幸せを守るために国に尽くしているのにむしろ兄が幸せになるのに俺は不必要、いや手を煩わす邪魔者だ。
 兄にとって邪魔なら俺は潔く消える。だけどそれさえも今は出来ない。兄が幸せであるという未来が確定しない以上俺は死ねないのだ。

 ふと頬に触れると玉のような雫がポロポロと手を伝っていた。
 なぜ泣いてるんだ?
 俺はいらないと、兄にだけは思って欲しくなかったからか?
 そんなこと思っちゃいけないのに。
 兄に愛情を求めてはいけないのに。
 分かっている。だけど、涙がどうしても止まらないんだ。

 落ち着いた頃には焚き火のパチパチとした微かな音でもよく聴こえるくらい辺りは静まっていた。
 起き上がりシーツを見ればびっしょりと汗で湿っていた。薬の効果が切れたのか、骨が折れたことで新たに熱が出てきたのか俺の身体は尋常じゃないほどに熱かった。頭もぼんやりして起きてても夢の中にいるようになんだか現実味がない。

 釜で茹でられているようで身体が熱い。どんな方法でもいい。とにかく身体を冷やしたい。

 ふと肌に冷たさを感じれば、外へ通じる出口のテントの布が風でパクパクと口を開くように揺らめいていた。俺は楽園を求めるようにふわふわとした足取りで外へ出た。出口にはエルモアではなく別の騎士が見張りを務めていた。
 一日中エルモアが俺のそばにいるわけではない。もちろん彼も人間なのだから今はきっと仮眠でも取っているのだろう。
 見張りの騎士は驚いたようにこちらを凝視していたが、それには触れず俺についてこないようにただ一人にしてくれと命じる。
 冷たい風が心地良い。ずっと外にいたい気分だった。
 もっと風を感じたい。
 そうして野原がどこまでも続く基地の外を目指して白いテント群の中をゆっくりと歩いていく。
 誰もが寝静まる深い夜。そのため見張りの兵が所々にいるだけで人通りはほぼなかった。
 だけど風を感じていたいのに一人で出歩く俺を不審げに思い話しかけられて邪魔されたくはない。人はいないにしろ、最も人が通らないであろうテントとテントの狭い道を歩いていく。
 ふとぼんやりと灯りのついたテントから声が聞こえた。耳を傾ける気はなかったが、話の内容はどうしたって俺のことだった。漏れ出た声は否が応にも頭に入ってくる。
「俺、イライアス殿下には憧れてたんだ。ほら『漆黒の狂犬』とか異名までつくほどあの御方は強いじゃないか」
「ああ。まだ十五の時だって誰も敵いはしなかった。誰だって憧れるさ。俺も殿下みたいになりたくてあの鬼畜訓練にもついていくので必死だったよ」
「俺もそうさ。じゃなきゃあんな訓練、逃げ出してたっての」
 どうやら話しているのは俺が訓練を任されていた騎士団の一員らしい。
「だけどよ、あの様を見るとさ、憧れも吹き飛ぶっていうか……。俺がかっこいいと思ってた人はこんなもんだったのかって思っちまってよ」
「お前の気持ち分かるよ。なんかもうあの人についていこうって思わないというか。それより寧ろアラン殿下に一生ついていきたいってすげえ思っちまった」
「アラン殿下やっぱり凄いよな。頭もキレて腕も立つって。そうそう、イライアス殿下が当時中立国だった王国の第二王子と喧嘩して起きたラルトゥフ戦争の時も王国側の貴族らに大きな見返りを約束して密かに手を回し、王含め王族全員追放させてよ、それで結局王国は属国になったしな」
 それ以上は聞いていられなかった。
 しかしこれではっきり分かった。
 俺はもう皆んなにとってついて行きたい存在ではなくなったのだ。


 ……俺、皆んながついて行きたいと思うような相応しい奴になるって、頑張るってエルモアと約束したのに。

 どっと疲れが溢れ出る。また一から頑張ればいいじゃないか、と今は思えなかった。
 結局体力が尽きて基地の外まで行くことは叶わなかった。その代わり誰も邪魔してこなさそうな基地の隅っこにある寂しくポツンと佇む岩のそばで休むことにした。
 岩をクッションにして腰掛けると熱った肌がひんやりとした岩肌にくっついて気持ちいい。
 うとうとと瞼が重たくなる。
 そういえばとイェルクのことを思い出す。
 誘っておいて結局アイツ約束を反故にしやがったな。
 でも仕方ないか。
 イェルクはあくまで強い俺に関心があっただけで、兄に負けた今俺のことなんてどうでもいいはずだ。
 あんなうざったらしい奴、しかも俺が兄に見限られたのはアイツが原因と言ってもいい。清々したと思うはずがなんだか心は寂しかった。認めたくはないが俺はイェルクのことを友達として見ていたらしい。
 でももうアイツにとって俺は友達ではないんだよな。

 ああ今日はなんて最悪な日なのだろう。
 もう疲れた。
 今は何もかも忘れてこの心地よさに浸っていたい。
 そうして俺は、いつの間にか全身の力が抜けるようにまどろんでしまっていた。




 何もない暗闇だけが支配するどこかに俺は立っていた。なぜこんなところにいるのだろう。全てが闇に包まれているのに視界ははっきりしていて、恐怖心は不思議となかった。
 誰かいるかと声を掛けるも返事はない。ここにいても仕方がない。とりあえず移動するかと歩こうとすれば遠くから狼の遠吠えが聴こえてきた。
 人はいなくとも動物はいるのかと不思議に思うも何か手掛かりがあるかもしれないと遠吠えのした方向へ走って行く。



 違う。ここには動物も人もいたんだ。それもかつての想い人が。

 走った先には兄が狼に襲われていた。

 黒い毛に覆われた狼が牙を剥き、今にも首根に噛みつこうとしているのに兄は剣を抜くことなく、なぜか目を背けたいとばかりに顔を歪め、剣を鞘に納めたままで吹き飛ばすようにして狼の牙を防いでいる。トドメを刺す素振りは一切ない。
 このままではいつか兄がやられてしまう。

『なぜだ? 此奴はお前を見限ったのだぞ? それなのになぜ助けようとする?』

 頭に煩わしい声が響く。だがそれは愚問だ。
 兄に俺はいらない人間だと判断された。
 それはとても悲しい。
 けれどいらないと捨てられたって兄は兄だ。助けるに決まっている。

 俺が兄を守るんだ。兄の幸せを守るためなら俺はなんだってする。

 声を振り払うように俺は駆けて行き、剣を抜いて狼に斬りかかる。不意打ちともいえる一撃に狼はよろめくも、何の術を使ったのか何匹もの分身を作り出し、周りを囲まれる。兄を庇いながら俺は剣を振るう。傷だらけになりながらも最後の一匹の腹を剣で突き刺すと、狼は悲痛な叫びをあげて力なく地面に倒れ、分身が煙のように消え去った。
 慌てて兄に怪我がないか近付こうとすると、兄は瞳の色を無くし、絶望したような顔で狼の亡骸の前にガクッと膝を落とす。
 その表情はまるでノエルを目の前で亡くした時とそっくりだった。トラウマに直面したようで眩暈がする。
 なぜあんな顔をするんだ??
 だって自分を襲ってきた狼なんだぞ??
 そう兄に牙を剥いた憎き獣を見下ろすと、なんだか違和感を抱く。じっくり見つめるとその違和感が何かすぐに気付いた。
 それは狼ではなかった。一見狼に見えるがそれは犬だった。漆黒の毛に覆われ、血のような真っ赤な瞳を持ち、それはまるで俺の異名である『漆黒の狂犬』を想起させた。
 だとしてもなぜ兄が犬に対しそこまで悲しんでいるのか分からない。もしかしてこの犬を飼っていたのだろうか。だとしても主人に噛み付くなんて駄犬もいいところだ。そんなの死んで当然だろう。

「……イライアス」

 兄が犬に向かってそう呟き、ボロボロと涙を流す。
 なぜ兄が犬にそう口にしたのか見当がつかない。これじゃあまるで犬自体が俺みたいじゃないか。
 とにかくそんな顔をして欲しくなくて何度も兄を呼ぶが俺の存在など元からないように反応がない。

 なぜこっちを見てくれない!?
 それは犬なんだ!!

 そう言ったって兄はこちらを見向きもしない。
 俺はここにいる。だからそんな顔しないでくれ。もうあんな悲しい顔、俺は見たくないんだ。
 兄の肩を縋るように掴み、「おにいちゃん、おにいちゃん」と連呼する。いつの間にか俺の身体は幼子までに小さくなっていた。
 ふと兄の瞳がこちらを向く。

 良かった。やっと俺を見てくれた。

「大丈夫。俺はここにいるよ。俺はずっとおにいちゃんのそばにいるから。だからもう泣かないで」

 そう安心させるように優しく微笑むと悲しそうだった兄の表情が和らぐ。

 突然視界が開けた。




 目に映るのは深海のような美しい濃い青の瞳。人とは思えないほどの美貌。
 その兄の表情は涙を堪えているようで苦しそうに眉間に皺を寄せていた。しかし絶望で色は失ってはおらず、さっき見た兄の顔色よりまだ良さそうだった。
 そうか、あれは夢だったのか。
 だけど兄の瞳には夢がまだ続いているかのように俺が映っていた。
 兄の苦しげな表情に胸が締め付けられるが、俺を見てくれていることにひどく安堵する。
「大丈夫。俺もそばにいる。だから今は安心して眠れ」
 兄が穏やかに微笑み、子どもに読み聞かせでもするかのように優しく囁く。
 どうして俺にそんなに優しくするのだろうか?
 兄にとって俺はもういらない人間なのに。
 でも……とても落ち着く。
 目の前の兄はまるで昔に戻ったようだった。
 俺は兄にお姫様抱っこされているなんて知る由もなく赴くままに兄の胸元に頬を寄せる。
 温かい。
 身体は熱くて仕方ないのにこの温もりはずっと感じていたかった。
 しばらくするとゆりかごの中にでもいるかのようで再び瞼が重たくなる。
 まだこの温もりを感じていたいと頑張って意識を保ち続けていたが、睡魔には抗えず俺は深い眠りについた。
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