風と階段

伊藤龍太郎

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京介が美奈のサポートをすることになった週の土曜日。京介と美奈がリビングに行くと小柄で艶のあるストレートな髪が照明に反射して髪が光って見える女性と少しガッチリとした体型で髪型には特にこれといった特徴のない男性が座っていた。前者の方は2人の母の舞華、後者は父、武琉である。
武琉が2人に気づくと目で座るよう合図をした。「こういう場は、話がある方が先にスタンバイしておくの。」舞華は家族全員が揃ってすぐに釘を刺した。
「それで、話ってのはなんだ?このあと昨日やり残した仕事をしなければいけないんだ。話すから手短に頼む。」武琉は話を催促した。
京介と美奈は顔をチラッと見合わせると美奈が話を切り出した。
「わたし、立澤大学を目指してるって話をしたよね?もちろんその目標に向かって自分ができる努力はしているつもりなんだけど、なかなか模試の結果が出なくて、どうしようって悩んでたの。そんなとき、お兄ちゃんが『手伝おうか?』って言ってきて、私は最初断ったんだけど、あとで冷静になって考えてみたら、
このまま無我夢中で勉強していても受からないかもって思ったから、わたしは
お兄ちゃんに受験勉強のサポートをしてほしいっていう旨を昨日伝えたの。」
美奈の言葉を引き継ぐように京介も口を開いた。
「ということで、僕が美奈の大学受験をサポートすることになりました。」京介が両親に昨日のことを話した。しばらくの間シーンと静かな時間が牧田家のリビングを支配した。
すると、母・舞華がその沈黙を破った。
「わたしは、いいと思う。実際に受験を経験した京介がサポートしてくれるなら、傾向と対策は掴めてるだろうし、
なにより私、実はこのまま美奈が一人で勉強しても受かる見込みはないに等しいって勝手に思ってたから。」舞華の思い込みに顔を歪めた美奈をチラッと一瞥すると父・武琉(たける)が美奈に言った。「まぁ、たとえ俺が反対したところで多数決になれば勝ち目はない。だから、賛成してやる。だがな、美奈。これだけはわかっておいてくれ。」そこまで言うと武琉は1つ間を置いてから再び口を開いた。美奈は妙に緊張してツバをゴクリと飲み込んだ。「お前もわかってると思うが、京介は今大学をサボってるわけではない。病気を抱えていて一時的に休学をしているだけだ。だから、決して京介の体に負担をかけるな。このことだけは絶対に約束してくれ。」
「わかってる。お兄ちゃんはサポートをしてくれる。実際にやるのは私だから。」美奈の言葉には強い思いがこもっていた。その意を汲んだ武琉は「よし!じゃあやってみろ。」と強い言葉で後押しした。
家族会議を終えた京介と美奈は一度美奈の部屋に集合した。
すると突然京介が美奈に模試の結果表を要求した。美奈がなぜ?と言わんばかりの表情をすると京介は「いいか。模試っていうのはな、受験生にとっては自分の現在の実力を知るための最高のイベントなんだ。つまり、今の美奈の実力を知るためには模試の結果表が必要なんだ。あ、あとできれば問題の冊子も宜しく。」理由に納得した美奈は渋々、結果表と問題冊子を手渡した。
結果表を開いた京介は全体的な結果を見た後、大問ごとの正答率を確認した。
すると、英語の結果を見ているときに改善が必要な箇所を発見した。
「美奈が模試の結果があまり良くない原因は『文法』と『語彙』だな。この二つは大学合格のための要となる部分だ。これらを放っておいたら、確実に落ちるだろうな。よし、まずは英語。と行きたいところだが、美奈の勉強スタイルを知りたい。今日1日、自分なりの勉強法でやってみろ。」すると京介は美奈を机に向かわせ、自分は用事を思い出したと一旦外出した。

その間、美奈は『語彙』を克服するために単語帳を開いて、黙々と暗記を始めた。しかし、一向に覚えられない。
美奈は「なんで私はこんなに記憶力が良くないんだ!?」とベッドに仰向けになりながら嘆いたが、その答えは返ってくるはずもない。美奈がそう思った次の瞬間「それは、美奈の勉強方法が間違ってるという証拠だ。」という答えが返ってきた。美奈はドアの方を見ると京介が部屋に入ってきた。
「どういうこと?」美奈はたまらず聞いた。「そのままの意味だ。おそらく美奈は、単語を単語として捉えている。だから、いつまで経っても覚えられない。」
「ちょっと待って。全く意味がわからないんだけど。」
「つまり、単語をさらに分解して捉えればいいんだ。例えば、exclaimという単語がある。これは『叫ぶ』という意味だ。それじゃあ分解していくぞ。まずどこで着ればいいのか。それはex とclaimだ。exは外にという意味がある。claimは、主張するという意味がある。
最後にこれを繋げると、外へ主張する。つまり、叫ぶ。まぁこの例は結構強引だけど、他にもいっぱいある。」
美奈は納得したように「へぇ~。わかりやすい!」と頷いた。
「ちなみに、exのようなものを接頭辞(せっとうじ)って言う。一方で単語中のableのような後ろにつくものをを接尾辞(せつびじ)って言うんだ。」ここまで説明すると、京介は美奈の横に置かれている単語帳を美奈に渡して、「じゃあ、こんな感じでどんどんやってみて。」やる気が出てきた美奈はもう一度単語帳と向き合った。「portableはportとableに分けられるんだ。portが移植する。ableができる。だから、運搬できる!そういうことか!」美奈は自分で解体して意味を考えられたので、少し興奮していた。やる気が出てきた美奈はその後も次々と攻略していった。
すると、美奈はずっと集中して単語帳を使っていた。しかし、集中力というものはいずれ切れるもの、グゥーッと美奈のお腹が鳴った。ちょうどそのとき、「お昼ごはん、できたよ。」という舞華の号令がかかった。美奈はリビングに行き、席に着いた。食卓には美奈の大好物のラーメンが用意されていた。どんぶりから上がる湯気で美奈の肌がしっとりと湿った。「あぁ~なんにも見えない。」という声がした。ふと横を見ると眼鏡が湯気で曇ってしまった京介が座っていた。
美奈は湯気に夢中で京介が来たことに気が付かなかった。
その後、武琉も食卓に着き家族全員でラーメンを啜った。平日はなかなか揃わない牧田家の団欒。しかし、会話は一つもなく、美奈はスープを最後の一滴まで飲み干すと「ごちそうさまでした!」と言ってすぐに自分の部屋に戻っていった。
京介は、部屋に戻ると美奈に何が入った袋を渡した。「え?なにこれ?」
「美奈にプレゼント。」美奈が袋を開けてみると問題集が3冊入っていた。
取り出してみると、「基礎から学ぶ中学英語」というタイトルの問題集が入っていた。「お兄ちゃん。ふざけてるの?
私、今高校2年生だよ!?中学英語なんてとっくの昔に終わらせてる。」美奈は
問題集を見せながら必死に反抗した。
しかし、京介は一つため息をつくと、美奈に説明した。「あのな。なぜ美奈が模試で点数を取れないか、それは中学英語をマスターしていないからだ。いいか。中学英語っていうのは、英語を学ぶ上での基礎となる部分。建物で言えば『礎』の部分だ。ここがしっかりしていないまま建物を作ろうとすると、崩落してしまう。それと同じで、中学英語をしっかりとマスターしていないと、この先いくら高校英語をやっても点数は上がらない。
模試の結果を見てわかった。美奈は中学英語が完璧ではない。だから、まずはここから文法はクリアする必要があるんだ。」京介の説明を聞いた美奈はストンと腑に落ちた様子で早速問題集に取り組み始めた。が、すぐに京介は美奈を止めた。美奈は問題集に直接書き込んでいたのだ。「まさか、ずっとそのやり方でやってたのか?」京介が驚きを隠しきれずに聞くと、美奈はあたかも自分が正しいと主張するように頷いた。
「いいか。問題集ってのは1回解いただけじゃ身につかないんだ。最低でも、五回は解け。別に10回解いてもいい。とにかく、直接書き込むのだけはやめろ。大袈裟にいうと美奈がやってることはお金を捨ててるのと同じだ。」
「そこまで言わなくても。」美奈は怒られた子供のようにシュンと少し肩をすくめた。
美奈は自分のやり方が否定されていい気持ちにはならなかったが、それが結果的に合格に繋がるのならそっちの方が良いと思いを新たにした。土曜日に京介から英語の勉強法について教わった美奈は1週間その方法で勉強した。
その週の金曜日の夕方。京介は美奈あることを聞いた。「この一週間でどのくらい単語を覚えた?」美奈は単語帳をペラペラとめくりながら「単語番号で言うと1から50」と答えた。「なぁ。今日は単語帳を使うか?」京介は聞いた。「今日はもう使わないよ。この後は学校の課題をやらないといけないから。」
「そうか。じゃあちょっと単語帳を借りてもいいか?」美奈は京介が単語帳を借りる理由がわからなかったが、とにかく渡した。
京介は美奈から借りた単語帳を手に自分の部屋に戻ると美奈が学習した単語番号の単語をまっさらの紙にひたすら書き写した。
 次の日の午前10時、京介は美奈の部屋に行くと、「突然だが、今から抜き打ちテストをする。」美奈は状況が飲み込めず、ただ唖然としている。
固まってしまった美奈に「お~い。大丈夫か?」と京介が話しかけると、美奈はふと我に返った。「抜き打ちテストを今からするってなんで?事前に予告しておいてよ。」美奈は文句をひたすら京介にぶつけている。「抜き打ちテストっていうのは予告なしでするものなんだよ。だいたい、事前に予告したら一夜漬けみたいな感じで勉強するだろ。それは、一時的に覚えてるかもしれないけど、すぐに忘れる。急にやることでしっかりと自分のものにできているか、しっかりとチェックできるんだよ。」京介は机に裏返した答案用紙兼問題用紙を置くとタイマーをポケットから取り出した。「んじゃ、始めるぞ。制限時間は、とりあえず10分だ。」京介が美奈を急かすと急いで筆記用具を準備した。京介のよーいスタートという合図で美奈は解答を始めた。問題は50問ある。範囲の中の単語のうち英訳と和訳のどちらかが出題されている。初めの方はいいペースで解答できていたのだが、後半になるにつれて
空欄を埋められない状態が続いている。
美奈は早く解かないといけないと思いつい焦ってしまった。しかし、焦ると余計に集中できない。すると、ピピピーッとタイマーの音が部屋中に響いた。
「そこまで。」京介は合図をするとすぐに答案用紙を回収した。美奈は採点途中もドキドキが止まらなかった。
美奈は昔から些細なことでも心配してしまう。よく言えば、どんな些細なことでも蔑ろにしない、悪く言えば、度が過ぎた心配性なのだ。
そして、単語帳を美奈に返して「間違えたもの、わからなかったものを学習するにはテストが終わってすぐが一番いいんだ。いわば、ゴールデンタイムだ。今から採点する。その間自分のものにできていなかった単語を復習しておいて。」と指示すると自分の部屋に戻っていった。
美奈は、自分の出来栄えがあまりにも良くなかったのでひどく落ち込んでいたが、すぐに頭を切り替えて復習に勤しんだ。
数分後、答案用紙を持った京介が戻ってきた。「50点満点のうち自分は何点取れていると思う?」と美奈に聞いたが、「全然わからなかったから、10点くらい?」と弱気な姿勢だった。
京介はフッと鼻で笑うと「残念。違うな。」と言いながら、答案用紙を裏返した状態で美奈の前に置いた。美奈は恐る恐る答案用紙を見た。すると『20』という結果が赤ペンで書かれているのが見えた。「私の予想よりも高い!」京介は嬉しそうな美奈に「50点満点なんだから、せめて半分の25点はとって欲しかったけどな。」と釘を刺した。
美奈はすみませんと謝りながらもやはり嬉しそうだ。京介はそんな美奈を見て少し微笑んだ。

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