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まだあった
しおりを挟む「出たか?」
「……は?」
「ウンコだよ。ゲイリ――ぃってぇ……何すんだよ吾妻。いきなり頭叩くなよ」
「糞なら離陸前に済ました。残りカスも出やしねぇよ」
座席に戻って早々、津田のくだらなく汚い話を聞かされた吾妻は、苛立ちをついつい手の平に乗せてしまう。
「俺がトイレに行ったのは、津田、お前が原因だろうが」
「あ、何だ。拳銃の方ね、はいはい。ん」
「……なんだよ、その手は」
「いや、だから取り戻してきたんだろ? やっぱりホルスターにしまっとかないと、安心感なくてさ。短い付き合いだけど、俺とそいつはもう相棒みたいな。だから吾妻が取り返してきたそれを、返してもらおうかなって。取ってきたんだろ? 拳銃。……あれ? にしては吾妻、冴えない顔だな」
「……珍しくお前の方が冴えてるぞ。よかったな」
「え? おいおい、まさかぁ。……冗談だよな? 俺に持たせておきたくないからって、吾妻は意地悪してんだよな?」
「チッ……なかったんだよ」
「え? 今なんて――?」
「拳銃、どこにもなかったんだよ。トイレから消えちまってたんだ」
「嘘!? ちゃんと確認したのか!?」
「したよ。隅から隅まで全部」
「だったらあるはずだぞ!?」
「……多分、俺の前にあのトイレに入った乗客だ。津田が拳銃を隠してからあのトイレに入ったのはその男だけだったし、ハイジャックの最中、本物の拳銃を見つけて思わず手にしたんだろう。特に野郎はトイレに行く前にハイジャック犯を怒鳴りつけていた。反抗心の強い人間なら、目の前の有効的な武器を見逃すはずもないからな」
「野郎……俺の拳銃勝手に盗みやがって。いくらそこに置いてあったからって、人のものを勝手に盗ったら、泥棒だぞそれは」
強盗に泥棒扱いされる男はきっと、ろくでもない人間なのだろう。
でも、ろくでもない男だからこそ、拳銃を発見して直ぐに他の乗客へ相談して拳銃の存在を明るみにしないでいてくれたのだろう。
とことんややこしくなる事態に吾妻は頭を抱えつつも、座席後方を振り返って、拳銃を持ち去ったと思われる男を確認し、男が拳銃を振り回したりコックピットへ乗り込む素振りがないことを確認すると、吾妻は緩やかに口を開く。
「……こうなれば仕方がない。取り返そうとすると猶更危険だ。あの厄介な拳銃は、いっそのこと、このまま野郎に持っていてもらうとしよう」
◇◇
意を決して立ち上がった佐賀男は、銃口をどちらの敵に向けようか悩みつつ、やはり妻も愛人も流石に殺せないと判断して、仕方なくハイジャック犯に向けて翳す。
『この機内で武器を持つのがお前たちだけだと思うな! お前たちの計画は、ここで終わりだ!!』
まずは金髪の男を無力化し、そしてコックピットに乗り込んで、機体を制圧する犯人を一掃。佐賀男は浮気男から一転、乗客乗員の命を救ったヒーローに立場が変わる。そうなれば浮気での些細な揉め事どころか、ファンだなんて言い出す女の子が現れて、これからの人生はとっかえひっかえ女遊びを――。
「……それは流石に無茶だよなぁ」
脳内シミュレーションが、行き過ぎた妄想に変わり始めたところで、佐賀男は首を振って現実に戻った。
ハリウッドスター級のマッチョマンじゃあるまいし、流石にハイジャックされた旅客機に乗り合わせただけの客室乗務員とのSEXは出来過ぎかな。などと、拳銃をどう扱うかが、どうやって女を口説き落とすかに変わってしまう自らの思考回路に、自分という浅はかな人間を知りつつ、佐賀男は身分不相応な重たすぎる武器に、後悔を始めていた。
佐賀男は所詮、愛人を作るくらいが人生最大の冒険として丁度良く楽しめる、平凡な男。人を殺めるための武器は荷が重く、凶悪なハイジャック犯と戦うには力不足だ。それにトイレではハイになって細かいことに気が回らなかったが、もし無事に着陸して解放されたとき、拳銃を何故所持しているかなど、警察にどうやって説明すればいいのだろうか。もしかするとハイジャック犯の仲間ではないかと疑われてしまうのではないだろうかと、拳銃にべたべたと指紋を付けてしまったことを後悔しつつ、手足から血の気が引かれる思いだ。
一方、佐賀男にとって妻としては不出来で、本当に気が利かない女である松代は、今の佐賀男が本当は何に苦しんでいるのかなど全く気付く様子もなく、話しかけても反応が鈍くて謝罪の言葉も窺えない佐賀男に、最終兵器である夫婦の溝を決定的にする言葉を叩き付けた。
「……わかりました。あなたのがそんな態度でいるのなら、弁解の言葉も聞く必要がありませんね。もう離婚です、あなたとはやっていけません」
「やった! ありがと、おば様」
それに反応して喜ぶのは琴美。
佐賀男はというと、ボーっとして松代の言葉が頭の中まで届いてこない。
「子供たちも立派に成人しているので親権などはともかく、あなたにお金の面で情けを得ようとする権利があると思わないでくださいよ」
「ああ……もう好きにしろよ。……どっちでもいいいよ、そんなことは……」
「……そうやってまたあなたは適当に頷くんですね。私は、あなたの無関心で人任せなところが大嫌いだったんですよ。いっつもいっつもそうやって適当に――」
「うるせえなァ! さっきからずっと喋り続けやがって、少しは黙ってろよババア!!」
「ぷぷぷっ、二度目のババア。残念、おば様」
「琴美、いい加減お前も口閉じてろ。鬱陶しいんだよ。可愛かったら何でも許されると思うなよ。……俺は今、それどころじゃないんだからな」
本心を隠す余裕のない佐賀男の振る舞いに、琴美からも不満の表情が返ってきた。
きっともう暫くは、うるさい女と鬱陶しい女に挟まれて、各々の想いや身勝手な主張を聞かされ続けるのだろうが、如何せん引き金の引けない拳銃ではその問題は解決できず、佐賀男の中では色々な後悔が、渦潮よりもハリケーンよりも、巨大な円を描きながら駆け巡ることだろう。
結局は耐え忍ぶしかないのだ。人生も結婚も同じ、必要なのは忍耐力。佐賀男はそうやって生きてきた。
けれど……我慢の限界に到達したとき、人間は一体どうなってしまうのだろう。
今日の佐賀男は、自分が耐えられると想定していた限界点をとっくに越えてしまっている。
◇◇
拳銃を持っていった思われる男の座席付近は随分騒がしくはあるが、ハイジャック犯への敵対行動を起こすつもりはどうやらないらしい。
漏れ聞こえてくる話し声から察するに、修羅場の真っ最中らしい間抜けな浮気男は、立ち上がる気配すらなく、両側に座る妻と愛人の口撃に曝されていた。
浮気男がそのまま拳銃を隠し持っているのなら、吾妻としてはそれでも構わない。
「頼むぞ……頼むから、大人しくしてろよ」
第三者の手に拳銃が渡ることは望ましくなかったが、自分たちが手にしているよりは、もしかすると多少ましなのかもしれない。浮気男が津田の拳銃を握り締め、一度も使わずに隠し持っていてくれればありがたく、なんならそれを機内に持ちこんだ罪も被ってくれれば尚のこと良し。最悪、浮気男も拳銃のことはハイジャック犯の所為にでもするだろう。そうなれば吾妻の思惑通り。工程が違えど得られる結果は同じだ。
あとは無事飛行機が着陸して、例の二億を一円たりとも手放すことなく、とんずらできることを願うばかりだ。この調子だとホノルルには行けそうにもないが、成田に戻るのなら別の便のチケットでも取ればいい。今度はもっと近場で、簡単に賄賂の通用する物価の安い国にでも高飛びするとしよう。
ようやく何とかなりそうだと一息ついた吾妻の顔に、津田の影が被る。
何を思い出したのか急に立ち上がった津田は、座席上部の荷物棚にしまった手荷物の鞄を、棚に手を突っ込んでごそごそと怪しく漁っていたのだ。
まさか、現金のたっぷり入った鞄の様子でも確かめたくなったのだろうか。現金に足が生えて動き回り、手が生えて新たな問題を持ち込むわけじゃあるまいし、今ここで態々確認する必要はないだろう。吾妻は津田に目線で早く座れと指示を送るが、鞄を漁る津田は合図にちっとも気が付かない。
鞄を下ろさずに棚に手だけを突っ込む津田は、往来の邪魔で、やがて通路を歩いてきた一人の客室乗務員に声をかけられる。
「どうかなさいましたか?」
どこぞの不真面目女とは違って、こんな状況でもしっかりと業務をこなす客室乗務員のお姉さんは、ハイジャックという危機を感じさせない穏やかな微笑みを津田に向けたのだが、津田ときたら童貞の中学生みたいにきょどりつつ、エロ本でも隠すように勢いよく鞄から手を引っこ抜くと、何かを掴んでいた右手を直ぐに懐へと隠し、慌てて棚の扉を閉める。
「ははは、ちょっと荷物の中にちり紙をね……ほんと、なんでもありませんから、へへへ」
津田のぎこちない笑顔と挙動不審な態度に、客室乗務員のお姉さんも疑問を感じたらしいが、乗客一人に構ってばかりもいられないのか、それ以上は津田に話しかけることなく再び自分の業務へと戻った。
吾妻は、珍しく冷や汗なんてものを掻きながら座席に戻る津田に窺う。
「津田、お前さっき何を隠した?」
「……あ、気付いてた?」
「当たり前だ。流石に露骨すぎるぞ」
「あの……わ、悪い……拳銃だけどさ――」
「意外だな。トイレに隠した拳銃のことまだ気にしてんのか? 無神経なお前らしくもない。あれはもういいよ、気にするな。拳銃なら俺たちの手元から勝手に遠ざかったんだ。寧ろよかったじゃないか。あとはあの浮気男が拳銃を使わないことを祈るだけだが……まあハイジャック犯がこの調子じゃ黙っていても事件は終息しそうだし、拳銃を持ち去った浮気男も躊躇って簡単には使えないだろう」
「いやぁ……それじゃなくって……だな。あのな……」
「歯切れが悪いな……。それ以上やられると、本気で腹が立つからさっさと話せ」
「……吾妻がそこまで言うのなら、いっそのことはっきりと言うぞ? ……拳銃を機内に持ち込む際に、万が一にも逃亡先でやばくなったら、流石に拳銃一丁じゃ心許ないな、吾妻の分も必要かな……と、俺は思ったわけだ」
「ああ」
「……だから拳銃はもう一丁あるんだ。……すっかり忘れてたけど」
「何ィッ!?」
「ちょ、吾妻、あんまり怒るなよ。怒りは視野を狭めて早死にするぞ。自らの命を守るために、はい、この吾妻の分の拳銃をどうぞ」
「要るかッ!」
津田が懐から取り出そうとした拳銃を、津田の腕ごと押し返す。
吾妻が確認しただけでも、機内には最低三丁の拳銃が、それも別々の人間の手にある。更に金髪の男の仲間であるアナウンスをしていたハイジャック犯が仮にもう一丁拳銃を持っているとすれば、合計四丁もの拳銃が機内に存在することになる。
コックピットの制圧どころが、小さな銃撃戦でも起こせる数だ。
機内で唯一、この異常事態に気が付いた吾妻は頭を抱えると、ようやくハイジャックの人質らしく小さく呟いた。
「もうこうなっちまったらこの旅客機、いつ落ちても不思議じゃねえぞ……」
◇◇
育矢がコックピットに戻って直ぐ、その目に飛び込んできたのは、進まない交渉に苛立つ兄の姿だった。
「――身代金? そんなもの誰が頼んだ。馬鹿にしやがって……謝罪がないのなら、もうお前たちと交渉する意味もない。交渉決裂だ。この場であの男を殺してやる。悪人になる覚悟ならとっくに決めてるんだからな。……成田で待ってろ。野郎を殺せば、乗客はそこで開放されるだろう」
警察相手に強気の口調を崩さない初司。彼ら兄弟がハイジャックを起こした目的は、警察組織との対等な交渉を望んだことが要因の一つにある。誰にも手出しさせないこの空間こそが、目的遂行には打って付けで、警察も弱腰にならざるを得ないと踏んだからだ。
けれど、考えの一つは誤りだった。警察は育矢たちの考えていたよりも遥かに愚からしい。
「次に会うのは成田か地獄か……精々楽しみにしておけ」
凶兆を仄めかせる初司は、警察との交渉を一方的に打ち切ると、育矢の方を振り返る。
「……おい、お前はパイロットを見張ってろ」
そう告げると、初司は爆弾の遠隔起爆装置を育矢に手渡した。
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