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第10章 結婚するまで帰れません!?
7 帰還のとき
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ブラダマンテとロジェロの「婚約式」から40日後。
とうとう本番の結婚式が催された。
ブラダマンテの属するクレルモン公爵家だけでなく、国王のシャルルマーニュも取り仕切っての盛大なものとなった。
婚約式の時に祝辞に来た面々も参列したが、お忍びでこっそりアグラマン大王も見に来ていたのを、ブラダマンテは見逃さなかった。
やる事はほぼ、40日前のリハーサルの繰り返しだ。
新郎ロジェロと新婦ブラダマンテは特段、目新しい事をやるのではなかったが――
「じゃあ……遠慮なく行くぞ。アストルフォ殿!」
「勿論構わないさ! ばっちこーい!」
結婚式が終わり、バージンロードを歩いて戻った先で待っていたのは、ロクでもない光景だった。
ロジェロの妹マルフィサが、イングランド王子アストルフォに対し、強烈な平手打ちをブチかましていたのだ。
「あろほげごぎゃあッ!?」
アストルフォは情けない悲鳴を上げ、首がねじ切れたのでは? と錯覚するほどきりもみ回転して吹っ飛び――そこら辺の家屋に頭から突っ込んでいた。
「何やってんだマルフィサ!?」
洒落にならなすぎる事態に、思わずロジェロは悲鳴に近い声を上げた。
「何って……結婚式が終わった後の立会人としての義務だが」
「なん……だと……」
中世結婚式において立会人は、今日という日を記憶に深く刻み込む為に――互いにビンタしたり殴り合ったりする、冗談みたいな習慣が存在した。「痛くなければ覚えない」とは言うが……
「さあ、今度はアストルフォ殿の番だ! 力の限りあたしをブン殴ってくれ!」
「殴るどころか、お前の一撃で意識不明の重体じゃないか? コレ」
「そんな馬鹿な……手加減したのにッ!」
「手加減してアレかよ! クソ馬鹿力すぎんだろ妹!」
相変わらずの怪力ぶりを発揮した女傑殿であったが。
立ち直りだけは早いアストルフォは、左頬を真っ赤に腫らしながらもヨロヨロと立ち上がって笑顔を見せた。屋根に突っ込んだ衝撃で頭から少々流血し、歯も一本欠けていたが特に何も言うまい。
**********
結婚式の後に行われる特別なミサ(聖体祭儀)を経て、今度こそブラダマンテとロジェロは正式に結ばれた。
幸せの絶頂の瞬間。ブラダマンテに宿る魂・司藤アイも、ロジェロに宿る魂・黒崎八式も。このまま新婚生活が始まるのではないかと錯覚するほど自然な雰囲気だった――ところが。
空は奇妙なセピア色となり、パリの街のたたずまいもモノクロ写真のように色が抜け落ちている。
そしてどこからともなく聞こえてくる――紙が裂けるような音。初めは小さく、段々と大きく。際限なく繰り返されていく。
「これって……!?」
「本当に――終わっちまう、のか」
否が応にも、この世界の人々は認識せざるを得なかった。
自分たちが物語の住人であり、本の上の黒インクの存在に過ぎないという事を。
魔本世界の終焉が、足音を立てて迫っていた。
「お別れだね――我が友ロジェロ。ブラダマンテ」
アストルフォは達観した表情のまま、薄く笑んだ。
(今でこそボクは、大勢の人々に囲まれるようになったが――若い頃から蔑まれ、嘲笑われて生きてきた。
手柄を立てても、王国の危機を救っても……本当の意味でボクを友人として受け入れてくれた人はいなかった。ロジェロ――キミを除いては)
アストルフォの脳裏に去来する、ロジェロとの冒険の数々。
世界各地を回り、時には失敗もしたが――今思い返しても、楽しかった。
(最初の内は邪険にされていたけど、それでもボクの恩人はキミだった。
悪態をつきつつも、決してボクを見捨てなかった。望めば必ず応じてくれた。
それも王子だとか金持ちだとか、軟弱者だとかの色眼鏡を通してじゃない。等身大の人間として――ボクと接してくれた。苦楽を共にしてくれた)
「キミに出会えて――本当に良かった。
ボクは忘れない。たとえボクという存在が消滅して、キミがボクを忘れ去ったとしても」
「何カッコイイ事言ってんだ! オレが忘れちまう前提で話してんじゃねえッ!」
黒崎も叫び返した。
アイにはその表情は見えなかったが――きっと彼も、今の顔を自分に見られたくないと思っているだろう。
「オレだって忘れねえ! もちろん司藤もだ! 絶対に――忘れたくねえッ!」
「……ありがとう。その言葉が聞けて満足だよ」
もう一方。アイの前でも――尼僧メリッサが微笑んで言った。
「本当にありがとうございます、ブラダマンテ。
『月』世界で覚悟を決めた時は……お二人の幸せな姿を拝めるなんて、思ってもみませんでしたわ」
「こちらこそありがとう、メリッサ。今までずっと……助けてくれて。
あ、そうだ。結局先延ばしにしちゃってたけど、約束……!」
もう二度と会えなくなる上、記憶から消えてしまうかもしれない。
そう考えたらアイは、女同士だろうが何だろうが最後の思い出となるなら望みを叶えてやりたくなった。無論その気がある訳ではないが――
「ブラダマンテが本気で、私を愛して下さっているのでしたら……お受けしても、よかったのですが」
メリッサは冗談めかして、悪戯っぽく舌を出す。
「貴女が心の底から望んでの口づけは――意中の殿方との時の為に取っておくべきですわ」
「ちょっと……何、最後の最後で……マトモな事言ってるのよ……!
いっつもセクハラばかりやってる、あの元気で無邪気な変態尼僧はどこに行ったの……!?」
アイも自分で何を言っているのか分からなくなっているようだ。
目尻に涙の雫を浮かべ、微笑みかけるメリッサに手を伸ばそうとした。
そんな彼女を阻むかのように――びしり、と世界に亀裂が生じる。
景色は色褪せ続け、無数の引き裂く音と共にバラバラになっていく。
ひび割れた世界の隙間から、目も眩むほどの強烈な光がほとばしり、全てを覆い尽くした。
最後の最後で、アイや黒崎、アストルフォやメリッサ達が何の言葉を交わそうとしたのか。
それらは全てかき消され、世界に満ちた輝きが何もかもを飲み込んで――
そして、消えた。
**********
司藤アイと黒崎八式は、大学の講師室で目を覚ました。
姿はすでに、懐かしき現実世界の――セーラー服と私服である。
本当に戻って来れたのだ。
長い長い、魔本世界での冒険。生きて二度と戻れる保証もない、危険極まりない厄介な牢獄から。二人は無事に生還する事ができた。
だが……達成感にはほど遠い。
部屋の中には二人だけ。散々連絡を取り合った下田三郎教授の姿もない。
ほぼ同時に目を覚まし、顔を見合わせたアイと黒崎は――帰ってきた喜びに浸る事もできず、泣いた。ただひたすらに、大声を上げて泣き叫び続けた。
思い出せなかった。
何が起きていたのか。長い夢から醒めたように記憶は朧げで、時が経つにつれ霞のように掴み所なく消えていくのだろう。
忘れるべきではない、とても大切な「何か」を――失ってしまった。
二人は魂の奥底でそれを理解していたからこそ、涙が止まらなかったのである。
(第10章 了)
とうとう本番の結婚式が催された。
ブラダマンテの属するクレルモン公爵家だけでなく、国王のシャルルマーニュも取り仕切っての盛大なものとなった。
婚約式の時に祝辞に来た面々も参列したが、お忍びでこっそりアグラマン大王も見に来ていたのを、ブラダマンテは見逃さなかった。
やる事はほぼ、40日前のリハーサルの繰り返しだ。
新郎ロジェロと新婦ブラダマンテは特段、目新しい事をやるのではなかったが――
「じゃあ……遠慮なく行くぞ。アストルフォ殿!」
「勿論構わないさ! ばっちこーい!」
結婚式が終わり、バージンロードを歩いて戻った先で待っていたのは、ロクでもない光景だった。
ロジェロの妹マルフィサが、イングランド王子アストルフォに対し、強烈な平手打ちをブチかましていたのだ。
「あろほげごぎゃあッ!?」
アストルフォは情けない悲鳴を上げ、首がねじ切れたのでは? と錯覚するほどきりもみ回転して吹っ飛び――そこら辺の家屋に頭から突っ込んでいた。
「何やってんだマルフィサ!?」
洒落にならなすぎる事態に、思わずロジェロは悲鳴に近い声を上げた。
「何って……結婚式が終わった後の立会人としての義務だが」
「なん……だと……」
中世結婚式において立会人は、今日という日を記憶に深く刻み込む為に――互いにビンタしたり殴り合ったりする、冗談みたいな習慣が存在した。「痛くなければ覚えない」とは言うが……
「さあ、今度はアストルフォ殿の番だ! 力の限りあたしをブン殴ってくれ!」
「殴るどころか、お前の一撃で意識不明の重体じゃないか? コレ」
「そんな馬鹿な……手加減したのにッ!」
「手加減してアレかよ! クソ馬鹿力すぎんだろ妹!」
相変わらずの怪力ぶりを発揮した女傑殿であったが。
立ち直りだけは早いアストルフォは、左頬を真っ赤に腫らしながらもヨロヨロと立ち上がって笑顔を見せた。屋根に突っ込んだ衝撃で頭から少々流血し、歯も一本欠けていたが特に何も言うまい。
**********
結婚式の後に行われる特別なミサ(聖体祭儀)を経て、今度こそブラダマンテとロジェロは正式に結ばれた。
幸せの絶頂の瞬間。ブラダマンテに宿る魂・司藤アイも、ロジェロに宿る魂・黒崎八式も。このまま新婚生活が始まるのではないかと錯覚するほど自然な雰囲気だった――ところが。
空は奇妙なセピア色となり、パリの街のたたずまいもモノクロ写真のように色が抜け落ちている。
そしてどこからともなく聞こえてくる――紙が裂けるような音。初めは小さく、段々と大きく。際限なく繰り返されていく。
「これって……!?」
「本当に――終わっちまう、のか」
否が応にも、この世界の人々は認識せざるを得なかった。
自分たちが物語の住人であり、本の上の黒インクの存在に過ぎないという事を。
魔本世界の終焉が、足音を立てて迫っていた。
「お別れだね――我が友ロジェロ。ブラダマンテ」
アストルフォは達観した表情のまま、薄く笑んだ。
(今でこそボクは、大勢の人々に囲まれるようになったが――若い頃から蔑まれ、嘲笑われて生きてきた。
手柄を立てても、王国の危機を救っても……本当の意味でボクを友人として受け入れてくれた人はいなかった。ロジェロ――キミを除いては)
アストルフォの脳裏に去来する、ロジェロとの冒険の数々。
世界各地を回り、時には失敗もしたが――今思い返しても、楽しかった。
(最初の内は邪険にされていたけど、それでもボクの恩人はキミだった。
悪態をつきつつも、決してボクを見捨てなかった。望めば必ず応じてくれた。
それも王子だとか金持ちだとか、軟弱者だとかの色眼鏡を通してじゃない。等身大の人間として――ボクと接してくれた。苦楽を共にしてくれた)
「キミに出会えて――本当に良かった。
ボクは忘れない。たとえボクという存在が消滅して、キミがボクを忘れ去ったとしても」
「何カッコイイ事言ってんだ! オレが忘れちまう前提で話してんじゃねえッ!」
黒崎も叫び返した。
アイにはその表情は見えなかったが――きっと彼も、今の顔を自分に見られたくないと思っているだろう。
「オレだって忘れねえ! もちろん司藤もだ! 絶対に――忘れたくねえッ!」
「……ありがとう。その言葉が聞けて満足だよ」
もう一方。アイの前でも――尼僧メリッサが微笑んで言った。
「本当にありがとうございます、ブラダマンテ。
『月』世界で覚悟を決めた時は……お二人の幸せな姿を拝めるなんて、思ってもみませんでしたわ」
「こちらこそありがとう、メリッサ。今までずっと……助けてくれて。
あ、そうだ。結局先延ばしにしちゃってたけど、約束……!」
もう二度と会えなくなる上、記憶から消えてしまうかもしれない。
そう考えたらアイは、女同士だろうが何だろうが最後の思い出となるなら望みを叶えてやりたくなった。無論その気がある訳ではないが――
「ブラダマンテが本気で、私を愛して下さっているのでしたら……お受けしても、よかったのですが」
メリッサは冗談めかして、悪戯っぽく舌を出す。
「貴女が心の底から望んでの口づけは――意中の殿方との時の為に取っておくべきですわ」
「ちょっと……何、最後の最後で……マトモな事言ってるのよ……!
いっつもセクハラばかりやってる、あの元気で無邪気な変態尼僧はどこに行ったの……!?」
アイも自分で何を言っているのか分からなくなっているようだ。
目尻に涙の雫を浮かべ、微笑みかけるメリッサに手を伸ばそうとした。
そんな彼女を阻むかのように――びしり、と世界に亀裂が生じる。
景色は色褪せ続け、無数の引き裂く音と共にバラバラになっていく。
ひび割れた世界の隙間から、目も眩むほどの強烈な光がほとばしり、全てを覆い尽くした。
最後の最後で、アイや黒崎、アストルフォやメリッサ達が何の言葉を交わそうとしたのか。
それらは全てかき消され、世界に満ちた輝きが何もかもを飲み込んで――
そして、消えた。
**********
司藤アイと黒崎八式は、大学の講師室で目を覚ました。
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本当に戻って来れたのだ。
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だが……達成感にはほど遠い。
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ほぼ同時に目を覚まし、顔を見合わせたアイと黒崎は――帰ってきた喜びに浸る事もできず、泣いた。ただひたすらに、大声を上げて泣き叫び続けた。
思い出せなかった。
何が起きていたのか。長い夢から醒めたように記憶は朧げで、時が経つにつれ霞のように掴み所なく消えていくのだろう。
忘れるべきではない、とても大切な「何か」を――失ってしまった。
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