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第6章 アストルフォ月へ行く
11 記憶の旅・アストルフォ編
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その日の夜。ブラダマンテ達はタナ湖の豪奢な宮殿にて就寝した。
「聖ヨハネ」の予言通り、四人は過去の記憶世界「月」へと旅立つ事となった。
**********
イングランド王子アストルフォは、まどろみの中で夢を見た。
聖ヨハネの先輩に当たる、楽園の長エノク(カインの子)やエリア(ヘブライの預言者)と共に、火のような毛並みをした馬四頭立ての二輪戦車に乗り込んだ。
「ロジェロ君やブラダマンテはどうしたんだい?」
「案ずるな。まずは月にて、己が記憶の旅をせねばならぬ」
聖ヨハネが言った。
「そなたとて、過去の恥や失敗を他の者に見られたくなどあるまい?
心配せずとも、己の記憶の旅が終われば皆、じきに合流できる」
伝説の聖者にそこまで言われれば、アストルフォとて「それもそうか」と頷く他はない。
かくして火の色をした戦車は地上を旅立ち、夜空に浮かぶ満月へとひた走った。途中「永遠なる火の圏」(註:大気圏のこと)を抜ける事になったが、聖ヨハネの張った障壁により事なきを得たのだった。
**********
「月」の世界は空が暗い以外は、驚くほど清浄そうな世界であったが。
よくよく見れば、地上には種々雑多なガラクタのようなものが転がっている。
聖ヨハネが言うには、過去の人類が成し遂げようとして忘れ去られた数々の野望や思い出、恋や栄光といった類のものであるらしい。
「ええっと、ボクの記憶は――っと」
アストルフォはうず高く積まれた記憶の欠片の中から、自分の心に最も引き寄せられるモノを見つけ出した。
蘇るイングランド王子の過去は――控え目に言ってもロクなものではなかった。
麗しき見てくれと実家の金に飽かせた派手な装備のみが取り柄の、フランク最弱の騎士と揶揄されたアストルフォ。同じ仲間であるフランク騎士たちからも侮蔑の目で見られ、屈辱的な待遇に甘んじていた。
「おうアストルフォ。パン買ってきてくれよ!」
「色男はいいよなぁ。いくら弱くて一騎打ちにボロ負けしても女漁りには困らねえんだからな!」
能天気な彼も、不遇な扱いが長年続いた事で鬱屈していた。
事実、セリカン王グラダッソとの一騎打ちに勝利した時、彼と結託してシャルルマーニュの配下をしばらく捕虜にしたままからかっていた事がある。
(あの頃はボクも若かったなぁ。グラダッソに勝てた事で、ボクを見る周囲の目は少しはマシになったけれど)
ある日、アストルフォはムーア人(註:スペインのイスラム教徒)の騎士フロリマールとその恋人フロルドリに遭遇した。フロルドリの美しさに一目惚れしたアストルフォは、フロリマールに彼女を賭けて決闘を挑んだ。
当時のアストルフォは絶対に一騎打ちに勝てる「黄金の槍」を持っていた。当然ながらアストルフォは勝利する。
すると突然、フロリマールは絶望の表情のまま自ら命を絶とうとした。
「ちょっ……!? いきなり何をしてるんだいフロリマール!?」
「負けてしまった……フロルドリが奪われてしまう……
彼女のいない人生なんて……迷わず死を選ぶレベルですよ!?」
「待って! 早まらないで! また修業してボクより強くなって取り返せばいいじゃないか――」
慌てて制止するアストルフォが、チラリと横目でフロルドリを見ると――彼女もまた思い詰めた表情をしていた。
「そんなこれはきっと夢よあたしのフロリマールが負けてしまうなんてこれから先どうすればいいのフロリマールの妻じゃないあたしとか想像もつかないっていうか有り得ないっていうかこんなの絶対おかしいよって誰もがきっと思うわよねいっそこのままナイフで首を掻っ切って美しいまま人生終了も悪くないかなーあははは」
「分かった! 悪かった! 冗談だよ二人とも!?
ボクは自分の名誉のために戦っただけで、愛する二人を引き裂くつもりなんて、これっぽっちも無かったからァ!?」
アストルフォの苦し紛れの言い訳に、二人が救われたような表情を浮かべ、結果キリスト教に改宗してしまったのはご愛敬。
(あの時もヒドイ目に遭った――すでに恋人がいる女性に声をかける時は気をつけなきゃなあ)
ある時、オルランドを逃がすためにフロリマールが代わりに捕虜となる事件があった。
フロリマールを捕えた敵将がオルランドの顔を知らなかったのをいい事に、「僕がオルランドだ」と主張した時の事だった。そこにアストルフォが到着。
「どうしたんだいフロリマール。こんな所でオルランドの名前を騙るなんて!」
「ちょっ……アストルフォさん! 僕はオルランドを逃がす為にですね……!」
「顔色が真っ青だよフロリマール! 大丈夫かいフロリマール! そんなこの世の終わりみたいな顔してたら、恋人のフロルドリもきっと悲しむよフロリマール!」
「いい加減にしやがれこのアフォがああああ!?」
普段温厚なフロリマールがブチ切れた貴重な瞬間である。
その後も様々な記憶が現れては消えていく。後先考えず無謀な突撃を繰り返した事も数知れず。魔法の槍で活躍できた事もあれば、多勢に無勢で力及ばず捕えられてしまった事もあった。
(アンジェリカの虜囚になって、特別に可愛がられてしまった時も苦労したなぁ。
あの後出会ったインドの王女マルフィサは美しかったが、抱擁のやり方を教えた途端ボクが死にかけたっけ)
時には生死の瀬戸際もあったが、今となってはいい思い出だ。
それから悪徳の魔女アルシナの虜となり、ロジェロと出会い――彼と共に、大勢の騎士と旅して大冒険を繰り広げる。語り尽くすには百万の文言が必要な、溢れんばかりの充実した記憶だった。
今地上では、最強騎士オルランドが正気を失い暴れ狂っているという。
親友たる彼を救うのも勿論だし、エチオピア王セナプスの盲目を治す薬も欲しいところであるが。
アストルフォの今一番の気がかりは、ブラダマンテとロジェロの事であった。
(二人は一体どうしてしまったんだろう?
今までだって、互いを憎からず思っていたのはボクでも分かる。
でもエチオピアの王都で再会した時と、山に登ってからとじゃ、明らかに態度が変わってしまった)
尼僧メリッサですら、彼らの急激な変化に身構えていたが。
当の二人はそれに気づいて欲しそうではなかった。だからアストルフォは平静を装った。
(二人の問題は、二人で解決するべきだが――もしボクにできるなら。
ほんのささやかでもいい、二人のわだかまりを解きほぐす力になりたい)
記憶の旅を進め、彼らの行く末に思いを馳せていると――アストルフォの手には、いつの間にか大きな瓶が握られていた。
瓶のラベルには「アストルフォの心」と書かれている。瓶の中身はほぼいっぱいに満たされていた。
(……これは、ボクの心なのか? 理性とか、思慮分別を意味する……
この瓶が月に転がっていたって事は――今までボクはこういう心をほとんど持ち合わせていなかったって事!?)
このくだり、原典にも存在する。
人間という生き物は、えてして理性や思慮分別を軽んじる傾向にある。「そんなものはいつだって持っている」と高をくくっている。
しかし実際は、私欲に目が眩んだり、怒りに身を任せる事で理性や分別は容易に失われてしまう。正気を保つというのは簡単なようでいて難しい行為なのだ。
という教訓がこの逸話には込められているのだが、ことアストルフォに関しては「まあアストルフォだしな」で片づいてしまいそうである。
ともあれアストルフォは瓶の中身を目いっぱい吸い込んだ。サラサラと希薄な味がした。
「聖ヨハネ」の予言通り、四人は過去の記憶世界「月」へと旅立つ事となった。
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イングランド王子アストルフォは、まどろみの中で夢を見た。
聖ヨハネの先輩に当たる、楽園の長エノク(カインの子)やエリア(ヘブライの預言者)と共に、火のような毛並みをした馬四頭立ての二輪戦車に乗り込んだ。
「ロジェロ君やブラダマンテはどうしたんだい?」
「案ずるな。まずは月にて、己が記憶の旅をせねばならぬ」
聖ヨハネが言った。
「そなたとて、過去の恥や失敗を他の者に見られたくなどあるまい?
心配せずとも、己の記憶の旅が終われば皆、じきに合流できる」
伝説の聖者にそこまで言われれば、アストルフォとて「それもそうか」と頷く他はない。
かくして火の色をした戦車は地上を旅立ち、夜空に浮かぶ満月へとひた走った。途中「永遠なる火の圏」(註:大気圏のこと)を抜ける事になったが、聖ヨハネの張った障壁により事なきを得たのだった。
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「月」の世界は空が暗い以外は、驚くほど清浄そうな世界であったが。
よくよく見れば、地上には種々雑多なガラクタのようなものが転がっている。
聖ヨハネが言うには、過去の人類が成し遂げようとして忘れ去られた数々の野望や思い出、恋や栄光といった類のものであるらしい。
「ええっと、ボクの記憶は――っと」
アストルフォはうず高く積まれた記憶の欠片の中から、自分の心に最も引き寄せられるモノを見つけ出した。
蘇るイングランド王子の過去は――控え目に言ってもロクなものではなかった。
麗しき見てくれと実家の金に飽かせた派手な装備のみが取り柄の、フランク最弱の騎士と揶揄されたアストルフォ。同じ仲間であるフランク騎士たちからも侮蔑の目で見られ、屈辱的な待遇に甘んじていた。
「おうアストルフォ。パン買ってきてくれよ!」
「色男はいいよなぁ。いくら弱くて一騎打ちにボロ負けしても女漁りには困らねえんだからな!」
能天気な彼も、不遇な扱いが長年続いた事で鬱屈していた。
事実、セリカン王グラダッソとの一騎打ちに勝利した時、彼と結託してシャルルマーニュの配下をしばらく捕虜にしたままからかっていた事がある。
(あの頃はボクも若かったなぁ。グラダッソに勝てた事で、ボクを見る周囲の目は少しはマシになったけれど)
ある日、アストルフォはムーア人(註:スペインのイスラム教徒)の騎士フロリマールとその恋人フロルドリに遭遇した。フロルドリの美しさに一目惚れしたアストルフォは、フロリマールに彼女を賭けて決闘を挑んだ。
当時のアストルフォは絶対に一騎打ちに勝てる「黄金の槍」を持っていた。当然ながらアストルフォは勝利する。
すると突然、フロリマールは絶望の表情のまま自ら命を絶とうとした。
「ちょっ……!? いきなり何をしてるんだいフロリマール!?」
「負けてしまった……フロルドリが奪われてしまう……
彼女のいない人生なんて……迷わず死を選ぶレベルですよ!?」
「待って! 早まらないで! また修業してボクより強くなって取り返せばいいじゃないか――」
慌てて制止するアストルフォが、チラリと横目でフロルドリを見ると――彼女もまた思い詰めた表情をしていた。
「そんなこれはきっと夢よあたしのフロリマールが負けてしまうなんてこれから先どうすればいいのフロリマールの妻じゃないあたしとか想像もつかないっていうか有り得ないっていうかこんなの絶対おかしいよって誰もがきっと思うわよねいっそこのままナイフで首を掻っ切って美しいまま人生終了も悪くないかなーあははは」
「分かった! 悪かった! 冗談だよ二人とも!?
ボクは自分の名誉のために戦っただけで、愛する二人を引き裂くつもりなんて、これっぽっちも無かったからァ!?」
アストルフォの苦し紛れの言い訳に、二人が救われたような表情を浮かべ、結果キリスト教に改宗してしまったのはご愛敬。
(あの時もヒドイ目に遭った――すでに恋人がいる女性に声をかける時は気をつけなきゃなあ)
ある時、オルランドを逃がすためにフロリマールが代わりに捕虜となる事件があった。
フロリマールを捕えた敵将がオルランドの顔を知らなかったのをいい事に、「僕がオルランドだ」と主張した時の事だった。そこにアストルフォが到着。
「どうしたんだいフロリマール。こんな所でオルランドの名前を騙るなんて!」
「ちょっ……アストルフォさん! 僕はオルランドを逃がす為にですね……!」
「顔色が真っ青だよフロリマール! 大丈夫かいフロリマール! そんなこの世の終わりみたいな顔してたら、恋人のフロルドリもきっと悲しむよフロリマール!」
「いい加減にしやがれこのアフォがああああ!?」
普段温厚なフロリマールがブチ切れた貴重な瞬間である。
その後も様々な記憶が現れては消えていく。後先考えず無謀な突撃を繰り返した事も数知れず。魔法の槍で活躍できた事もあれば、多勢に無勢で力及ばず捕えられてしまった事もあった。
(アンジェリカの虜囚になって、特別に可愛がられてしまった時も苦労したなぁ。
あの後出会ったインドの王女マルフィサは美しかったが、抱擁のやり方を教えた途端ボクが死にかけたっけ)
時には生死の瀬戸際もあったが、今となってはいい思い出だ。
それから悪徳の魔女アルシナの虜となり、ロジェロと出会い――彼と共に、大勢の騎士と旅して大冒険を繰り広げる。語り尽くすには百万の文言が必要な、溢れんばかりの充実した記憶だった。
今地上では、最強騎士オルランドが正気を失い暴れ狂っているという。
親友たる彼を救うのも勿論だし、エチオピア王セナプスの盲目を治す薬も欲しいところであるが。
アストルフォの今一番の気がかりは、ブラダマンテとロジェロの事であった。
(二人は一体どうしてしまったんだろう?
今までだって、互いを憎からず思っていたのはボクでも分かる。
でもエチオピアの王都で再会した時と、山に登ってからとじゃ、明らかに態度が変わってしまった)
尼僧メリッサですら、彼らの急激な変化に身構えていたが。
当の二人はそれに気づいて欲しそうではなかった。だからアストルフォは平静を装った。
(二人の問題は、二人で解決するべきだが――もしボクにできるなら。
ほんのささやかでもいい、二人のわだかまりを解きほぐす力になりたい)
記憶の旅を進め、彼らの行く末に思いを馳せていると――アストルフォの手には、いつの間にか大きな瓶が握られていた。
瓶のラベルには「アストルフォの心」と書かれている。瓶の中身はほぼいっぱいに満たされていた。
(……これは、ボクの心なのか? 理性とか、思慮分別を意味する……
この瓶が月に転がっていたって事は――今までボクはこういう心をほとんど持ち合わせていなかったって事!?)
このくだり、原典にも存在する。
人間という生き物は、えてして理性や思慮分別を軽んじる傾向にある。「そんなものはいつだって持っている」と高をくくっている。
しかし実際は、私欲に目が眩んだり、怒りに身を任せる事で理性や分別は容易に失われてしまう。正気を保つというのは簡単なようでいて難しい行為なのだ。
という教訓がこの逸話には込められているのだが、ことアストルフォに関しては「まあアストルフォだしな」で片づいてしまいそうである。
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