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第7章 オルランド討伐作戦
18 ブラダマンテ、メリッサの加護に気づく
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メリッサの左手はレテ川の水に触れ、奇怪極まる激痛に苛まれていた。
熱く焼けただれるような、凍えてかじかむような。その両方の感触が同時に襲いかかる。
「あああアアアああ……ッッ!?」
「素晴らしい。素晴らしいぞメリッサ。想像以上だ。
お前の恐怖の記憶は実に鮮明で正確だ。これぞまさしくレテ川の『死の忘却』。
このまま水に浸かれば、お前の存在は遠からず消失する」
メリッサの左手は目映く輝き、黒い文字のような塊となって剥離し、川底に落ちては消えていく。
しかし――メリッサは激痛で意識を取り戻し、懐からガラス瓶を取り出した。力任せに床に叩きつける!
「! 何だそれは――」
「私が……『月』世界より持ち帰った……ガラス瓶、ですわ……
中身はッ……マラジジ様。貴方の……良心ですッ!」
ガラス瓶は砕け散り、中身の煙は満遍なくメリッサと老人にまとわりついた。
しかし老人の動きは緩まず――メリッサをさらに川に押し込もうと動く!
「なッ……!? あアッ……!」
「つくづく愚かな娘だ、裏切り者メリッサ。
『それ』を儂だと思ったのだろうが、残念ながら違う」
マラジジの冷たい声が響く。なんとこの機敏な動きをした老人すらも、魔術師の傀儡だったのだ。
まさに絶体絶命。しかしメリッサは――悲しげな表情を浮かべつつも、瞳に生気を取り戻した。
「そういう、事でしたら……遠慮は、無用ですわねッ!」
「……何ッ!?」
身体に力が戻り、今までにない瞬発力を以て尼僧は傀儡に足払いをかけた。
突然の動きに傀儡は全く対応できず、バランスを崩し川面へ足を滑らせる。先刻のメリッサと同様、全身を輝かせながら――黒い文字の塊と化して消失した。
「馬鹿な。どういう事だ、これは――どこにそんな力が?」
「無数に出現する傀儡相手に、魔力を消耗するなど愚の骨頂ですわ。
だからこそ私は、身体強化の魔術を温存していたのです」
(もっとも不意を突かれて、本当に意識を失ってしまったのは失態ですけれど。
川の水に触れた激痛が幸いしましたわ。『存在』をかなり持っていかれてしまいましたが――)
「フン。それで生命の危機は脱したようだが……だからどうだというのだ?
傀儡はまだまだおるぞ! お前の魔力がどれほど儂より優れていようが、それもいずれ尽きる」
「本当に――そうでしょうか?」
メリッサの不敵な笑みに、マラジジの余裕の声も途絶えた。
「無為に傀儡との戦いを続けて消耗していただけだと思ったのですか?
私は観察していました。マラジジ様の傀儡の術の特徴を。
ただ私を圧倒するだけなら、一気に大勢の傀儡を生み出して人海戦術で押し切ればいい。
にも関わらず、三~四体の傀儡を小出しにし、緩慢な動きに慣らした上で『俊敏な傀儡』を投入した――」
「……何が言いたいのだ?」
「マラジジ様の力では、一度の詠唱で生み出す傀儡に制限があるという事です。
そして私は、傀儡を仕留める位置を逐一ずらしながら立ち回っていました。
詠唱と、新手を投入するタイミング。それらを把握し――未だ隠れている貴方の居場所を、割り出す為に」
マラジジの詠唱が再開される。
メリッサは耳をすます。身体強化の魔術で聴力も研ぎ澄まされ――先刻までの「実験」で、魔術師の潜んでいる場所は目星がついている。
「…………『見えた』ッ! そこですわッ!!」
メリッサは目を大きく見開き、手にした黒檀の短刀を暗闇の中へ投擲した!
何もない空間に黒き刃が突き刺さる。鮮血が溢れ出し、魔術を打ち破る力を持つ短刀の影響で、透明化の術が解けた。胸から血を流し、苦悶の表情を浮かべる灰色フードの老人――魔術師マラジジはどうと仰向けに倒れ伏した。
「……ば……か、な……こんな、事が……」
マラジジは意識を失った。
短刀を胸に受けたとはいえ、急所は外れている。命に別状はないだろう。
しかし――術者の意識を奪ったにも関わらず、暗黒空間は晴れなかった。
「……どういう事、ですの……?」
逆転できたとはいえ、体力を限界近くまで消耗したメリッサの心に、疲労と焦燥が重くのしかかってきた。
**********
女騎士ブラダマンテとタタール王マンドリカルドの戦いは、予想通りマンドリカルドの矢の雨から始まった。
剣と弓では当然間合いが違う。ブラダマンテが勝つには、タタール武者の懐近くに飛び込むしかないのだ。
だが例によってマンドリカルドは、馬の機動力を利用した付かず離れずの間合いを保つ。
ブラダマンテとて馬術に劣っている訳ではない。フランク騎士の中では指折りの実力者だろう。それでも――文字通り矢継ぎ早に飛んでくるマンドリカルドの攻撃を回避しながらでは、どうしても馬の動きに差が出てしまう。
「どうしたブラダマンテ。俺様の矢が尽きるまでそうしているつもりか?
そなたにマルフィサと同等か、それ以上の体力と忍耐力が備わっているならば、それも良かろう。
もっとも俺様の見立てでは、そこまでのタフネスがあるとは思えんがな!」
「ぐッ…………!」
見透かされている。ブラダマンテは達人だが、男性に比べ飛び抜けて腕力や体力が優れている訳ではなかった。
技巧とスピード。その長所を活かすにも、現状の遠い間合いのままでは如何ともし難い。
(左肩の傷さえ無ければ……ッ!
矢をギリギリで躱し続けるには、盾がどうしても要る……
わたしはともかく、これ以上コイツの矢で馬を傷つけられる訳にはいかない!)
盾をもっと高く掲げられれば。左肩の傷の痛みのせいで、それも――
「…………あれ?」
ふとブラダマンテは、左肩の出血が止まっている事に気づいた。
盾が軽い。肩も苦もなく動かせる。先刻まで感じていた、傷の痛みが嘘のように消えていた。
(どういう、事……?)
左肩の傷だけではない。一騎打ちが始まってから、マンドリカルドの矢で受けた細かい傷もまた、出血が止まり傷が癒えつつある。いくら何でも早過ぎる。
(これって……もしか、して……)
ブラダマンテはマンドリカルドの構えに油断なく対応しつつ、急速な負傷の回復の理由を――思い至った。
今回が初めてではない。パリ攻防戦の折、アルジェリア王ロドモンに負わされた重傷もわずか三日で完治した。その時は、女騎士の治癒力が桁違いなのかと思っていたが……そうではなかった。
傷の治りには細かい差異がある。特に回復が早い箇所に――ブラダマンテは覚えがあった。
(……いつも、メリッサと再会して……抱擁してもらった時に、まさぐられた箇所だわ……!
ひょっとして……嘘ォ!? アレ、ただのセクハラじゃあなかったの……!!)
ブラダマンテの肉体は知らず知らずの内に、メリッサの治療魔術の加護を宿していたのであった。
熱く焼けただれるような、凍えてかじかむような。その両方の感触が同時に襲いかかる。
「あああアアアああ……ッッ!?」
「素晴らしい。素晴らしいぞメリッサ。想像以上だ。
お前の恐怖の記憶は実に鮮明で正確だ。これぞまさしくレテ川の『死の忘却』。
このまま水に浸かれば、お前の存在は遠からず消失する」
メリッサの左手は目映く輝き、黒い文字のような塊となって剥離し、川底に落ちては消えていく。
しかし――メリッサは激痛で意識を取り戻し、懐からガラス瓶を取り出した。力任せに床に叩きつける!
「! 何だそれは――」
「私が……『月』世界より持ち帰った……ガラス瓶、ですわ……
中身はッ……マラジジ様。貴方の……良心ですッ!」
ガラス瓶は砕け散り、中身の煙は満遍なくメリッサと老人にまとわりついた。
しかし老人の動きは緩まず――メリッサをさらに川に押し込もうと動く!
「なッ……!? あアッ……!」
「つくづく愚かな娘だ、裏切り者メリッサ。
『それ』を儂だと思ったのだろうが、残念ながら違う」
マラジジの冷たい声が響く。なんとこの機敏な動きをした老人すらも、魔術師の傀儡だったのだ。
まさに絶体絶命。しかしメリッサは――悲しげな表情を浮かべつつも、瞳に生気を取り戻した。
「そういう、事でしたら……遠慮は、無用ですわねッ!」
「……何ッ!?」
身体に力が戻り、今までにない瞬発力を以て尼僧は傀儡に足払いをかけた。
突然の動きに傀儡は全く対応できず、バランスを崩し川面へ足を滑らせる。先刻のメリッサと同様、全身を輝かせながら――黒い文字の塊と化して消失した。
「馬鹿な。どういう事だ、これは――どこにそんな力が?」
「無数に出現する傀儡相手に、魔力を消耗するなど愚の骨頂ですわ。
だからこそ私は、身体強化の魔術を温存していたのです」
(もっとも不意を突かれて、本当に意識を失ってしまったのは失態ですけれど。
川の水に触れた激痛が幸いしましたわ。『存在』をかなり持っていかれてしまいましたが――)
「フン。それで生命の危機は脱したようだが……だからどうだというのだ?
傀儡はまだまだおるぞ! お前の魔力がどれほど儂より優れていようが、それもいずれ尽きる」
「本当に――そうでしょうか?」
メリッサの不敵な笑みに、マラジジの余裕の声も途絶えた。
「無為に傀儡との戦いを続けて消耗していただけだと思ったのですか?
私は観察していました。マラジジ様の傀儡の術の特徴を。
ただ私を圧倒するだけなら、一気に大勢の傀儡を生み出して人海戦術で押し切ればいい。
にも関わらず、三~四体の傀儡を小出しにし、緩慢な動きに慣らした上で『俊敏な傀儡』を投入した――」
「……何が言いたいのだ?」
「マラジジ様の力では、一度の詠唱で生み出す傀儡に制限があるという事です。
そして私は、傀儡を仕留める位置を逐一ずらしながら立ち回っていました。
詠唱と、新手を投入するタイミング。それらを把握し――未だ隠れている貴方の居場所を、割り出す為に」
マラジジの詠唱が再開される。
メリッサは耳をすます。身体強化の魔術で聴力も研ぎ澄まされ――先刻までの「実験」で、魔術師の潜んでいる場所は目星がついている。
「…………『見えた』ッ! そこですわッ!!」
メリッサは目を大きく見開き、手にした黒檀の短刀を暗闇の中へ投擲した!
何もない空間に黒き刃が突き刺さる。鮮血が溢れ出し、魔術を打ち破る力を持つ短刀の影響で、透明化の術が解けた。胸から血を流し、苦悶の表情を浮かべる灰色フードの老人――魔術師マラジジはどうと仰向けに倒れ伏した。
「……ば……か、な……こんな、事が……」
マラジジは意識を失った。
短刀を胸に受けたとはいえ、急所は外れている。命に別状はないだろう。
しかし――術者の意識を奪ったにも関わらず、暗黒空間は晴れなかった。
「……どういう事、ですの……?」
逆転できたとはいえ、体力を限界近くまで消耗したメリッサの心に、疲労と焦燥が重くのしかかってきた。
**********
女騎士ブラダマンテとタタール王マンドリカルドの戦いは、予想通りマンドリカルドの矢の雨から始まった。
剣と弓では当然間合いが違う。ブラダマンテが勝つには、タタール武者の懐近くに飛び込むしかないのだ。
だが例によってマンドリカルドは、馬の機動力を利用した付かず離れずの間合いを保つ。
ブラダマンテとて馬術に劣っている訳ではない。フランク騎士の中では指折りの実力者だろう。それでも――文字通り矢継ぎ早に飛んでくるマンドリカルドの攻撃を回避しながらでは、どうしても馬の動きに差が出てしまう。
「どうしたブラダマンテ。俺様の矢が尽きるまでそうしているつもりか?
そなたにマルフィサと同等か、それ以上の体力と忍耐力が備わっているならば、それも良かろう。
もっとも俺様の見立てでは、そこまでのタフネスがあるとは思えんがな!」
「ぐッ…………!」
見透かされている。ブラダマンテは達人だが、男性に比べ飛び抜けて腕力や体力が優れている訳ではなかった。
技巧とスピード。その長所を活かすにも、現状の遠い間合いのままでは如何ともし難い。
(左肩の傷さえ無ければ……ッ!
矢をギリギリで躱し続けるには、盾がどうしても要る……
わたしはともかく、これ以上コイツの矢で馬を傷つけられる訳にはいかない!)
盾をもっと高く掲げられれば。左肩の傷の痛みのせいで、それも――
「…………あれ?」
ふとブラダマンテは、左肩の出血が止まっている事に気づいた。
盾が軽い。肩も苦もなく動かせる。先刻まで感じていた、傷の痛みが嘘のように消えていた。
(どういう、事……?)
左肩の傷だけではない。一騎打ちが始まってから、マンドリカルドの矢で受けた細かい傷もまた、出血が止まり傷が癒えつつある。いくら何でも早過ぎる。
(これって……もしか、して……)
ブラダマンテはマンドリカルドの構えに油断なく対応しつつ、急速な負傷の回復の理由を――思い至った。
今回が初めてではない。パリ攻防戦の折、アルジェリア王ロドモンに負わされた重傷もわずか三日で完治した。その時は、女騎士の治癒力が桁違いなのかと思っていたが……そうではなかった。
傷の治りには細かい差異がある。特に回復が早い箇所に――ブラダマンテは覚えがあった。
(……いつも、メリッサと再会して……抱擁してもらった時に、まさぐられた箇所だわ……!
ひょっとして……嘘ォ!? アレ、ただのセクハラじゃあなかったの……!!)
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