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第8章 ランペドゥーサ島の決戦
9 下田三郎の正体
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現実世界。
環境大学の教授・下田三郎は警察署を訪れていた。
「……無理を言って済まないな、足立」
下田は元同級生の刑事・足立に、ある人物と面会させて貰うよう頼んでいた。
「守秘義務とかあるだろうに。バレたら処罰されないのか?」
「分かってて頼んできたクセに、今更何言ってんだよサブちゃん」
足立は笑みを浮かべた。しかしすぐに、真剣な表情になって耳打ちする。
「……あんなに切羽詰まった声聞いたの、久しぶりだったからな。
お前のお袋さん……綾子さんが亡くなった時以来だ」
母親の名前を聞き、下田は僅かに表情を歪めた。
ともあれ、下田は足立の伝手で面会室へと向かった。
十数年もの間行方が知れず、死亡扱いされていた男――名を間遠狩人という。
今は消えてしまっているが、魔本「狂えるオルランド」の奥付に、名前が載っていた行方不明者の一人だ。
「電話でも言ったが、間遠は記憶を失っている」足立は言った。
「自分の名前も、家族も……今までどこで何をしていたのかも、聞いてもマトモな返事はかえって来なかった。何の手がかりが欲しいのか知らんが、余り期待はするなよ?」
「ああ……分かっている。
こうして面会の機会をくれただけでも感謝しているよ」
下田は間遠を知る証人という触れ込みで、会話の機会を持った。
間遠は、だらしなく無精髭を伸ばした冴えない中年男で、終始呆然としている。
いくつか質問をしてみたが、足立の言う通り、彼は記憶を失っており……中身のある返答は得られなかった。
(やはりダメか。現実世界はおろか『物語世界』の記憶すら曖昧で、ハッキリした事は覚えていないようだな)
下田三郎は、間遠の正体について概ね察している。
彼は魔本「狂えるオルランド」の世界では、タタール王マンドリカルドとして、ブラダマンテ達の前に立ちはだかった男だ。
しかし最終的に彼は戦いに敗れ、「忘却の川」レテの水を全身に浴び……全ての記憶を失ってしまった。しかし――
(『彼』はそのまま退場した訳ではなかった――魔本から解放され、現実世界に戻ってきたのだ。
つまり忘却の川で存在と記憶を抹消すれば……生きて帰る事『だけ』はできる)
しかし全ての記憶を失ってしまっては、現実世界で元通りの生活を送るという訳にはいかない。
ましてや間遠は現実世界での失踪期間が長く、死亡した扱い。マトモな社会復帰は望むべくもないだろう。
実のある情報を得られず、失意のまま面会時間が終わるかに見えた――その時だった。
何を聞いてもロクな返事もせず、虚空を見つめていただけだった間遠が――不意にがば、と前のめりになって、目を剥いて下田の胸元を凝視した。そして力任せに掴みかかろうとしたのだ。
「貴様、何をやっている!? 暴力は許可しないッ!」
足立を含め、見守っていた警官たち数名がかりでようやく取り押さえた。
「何故……お前が……『それ』を持っているッ……!?」
間遠は暴れ、絞り出すようにそれだけ呟くと――意識を失った。
下田は乱れたシャツを整える。ふと胸ポケットから、古ぼけた白い絹の切れ端が落ちた。
間遠は下田に殴りかかろうとした訳ではない。この布切れに反応したのだ。
(記憶を全て失っているハズなのに、『これ』の存在に気づいた……だと……?
やはりこいつは……物語世界のマンドリカルドを演じていた者、なのか……!)
下田の推測が、確信に変わった瞬間だった。
「おい、大丈夫か? サブちゃん……怪我はないか」
「心配するな……大した事はない」
下田は起き上がり――『母親の形見』である布切れをポケットにしまった。
**********
警察署から帰宅し、魔本を紐解いた下田三郎は――最新のページを見てショックを受けた。
意識を取り戻したアンジェリカと、レオ皇太子の会話のくだり。これは言い換えれば、姉・錦野麗奈と弟・綺織浩介の会話でもある。
「何……だと……!? 物語のハッピーエンドを迎えても……
帰る事ができるのは……一人だけ……!?」
『とっても悲しい事だけど――残念ながら、そういう事さ』
魔本から、作り物めいた甲高い声が響いた。本に宿る邪悪な意思・Furiosoだ。
「貴様ッ……何でそれを……今まで黙っていた……!?」
『聞かれなかったからさァ……それに下田三郎。キミはとっくの昔に、知っていただろう? 一人しか帰れないって。
黙っていたのはキミも同じ。共犯じゃあないか……違うかい?』
「!……貴、様ァッ……!!」
下田は怒りの余り、魔本のページに手をかけ――力任せに引き裂いてしまった。
『何そんなに怒ってんのさ? そんな事しても無駄だよ?
物理的にページを破いても、起きた事や内容をなかった事にはできない』
「ぐッ…………!」
『ずっと前から不思議に思ってたんだ。魔本を通じてボクとキミが会話できるのは分かる……でもさ。
なんでキミは、ブラダマンテ役の司藤アイとだけ、念話が通じるのかなって。
今までそんな人間、誰一人としていなかった。キミだけの特殊体質かとも思ったけど……違ったんだね』
胸が悪くなるような視線を下田は感じた。
Furiosoの見えざる眼が、彼の胸ポケットを凝視しているのを――肌で感じてしまった。
『キミのポケットに入っているモノの、元の持ち主を当ててあげようか?
確か……石動綾子って名前じゃなかったかい?』
本の悪魔の口から、実の母親の本名までも言い当てられ――下田は嘔気を抑えるのに精一杯だった。
『それ、ブラダマンテの白スカーフだろう?
キミが持っているという事は、下田教授。キミは綾子の――初代ブラダマンテの関係者だったんだねェ?』
下田三郎の母親の名は綾子。旧姓は石動。
母が亡くなった時、下田は彼女が「持ち帰った」スカーフの切れ端を託された。つまり下田の母親は、魔本の呪縛に打ち勝った唯一の「生還者」だったのだ。
そして彼女の遺した手記から――魔本の存在を知った。肌身離さず胸ポケットに入れていたスカーフは、ブラダマンテの所有物。それこそが――下田とアイの念話を可能にしている真相なのであった。
(第8章 了)
環境大学の教授・下田三郎は警察署を訪れていた。
「……無理を言って済まないな、足立」
下田は元同級生の刑事・足立に、ある人物と面会させて貰うよう頼んでいた。
「守秘義務とかあるだろうに。バレたら処罰されないのか?」
「分かってて頼んできたクセに、今更何言ってんだよサブちゃん」
足立は笑みを浮かべた。しかしすぐに、真剣な表情になって耳打ちする。
「……あんなに切羽詰まった声聞いたの、久しぶりだったからな。
お前のお袋さん……綾子さんが亡くなった時以来だ」
母親の名前を聞き、下田は僅かに表情を歪めた。
ともあれ、下田は足立の伝手で面会室へと向かった。
十数年もの間行方が知れず、死亡扱いされていた男――名を間遠狩人という。
今は消えてしまっているが、魔本「狂えるオルランド」の奥付に、名前が載っていた行方不明者の一人だ。
「電話でも言ったが、間遠は記憶を失っている」足立は言った。
「自分の名前も、家族も……今までどこで何をしていたのかも、聞いてもマトモな返事はかえって来なかった。何の手がかりが欲しいのか知らんが、余り期待はするなよ?」
「ああ……分かっている。
こうして面会の機会をくれただけでも感謝しているよ」
下田は間遠を知る証人という触れ込みで、会話の機会を持った。
間遠は、だらしなく無精髭を伸ばした冴えない中年男で、終始呆然としている。
いくつか質問をしてみたが、足立の言う通り、彼は記憶を失っており……中身のある返答は得られなかった。
(やはりダメか。現実世界はおろか『物語世界』の記憶すら曖昧で、ハッキリした事は覚えていないようだな)
下田三郎は、間遠の正体について概ね察している。
彼は魔本「狂えるオルランド」の世界では、タタール王マンドリカルドとして、ブラダマンテ達の前に立ちはだかった男だ。
しかし最終的に彼は戦いに敗れ、「忘却の川」レテの水を全身に浴び……全ての記憶を失ってしまった。しかし――
(『彼』はそのまま退場した訳ではなかった――魔本から解放され、現実世界に戻ってきたのだ。
つまり忘却の川で存在と記憶を抹消すれば……生きて帰る事『だけ』はできる)
しかし全ての記憶を失ってしまっては、現実世界で元通りの生活を送るという訳にはいかない。
ましてや間遠は現実世界での失踪期間が長く、死亡した扱い。マトモな社会復帰は望むべくもないだろう。
実のある情報を得られず、失意のまま面会時間が終わるかに見えた――その時だった。
何を聞いてもロクな返事もせず、虚空を見つめていただけだった間遠が――不意にがば、と前のめりになって、目を剥いて下田の胸元を凝視した。そして力任せに掴みかかろうとしたのだ。
「貴様、何をやっている!? 暴力は許可しないッ!」
足立を含め、見守っていた警官たち数名がかりでようやく取り押さえた。
「何故……お前が……『それ』を持っているッ……!?」
間遠は暴れ、絞り出すようにそれだけ呟くと――意識を失った。
下田は乱れたシャツを整える。ふと胸ポケットから、古ぼけた白い絹の切れ端が落ちた。
間遠は下田に殴りかかろうとした訳ではない。この布切れに反応したのだ。
(記憶を全て失っているハズなのに、『これ』の存在に気づいた……だと……?
やはりこいつは……物語世界のマンドリカルドを演じていた者、なのか……!)
下田の推測が、確信に変わった瞬間だった。
「おい、大丈夫か? サブちゃん……怪我はないか」
「心配するな……大した事はない」
下田は起き上がり――『母親の形見』である布切れをポケットにしまった。
**********
警察署から帰宅し、魔本を紐解いた下田三郎は――最新のページを見てショックを受けた。
意識を取り戻したアンジェリカと、レオ皇太子の会話のくだり。これは言い換えれば、姉・錦野麗奈と弟・綺織浩介の会話でもある。
「何……だと……!? 物語のハッピーエンドを迎えても……
帰る事ができるのは……一人だけ……!?」
『とっても悲しい事だけど――残念ながら、そういう事さ』
魔本から、作り物めいた甲高い声が響いた。本に宿る邪悪な意思・Furiosoだ。
「貴様ッ……何でそれを……今まで黙っていた……!?」
『聞かれなかったからさァ……それに下田三郎。キミはとっくの昔に、知っていただろう? 一人しか帰れないって。
黙っていたのはキミも同じ。共犯じゃあないか……違うかい?』
「!……貴、様ァッ……!!」
下田は怒りの余り、魔本のページに手をかけ――力任せに引き裂いてしまった。
『何そんなに怒ってんのさ? そんな事しても無駄だよ?
物理的にページを破いても、起きた事や内容をなかった事にはできない』
「ぐッ…………!」
『ずっと前から不思議に思ってたんだ。魔本を通じてボクとキミが会話できるのは分かる……でもさ。
なんでキミは、ブラダマンテ役の司藤アイとだけ、念話が通じるのかなって。
今までそんな人間、誰一人としていなかった。キミだけの特殊体質かとも思ったけど……違ったんだね』
胸が悪くなるような視線を下田は感じた。
Furiosoの見えざる眼が、彼の胸ポケットを凝視しているのを――肌で感じてしまった。
『キミのポケットに入っているモノの、元の持ち主を当ててあげようか?
確か……石動綾子って名前じゃなかったかい?』
本の悪魔の口から、実の母親の本名までも言い当てられ――下田は嘔気を抑えるのに精一杯だった。
『それ、ブラダマンテの白スカーフだろう?
キミが持っているという事は、下田教授。キミは綾子の――初代ブラダマンテの関係者だったんだねェ?』
下田三郎の母親の名は綾子。旧姓は石動。
母が亡くなった時、下田は彼女が「持ち帰った」スカーフの切れ端を託された。つまり下田の母親は、魔本の呪縛に打ち勝った唯一の「生還者」だったのだ。
そして彼女の遺した手記から――魔本の存在を知った。肌身離さず胸ポケットに入れていたスカーフは、ブラダマンテの所有物。それこそが――下田とアイの念話を可能にしている真相なのであった。
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