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第9章 物語は綻びる
10 綺織浩介の要求
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ブラダマンテとレオ皇太子――司藤アイと綺織浩介――は、日没前の晩食を摂る事にした。
食事のため入った高級宿の窓から、沈む夕陽に照らされた建築物が見える。
四つの尖塔に囲まれ、天井部が巨大なドーム状になっているのが特徴的だ。
「綺麗な建物ね。アレは……ひょっとして教会?」
「その通りだよ司藤さん。あれこそ名高きハギア・ソフィア大聖堂。
ビザンティン建築の最高傑作さ」
ハギア・ソフィア。ギリシア語で「聖なる叡智」の意であり、トルコ語ではアヤソフィアとも。東ローマの国教・ギリシア正教会の総本山である。
現在二人が見ているのは、ユスティニアヌス大帝時代に再建されたものだ。
綺織先輩が事前に説明した通り、運ばれてくる食事は魚を使った海鮮料理が主役だった。
茹でたヒラメにメバルの揚げ物、メカジキの頭部の塩漬け――他にもアイが見た事もないような海の幸が並んでいる。
しかもいずれの料理も、チーズやオリーブオイル、ニンニクや胡椒などが調味料として使われ、味わい深いものだった。
「気持ち良く平らげてくれて、僕も嬉しいけれど……あんまり食べ過ぎないようにね? この料理、半分は宿の人たちへの賄いも兼ねてるから」
「へ?……あっ、ふぁい」
一応クレルモン家の公爵令嬢として食事マナーは最低限守ってはいたものの……三週間も慢性的な空腹感と味気無さに悩まされていたアイは、魚料理を必要以上につい頬張ってしまっていた。
そんな彼女の様子を、綺織は困ったような顔をしつつも、微笑みながら見守っていたりする。
「……綺織先輩! 折り入ってお話があるんですがっ」
「うん。まずは司藤さんの方から聞こうか」
綺織は笑顔を崩さなかったが、アイの真剣な様子を目ざとく察したようだ。
質問すれば、せっかくの良い雰囲気も強張って、消え失せてしまうだろう。
(でも、聞かなきゃいけない。その為にわたしはここに来たんだから――)
「わたし、女騎士ブラダマンテとして――パリでの戦いにも参加しました。
その時アルジェリア王ロドモンという男と戦ったんですけど、彼は異常な強さを誇っていた。
その秘密は彼の赤い鱗帷子――血を吸う事で着用者の力を限界以上に引き出す、恐るべき魔法の鎧でした。
あの鎧の贈り主が――レオ皇太子だって、聞かされて。本当……なんですか?
あんな恐ろしい品を、綺織先輩が……送りつけてきたなんて、その……信じられなくて」
アイの言葉に、綺織は驚いた顔をして――やがて伏し目がちに答えた。
「僕がやったって、よく分かったね。
確かにその通り。あの鎧の贈り主は――僕だ」
「!……一体どうして……?」
「まず……謝らなきゃいけないね。ごめん司藤さん。
まさか君がパリの攻防戦に赴いて、ロドモンと戦うなんて想定もしていなかったんだ」
「……それって……」
「ロドモンという男は原典では、パリで数千以上もの市民を虐殺している。
でも彼自身にそこまでの力はない。だからあの『鎧』を贈って、彼が原典通りの行動を起こせるよう手助けしてやらなければならなかった。
さもなくば物語の歯車は崩れてしまう――もっとも結果的に、僕の選択は無駄に終わってしまったけれど」
「何、言ってるの……先輩……」
綺織は淡々と言葉を紡ぐ。
その様子にアイは初めて――いつも優しい先輩の瞳の奥に、奇怪な濁りのようなものを感じた。
「当初の予定とは大分違う方向に、物語は転がってしまった。
まあでも、司藤さんが無事だったなら良かったよ。
『紙の上の文字』でしかない存在に、命を奪われるなんて……あっちゃいけない事だからね」
「……そんな言い方って……ないと、思います」
アイは震えながらも、意を決して口を開いた。
「確かに物語世界の人々は、本の中の存在でしかないかもしれない。
でも彼らだって生きているんです。モノみたいに扱っていいものじゃ、ない」
「……それは見解の違いだね」
アイの真剣な意見も、綺織は物腰柔らかに受け流す。
「人は皆、それぞれ考えが違うものさ。それについては僕も否定しない。
じゃあ僕からも――話をしていいかな? トリエステで別れる前に言った『大事な話』だよ」
トリエステの時は、一体どんな事を言われるのか、想像するだけで胸がドキドキしたアイだったが。
今同じ単語を聞いても、漠然とした不安しか残らなかった。
そんなアイの心情を知ってか知らずか、綺織は笑みを絶やさずに続けた。
「僕と一緒に、ここで暮らさないか?
ロジェロとの結婚は諦めて、ブラダマンテとレオ皇太子として。
この物語世界で――二人で幸せになろう」
「え…………ええええッ!?」
余りにも突拍子もない提案に、アイは頭の中が真っ白になり、素っ頓狂な大声を上げてしまった。
「そん、な……何、言ってるんですか……先輩……?
えと、その……トリエステで会った時、先輩言ったじゃないですか。
『物語世界から脱出するため、わたしと黒崎に出来る限り協力する』って。
あの時の言葉は……嘘、だったんですか……?」
「あの時は、嘘じゃなかった。本当に――協力するつもりだった」綺織は答えた。
「でも……事情が変わったんだ。麗奈姉さんを覚えているかい?
姉さんが意識を取り戻した時、記憶も一緒に戻ったんだ。そして恐ろしい事実を告げられた。
この物語世界で大団円を迎えても――現実に戻れるのはたった一人だけだと」
「なッ…………!?」
驚愕の事実に、アイは理解が追いつかず――取り乱して駆け出そうとした。
しかしすかさず綺織はアイの腕を掴み、そっと抱き締めてきた。
「嫌……そんなの……おかしい、じゃない……! 信じられない……!」
「分かるよ司藤さん。僕もショックだった。
この事実を受け入れて、考えを整理できるようになるまでに……僕もかなり長い時間がかかってしまった。
だからこそ聞いて欲しい。どうか冷静になって、一緒に考えよう。
どうすれば、僕たちが最良の選択をして、幸福に生きられるかを――」
憧れの先輩と密着している。そう認識しても……アイの気分はざわつきが止まらない。
思わず現実世界の下田三郎教授へと念話を送る。
『ねえ下田教授……綺織先輩の言ってる事、本当なの?
物語を最後まで進めても――本当に、たった一人しか帰れないの……?』
『……残念だが、彼の言う通りだ……』
無情に響く、下田教授の乾いた声。
その様子を見て、綺織は目を見開いて言った。
「へえ……『あいつ』の言った通りなんだね。
司藤さん、下田教授と話ができるんだ?」
「!?」
下田教授との念話を認識され、アイは表情を強張らせた。
食事のため入った高級宿の窓から、沈む夕陽に照らされた建築物が見える。
四つの尖塔に囲まれ、天井部が巨大なドーム状になっているのが特徴的だ。
「綺麗な建物ね。アレは……ひょっとして教会?」
「その通りだよ司藤さん。あれこそ名高きハギア・ソフィア大聖堂。
ビザンティン建築の最高傑作さ」
ハギア・ソフィア。ギリシア語で「聖なる叡智」の意であり、トルコ語ではアヤソフィアとも。東ローマの国教・ギリシア正教会の総本山である。
現在二人が見ているのは、ユスティニアヌス大帝時代に再建されたものだ。
綺織先輩が事前に説明した通り、運ばれてくる食事は魚を使った海鮮料理が主役だった。
茹でたヒラメにメバルの揚げ物、メカジキの頭部の塩漬け――他にもアイが見た事もないような海の幸が並んでいる。
しかもいずれの料理も、チーズやオリーブオイル、ニンニクや胡椒などが調味料として使われ、味わい深いものだった。
「気持ち良く平らげてくれて、僕も嬉しいけれど……あんまり食べ過ぎないようにね? この料理、半分は宿の人たちへの賄いも兼ねてるから」
「へ?……あっ、ふぁい」
一応クレルモン家の公爵令嬢として食事マナーは最低限守ってはいたものの……三週間も慢性的な空腹感と味気無さに悩まされていたアイは、魚料理を必要以上につい頬張ってしまっていた。
そんな彼女の様子を、綺織は困ったような顔をしつつも、微笑みながら見守っていたりする。
「……綺織先輩! 折り入ってお話があるんですがっ」
「うん。まずは司藤さんの方から聞こうか」
綺織は笑顔を崩さなかったが、アイの真剣な様子を目ざとく察したようだ。
質問すれば、せっかくの良い雰囲気も強張って、消え失せてしまうだろう。
(でも、聞かなきゃいけない。その為にわたしはここに来たんだから――)
「わたし、女騎士ブラダマンテとして――パリでの戦いにも参加しました。
その時アルジェリア王ロドモンという男と戦ったんですけど、彼は異常な強さを誇っていた。
その秘密は彼の赤い鱗帷子――血を吸う事で着用者の力を限界以上に引き出す、恐るべき魔法の鎧でした。
あの鎧の贈り主が――レオ皇太子だって、聞かされて。本当……なんですか?
あんな恐ろしい品を、綺織先輩が……送りつけてきたなんて、その……信じられなくて」
アイの言葉に、綺織は驚いた顔をして――やがて伏し目がちに答えた。
「僕がやったって、よく分かったね。
確かにその通り。あの鎧の贈り主は――僕だ」
「!……一体どうして……?」
「まず……謝らなきゃいけないね。ごめん司藤さん。
まさか君がパリの攻防戦に赴いて、ロドモンと戦うなんて想定もしていなかったんだ」
「……それって……」
「ロドモンという男は原典では、パリで数千以上もの市民を虐殺している。
でも彼自身にそこまでの力はない。だからあの『鎧』を贈って、彼が原典通りの行動を起こせるよう手助けしてやらなければならなかった。
さもなくば物語の歯車は崩れてしまう――もっとも結果的に、僕の選択は無駄に終わってしまったけれど」
「何、言ってるの……先輩……」
綺織は淡々と言葉を紡ぐ。
その様子にアイは初めて――いつも優しい先輩の瞳の奥に、奇怪な濁りのようなものを感じた。
「当初の予定とは大分違う方向に、物語は転がってしまった。
まあでも、司藤さんが無事だったなら良かったよ。
『紙の上の文字』でしかない存在に、命を奪われるなんて……あっちゃいけない事だからね」
「……そんな言い方って……ないと、思います」
アイは震えながらも、意を決して口を開いた。
「確かに物語世界の人々は、本の中の存在でしかないかもしれない。
でも彼らだって生きているんです。モノみたいに扱っていいものじゃ、ない」
「……それは見解の違いだね」
アイの真剣な意見も、綺織は物腰柔らかに受け流す。
「人は皆、それぞれ考えが違うものさ。それについては僕も否定しない。
じゃあ僕からも――話をしていいかな? トリエステで別れる前に言った『大事な話』だよ」
トリエステの時は、一体どんな事を言われるのか、想像するだけで胸がドキドキしたアイだったが。
今同じ単語を聞いても、漠然とした不安しか残らなかった。
そんなアイの心情を知ってか知らずか、綺織は笑みを絶やさずに続けた。
「僕と一緒に、ここで暮らさないか?
ロジェロとの結婚は諦めて、ブラダマンテとレオ皇太子として。
この物語世界で――二人で幸せになろう」
「え…………ええええッ!?」
余りにも突拍子もない提案に、アイは頭の中が真っ白になり、素っ頓狂な大声を上げてしまった。
「そん、な……何、言ってるんですか……先輩……?
えと、その……トリエステで会った時、先輩言ったじゃないですか。
『物語世界から脱出するため、わたしと黒崎に出来る限り協力する』って。
あの時の言葉は……嘘、だったんですか……?」
「あの時は、嘘じゃなかった。本当に――協力するつもりだった」綺織は答えた。
「でも……事情が変わったんだ。麗奈姉さんを覚えているかい?
姉さんが意識を取り戻した時、記憶も一緒に戻ったんだ。そして恐ろしい事実を告げられた。
この物語世界で大団円を迎えても――現実に戻れるのはたった一人だけだと」
「なッ…………!?」
驚愕の事実に、アイは理解が追いつかず――取り乱して駆け出そうとした。
しかしすかさず綺織はアイの腕を掴み、そっと抱き締めてきた。
「嫌……そんなの……おかしい、じゃない……! 信じられない……!」
「分かるよ司藤さん。僕もショックだった。
この事実を受け入れて、考えを整理できるようになるまでに……僕もかなり長い時間がかかってしまった。
だからこそ聞いて欲しい。どうか冷静になって、一緒に考えよう。
どうすれば、僕たちが最良の選択をして、幸福に生きられるかを――」
憧れの先輩と密着している。そう認識しても……アイの気分はざわつきが止まらない。
思わず現実世界の下田三郎教授へと念話を送る。
『ねえ下田教授……綺織先輩の言ってる事、本当なの?
物語を最後まで進めても――本当に、たった一人しか帰れないの……?』
『……残念だが、彼の言う通りだ……』
無情に響く、下田教授の乾いた声。
その様子を見て、綺織は目を見開いて言った。
「へえ……『あいつ』の言った通りなんだね。
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「!?」
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