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第9章 物語は綻びる
19 女騎士ブラダマンテの決意
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ブルガリア王に扮する黒崎の苦戦に、ブラダマンテ――司藤アイはたまらず馬を走らせようとした。
(黒崎っ……!)
「――どこへ行こうと言うの? ブラダマンテ」
背後から冷や水を浴びせるような言葉がかかり、女騎士はビクリと震えた。
共に従軍してきた、母ベアトリーチェの声だ。
「……レオ皇太子の下へ。救援に」
「不思議な事をおっしゃるわねェ? レオさんはブルガリア王相手に、圧倒的優勢じゃありませんか。
今更一体何を手助けしようというの?」
ベアトリーチェは意地悪く言った。
「仮にレオさんが劣勢だとしても――救いに行くというのは無粋というもの。
戦で危ういからといって、女性に手助けされるなど殿方は望みません。
夫が戦場から帰って来ると信じて待つ事こそが、妻たる者の務めなのです」
「母様。本当にそう思っているのですか?」
ブラダマンテの問いに、母は「ええ、もちろん」と頷いてみせた。
「わたしは、そうは思いません。愛する者に苦難が降りかかっているのに、座して待つだけなんて真っ平ごめんです。
ましてやわたしは無力じゃない。クレルモン家エイモンの娘にして、白の女騎士ブラダマンテ。
わたしにはわたしの愛する人と、共に戦い、支え合えるだけの力があります」
「……先ほどから何を言っているの?」ベアトリーチェは露骨に眉をひそめた。
「まさかブラダマンテ、貴女――」
彼女の予感の正しさを象徴するかのように、戦場で異変が起こった。
**********
ベオグラードを流れるサヴァ川から、這い上がる人影があった。
ずぶ濡れになった「それ」は、全身を赤い鱗帷子で覆い、不快な悪臭を放つ怪物であった。
「なッ……あれは……!」
ブルガリア王妃扮するアンジェリカは恐怖した。
パリに向かっていた時にも、散々に追いかけ回された存在。東ローマの都コンスタンティノープルを目指し、遠くバルカン半島まで旅していた間は、全く姿を見せなかったのに。
「怪物」の脅威に注意が向いた隙に、東ローマ軍の放った矢がアンジェリカの胸を掠めた。
「痛ッ……!?」
「アンジェリカッ! 大丈夫か!?」
負傷した放浪の美姫に、血相を変えた恋人メドロが呼びかける。
アンジェリカは痛みを堪えて微笑もうとしたが――
(しまったッ……今の一撃で変装の術が……解けて――)
恐怖で綻びかけていた魔術の集中力が途切れ、まやかしの力が消えた。
ブルガリア王の一行に変じていたロジェロ達は、たちまち本当の姿が露になってしまった。
**********
「あれはッ……誰だ!? ブルガリア王ではない――」
「影武者か? ブルガリア軍を撤退させるための時間稼ぎか!」
「しかし寡兵ながらも見事な奮戦ぶり。さぞや名のある騎士では……」
アンジェリカの魔術が解け、東ローマ軍の間に奇妙な動揺が走った。
その様子や情報は、たちどころにクレルモン家にも伝わってしまう。
「……なるほど。やはりそんな所だろうと思いましたわ」
ベアトリーチェは冷淡に言い放ち、溜め息をついた。
「ブラダマンテ。今レオ皇太子と一騎打ちをし、ブルガリア王を騙っていた男こそ――ロジェロ。
ムーア人(スペインのイスラム教徒)にして、貴女の想い人なのですね?」
黒崎の素性がバレた。ブラダマンテの表情に緊張が走る。
「救援に向かうと言ったのも、レオではなくロジェロを救うためだと。
呆れたこと……この期に及んでまだ、あのような根無し草に未練を残していたのですか」
母に詰問されたブラダマンテは――深呼吸をすると、振り返って答えた。
「わたしがかの地に向かう目的は――二人を止めること。
わたしはあのような方法で、未来の自分の夫となる人物を決める事を良しとしていません。
わたしの本当の思いを伝える前に死なれては、困るのです」
「なりませんブラダマンテ。ここで待ちなさい――これは命令よ」
母の視線と声が、より一層鋭くなる。恐ろしい威圧感。三週間前に傷つけられた背中が、幻肢痛となって精神を苛む。内なる「ブラダマンテ」の震えがアイにも伝わった。
(……ダメよ『ブラダマンテ』。貴女だって、愛するロジェロを死なせたくないのでしょう?
ここで母の言葉に屈してしまったら。彼を手に入れる機会は、永久に失われてしまうかもしれない……!)
アイは魂の内で呼びかけた。
「ブラダマンテ」のロジェロへの愛が、母に抱く恐怖心に打ち克つ可能性に賭けたのだ。
やがて――女騎士はわずかに声を震わせながらも、ついに意を決して答えた。
「……わたしは行きます、母様。
それでお気に召さなければ、仕置きでも勘当でも、好きになさって下さい」
「なんですって、ブラダマンテ……!?」
ベアトリーチェの憤怒の声が響くも――ブラダマンテは馬を走らせていた。
後を追おうとする母の前に、二人の騎士が立ちはだかった。
「リッチャルデット! アラルド! 貴方たちも母に逆らうと言うのですか」
なんとクレルモン家の一員にしてブラダマンテの兄である二人が、母を押し止めたのだ。
「お願いします、母者。せめてこの場だけは――妹の好きにさせてやって下さい」
「このアラルドからも頼みます、母ちゃ……いや母上。どうか怒りをお鎮めあれ」
立ちはだかりつつも、二人は内心とてつもなくビビっていた。
(怖い! おっかねえ! 後でどんな拷問が待ち構えてるんだ……? やんなきゃよかったかも)
(リナルド兄ィの言いつけとはいえ……やっべェ母ちゃんに逆らっちまった……)
怒りを露にしたベアトリーチェが、鞭を振るおうと手を伸ばす。
幾度となく刷り込まれた恐怖の仕草に、兄二人は目を閉じ、身を竦ませた。
ところが荒ぶる母の右手は掴まれ、動きを封じられた。
彼女を遮ったのは、ブラダマンテの父・エイモン公爵であった。
「あなたまで! どうしてッ……」
目を剥いて睨みつけるベアトリーチェに対し、エイモン公はふるふると首を振るのみ。
周りの一門を見やれば……皆おっかなびっくりとしながらも、母に対する無言の抗議の目を向けていた。
「下がっていなさい、ベアトリーチェ」エイモン公は優しげに言った。
「大勢が決したとはいえ、未だ戦は終わってはおらん。そなたの身に万が一、何かあれば――儂は悲しい」
「それを言うなら、ブラダマンテだって……」
「あの娘なら心配は要らぬ。儂がリナルドらと共に、直々に鍛え上げた子だ」
「…………ッ!」
憤怒に歯ぎしりし、感情の治まらぬ様子のベアトリーチェであったが……流石にここまでされては引き退がるしかなかったようで、がっくりと項垂れた。
(黒崎っ……!)
「――どこへ行こうと言うの? ブラダマンテ」
背後から冷や水を浴びせるような言葉がかかり、女騎士はビクリと震えた。
共に従軍してきた、母ベアトリーチェの声だ。
「……レオ皇太子の下へ。救援に」
「不思議な事をおっしゃるわねェ? レオさんはブルガリア王相手に、圧倒的優勢じゃありませんか。
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「仮にレオさんが劣勢だとしても――救いに行くというのは無粋というもの。
戦で危ういからといって、女性に手助けされるなど殿方は望みません。
夫が戦場から帰って来ると信じて待つ事こそが、妻たる者の務めなのです」
「母様。本当にそう思っているのですか?」
ブラダマンテの問いに、母は「ええ、もちろん」と頷いてみせた。
「わたしは、そうは思いません。愛する者に苦難が降りかかっているのに、座して待つだけなんて真っ平ごめんです。
ましてやわたしは無力じゃない。クレルモン家エイモンの娘にして、白の女騎士ブラダマンテ。
わたしにはわたしの愛する人と、共に戦い、支え合えるだけの力があります」
「……先ほどから何を言っているの?」ベアトリーチェは露骨に眉をひそめた。
「まさかブラダマンテ、貴女――」
彼女の予感の正しさを象徴するかのように、戦場で異変が起こった。
**********
ベオグラードを流れるサヴァ川から、這い上がる人影があった。
ずぶ濡れになった「それ」は、全身を赤い鱗帷子で覆い、不快な悪臭を放つ怪物であった。
「なッ……あれは……!」
ブルガリア王妃扮するアンジェリカは恐怖した。
パリに向かっていた時にも、散々に追いかけ回された存在。東ローマの都コンスタンティノープルを目指し、遠くバルカン半島まで旅していた間は、全く姿を見せなかったのに。
「怪物」の脅威に注意が向いた隙に、東ローマ軍の放った矢がアンジェリカの胸を掠めた。
「痛ッ……!?」
「アンジェリカッ! 大丈夫か!?」
負傷した放浪の美姫に、血相を変えた恋人メドロが呼びかける。
アンジェリカは痛みを堪えて微笑もうとしたが――
(しまったッ……今の一撃で変装の術が……解けて――)
恐怖で綻びかけていた魔術の集中力が途切れ、まやかしの力が消えた。
ブルガリア王の一行に変じていたロジェロ達は、たちまち本当の姿が露になってしまった。
**********
「あれはッ……誰だ!? ブルガリア王ではない――」
「影武者か? ブルガリア軍を撤退させるための時間稼ぎか!」
「しかし寡兵ながらも見事な奮戦ぶり。さぞや名のある騎士では……」
アンジェリカの魔術が解け、東ローマ軍の間に奇妙な動揺が走った。
その様子や情報は、たちどころにクレルモン家にも伝わってしまう。
「……なるほど。やはりそんな所だろうと思いましたわ」
ベアトリーチェは冷淡に言い放ち、溜め息をついた。
「ブラダマンテ。今レオ皇太子と一騎打ちをし、ブルガリア王を騙っていた男こそ――ロジェロ。
ムーア人(スペインのイスラム教徒)にして、貴女の想い人なのですね?」
黒崎の素性がバレた。ブラダマンテの表情に緊張が走る。
「救援に向かうと言ったのも、レオではなくロジェロを救うためだと。
呆れたこと……この期に及んでまだ、あのような根無し草に未練を残していたのですか」
母に詰問されたブラダマンテは――深呼吸をすると、振り返って答えた。
「わたしがかの地に向かう目的は――二人を止めること。
わたしはあのような方法で、未来の自分の夫となる人物を決める事を良しとしていません。
わたしの本当の思いを伝える前に死なれては、困るのです」
「なりませんブラダマンテ。ここで待ちなさい――これは命令よ」
母の視線と声が、より一層鋭くなる。恐ろしい威圧感。三週間前に傷つけられた背中が、幻肢痛となって精神を苛む。内なる「ブラダマンテ」の震えがアイにも伝わった。
(……ダメよ『ブラダマンテ』。貴女だって、愛するロジェロを死なせたくないのでしょう?
ここで母の言葉に屈してしまったら。彼を手に入れる機会は、永久に失われてしまうかもしれない……!)
アイは魂の内で呼びかけた。
「ブラダマンテ」のロジェロへの愛が、母に抱く恐怖心に打ち克つ可能性に賭けたのだ。
やがて――女騎士はわずかに声を震わせながらも、ついに意を決して答えた。
「……わたしは行きます、母様。
それでお気に召さなければ、仕置きでも勘当でも、好きになさって下さい」
「なんですって、ブラダマンテ……!?」
ベアトリーチェの憤怒の声が響くも――ブラダマンテは馬を走らせていた。
後を追おうとする母の前に、二人の騎士が立ちはだかった。
「リッチャルデット! アラルド! 貴方たちも母に逆らうと言うのですか」
なんとクレルモン家の一員にしてブラダマンテの兄である二人が、母を押し止めたのだ。
「お願いします、母者。せめてこの場だけは――妹の好きにさせてやって下さい」
「このアラルドからも頼みます、母ちゃ……いや母上。どうか怒りをお鎮めあれ」
立ちはだかりつつも、二人は内心とてつもなくビビっていた。
(怖い! おっかねえ! 後でどんな拷問が待ち構えてるんだ……? やんなきゃよかったかも)
(リナルド兄ィの言いつけとはいえ……やっべェ母ちゃんに逆らっちまった……)
怒りを露にしたベアトリーチェが、鞭を振るおうと手を伸ばす。
幾度となく刷り込まれた恐怖の仕草に、兄二人は目を閉じ、身を竦ませた。
ところが荒ぶる母の右手は掴まれ、動きを封じられた。
彼女を遮ったのは、ブラダマンテの父・エイモン公爵であった。
「あなたまで! どうしてッ……」
目を剥いて睨みつけるベアトリーチェに対し、エイモン公はふるふると首を振るのみ。
周りの一門を見やれば……皆おっかなびっくりとしながらも、母に対する無言の抗議の目を向けていた。
「下がっていなさい、ベアトリーチェ」エイモン公は優しげに言った。
「大勢が決したとはいえ、未だ戦は終わってはおらん。そなたの身に万が一、何かあれば――儂は悲しい」
「それを言うなら、ブラダマンテだって……」
「あの娘なら心配は要らぬ。儂がリナルドらと共に、直々に鍛え上げた子だ」
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