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第9章 物語は綻びる
26 「月」世界にて
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女騎士ブラダマンテと尼僧メリッサを中心に起こった黒い旋風。
この異変の正体を、ブラダマンテ――司藤アイは思い出した。
(これって確か……南フランス沿岸で魔術師さんが使った……!?)
今この戦場にて、過去に術の洗礼を受けた事があるのはアイとメリッサのみ。
周囲にいる者たちで、いち早く術の正体に気づいたのは本の悪魔・Furiosoであった。
『…………馬鹿なッ』
レオ皇太子――綺織浩介は、隣の黒い影が吐き捨てた言葉を聞き逃さなかった。
(普段は小憎らしいまでに飄々としたFuriosoが……
正体は分からんが……今起こっている現象はこいつにとって、よほど不測の事態という事か?)
「Furioso、答えろ。あの黒い竜巻みたいなモノは何だ?」
『尼僧メリッサの使った魔術だよ。黒い旋風に触れれば、ここではない別の空間に転移する。誰もが入れる訳じゃないけどね。でも急いだ方がいい』
「……どういう事だ?」
本の悪魔の焦りは相当なようで、綺織の質問に答えるより早く前に進み出た。
見れば放浪の美姫アンジェリカやイングランド王子アストルフォも、メリッサの術発動と同時にブラダマンテ達の下へ走っている。
『あの黒い旋風は時間制限つきの入り口だ。広がりきったと同時に閉ざされ、誰も入れなくなる! そうなればもう、奴らのやる事に干渉できなくなるぞ』
(彼らが何をやろうとしているのか、判然としないが……これはグズグズしている暇はなさそうだな)
綺織も急ぐ事にした。黒い旋風は膨れ上がり、すでにブラダマンテとメリッサの姿は覆い隠されている。
その先ではロジェロ――黒崎八式と、「怪物」が激闘を繰り広げていた。恐らく彼らも術に巻き込む事を想定しているのだろう。
綺織浩介とFuriosoは黒い空間に入り込んだ。
視界が遮られ、ベオグラードの戦場が見えなくなる。その寸前、アストルフォらも旋風の中に飛び込む姿が見えた。
と同時に、「怪物」の一撃を浴び、黒崎が大きくバランスを崩す様子も見えた気がした。
黒い空間は膨張を止め、その場に渦を巻いて留まった。
周りにいた人々は戸惑い、何が起きたのか理解した者はほぼいなかった。
負傷したロジェロの妹・マルフィサの治療に当たっていたメドロも、驚き絶句している。
「何だ……一体何が起こっている……?」
マルフィサは起き上がろうとしたが、負傷の痛みに顔を歪めた。
「ダメだマルフィサさん。応急処置をしただけだから、まだ安静にしていないと」
アンジェリカの恋人・メドロがたしなめる。
「オイラにもコレが何なのかは分からない。アンジェリカ達が密かに打ち合わせていた作戦、なんだろうけど……」
黒い空間はもう、他の兵たちが踏み込んでも何も起こらない。黒渦の中に消えたブラダマンテ達はどこに行ってしまったのか。
二人は皆に置いていかれた歯がゆさにやきもきしたが……今はアンジェリカ達を信じて待つしかなかった。
**********
司藤アイは気がつくと、荒涼たる闇の世界にいた。
かつて見た風景。過去に二度訪れた事のある「月」――過去の記憶に基づく精神世界である。
「ふふ……上手く、行きましたね」
アイの隣にはメリッサがいた。強大な術を行使した影響で、随分と疲労しているようだが……彼女は注意深く月世界を見渡していた。仲間を探しているようだ。
程なくして近くにいた、アストルフォとアンジェリカの姿が目に入った。
「アストルフォ様、アンジェリカ様。
無事にこちらの世界に入って来れたようですね」
「……これは凄いな。本当にここは、エチオピアで訪れた月の世界なのかい?」
アストルフォは術を体験するのは初めてだったため、目を白黒させながら周囲の景色を確認していた。
アンジェリカの方はと言うと……頷きながら拳を握りしめている。
「うん、間違いない……私の『魂の記憶』が最後に見た場所と同じ……!
メリッサ、ありがとう。ここが月の世界なら、当然あの『川』もあるのよね?」
アンジェリカ――錦野麗奈の問いに、メリッサはコクリと頷いた。
三人の様子を見て、アイは訊いた。
「メリッサ達の計画って、『月』の世界に移動する事だったの?」
「ええ、その通りですわブラダマンテ」メリッサは肯定した。
「不死身の『怪物』といえど、この地であれば――消滅させる事ができます。
レテ川の力を使えば。ブラダマンテなら、よーくご存知ですわよね?」
レテとは忘却の川。物語世界の人間や存在は、この川の水に浸かると忘れられ――やがて消滅するのだ。
ブラダマンテとメリッサは以前、南フランスにてこの術に巻き込まれ……死闘を繰り広げた事がある。その時にレテ川の恐ろしさは嫌というほど思い知った。
(確かに……あの時のタタール王マンドリカルドのように。
「怪物」をレテ川に突き落とせば、倒す事ができるかも……)
危険は伴うが、有効な戦術であるようにアイには思えた。
しかし辺りにいるのはアイ達4人のみ。先刻まで戦っていた「怪物」の姿もなければ、黒崎の姿も見えない。
それ以前に、ここはレテ川の近くではないらしい。荒野には種々雑多なガラクタが転がっているが、まずは川を探さなくてはならないだろう。
「じゃあメリッサ。『怪物』もこっちに来ているのね?」
「ええ。奴も誘い込まなければ、術の意味がありませんもの」
アイ達はレテ川を探すべく動いた。
エチオピアの冒険から随分と時間が経っている。だが「月」は過去の精神世界。朧げだった記憶は再び鮮明に蘇り――ガラクタを道標にして川の位置を割り出すのに、さほど時間はかからなかった。
「やったわ! アレがレテ川よね?」アンジェリカが歓声を上げた。
「ああ……ボクも見覚えがある。間違いないだろう」アストルフォが言った。
無色透明な川の水の中に、無数の名札や騒がしい鳥たちの姿が見える。忘却された過去の死者たちと、彼らを忘れられまいと徒労するヘボ詩人たちの象徴であるという。
(「怪物」に出会わなかったのは幸運だったけど……黒崎はどこかしら……)
忘却の川を見つけられたのがよっぽど嬉しかったのか、アンジェリカは先んじて川面に近寄った。
しかし――その時不意に、アイの脳裏に鋭い警告が響いた。
『気をつけろアイ君! アンジェリカが狙われているぞ! 頭上だッ!』
警告は下田教授の発した念話だった。ハッとしてアイが空を見上げると――夜の闇に紛れ、禍々しい鱗帷子の光沢が覗いた。
「アンジェリカッ!」
ブラダマンテ――司藤アイは駆け出した。得物のファルシオンを抜き放ち、落下してくる「怪物」の斬撃をどうにか防いだ。
間一髪アンジェリカを守った――と安堵したのも束の間、「怪物」は怒涛の勢いで女騎士を攻め立てる! 恐るべき怪力は健在で、ブラダマンテは防戦するのがやっとだった。
「ぐッ……しまった!」
アストルフォとメリッサは下田の念話を聞く事ができない為、女騎士と比べ初動が遅れた。
本来ならブラダマンテが「怪物」を相手取っている間に、襲われたアンジェリカを保護すべきなのに……二人は立ち止まり、歯噛みしていた。
「どうしたの二人とも! アンジェリカを安全な場所へッ」
「怪物」の半月刀を受け流し、広く間合いを取った隙に――ブラダマンテは背後に目を向けた。
恐るべき光景が視界に入る。彼女はアストルフォらが動けない事情を悟った。
アンジェリカは囚われていた。無数の黒い影のような触手に全身を絡め取られ、苦しげに喘いでいた。
絶世の美姫を手中に収めていたのは、巨大な黒馬の背に、奇怪な翼を持つ人間の上半身が生えた不気味な姿――他ならぬFuriosoである。
この異変の正体を、ブラダマンテ――司藤アイは思い出した。
(これって確か……南フランス沿岸で魔術師さんが使った……!?)
今この戦場にて、過去に術の洗礼を受けた事があるのはアイとメリッサのみ。
周囲にいる者たちで、いち早く術の正体に気づいたのは本の悪魔・Furiosoであった。
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レオ皇太子――綺織浩介は、隣の黒い影が吐き捨てた言葉を聞き逃さなかった。
(普段は小憎らしいまでに飄々としたFuriosoが……
正体は分からんが……今起こっている現象はこいつにとって、よほど不測の事態という事か?)
「Furioso、答えろ。あの黒い竜巻みたいなモノは何だ?」
『尼僧メリッサの使った魔術だよ。黒い旋風に触れれば、ここではない別の空間に転移する。誰もが入れる訳じゃないけどね。でも急いだ方がいい』
「……どういう事だ?」
本の悪魔の焦りは相当なようで、綺織の質問に答えるより早く前に進み出た。
見れば放浪の美姫アンジェリカやイングランド王子アストルフォも、メリッサの術発動と同時にブラダマンテ達の下へ走っている。
『あの黒い旋風は時間制限つきの入り口だ。広がりきったと同時に閉ざされ、誰も入れなくなる! そうなればもう、奴らのやる事に干渉できなくなるぞ』
(彼らが何をやろうとしているのか、判然としないが……これはグズグズしている暇はなさそうだな)
綺織も急ぐ事にした。黒い旋風は膨れ上がり、すでにブラダマンテとメリッサの姿は覆い隠されている。
その先ではロジェロ――黒崎八式と、「怪物」が激闘を繰り広げていた。恐らく彼らも術に巻き込む事を想定しているのだろう。
綺織浩介とFuriosoは黒い空間に入り込んだ。
視界が遮られ、ベオグラードの戦場が見えなくなる。その寸前、アストルフォらも旋風の中に飛び込む姿が見えた。
と同時に、「怪物」の一撃を浴び、黒崎が大きくバランスを崩す様子も見えた気がした。
黒い空間は膨張を止め、その場に渦を巻いて留まった。
周りにいた人々は戸惑い、何が起きたのか理解した者はほぼいなかった。
負傷したロジェロの妹・マルフィサの治療に当たっていたメドロも、驚き絶句している。
「何だ……一体何が起こっている……?」
マルフィサは起き上がろうとしたが、負傷の痛みに顔を歪めた。
「ダメだマルフィサさん。応急処置をしただけだから、まだ安静にしていないと」
アンジェリカの恋人・メドロがたしなめる。
「オイラにもコレが何なのかは分からない。アンジェリカ達が密かに打ち合わせていた作戦、なんだろうけど……」
黒い空間はもう、他の兵たちが踏み込んでも何も起こらない。黒渦の中に消えたブラダマンテ達はどこに行ってしまったのか。
二人は皆に置いていかれた歯がゆさにやきもきしたが……今はアンジェリカ達を信じて待つしかなかった。
**********
司藤アイは気がつくと、荒涼たる闇の世界にいた。
かつて見た風景。過去に二度訪れた事のある「月」――過去の記憶に基づく精神世界である。
「ふふ……上手く、行きましたね」
アイの隣にはメリッサがいた。強大な術を行使した影響で、随分と疲労しているようだが……彼女は注意深く月世界を見渡していた。仲間を探しているようだ。
程なくして近くにいた、アストルフォとアンジェリカの姿が目に入った。
「アストルフォ様、アンジェリカ様。
無事にこちらの世界に入って来れたようですね」
「……これは凄いな。本当にここは、エチオピアで訪れた月の世界なのかい?」
アストルフォは術を体験するのは初めてだったため、目を白黒させながら周囲の景色を確認していた。
アンジェリカの方はと言うと……頷きながら拳を握りしめている。
「うん、間違いない……私の『魂の記憶』が最後に見た場所と同じ……!
メリッサ、ありがとう。ここが月の世界なら、当然あの『川』もあるのよね?」
アンジェリカ――錦野麗奈の問いに、メリッサはコクリと頷いた。
三人の様子を見て、アイは訊いた。
「メリッサ達の計画って、『月』の世界に移動する事だったの?」
「ええ、その通りですわブラダマンテ」メリッサは肯定した。
「不死身の『怪物』といえど、この地であれば――消滅させる事ができます。
レテ川の力を使えば。ブラダマンテなら、よーくご存知ですわよね?」
レテとは忘却の川。物語世界の人間や存在は、この川の水に浸かると忘れられ――やがて消滅するのだ。
ブラダマンテとメリッサは以前、南フランスにてこの術に巻き込まれ……死闘を繰り広げた事がある。その時にレテ川の恐ろしさは嫌というほど思い知った。
(確かに……あの時のタタール王マンドリカルドのように。
「怪物」をレテ川に突き落とせば、倒す事ができるかも……)
危険は伴うが、有効な戦術であるようにアイには思えた。
しかし辺りにいるのはアイ達4人のみ。先刻まで戦っていた「怪物」の姿もなければ、黒崎の姿も見えない。
それ以前に、ここはレテ川の近くではないらしい。荒野には種々雑多なガラクタが転がっているが、まずは川を探さなくてはならないだろう。
「じゃあメリッサ。『怪物』もこっちに来ているのね?」
「ええ。奴も誘い込まなければ、術の意味がありませんもの」
アイ達はレテ川を探すべく動いた。
エチオピアの冒険から随分と時間が経っている。だが「月」は過去の精神世界。朧げだった記憶は再び鮮明に蘇り――ガラクタを道標にして川の位置を割り出すのに、さほど時間はかからなかった。
「やったわ! アレがレテ川よね?」アンジェリカが歓声を上げた。
「ああ……ボクも見覚えがある。間違いないだろう」アストルフォが言った。
無色透明な川の水の中に、無数の名札や騒がしい鳥たちの姿が見える。忘却された過去の死者たちと、彼らを忘れられまいと徒労するヘボ詩人たちの象徴であるという。
(「怪物」に出会わなかったのは幸運だったけど……黒崎はどこかしら……)
忘却の川を見つけられたのがよっぽど嬉しかったのか、アンジェリカは先んじて川面に近寄った。
しかし――その時不意に、アイの脳裏に鋭い警告が響いた。
『気をつけろアイ君! アンジェリカが狙われているぞ! 頭上だッ!』
警告は下田教授の発した念話だった。ハッとしてアイが空を見上げると――夜の闇に紛れ、禍々しい鱗帷子の光沢が覗いた。
「アンジェリカッ!」
ブラダマンテ――司藤アイは駆け出した。得物のファルシオンを抜き放ち、落下してくる「怪物」の斬撃をどうにか防いだ。
間一髪アンジェリカを守った――と安堵したのも束の間、「怪物」は怒涛の勢いで女騎士を攻め立てる! 恐るべき怪力は健在で、ブラダマンテは防戦するのがやっとだった。
「ぐッ……しまった!」
アストルフォとメリッサは下田の念話を聞く事ができない為、女騎士と比べ初動が遅れた。
本来ならブラダマンテが「怪物」を相手取っている間に、襲われたアンジェリカを保護すべきなのに……二人は立ち止まり、歯噛みしていた。
「どうしたの二人とも! アンジェリカを安全な場所へッ」
「怪物」の半月刀を受け流し、広く間合いを取った隙に――ブラダマンテは背後に目を向けた。
恐るべき光景が視界に入る。彼女はアストルフォらが動けない事情を悟った。
アンジェリカは囚われていた。無数の黒い影のような触手に全身を絡め取られ、苦しげに喘いでいた。
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