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第9章 物語は綻びる
28 錯綜、瞬間、絶叫
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本の悪魔Furiosoは衝撃を受けた。
(バカな……あれは黒崎八式!?
何故奴があんな所に……しかも黄金の指輪まで持っているんだァ!?)
「ブルガリア王の一族に扮装した時、黒崎に口づけの演出をしたでしょう?
あの時にこっそり、彼に指輪を渡しておいたの。
この計画にあなたが『気づいているかもしれない』事を見越してね」
勝ち誇るアンジェリカ。
あの指輪は口に含めば姿を消せる。メリッサの転移術が発動する寸前、彼は指輪を使ったのだろう。そして今の今まで、誰にも気づかれずに川に近づけたのだ。
失策を悟った悪魔は、狂ったような奇声を発すると――拘束していた彼女を突き飛ばすように離脱し、黒崎の下へ飛んでいった。
ようやく戒めが解けたのも束の間、アンジェリカは着地の際にバランスを崩してしまった。
(嘘、足に力が入らない……まずい、この先は――!)
忘却の川レテの水が眼下に見える。
物語世界の全ての人間と存在を消失させる、恐るべき川。
(参ったわね。私に錦野麗奈として生きる気力があれば、きっと川に飛び込んでもほとんど影響はない、ハズだったのに――)
現実世界の記憶を取り戻した今でさえ。
彼女の心の内を占めるのは、放浪の美姫アンジェリカとしての自分。
幾度も巡り合い、結ばれ、共に愛を育んだ恋人メドロとの思い出だった。
(アイちゃんや黒崎くんたちを現実世界へ戻せるなら、仕方ないか。
でも浩介が悲しむかな?
それにメドロに私のこと、忘れられるのは嫌だなぁ――)
だが川面に接触する寸前、彼女の身体を掴み支える者がいた。
フランク随一の美貌を持つ騎士にして、イングランド王子アストルフォである。Furiosoが離脱した直後にすでに駆け出していたのだろう。
「……アストルフォ、様……」
「全く、本当に危なっかしいな君ってやつは。
君がいなくなったら、メドロ君が悲しむだろう?」
「……うん、ありが――」
礼を言いかけたその時、レテ川の水が大きく跳ねた。
川の中にいた無数の鳥たちが飛び出し、水しぶきが舞ったのだ。
危険極まりない死を振り撒く水が――二人に浴びせられた。
**********
女騎士ブラダマンテの脇をすり抜け、ロジェロの下へ走る「怪物」。
それを見てブラダマンテも追いすがろうとするが、この期に及んでも身体能力は死した化け物の方が上だった。
いくら「怪物」がひた走ろうが、川の上流にいる黒崎へはまだ遠い。
加えて黒崎は敵と戦う必要はない。アンジェリカより託された黄金の指輪をレテ川に捨て去るだけだ。それで全てが決着する。
ブラダマンテ――司藤アイも黒崎も、勝利を確信した。が――
「怪物」は奇怪な行動に出た。走っても間に合わないと判断したのか、手にした半月刀を大きく振りかぶった。
どうやら投擲するつもりらしい。人間離れした怪力と、筋組織の破壊すら厭わぬ死者からこそできる芸当だろう。
(まずい――アレを投げられたら、たとえ指輪を捨てられたとしても黒崎がッ)
アイは歴戦の女騎士の見地から、即座に起こり得る未来を予測した。
せめて自分が「怪物」に追いつき、妨害する事ができれば。彼女は必死で走ったが、投擲には到底間に合いそうになかった。
(せっかくここまで来たのに。わたし、何の役にも立てないの……?)
暗澹たる結末が脳裏をよぎり、半ば絶望しかけた矢先。
「諦めないでブラダマンテ。お忘れですか?
貴女には――このメリッサがついています」
女騎士のすぐ傍から、優しく囁く声が聞こえた。
尼僧メリッサ。類稀なる魔術の使い手でもある。集中に時間のかかる変身術こそ今は使えないが――彼女が用いたのは、身体強化の術であった。
(身体が――軽い! 疲労なんてものともしない程、力が湧いてくる!)
「ありがとうメリッサ。
本当にあなたは――超絶頼りになるハイパー美少女尼僧だわ」
冗談めかしたブラダマンテの小さな呟きが、耳に届いたかは定かでないが。
きっと背後で、メリッサは微笑んでくれているに違いない。
アイは強化された漲る力を以て追い縋る。遠かった距離が一気に縮まり、武器を投げるべく留まっていた「怪物」の背に手が届く!
「おっああああッッッッ!!」
気合十分の雄叫びと共に、女騎士はファルシオンを背中から突き刺した。
「怪物」の腹にはマルフィサの槍で空いた大穴が未だ残っている。仕留める必要はない。この穴に剣を突き刺し、体勢を崩してしまえば――!
ブラダマンテは死力を振り絞ってファルシオンを横に薙いだ。
さしもの頑強な鱗帷子も、パリにてオルランドと一晩中戦い、マルフィサの槍で亀裂の入った状態ではその一撃に耐え切れず……胴部分が砕け散った!
投擲寸前で大きくバランスを崩された「怪物」の半月刀は、投げられはしたものの軌道は僅かにズレた。
指輪を投げようとしていた黒崎も寸での所で投擲に気づき、間一髪で身をかわす事に成功した。
「……や、やった……!」
ごく僅かの時間とはいえ、限界を越えた動きはブラダマンテの肉体に多大な負荷を与えていた。
黒崎の命を救えた。その結果に安堵した途端、どっと疲労が押し寄せてくる。
「危ねえ――ありがとよ司藤」
一瞬出遅れたものの、指輪を捨てる事に変わりはない。
そう思った途端……ゾクリ、と黒崎の心に形状しがたい悪寒が湧き上がったが。
(ここまで来て、躊躇ってる暇はねえ。決着をつけねえとッ)
黒崎は一思いに黄金の指輪をレテ川へと放り投げた。小さな煌きは川面へと吸い込まれ――
不意に指輪の周囲に、黒い煙がまとわりついて空中で止まった。
「なッ…………!?」
不測の事態に黒崎が目を見開くと――煙は異形の姿に膨れ上がった。
川面に近かった為、下半身の黒馬の部分は水に浸かり――凄まじい光と共に文字に分解され消失していく!
「月」世界に狂気の絶叫が響き渡った。
耳をつんざく悲鳴が途切れると――そこには上半身と翼を残し、指輪を手にして勝ち誇る本の悪魔がいた。
(バカな……あれは黒崎八式!?
何故奴があんな所に……しかも黄金の指輪まで持っているんだァ!?)
「ブルガリア王の一族に扮装した時、黒崎に口づけの演出をしたでしょう?
あの時にこっそり、彼に指輪を渡しておいたの。
この計画にあなたが『気づいているかもしれない』事を見越してね」
勝ち誇るアンジェリカ。
あの指輪は口に含めば姿を消せる。メリッサの転移術が発動する寸前、彼は指輪を使ったのだろう。そして今の今まで、誰にも気づかれずに川に近づけたのだ。
失策を悟った悪魔は、狂ったような奇声を発すると――拘束していた彼女を突き飛ばすように離脱し、黒崎の下へ飛んでいった。
ようやく戒めが解けたのも束の間、アンジェリカは着地の際にバランスを崩してしまった。
(嘘、足に力が入らない……まずい、この先は――!)
忘却の川レテの水が眼下に見える。
物語世界の全ての人間と存在を消失させる、恐るべき川。
(参ったわね。私に錦野麗奈として生きる気力があれば、きっと川に飛び込んでもほとんど影響はない、ハズだったのに――)
現実世界の記憶を取り戻した今でさえ。
彼女の心の内を占めるのは、放浪の美姫アンジェリカとしての自分。
幾度も巡り合い、結ばれ、共に愛を育んだ恋人メドロとの思い出だった。
(アイちゃんや黒崎くんたちを現実世界へ戻せるなら、仕方ないか。
でも浩介が悲しむかな?
それにメドロに私のこと、忘れられるのは嫌だなぁ――)
だが川面に接触する寸前、彼女の身体を掴み支える者がいた。
フランク随一の美貌を持つ騎士にして、イングランド王子アストルフォである。Furiosoが離脱した直後にすでに駆け出していたのだろう。
「……アストルフォ、様……」
「全く、本当に危なっかしいな君ってやつは。
君がいなくなったら、メドロ君が悲しむだろう?」
「……うん、ありが――」
礼を言いかけたその時、レテ川の水が大きく跳ねた。
川の中にいた無数の鳥たちが飛び出し、水しぶきが舞ったのだ。
危険極まりない死を振り撒く水が――二人に浴びせられた。
**********
女騎士ブラダマンテの脇をすり抜け、ロジェロの下へ走る「怪物」。
それを見てブラダマンテも追いすがろうとするが、この期に及んでも身体能力は死した化け物の方が上だった。
いくら「怪物」がひた走ろうが、川の上流にいる黒崎へはまだ遠い。
加えて黒崎は敵と戦う必要はない。アンジェリカより託された黄金の指輪をレテ川に捨て去るだけだ。それで全てが決着する。
ブラダマンテ――司藤アイも黒崎も、勝利を確信した。が――
「怪物」は奇怪な行動に出た。走っても間に合わないと判断したのか、手にした半月刀を大きく振りかぶった。
どうやら投擲するつもりらしい。人間離れした怪力と、筋組織の破壊すら厭わぬ死者からこそできる芸当だろう。
(まずい――アレを投げられたら、たとえ指輪を捨てられたとしても黒崎がッ)
アイは歴戦の女騎士の見地から、即座に起こり得る未来を予測した。
せめて自分が「怪物」に追いつき、妨害する事ができれば。彼女は必死で走ったが、投擲には到底間に合いそうになかった。
(せっかくここまで来たのに。わたし、何の役にも立てないの……?)
暗澹たる結末が脳裏をよぎり、半ば絶望しかけた矢先。
「諦めないでブラダマンテ。お忘れですか?
貴女には――このメリッサがついています」
女騎士のすぐ傍から、優しく囁く声が聞こえた。
尼僧メリッサ。類稀なる魔術の使い手でもある。集中に時間のかかる変身術こそ今は使えないが――彼女が用いたのは、身体強化の術であった。
(身体が――軽い! 疲労なんてものともしない程、力が湧いてくる!)
「ありがとうメリッサ。
本当にあなたは――超絶頼りになるハイパー美少女尼僧だわ」
冗談めかしたブラダマンテの小さな呟きが、耳に届いたかは定かでないが。
きっと背後で、メリッサは微笑んでくれているに違いない。
アイは強化された漲る力を以て追い縋る。遠かった距離が一気に縮まり、武器を投げるべく留まっていた「怪物」の背に手が届く!
「おっああああッッッッ!!」
気合十分の雄叫びと共に、女騎士はファルシオンを背中から突き刺した。
「怪物」の腹にはマルフィサの槍で空いた大穴が未だ残っている。仕留める必要はない。この穴に剣を突き刺し、体勢を崩してしまえば――!
ブラダマンテは死力を振り絞ってファルシオンを横に薙いだ。
さしもの頑強な鱗帷子も、パリにてオルランドと一晩中戦い、マルフィサの槍で亀裂の入った状態ではその一撃に耐え切れず……胴部分が砕け散った!
投擲寸前で大きくバランスを崩された「怪物」の半月刀は、投げられはしたものの軌道は僅かにズレた。
指輪を投げようとしていた黒崎も寸での所で投擲に気づき、間一髪で身をかわす事に成功した。
「……や、やった……!」
ごく僅かの時間とはいえ、限界を越えた動きはブラダマンテの肉体に多大な負荷を与えていた。
黒崎の命を救えた。その結果に安堵した途端、どっと疲労が押し寄せてくる。
「危ねえ――ありがとよ司藤」
一瞬出遅れたものの、指輪を捨てる事に変わりはない。
そう思った途端……ゾクリ、と黒崎の心に形状しがたい悪寒が湧き上がったが。
(ここまで来て、躊躇ってる暇はねえ。決着をつけねえとッ)
黒崎は一思いに黄金の指輪をレテ川へと放り投げた。小さな煌きは川面へと吸い込まれ――
不意に指輪の周囲に、黒い煙がまとわりついて空中で止まった。
「なッ…………!?」
不測の事態に黒崎が目を見開くと――煙は異形の姿に膨れ上がった。
川面に近かった為、下半身の黒馬の部分は水に浸かり――凄まじい光と共に文字に分解され消失していく!
「月」世界に狂気の絶叫が響き渡った。
耳をつんざく悲鳴が途切れると――そこには上半身と翼を残し、指輪を手にして勝ち誇る本の悪魔がいた。
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