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5.私はこの胸の痛みを理解した
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婚約者としてピエドラの隣で過ごすうちに、いつの間にか世界を綺麗にするという彼の願いは、私の願いにもなっていた。
ピエドラは、成長してもその瞳が濁ることはなかった。
王族として、この世界の綺麗ではない部分に触れることもあっただろう。
それでもピエドラがこの世界を綺麗にするという夢を諦めることはなかった。
ピエドラならこの醜くて、つまらない世界を変えてくれる。
彼は他の人とは違うのだ。
柄にもなく、私はそう思うようになっていた。
そんなことあるはずないとわかっていたはずなのに。
「エスメラルダ……」
その日のピエドラはいつもと様子が違った。
輝くような笑顔はそこになく、あったのはやつれた表情だけだ。
「ピエドラ殿下、どうなさったのですか?」
普段の様子とかけはなれたピエドラの姿に、私は思わず彼の手をとった。
「確か戦を学ぶために、野盗の討伐へ向かわれたのですよね。
そこで何かあったのですか?」
何かをこらえるように下を向いたピエドラは、ゆっくりとその口を開いた。
「……初めて人が殺されるところを見た」
「それは、野盗のことですよね?」
フェルゼン王国では、討伐対象となっている野盗は殺しても罪にはならない。
それどころか、治安維持に貢献したということで、褒賞金を貰えることだってある。
相手は野盗であり、ピエドラはこの国の王子だ。
正式な討伐任務として向かった以上、たとえ野盗を殺したとしても、ピエドラが気にやむことなどなにもない。
「もちろんそうさ。
彼らは手配されている野盗で、これまでたくさんの悪事を重ねてきた。
彼の死はフェルゼン王国の平和にとって喜ばしいことだ。
僕の目指す綺麗な世界に、彼のような悪人は必要ない」
私の手の中にあるピエドラの手に力が入る。
「討伐に向かうまで、僕は野盗を殺すということになんの疑いも持たなかった。
これは正しいことだと本気で信じていたんだ。
もちろん、今でも野盗討伐は正しいことだと思う。
でも、王国兵の手によって斬り殺されていく野盗を見たときに思ってしまったんだ。
僕の理想とする世界に、果たして僕の居場所はあるのだろうか、と。
綺麗な世界にするなんて言って、やっているのは人殺しだ。
僕と殺されていった野盗に、いったいどれだけの違いがあるのかわからないよ……」
その声は震えていて、今にも私の手を離れてどこかへと消えてしまいそうな脆さがあった。
ピエドラの言う「綺麗な世界」というのは、結局は実現困難な理想論であり、そこに至るまでの過程を一切考慮に入れていない。
目の前の悪を排除することは、正しいかどうかはともかく、「綺麗な世界」を実現するための一歩には違いない。
人の死を目の当たりにするということがショックなのは理解できる。
だが、一歩踏み出す度に揺らいでいては、いつになったって理想にたどり着くことなどできないだろう。
ピエドラは間違いなく善人だ。
野盗の死ですら憂えるのだから。
しかし、結局は優しいだけの男だったということだ。
ピエドラに「綺麗な世界」なんてものをつくることはできない。
結局はピエドラもこの世界の、つまらない人間の一人に過ぎないのだ。
そんな当たり前の、わかりきっていたことなのに。
いつものように、冷めた目で自分の世界から切り捨ててしまえばいいだけなのに。
どうして。
どうして私の胸はこんなにも締めつけられているのだろう。
私は産まれて初めて感じる、この理解不能な感覚に困惑した。
ただ、ピエドラを突き放せばいい。
誰かを突き放すことなど、当たり前にやっていたではないか。
だというのに、ピエドラを拒絶することを考えると、胸が痛くて、苦しくてどうにかなりそうだった。
いったい、どうしてしまったのだろう。
ふと顔を上げると、そこには今にも泣き出しそうな、くしゃくしゃなピエドラの顔があった。
その顔を見た瞬間、私はこの胸の痛みを理解した。
(私はピエドラに、こんな顔をさせたくないんだわ)
他人など気にも止めていなかった私が、自ら誰かに干渉しようとするなんて。
自分の心境の変化に驚きこそしたが、そこに不快感はなく、むしろ心地よさすら感じていた。
ピエドラには笑顔でいて欲しい。
あの太陽のように輝く、温かな笑顔を私に見せて欲しい。
私はピエドラの、いつの間にか随分と大きくなっていた背中に両手を回すと、そのままぎゅっと抱き締めた。
「……エスメラルダ?」
「「綺麗な世界」を目指してください。
殿下はこの国の、私の道標なのです。
もちろん私も協力させていただきます。
「綺麗な世界」の、みんなが笑顔でいられる世界のために」
どうやら私も、つまらないと見下していた人たちと同じ、つまらない人間の一人だったらしい。
こんな優しいだけの、夢見がちな男にどうしようもなく惹かれてしまっているのだから。
つまらない人間でもいい。
ピエドラが笑顔でいてくれるためなら、私は。
ピエドラは、成長してもその瞳が濁ることはなかった。
王族として、この世界の綺麗ではない部分に触れることもあっただろう。
それでもピエドラがこの世界を綺麗にするという夢を諦めることはなかった。
ピエドラならこの醜くて、つまらない世界を変えてくれる。
彼は他の人とは違うのだ。
柄にもなく、私はそう思うようになっていた。
そんなことあるはずないとわかっていたはずなのに。
「エスメラルダ……」
その日のピエドラはいつもと様子が違った。
輝くような笑顔はそこになく、あったのはやつれた表情だけだ。
「ピエドラ殿下、どうなさったのですか?」
普段の様子とかけはなれたピエドラの姿に、私は思わず彼の手をとった。
「確か戦を学ぶために、野盗の討伐へ向かわれたのですよね。
そこで何かあったのですか?」
何かをこらえるように下を向いたピエドラは、ゆっくりとその口を開いた。
「……初めて人が殺されるところを見た」
「それは、野盗のことですよね?」
フェルゼン王国では、討伐対象となっている野盗は殺しても罪にはならない。
それどころか、治安維持に貢献したということで、褒賞金を貰えることだってある。
相手は野盗であり、ピエドラはこの国の王子だ。
正式な討伐任務として向かった以上、たとえ野盗を殺したとしても、ピエドラが気にやむことなどなにもない。
「もちろんそうさ。
彼らは手配されている野盗で、これまでたくさんの悪事を重ねてきた。
彼の死はフェルゼン王国の平和にとって喜ばしいことだ。
僕の目指す綺麗な世界に、彼のような悪人は必要ない」
私の手の中にあるピエドラの手に力が入る。
「討伐に向かうまで、僕は野盗を殺すということになんの疑いも持たなかった。
これは正しいことだと本気で信じていたんだ。
もちろん、今でも野盗討伐は正しいことだと思う。
でも、王国兵の手によって斬り殺されていく野盗を見たときに思ってしまったんだ。
僕の理想とする世界に、果たして僕の居場所はあるのだろうか、と。
綺麗な世界にするなんて言って、やっているのは人殺しだ。
僕と殺されていった野盗に、いったいどれだけの違いがあるのかわからないよ……」
その声は震えていて、今にも私の手を離れてどこかへと消えてしまいそうな脆さがあった。
ピエドラの言う「綺麗な世界」というのは、結局は実現困難な理想論であり、そこに至るまでの過程を一切考慮に入れていない。
目の前の悪を排除することは、正しいかどうかはともかく、「綺麗な世界」を実現するための一歩には違いない。
人の死を目の当たりにするということがショックなのは理解できる。
だが、一歩踏み出す度に揺らいでいては、いつになったって理想にたどり着くことなどできないだろう。
ピエドラは間違いなく善人だ。
野盗の死ですら憂えるのだから。
しかし、結局は優しいだけの男だったということだ。
ピエドラに「綺麗な世界」なんてものをつくることはできない。
結局はピエドラもこの世界の、つまらない人間の一人に過ぎないのだ。
そんな当たり前の、わかりきっていたことなのに。
いつものように、冷めた目で自分の世界から切り捨ててしまえばいいだけなのに。
どうして。
どうして私の胸はこんなにも締めつけられているのだろう。
私は産まれて初めて感じる、この理解不能な感覚に困惑した。
ただ、ピエドラを突き放せばいい。
誰かを突き放すことなど、当たり前にやっていたではないか。
だというのに、ピエドラを拒絶することを考えると、胸が痛くて、苦しくてどうにかなりそうだった。
いったい、どうしてしまったのだろう。
ふと顔を上げると、そこには今にも泣き出しそうな、くしゃくしゃなピエドラの顔があった。
その顔を見た瞬間、私はこの胸の痛みを理解した。
(私はピエドラに、こんな顔をさせたくないんだわ)
他人など気にも止めていなかった私が、自ら誰かに干渉しようとするなんて。
自分の心境の変化に驚きこそしたが、そこに不快感はなく、むしろ心地よさすら感じていた。
ピエドラには笑顔でいて欲しい。
あの太陽のように輝く、温かな笑顔を私に見せて欲しい。
私はピエドラの、いつの間にか随分と大きくなっていた背中に両手を回すと、そのままぎゅっと抱き締めた。
「……エスメラルダ?」
「「綺麗な世界」を目指してください。
殿下はこの国の、私の道標なのです。
もちろん私も協力させていただきます。
「綺麗な世界」の、みんなが笑顔でいられる世界のために」
どうやら私も、つまらないと見下していた人たちと同じ、つまらない人間の一人だったらしい。
こんな優しいだけの、夢見がちな男にどうしようもなく惹かれてしまっているのだから。
つまらない人間でもいい。
ピエドラが笑顔でいてくれるためなら、私は。
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