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1.『聖女』のお務め
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「ミレーユ様~!」
呼び掛けに振り向いた私は、微笑みを浮かべながらそっと右手を振った。
純白のベールの下からふわりと宙を舞った黄金色の髪が、日の光を透かしきらきらと光を放つ。
「きゃーっ! ミレーユ様が手を振って下さったわ!」
「ミレーユ様の生み出す『聖水』のおかげで、私たちは元気に暮らしていけます!」
「ありがとう、ミレーユ様~!」
人々の歓声をその背に浴びながら、私は聖堂の中へと入った。
「流石は我がグリメンス領の誇る『聖女』だ。相変わらずミレーユ殿の人気は素晴らしい」
しんと静まりかえった聖堂の中には二人の男がいた。
聖堂に自由に出入りできる者は限られている。
いずれも面識はあるが、できればこの場で顔を会わせたくはなかった。
「ロフト様……。御用がおありでしたら、呼びつけて頂ければ私のほうから伺いますのに」
ロフト・グリメンス。
それが声をかけてきた男の名前である。
細い目にうっすらと笑みを浮かべた四十余りの優男。
ここグリメンス領の領主であり、私が最も会いたくない人間だ。
ロフトは領主として充分に優秀な人間といえるだろう。
グリメンス領は国内でも比較的豊かな領地であり、ロフト自身、民からの信頼もあつい。
私もただの平民であったのなら、ロフトの治めるこのグリメンス領で暮らせることに喜びを感じていただろう。
実際、『聖女』になる前はそうだった。
しかし、『聖女』として見出だされ、『聖女』としての責務を果たさなければならない身の上となってしまった以上、そう素直にロフトの存在を受け入れることはできなかった。
「いや、なに。久しぶりにミレーユ殿のお務めを見学しようと思ってね」
ロフトの言葉に、私は身体が強張るのを感じた。
お務めの見学。
それは私がロフトを受け入れることのできない理由でもある。
「……そう何度も見学されたところで、代わり映えするものでもありません。ロフト様を退屈させてしまうのは、私としましても心苦しいですわ」
無駄だとわかっていても、暗に帰れと言わずにはいられない。
それだけ私にとってお務めの見学というのは受け入れがたいことだった。
そして悲しいことに、ロフトが私の意を汲んでくれることなどない。
「退屈だなんてとんでもない! なにせ『聖女』のお務めの内容を知っているのは、この聖堂にいる修道女の一握り。そして男ではグリメンス領の領主であるこの私だけなのだから。ミレーユ殿を『聖女』と慕う民草のうちの誰も知らない秘密を知っている。それだけで心が悦びで満たされるよ」
恍惚の笑みを浮かべるロフトに思わず背筋が震える。
『聖女』だなどともてはやされても、元々ただの平民だった私に自由にできる権力などない。
どれだけロフトの存在を受け入れがたくても、拒絶することなどできなかった。
「……ロフト様がそうおっしゃるなら。それでサイト様はなぜ聖堂にいらっしゃるのでしょうか?」
私はもう一人の男へと視線を向けた。
「サイトももう二十歳になるからね。そろそろ次期領主として、『聖女』のお務めと『聖水』について知っておいてもらおうと思ってね」
「っ! ……サイト様もご一緒に見学なさるのですか?」
今まで外で顔を合わせることはあっても、聖堂を訪れたことなど一度もなかったサイト。
それはロフトが『聖女』の秘密について、民衆はもちろん、家族にすら明かしていなかったからだ。
ロフトの命で、聖堂への立ち入りは厳重に管理されており、次期領主であるサイトですら足を踏み入れることができなかった。
そのサイトが聖堂内にいる。
姿を確認したときからまさかとは思っていた。
当たって欲しくない予想だった。
「そういうことだ。グフッ。よろしく、ミレーユ様」
サイトのねばつくような視線に鳥肌が立つ。
引き締まった体躯であるロフトとは異なり、サイトはその身を脂肪で覆っていた。
領主の息子として、幼少の頃より甘やかされて育てられたのだろう。
とくにここ数年は『聖女』と『聖水』の恩恵もあり、この地を治める彼らはより贅を尽くした生活を送っているはずだ。
人を見た目で判断するつもりはないが、それでもやはり私はサイトという男が苦手だった。
生理的に受け付けないと言うべきだろうか。
丸々と太った身体に、脂ぎった顔。
私を見るその粘着質な視線には、下卑た欲求が露骨に見てとれる。
正直、私が『聖女』という立場で、サイトが領主の息子という立場でなかったのなら、けっして関わりたくない相手である。
そんな相手がお務めの見学をする。
いずれそんな日が来ることを想像しなかったわけではないが、それでもやはりいざそのときになると、容易く受け入れられることではなかった。
嫌悪感から膝が震え、崩れ落ちそうになるがどうにか踏みとどまる。
どれだけ嫌であろうと、私に逆らう力はない。
もし意を唱えようものなら、私の生まれ育った孤児院がどうなるかわからない。
今こうして会話できているのも、それは二人の気まぐれに他ならない。
私が『聖女』として従順に振る舞い、この地に益をもたらしているから自由を許されているだけだ。
彼らからしてみれば、私を縛りつけ無理やりお務めをさせるほうが遥かに簡単なのだから。
「……わかりました。それではこれよりお務めを始めますので、こちらへどうぞ」
目をそらしても、現実が変わることはない。
抵抗して今ある自由を奪われるくらいならば、どれだけ屈辱的なことであったとしても受け入れる他ない。
呼び掛けに振り向いた私は、微笑みを浮かべながらそっと右手を振った。
純白のベールの下からふわりと宙を舞った黄金色の髪が、日の光を透かしきらきらと光を放つ。
「きゃーっ! ミレーユ様が手を振って下さったわ!」
「ミレーユ様の生み出す『聖水』のおかげで、私たちは元気に暮らしていけます!」
「ありがとう、ミレーユ様~!」
人々の歓声をその背に浴びながら、私は聖堂の中へと入った。
「流石は我がグリメンス領の誇る『聖女』だ。相変わらずミレーユ殿の人気は素晴らしい」
しんと静まりかえった聖堂の中には二人の男がいた。
聖堂に自由に出入りできる者は限られている。
いずれも面識はあるが、できればこの場で顔を会わせたくはなかった。
「ロフト様……。御用がおありでしたら、呼びつけて頂ければ私のほうから伺いますのに」
ロフト・グリメンス。
それが声をかけてきた男の名前である。
細い目にうっすらと笑みを浮かべた四十余りの優男。
ここグリメンス領の領主であり、私が最も会いたくない人間だ。
ロフトは領主として充分に優秀な人間といえるだろう。
グリメンス領は国内でも比較的豊かな領地であり、ロフト自身、民からの信頼もあつい。
私もただの平民であったのなら、ロフトの治めるこのグリメンス領で暮らせることに喜びを感じていただろう。
実際、『聖女』になる前はそうだった。
しかし、『聖女』として見出だされ、『聖女』としての責務を果たさなければならない身の上となってしまった以上、そう素直にロフトの存在を受け入れることはできなかった。
「いや、なに。久しぶりにミレーユ殿のお務めを見学しようと思ってね」
ロフトの言葉に、私は身体が強張るのを感じた。
お務めの見学。
それは私がロフトを受け入れることのできない理由でもある。
「……そう何度も見学されたところで、代わり映えするものでもありません。ロフト様を退屈させてしまうのは、私としましても心苦しいですわ」
無駄だとわかっていても、暗に帰れと言わずにはいられない。
それだけ私にとってお務めの見学というのは受け入れがたいことだった。
そして悲しいことに、ロフトが私の意を汲んでくれることなどない。
「退屈だなんてとんでもない! なにせ『聖女』のお務めの内容を知っているのは、この聖堂にいる修道女の一握り。そして男ではグリメンス領の領主であるこの私だけなのだから。ミレーユ殿を『聖女』と慕う民草のうちの誰も知らない秘密を知っている。それだけで心が悦びで満たされるよ」
恍惚の笑みを浮かべるロフトに思わず背筋が震える。
『聖女』だなどともてはやされても、元々ただの平民だった私に自由にできる権力などない。
どれだけロフトの存在を受け入れがたくても、拒絶することなどできなかった。
「……ロフト様がそうおっしゃるなら。それでサイト様はなぜ聖堂にいらっしゃるのでしょうか?」
私はもう一人の男へと視線を向けた。
「サイトももう二十歳になるからね。そろそろ次期領主として、『聖女』のお務めと『聖水』について知っておいてもらおうと思ってね」
「っ! ……サイト様もご一緒に見学なさるのですか?」
今まで外で顔を合わせることはあっても、聖堂を訪れたことなど一度もなかったサイト。
それはロフトが『聖女』の秘密について、民衆はもちろん、家族にすら明かしていなかったからだ。
ロフトの命で、聖堂への立ち入りは厳重に管理されており、次期領主であるサイトですら足を踏み入れることができなかった。
そのサイトが聖堂内にいる。
姿を確認したときからまさかとは思っていた。
当たって欲しくない予想だった。
「そういうことだ。グフッ。よろしく、ミレーユ様」
サイトのねばつくような視線に鳥肌が立つ。
引き締まった体躯であるロフトとは異なり、サイトはその身を脂肪で覆っていた。
領主の息子として、幼少の頃より甘やかされて育てられたのだろう。
とくにここ数年は『聖女』と『聖水』の恩恵もあり、この地を治める彼らはより贅を尽くした生活を送っているはずだ。
人を見た目で判断するつもりはないが、それでもやはり私はサイトという男が苦手だった。
生理的に受け付けないと言うべきだろうか。
丸々と太った身体に、脂ぎった顔。
私を見るその粘着質な視線には、下卑た欲求が露骨に見てとれる。
正直、私が『聖女』という立場で、サイトが領主の息子という立場でなかったのなら、けっして関わりたくない相手である。
そんな相手がお務めの見学をする。
いずれそんな日が来ることを想像しなかったわけではないが、それでもやはりいざそのときになると、容易く受け入れられることではなかった。
嫌悪感から膝が震え、崩れ落ちそうになるがどうにか踏みとどまる。
どれだけ嫌であろうと、私に逆らう力はない。
もし意を唱えようものなら、私の生まれ育った孤児院がどうなるかわからない。
今こうして会話できているのも、それは二人の気まぐれに他ならない。
私が『聖女』として従順に振る舞い、この地に益をもたらしているから自由を許されているだけだ。
彼らからしてみれば、私を縛りつけ無理やりお務めをさせるほうが遥かに簡単なのだから。
「……わかりました。それではこれよりお務めを始めますので、こちらへどうぞ」
目をそらしても、現実が変わることはない。
抵抗して今ある自由を奪われるくらいならば、どれだけ屈辱的なことであったとしても受け入れる他ない。
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