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21戻った日常
しおりを挟む真神(まがみ)とは、魔神とも書く。
その力があまりにも強く、悪しきに向けば世界が終わると伝えられているために、人々は畏怖の念を込めて「魔神」と呼ぶことのほうが多くなった。
李劉蓮は、その生が始まったときから強大な力を持っていた。
誕生した瞬間から言葉を話せた。すでに倫理を理解し、産声を上げることもない。彼はなんと誕生する前から世界を見ていたと語り、力が溢れそうだったから出てきたのだと、まるで天気の話をするかのように語ったという。
彼が真神となったのは、なんと10歳の頃だった。
彼を除けば、真神はほかに3柱のみ。真神という存在は価値が高く希少で、そして世界からは宝のごとく扱われる。
彼は10という齢から、世界に襲いくる恐怖と戦っていた。世界から大切に守られながら、彼は世界を守るためだけに生きていた。
その世界は薄暗く、太陽の下には常に分厚い曇が広がっている。寒いわけでも暑いわけでもない。木も水もない。建物はあっても低く、人類と呼ばれる生き物はだいたい地下で暮らしている。そこかしこから怪物の声が響き、彼らが暴れるために地上には誰も出られないのだ。しかしある区域だけは地上で人類が暮らしている。それが”真神”を管理している区域で、その世界では”希望の地”と呼ばれていた。
真神は希望だ。しかし真神にとってはどうだろう。
朝も夜も分からない。常に薄暗いその世界で、彼らは毎日毎日同じことばかりを繰り返している。
楽しくないなんて、そんな感覚もない。
楽しいことを知らなかった可哀想な李劉蓮は、自分がいかにつまらない場所に居るのか、そんなことも分かっていなかった。
「あら? あなたはいつぞやの」
声をかけられたために振り返れば、そこにはあの自称女神が立っていた。
相変わらずやけに露出の多い服を着て、そのスタイルの良さを見せつけている。
「あ、変な女神」
「変なって失礼じゃないですかー? 私はあなたの望む世界に飛ばしましたよね」
「それねー。ちょっと失敗したんだよね。もう少し条件絞れば良かったなって……」
「あなたなかなか貪欲ですねえ」
女神は呆れたように肩を竦めた。
「それで、なんでまたここに? また死んだとか?」
「そうだ! そうそう、僕今意識体になったんだけどさ、前に入ってた肉体、別の世界に飛ばしてあげてよ。ほら、あんたが転移させた、僕が入ってた体の意識体と同じ世界に!」
「なんかごちゃごちゃしてますけど、つまり肉体ごと転移させてやれってことですね? ……まあいいでしょう。あなたは貢献度がもっとも高いので」
目の前の女性が”女神”かは定かではないが、これでひとまずシグラのほうは大丈夫だろう。肉体さえあれば恋人との仲がさらに深まる。せっかく幸せを掴んだのだから、もはや半身とも思えるシグラにはこれからも楽しく生きてほしいものである。
「それであなたはどうするんです? また死んじゃったなら、次の転生もしましょうか?」
「いや、僕死んでなかったみたいでさ。戻るんだよね、これから」
「えー! そうなんですか!? 初めて聞きましたそんなこと!」
「僕もまさか自分の肉体が再生するとは思わなかった」
「呑気に言ってる場合ですかー! 元の世界に戻るということは、また男性同士の恋愛が普通じゃないところに戻るんですよ。あなたの毎日の潤いはどうするんですかっ」
「それなんだよー。そもそも”恋愛”なんて概念がないからなぁ……地下で暮らす人たちはともかく、真神は”樹”から生まれるから余計に人間のそういうの分からないし。人なのかどうかも危ういし……潤いなくなるよねぇ」
絶対に問題はそこではないのだが、二人は腕を組んでうんうんと悩む。
「そうだ! また別の世界に転生しちゃいます? 意識体の今なら逃げられますよー」
「……いやー、それもなあ……」
彼の様子に、女神は「なんですか?」と首を傾げた。
「新しいところ行ったら、絶対楽しいんだよね。みんないい人だし、静かにのんびり暮らせるし……でも、元の世界で僕の肉体が生きてる限り追っ手は常にあるわけでしょ。最終的に別れることになるんなら、これ以上の転生は別にいらないかなぁ……」
「…………そうですけど……」
女神は納得できないとでも言いたげに唇を尖らせたけれど、強引に転生を進めることもない。変な言動と変な格好をしているだけできっと彼女は悪い人ではないのだろう。”女神”というのは定かではないが、彼は少なくとも彼女の人間性についてはそんなふうに思った。
「また会ったら転生させてよ。今度は男同士の恋愛が見れて、かつ平民で、冴えないけど絶対にラブハプニングを目撃できるモブポジションがいい」
「えー。今回も結構良いポジションでしたけどねー」
「ダメダメ。ぬるいよ。BLに関しては譲らないからな」
「むー……」
腑に落ちない顔をして、女神がむむっと眉を寄せる。
じゃあね、またどこかで。
そんな言葉が言えたのかは定かではない。
気がつけば彼の視界は真っ白に染まり、その眩しさに目を閉じていた。
「劉蓮様! 劉蓮様が目覚めたぞ!」
劉蓮はまず、覗き込む顔を認識した。見知った顔だ。ずらりと並ぶそれらは記憶よりもどれもが年老いて、劉蓮を泣きそうな顔で覗き込んでいた。世界が違えば時間の流れも違うのだろう。劉蓮にとって転生期間は短かったつもりだが、こちらの世界はあちら以上に時間が経っていたようだ。
真神を管理している帝国真神管理局に務めるのは人間である。時間が経てば歳もとる。50年といったところだろうか。そう思えば劉蓮を追いかけるのに時間がかかったようにも思えるが、かつて真神だったとある男が時空の”路”を繋ぎすぎていて、どれが”シグラ”の居る世界なのかを探すのに時間がかかったのだろう。なにせ時空は果てしない。あの空間から一つの”路”を見つけることは至難である。さらに時空とは頻繁に行けるところでもない。失敗すれば一瞬で命が吹き飛ぶ場所だ。良くて100日に一度行けるかどうか。そんな中50年という短い月日で”シグラ”の世界を見つけたのは、さすがは帝国真神護衛課といったところか。
ちなみに、そうして時空を繋ぎすぎた彼はその後”管理人”であると分かり不問とされたが、今どこで何をしているのかは誰も知らなかった。
「わー……最悪の目覚め」
「何をおっしゃいますか劉蓮様! みなあなたのことを待っておったのですよ!」
体を起こすと、その気怠さに一瞬頭がくらりと揺れる。
一度死んだからだろうか。あるいは意識が肉体にまだ馴染んでいなかったのか。確認のために一度手を動かしてみれば、思ったようには動かせた。
「洲芭(しゅうは)様がいらしております。飲み物はこちらへ置いておきますね。それでは失礼いたします」
彼のベッド周りに居た全員が頭を下げ、踵を返す。
室内には毛玉がぴょんぴょんと跳ねていた。人の頭ほどの大きさの毛玉だ。一人がそれを連れ出そうとひっ掴んだが、劉蓮が「それちょうだい」と言えばすぐに劉蓮に手渡した。
彼の手の中で、それはモゴモゴと必死にもがく。目も鼻もない。真っ黒な毛玉からは、ただ兎のような長い耳が生えている。それは上向きに伸びているのだが、途中で真下に向かって折れて、まるで足のように動いていた。
「耳脚毛玉(ブーマ・ジー)……やっぱり乗れないよなぁ……」
耳脚毛玉は愛玩である。彼も好んで飼っていたのだけど、どう見ても乗れるサイズではない。
ゼレアスのところで見た「ウマ」は、耳脚毛玉よりもうんと大きかった。筋肉質でたくましく、足も速い。この世界には地を駆ける生き物は居ないために、劉蓮にはとても新鮮だった。
「まったく困るよねぇ。500歳も越えたご老体なんだから、ちょっとは仕事量考えてほしいなぁ」
ノックもなく部屋に入ってきたのは、彼の友人である真神の一柱だった。
洲芭が扉から入ってくるなど珍しいことだ。劉蓮はそれに少し驚きながら、言われたことには苦笑を漏らした。
50年が経っても、洲芭は真神であるためにまったく変わった様子はなかった。彼と同じ真っ黒な髪は腰ほどまで伸ばされて、毛先に向かうにつれて金にグラデーションしている。瞳も黒く、肌は驚くほどに白い。中性的な容姿は目を引くほどには整っていた。
「それって僕が寝てたから?」
「そうでーす。劉蓮くんが寝てたから、私たちはとっても頑張ってましたぁ」
「ごめん……」
上品な仕草で近づくと、洲芭はベッドの側に腰掛ける。とはいえ椅子があるわけではない。洲芭は何もないところで、少し浮いた状態でくつろいでいるだけである。真神は浮かんでいるのが普通で、何かに座ったり、歩く必要もないのだ。
「劉蓮くん、きみさぁ、どうしてあんな庇い方したの」
「あんな?」
「襲われてた子ども。……無茶な庇い方だったよぉ。私たちから見れば、自分を壊したかったとしか思えなかった」
問い詰めるようなことを言うくせに答えには興味がないのか、洲芭は劉蓮から耳脚毛玉を奪い取った。そうして長い耳を引っ張って遊ぶ。耳脚毛玉は迷惑そうに鳴いていた。
「死にたかったのかもね」
「そうだろうねぇ。劉蓮くんはもうずっと退屈そうにしていたから」
特に驚く様子もなく、洲芭は耳脚毛玉を放り投げる。
「私が抱いている間だけだったよねぇ、きみが嬉しそうにするの。……んー、そういえば吏張(りちょう)くんも同じようなこと言ってた気がする……」
劉蓮は性に奔放だった。しかし最初からというわけではない。
異世界から持ってきたBL漫画を劉蓮に渡し、そして劉蓮に抱かれる快楽を教えたのは洲芭である。その後は快楽に取り憑かれたように、同じ真神であるあとの二人とも関係を持っていた。
だって、そのときだけだった。
劉蓮がこの薄暗い世界の中で唯一、色を感じられるのは。
「真神は聡いがゆえに生き辛い。……この世界の絶望に気付く」
「……もういいよ。戻ってきたんだし。また同じことをするようになる」
「ねぇ、どこに行っていたの? 雰囲気が少し変わったかなぁ。快楽しか知らなかったきみが、まるで本当の幸せを知ったみたいだ」
「幸せ……」
どうだったのだろう。
劉蓮にとって”シグラ”としての人生は、幸福だったのだろうか。
今でもよく覚えている。
世界の色。静かな時間。優しくて楽しい人たち。
まさに理想郷のような場所だった。
「楽しかったよ。あんなにしゃべったのも、たくさん人と関わったのも初めてだった。みんないい人で、僕のことに一生懸命でね。そうだ! オメガバースってあるでしょ。あの世界だったよ、生オメガバース! 最高だよね!」
「……ふふ、そっかぁ。いいなぁ、私も見てみたかった」
ふわふわと側にやってきた洲芭が、劉蓮の頬に触れる。
劉蓮の髪は肩ほどまである。やはり毛先に向けて金に変化しており、結われることもなくしっとりと流されていた。容姿は特別目立つようなものではない。それでもどこか気になってしまう、ずっと見ていれば可愛いようにも綺麗なようにも思えてくる不思議な容姿である。ある意味”魔性”であるというのは洲芭の見解だ。劉蓮の不思議な魅力に取り憑かれた管理局の人間がどれほど居るのか、洲芭はよく知っている。
洲芭からすれば、まだ100歳にもならない劉蓮など赤子のようなものだった。
誕生した頃から劉蓮を知っているし、だからこそあの手この手でこの世界を楽しませようと画策してきた。
劉蓮は幼い頃からほかの真神よりも聡かった。それがゆえにいつもつまらなさそうな顔をしていたし、このままでは本当に「魔神」になるのではないかと、洲芭はいつもハラハラとしていた。
ある日には異世界から仕入れた、この世界にはない”フルーツ”というものを食わせてやった。ある日には異世界から仕入れた”洋服”をプレゼントした。洲芭は劉蓮が魔神にならないよう、長い間手厚く見守っていた。
そしてある日、異世界から仕入れた”漫画”を渡してやった。一番反応が良かったのはそれだ。それがBL漫画であることは洲芭も知らなかったが、楽しそうだったからたくさん与えた。
ある日一線を超えたのも、劉蓮の好奇心に付き合ったからである。
(……楽しかった、かぁ……)
劉蓮はそれを知らなかったはずだった。
それまでは漠然と「つまらない」と思っているだけで、それがどうしてなのかは分からない様子だった。「つまらない」の反対の感情を知らなかったからである。
けれど劉蓮は「楽しい」を知った。だからこそ「つまらない」も浮き彫りになる。
真神は幸福など知るべきではない。自身が幸福でない立場にあると気付いてしまって、魔神に成り果てるリスクが高いからだ。
洲芭はようやく、劉蓮の頬から手を離した。
「……なるほどねぇ」
「あ。見たな」
「見るでしょー、気になったんだもん」
記憶を見られたと気付いた劉蓮が洲芭の手を払う。しかし怒っている様子はない。少しだけ恥ずかしそうではあるものの、どちらかと言えば喜んでいるようにも見える。
「スレイ・リックフォールくんだっけ。すごく興味深いことを言ってたねぇ」
「ああ、そうだ。なぜかスレイはこの世界のことを知っているようだった」
洲芭はじっくりと考えるように、自身のこめかみをトントンと軽く叩く。
「んー……」
「”世界の知識”でもやっぱり分からない?」
「その言い方は触発されちゃうよぉ。意地でも調べないとねぇ」
この世界には文献を紙に記すという文化はなく、すべては特定の人物の頭の中に入っている。それは街中にたたずんでいる老人だったり、カフェに座っている若者だったり、公園で子どもを見守っている親だったりと様々だ。そういった”知識人”には”マーク”がつけられており、道行く人はその”マーク”を見て知りたいことを”知識人”に尋ねる。”知識人”はジャンルごとに複数存在しているから”マーク”の見分けはしっかりとしなければならないが、そうして歴史や世界を知って、人々は知識を得るようになった。
この世界の者はほとんどが”知識人”になることを選んだ。それがこの世界で生き抜くための、そして家族を守るための手段だったのだろう。しかし子どもはそれにはなれない。そして一定の基準をクリアしていない者も対象にはならないから、”知識人”の存在は不可欠である。
その中でも、洲芭はすべてのジャンルの知識を頭に入れた”世界の知識”とされていた。真神ほどの許容量ががあってもなかなか難しいそれにあっさりとなったために、洲芭は真神の中でも崇拝されるほどの存在である。
「ようやく起きたのかい、劉蓮」
天井からぬるりと現れたのは、同じく真神の一柱である吏張だった。
黒の長髪を高い位置で一つに縛り、キリッとした顔立ちが特徴的だ。髪色は劉蓮や洲芭と同じ、そして肌も白かった。
「心配していたんだよ。なあ洲芭」
「そうだよぉ。でも劉蓮、自分で再生していったから私たちの出る幕はなかったねぇ」
「僕、自分で戻ったんだ……」
「さすが我々の自慢の息子なだけはある」
「やめてよ吏張。僕吏張から生まれた記憶ないよ」
「産んだ記憶もないがね。年齢で言えば息子のようなものじゃないか」
「私たち息子とセックスするんだよねぇ」
「それとこれとは別だ。血は繋がっていない」
吏張がやってきて、さらにそこは賑やかしく変わる。
楽しいというわけではない。劉蓮はこの世界の中で、明るい気持ちになれたことなんかなかった。
「さぁ劉蓮、また共に戦おう。我々が揃えば怖いものなどない」
吏張が手を差し出す。
劉蓮は淡く微笑んで、その手をパチンと叩いてみせた。
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