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25: 二人の魔王の話 2
しおりを挟む「クソッ! 結界かっ!」
特大の魔力を込めて放った炎の球が、目標に到達する前に、空中で一瞬にして霧散したのを見て、魔族の青年はぎりりと奥歯をかみしめた。
黒衣の外套で身体を包んだ長身の美丈夫。
肩には炎をまとった真っ赤な鳥が一羽とまっている。
彼の目の前には何もない。
物理的な分厚い壁も、ここを警固する兵士による盾も存在しない。
遥か眼下には、悠然と聳え立つ巨大な城が見えるのに、この魔族の青年の攻撃はそこまで届かなかった。
それはつまり、強力な結界で城の敷地全体を包み込み、防御壁を張って敵の攻撃に備えていたということだった。
手加減のない攻撃をしかけたというのに、その防御結界にはヒビひとつ入れられていない。
音を立てずに青年は静かに地上へと降り立つ。
「おのれ、常闇の……ッ!」
今はいない敵の名を憎々しげに呼ぶ。
思い出しただけでも腹が立つ。
確かに切っ掛けはこちら側に非があったかもしれないが、まさかあのような仕打ちで返されるとは思わなかったのだ。
掌に爪が食い込むほど握りしめた手に、今一度魔力を込めて炎の球を作ると、はじかれると分かっていながら目の前の見えない壁へと向かって放った。
案の定、先ほどと同じように、霧散するように瞬時にして炎の球が消えた。
見えない壁と炎の球がぶつかった衝撃でわずかに爆風が起きたが、気に留めるほどのことでもない。
しかし、その熱が引いた時、今まで誰もいなかったその場所に一人の男が立っていた。
漆黒の髪に褐色の肌は青年とも同じ魔族の男。
思わず息をのむほどの美しい顔に浮かぶのは、血のように鮮やかな紅い双眸。
青年が常闇の魔王と呼んだ魔王その者であった。
「誰かと思えばキサマか、東の」
右手を腰にあてて巨大な城を背に立つ男レステラーは、数百とも見れる魔族の集団に臆することもなく、その最前列にいる魔族の青年の姿を見つけると、口元に冷笑を浮かべた。
この魔族の青年もまた魔王と呼ばれる者の一人で、彼らが今いる中央の大地とは別の、魔界の東の大地を治めている魔王だった。
炎を自在にあやつり、灼熱の業火で敵を焼き尽くすことから獄炎の魔王と呼ばれていた。
「人の領地に無断で上がり込んできたかと思えば、雑魚どもを引きつれて……一体何の用だ」
「知れたこと! 貴様の首を貰いに来たまで!」
獄炎の魔王アイファーズフトは、鋭い眼光でレステラーを睨みつける。
だがレステラーは顔色一つ変えることなく、口元に笑みを浮かべたままだ。
武器を持ち、鎧に身を固めた数百という魔族を前に、常闇の魔王と呼ばれた男、レステラーはたった一人。
しかも上質な生地の服で身を包んでいるとはいえ軽装だ。
魔術攻撃から身を守るためのローブやマントもなく、物理攻撃から身を守るための鎧や盾もない。
ましてや攻撃するための武器も持っていなかった。
アイファーズフトと共にいる魔族兵は、これでもごく一部だ。
残りは中央の領土内を蹂躙しようと、各地に散らばり、破壊、殺戮などといった残虐行為を行っていた。
よもやアイファーズフトも常闇の魔王レステラーがたった一人で姿を現すとは思ってもいなかったが、彼は供もつけず、アイファーズフトの前に一人で立っている。
これは好機といって他ならない。
一人を大勢でいたぶるのは魔族にとって卑怯でもなんでもない。
魔王ほどの地位にある者は、その魔力も能力も他とは比べものにならないほど強大で、大勢で向かって行っても敵わない事がある。
特にこの常闇の魔王レステラーは、魔界で唯一の不老不死と言われるほどの魔王で、彼が傷を負ったところを見た者は一人もいない。
だがアイファーズフトは信じていない。
たまたまレステラーの力が、彼に喧嘩を売った他よりも強大で、彼を傷をつけるに至らなかっただけだと考えている。
不老不死などあってたまるものか。
他の誰も――自分さえもなしえなかったその力を、目の前の男が持っていると認めたくはなかった。
柳眉を逆立てて相手を睨みつけながら、アイファーズフトは言った。
「我が娘をあのような姿にされて、わたしが黙っていると思ったら大間違いだぞ」
「娘?」
一瞬、レステラーの顔から笑みが消える。
誰の事だと思ったが、アイファーズフトを見てすぐに思い出した。
愚かにもレステラーが溺愛する少年に不必要な事を吹き込み、彼の逆鱗に触れたために醜い老婆に変えられた女のことを。
「わざわざその仕返しでもしに来たのか?」
「黙れ!」
レステラーの嘲笑に、アイファーズフトは怒りを募らせた。
魔族は基本、情には薄い。
肉親であろうが邪魔になれば殺すことも厭わないし、気に入った相手でも容赦なく切り捨てられる。
そんな中、アイファーズフトは血縁に甘いほうではあるが、娘のディステルを見ても、彼女が老婆に変わった事にはディステル自身の失態だと哀れに思う気持ちさえ浮かんでは来なかった。
だが、それにより自分が常闇の魔王に虚仮にされたことに怒りを感じたのだ。
「いつまでも貴様の勝手にはさせぬ。今日こそは貴様をその地位から引きずり降ろしてくれる!」
悔しいが、魔界第二位はアイファーズフトではなく、目の前の紅い瞳の魔王だ。
力では劣っているとは思っていない。
目の前の男を這いつくばらせ、まずは第二位に、そして最終的には魔族の王の頂点に立ってやろうとレステラーを睨めつけた。
そんなアイファーズフトを、レステラーはせせら嗤った。
「何がおかしい!」
顔を怒りで赤くしながら、レステラーに向かって怒声を浴びせた。
だがそれに動じることもなく、レステラーは静かにアイファーズフトを見た。
「本気で救いようのない阿呆だな、東の」
くっと口角を上げる。
「折角、この俺があの程度で許してやったっていうのに、自分からむざむざ殺られに来るとはな。これが嗤わずにいられるか」
「ほざけ! 貴様の方こそ一人のこのこと出てきおって、この軍勢を相手に何が出来る!」
ザッと、アイファーズフトの後ろにいる魔族兵たちが、レステラーに向けて武器を構えなおした。
数百という殺気を浴びてなお、レステラーの口元には余裕の笑みが浮かんだ。
「その程度で俺に勝つつもりか? 相変わらず目出度い頭だなぁ、東の」
「き、貴様!」
「言っておくが、雑魚が何百匹集まろうが、雑魚は雑魚。俺に、かすり傷一つつけることなど不可能だ」
「黙れ! 作りものの分際で!」
ピクリとレステラーの眉がわずかに揺れた。
「所詮、貴様はまがい物! 複製品ごときが、魔族の中でも高貴な血をひくわたしの上に立とうというのがそもそもの間違いなのだ!」
アイファーズフトは叫び、両の掌に、先ほど見えない壁に向かって放った炎の球よりも数倍大きな火炎を作りだした。
「作りものは作りものらしく、無に還れ!」
火炎の球をレステラーに向けて放ったのを合図に、アイファーズフトの後ろから一斉に無数の魔力の球がレステラーへと向かう。
地響きを引き起こすほど大きな爆発音が、辺りに木霊する。
いくら常闇の魔王といえどもこれでは一溜まりもない。
そう確信してアイファーズフトはほくそ笑んだ。
風が吹き、爆発の影響でたった黒煙が段々と消えていく。
そこに黒こげになりうずくまる男の姿を想像してアイファーズフトは歓喜に震えた。
「戯事はそれで終わりか? 東の」
しかし、いまだ完全には晴れない黒煙の向こうで、やけにしっかりしたレステラーの声が聞こえ、アイファーズフトは驚愕に目を見開き、息を飲んだ。
同じように魔族兵からも動揺の声が聞こえてきた。
黒煙から現れたのは、黒こげでうずくまるどころか、かすり傷一つ負っていないレステラーの姿だった。
彼が着用している衣服にも、まして髪型にさえも乱れはない。
「ば、なかなっ!?」
「この程度で俺を殺れると思ってるから、目出度い頭だと言ってるんだ」
「くそっ! ならば、これでどうだ!」
普段は詠唱を必要としないアイファーズフトも、炎の系統とはかけ離れた術の場合は別だった。
しかも今から使おうとしている術は、魔族でも滅多に使用しないものだ。
現れた時から一歩も動いていないレステラーの足元に、青光りする魔術の円が現れる。
複雑怪奇な文字が羅列し、円の隅々まで覆い尽くすと、眩い光があふれた。
下から突風が吹き、レステラーの丈の長い上着の裾が宙に舞う。
「さすがの常闇の魔王といえど、これで一溜まりもあるまい!」
最後に一言、呪文を締めくくる言葉を唱えると、アイファーズフトは高らかに笑い声を立てた。
その様を見ながら、レステラーはどこからともなく短剣を取り出すと、自身の足元の魔方陣へとそれを突き刺した。
途端にパリンとガラスが砕け散るような大きな音が響いた。
「なっ!?」
「確かに、いまキサマが唱えた呪文で消えるゴミは大勢いるだろうな」
アイファーズフトの使用した魔術は、常闇の魔王のように作為的に創られた魔族を無に還す、今では禁呪とされている呪文だった。
それを知る者は、いまでは片手で余るほどだ。
よくもまあそんな呪文を見つけてきたものだと、レステラーは感心したようにアイファーズフトを見た。
「だが――」
冷酷な笑みがレステラーの口元に浮かぶ。
その呪文は、レステラーには利かない。
なぜなら、理由はただ一つ。
「たかが呪文一つで無に帰すようなガラクタを、ヤツが複製するとでも思うのか?」
「くっ」
「浅はかな考えだな、東の」
常闇の魔王を作成した男もまた、魔王だった。
その魔王はいま現在、筆頭魔王に掲げられている魔王中の魔王だ。
そして彼もまた禁呪の存在を知る者の一人。
自分を殺すために創った自身のレプリカを、誤って自分が簡単に壊せないようにするために、複製を作りだす時に色々と手を加えたのだ。
その結果、禁呪をはじき、作成者に逆らえる、時にはじかれた、自身と同等以上の力を持つ不老不死の魔族が出来上がった。
「アイファーズフト」
「ヒッ!」
同じ魔王だというのに、真名ではないとはいえレステラーに名を呼ばれて、アイファーズフトは身体を硬直させた。
圧倒的な威圧感を前に、無意識に身体が小刻みに震え始めた。
「言っておくが、俺はいま最高に機嫌が悪い。特別に、手加減なしでやってやろう。光栄に思えよ」
紅い双眸がアイファーズフトと、その後方にいた魔族兵たちをとらえる。
瞬時に命の危険を察知した魔族数名が空間移動で逃走を試みるが、それよりも早くにレステラーの攻撃を喰らい、一瞬の断末魔をあげて消えうせた。
「なっ!?」
レステラーが何をしたのか、アイファーズフトには見えなかった。
ゆっくりと左手を前に出し、レステラーが掌を上に向ける。
「生かして帰すわけがないだろう、雑魚共が。精々この阿呆の下についた己の愚かさを憐れむがいい」
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