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24: 二人の魔王の話 1
しおりを挟むそれは、いつもと変わりない朝の風景だった。
二人で使用するにはあまりにも広すぎる部屋で、ツァイトとレステラーが急かされることもなく朝食をすませ、ソファーに並んで座り寛いでいた。
彼らの前には紅茶の入ったカップが置かれてある。
毎食後に欠かさず飲む紅茶は、ツァイトが魔界で気に入った茶葉で、女官長のラモーネが直々に淹れたものだ。
女官長と言えば、以前までは仕事に厳しく一切妥協は許さないといった風の老齢の魔族の女性だったが、今は雰囲気はそのままに、豊かな黒髪とハリのあるきめ細やかな肌の妙齢の美女に変わっていた。
どちらも同じ人物で、時を操る力をもつレステラーが、その力をツァイトに証明するために作為的に若返らせたのだった。
その時から随分と月日が経ったのだが、元の姿に戻っていないのは、年老いた女官長を不憫に思ってのことではない。
ただ単に戻すことを忘れていたのもあるが、ツァイトの目の前で、女官長を老いた姿から若々しい姿に変えたことでレステラーが時を操れると証明できたから、もう一度力を使って老いた身体に戻すことの意味を見出せなかったのだ。
結局、最初は戸惑いを見せていた女官長ではあったが、老いた身体よりも若い身体の方が体力もあり仕事での疲れも少なく、女官長が若くなったと周囲に知れ渡れば仕事に影響もなかったので、黙ってそれを受け入れた。
それ以外で少し問題があったとすれば、彼女の息子とほとんど変わらぬ――若干女官長の方が若く見える見た目になってしまったことだ。
ただそれも、寿命の長い魔族は若い身体のままでいる期間が長いので、慣れればさほど問題はなかった。
女官長が自ら淹れる茶は、魔王とその側近というごく一部にしか振る舞われない。
そんな女官長の茶を美味しそうに飲んでいるツァイトは、彼の隣に座るこの城の主で魔王でもあるレステラーが唯一溺愛する人間であった。
「ごちそうさまでした」
飲み終えたカップを前のテーブルに置いて、ツァイトは女官長へと礼を述べた。
「お代りはよろしいですか?」
「はい、ありがとうございます」
充分いただきましたと笑顔で少年は返した。
恭しく一礼してからツァイトのと共に、すでに飲み終えて空になっていたカップをレステラーの前からも下げた。
その様子を見ていると、ふと額に何かが触れて、ツァイトはレステラーの方を向いた。
触れていたのはレステラーの大きな掌だった。
「なに?」
「身体は大丈夫か?」
一瞬何の事かわからず、きょとんとした表情をレステラーに向けたが、すぐにその言葉が何を指していると頬を朱色に染めた。
「お前が、無茶するのがいけないんだろ! 心配するぐらいなら、始めからやらないでよ!」
熱を確認するように額に触れていたレステラーの手を、勢いよくパシッと払う。
レステラーに対するツァイトの行動に、まだ部屋にいた女官長は肝を冷やした。
いつ見ても魔王に対する少年の行動には慣れることはない。
ツァイトにだけ許されているとはいえ、いつレステラーが怒り出すかと気が気ではない。
だが、女官長の心配をよそに、当のレステラーの方は気にした様子もなく苦笑してみせた。
「そう怒るなって。これでも悪かったなって反省してんだぜ」
「嘘つけ! お前がそんな殊勝な考え持ってるかよ」
「ひでぇな。そう思ってるから、昨日一日、甲斐甲斐しくアンタの世話してやったろ」
心外だとでも言いたげに、レステラーは器用に片眉を上げた。
確かにレステラーの言葉通り、昨日は何から何までツァイトの世話をやき、一日中ツァイトの傍にいた。
指一本さえも動かす気力もないくらいぐったりしているツァイトの身体を抱えて部屋の中を移動し、手ずから食事を取らせもした。
もちろんツァイトは恥ずかしくて嫌がったが、レステラーはどこ吹く風で、これ幸いとばかりに世話をやいた。
そうした原因を作ったのはレステラーの方で、自業自得ともいえる。
ツァイトは理由が分からぬまま、レステラーが満足するまで夕食前から始まって一晩中情事に付き合わされ、昨日は起き上がれなかった。
身体的な疲れや痛みは、レステラーがその不思議な力で治療してくれたから問題はなかったが、気力の方は根こそぎ奪われ、睡眠不足も重なり、一日中寝台の上で過ごした。
昨日はその不満をレステラーにぶつけまくったのだ。
拗ねたようにツァイトはレステラーから顔を逸らしそっぽを向く。
「だからそう怒んなって」
「うるさい」
言葉と態度ほどにはツァイトが怒っていないのは分かっていても、レステラーはただただ苦笑いを浮かべて機嫌をとろうとする。
「なんだったら今日も一緒に――」
いてやろうかと言おうとして、レステラーは途中で言葉を止めた。
急に黙ったレステラーに不思議に思ったツァイトが、逸らしていた視線をレステラーの方へと戻すと、そこには眉間に皺をよせ眼を細める険しい表情のレステラーがいた。
普段は絶対にツァイトには見せない顔だ。
一瞬自分が彼を怒らせたかと思って、吃驚して彼の名を呼んだ。
「レスター?」
「ツァイト」
レステラーがすくりとソファーから立ちあがる。
「今からしばらく城の外に出るんじゃねぇぞ」
「え?」
窺い見たレステラーの表情は険しいままだが、声色はツァイトのよく知るものだった。
「どうしたの、急に……」
座ったままレステラーを見上げて問いかける。
「説明は後でしてやる。とりあえず、俺が戻ってくるまで外に出るなよ」
ツァイトではない方向を見ながら真剣に言われて瞠目した。
急に表情を変えた原因が自分がレステラーにした言動によるものではないのだとしたら、一体何が原因なのか。
それがツァイトには分からない。
「いいけど……外って中庭も?」
「ダメだ。そんなに時間はかけないから、少しの間、建物の外に出るのは我慢してろ。行きたい場所があるなら、中を通って行け」
「うん、なんか分かんないけど……分かった」
どの場所も城の中から繋がっているので、行けないところはない。
中庭を真っ直ぐ突っ切った方が近道になったりする場合もあるが、レステラーが真剣な表情でダメだというから、そこは我慢するしかない。
意地悪で言ってるわけではないのは、ツァイトにも分かる。
それに、ここは魔界だ。
人間界とは勝手が違う。
理不尽な理由でツァイトの行動を制限したことなど今まで一度もないレステラーが、珍しくもダメだというのだから、きっとツァイトには分からない何かが城の外で起こったのだろう。
それを無視してまで外に出ようとするほど、ツァイトは無謀ではなかった。
「いい子だ。すぐに済ませる」
「あ、うん。いってらっしゃい?」
「ああ、いってくる」
素直に頷くツァイトの頭を軽く一撫でしてから、レステラーはその場から姿を消した。
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