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27: 二人の少年の話 5
しおりを挟む飲み終えて空になったカップや茶器を持って女官長が一旦退室すると、広い室内には少年一人だけになった。
いつも一緒にいる男は、今はいない。
何かあったらしく、珍しく少年には見せない難しい顔をして居なくなった。
一体何があったのだろうか。
説明は後でしてくれると言ってくれたが、不安がないと言えば嘘になる。
けれど、何が起こっても彼なら大丈夫だという確信もあるから心配はしていない。
「……子供扱いするなよな、バーカ」
一人残された少年は、去り際に男が撫でていった部分の髪を押えながら、ぽつりと漏らした。
そのまましばらくボーっとしながらソファーに座ったままでいると、壁際の台の上に置いてある振り子時計の、時刻を告げる音が聞こえてきた。
自然と視線が振り子時計に向かう。
多少前後するものの、いつもならこの辺りで男が席を立って執務をしに部屋を出ていくのだ。
「あっ、もう、こんな時間か」
すくりと少年が立ち上がる。
最近少年は、ほぼ毎朝、同じような時間にある場所へ向かい、最近知り合った魔族の少年とそこで落ち合っていた。
さすがに昨日は行けなかったが、今日はちゃんと行くつもりだ。
足早に寝室へと向かうと、ベッドに乗り上げ、たくさんある枕の下を手で探り、目的のモノを取り出す。
「あちゃー、さすがにヨレヨレか」
手にしているのは様々な料理が載った少し厚めの本だ。
男に見つかるのが厭で、コソコソ隠れて寝室で読んでいたのだが、危うく見つかりそうになって慌てて枕の下に隠したのだ。
さすがに二人で寝ても充分余裕のあるベッドだったので、端の方に隠したお陰で、その本を枕の下敷きにして寝る事はなかったが、急いで隠した所為で変な風に折り目がついてしまっていた。
「ま、見つからなかったからいっか」
その本を小脇に抱え、少年は寝室を出る。
少年は見つかっていないと思っているが、実際のところは、昨日の朝、その前日からの男との情事を終えて少年が気を失っている間に、シーツを取り換え、ベッドを整えにきた女官長やその他の侍女、そしてもちろん男にも本の存在を知られている。
けれど少年を慮って、そっと元の位置に戻された事に少年は気付いていない。
心持ち小走りになりながら、寝室からいくつか部屋を通り過ぎて、外へと繋がる扉に近寄る。
大きな音を立てないようにそっと引き開け、僅かばかり空いた透き間から外の様子を窺った。
部屋の前の廊下には誰もいない。
少年は知らないが、彼が今いるところは、誰もがおいそれと立ち入ることが出来る場所ではない。
この城の主である男の私室がある区画にあたり、限られた者にしか近寄ることを許されていなかった。
見張りや警固の兵士たちがいなくても、特に問題は起こらない。
なにもないように見えて、実際は魔界で第二位の実力を持つ魔王が張った結界があるために、許可なき侵入者は見えない壁によって排除されているから、問題は起きようがないのだ。
「……誰かいる気配は、なし」
少しだけ大きく扉を開けて、顔を覗かせてキョロキョロと辺りを確認するが、やはり誰もいなかった。
もう一度、念のために廊下を確認してから、一旦部屋の中に戻る。
さきほどまで寛いでいたソファーのところにあるテーブルに、女官長あてに一筆したためる。
少し散歩してきます、と近くにあった紙に書き置くと、また扉へ向かった。
大きな音をたてないように扉を開けて、身体を廊下へと滑り出し、後ろ手にそっと静かに扉を閉める。
別に何も疚しい事をしていないのだから、もっと堂々と出て行っても問題はなかったのだが、ある計画のために少年はいつも以上に慎重になっていた。
男に内緒で料理を練習して、日ごろの感謝をこめたお返しを作って、彼を驚かせる。
ただそれだけの目的のために、少年はコッソリと部屋を抜け出し、とある場所へと向かった。
普段なら中庭で本を読みながら、仕事が終わり休憩に入って中庭までやってくるまで相手を待っている。
だが、今日は男が戻ってくるまで外に出るなと言われてしまったので、少年はそのまま調理場に直行した。
場所は以前一度行った事があるから覚えている。
調理場の入口へとたどり着くと、前回と同じようにそっと中を窺った。
もうすぐ休憩時間に入るのか、以前よりは慌ただしくなく、働く料理人達もピリピリしていない。
その事にホッと胸を撫で下ろした。
目的の人物はまだここにいるのだろうか。
背が低い少年が、つま先を懸命に伸ばしながら入口付近でキョロキョロと中を覗いていると、不意に「おい」と声をかけられ、驚いた拍子に少年の身体が大きく揺れた。
「あれ、おまえって……」
料理人の格好をした魔族が、少年の姿を見て不思議そうに呟いた。
直接話をするのは初めてだ。
「あ、あの……ノイくんいますか?」
恐る恐る少年は問いかける。
彼が怖い訳ではないが、初対面の魔族は大抵人間である少年にいい顔をしないから、警戒しての事だ。
少年よりも背の高い彼を見上げるようにじっと見る。
「ノイって、ノイギーアのことか?」
「あ、はい、そうです。いたら呼んでほしいんですけど……」
肯定の返事をすれば、ちょっと待ってろと言って踵を返して中へと入って行った。
珍しく普通に返されて、少しだけ拍子抜けした。
魔族の中にもやはり普通に接してくれる者は少なからずいるらしいと分かって、逆に嬉しくなった。
「おーい、ノイ!」
「は、はい! いま行きます!」
入口から少し離れた場所から大声で呼べば、奥の方にいたのか、ノイギーアが前掛けで手を拭きながら姿を現した。
「何ですか、先輩」
「おまえに客」
「客?」
先輩の料理人が入口の方向を顎でしゃくって示すのを、ノイギーアは視線で追いかける。
そこに少年の姿を見つけて、ノイギーアは驚いた声を出した。
「ツァイト!? おまえ、なんでここに……」
「あはは、来ちゃった」
来るなとは一度も言われていないが、まだ仕事中だというのは知っていたから、少年は申し訳なさそうに告げる。
「ゴメン、本当はいつもの処で待ってるつもりだったんだけど……しばらくの間外に出るなってレスターに言われちゃって」
「は? 出るなって何で? おまえ、何かしたの?」
「ううん、そう言う訳じゃないんだけど……レスターが戻ってくるまでダメだって。なんか危険……なのかな? よく分かんないけど」
小首を傾げながら少年は話す。
はっきりとは言わなかったが、多分、危険なのだろう。
だから外に出るなと言ったんだと思ったが、ノイギーアの反応を見るに、違うのかなとも思った。
まあ、後で男が戻って来た時に何があったのか詳しく教えてもらうからいいかと話題を変える事にした。
「この時間に来てまずかった?」
「いや、別にもう片づけもほとんど終わったし、ちょうどいいって言えばちょうどいいし」
「そっか」
「ちょうど今なら料理長もいないしさ、さっさと始めようぜ。一応料理長にはお前のこと、話をしたけど……見つかってとやかく言われると面倒だしさ」
「あ、うん」
少年を中に案内して、前にこの城の主が使用した台へと連れていった。
途中、調理場に残っていた先輩料理人からノイギーアに質問が飛ぶ。
いつ少年と知り合いになったのかとか、その人間ってもしかしてとか、本当に色々だ。
ノイギーアが友達になったんだと答えれば、先輩達から驚きの声が上がるしまつだ。
その辺を適当にあしらいながら、調理台へと到着すると少年に尋ねた。
「で、なに作るか決めたわけ?」
「あ、うん。一応? でもまだ決めかねているから、どれがいいかなーって思ってさ」
「どれ? 見せてみろよ」
少年が部屋で見ていた本の中から、こんなのとかどうかなと窺いながらいくつか頁を開いて見せる。
まだ調理場に残っていたノイギーアの先輩料理人たちも、興味津々とばかりに少年とノイギーアの周りに集まってくる。
もともと初心者用の料理本だから、それほど難しい料理は載っていない。
手軽で調理時間も比較的短い。
そんな料理ばかりだ。
日ごろの感謝へのお返しの手料理。
好き嫌いがなさそうな男は、何をもらったらうれしいだろうか。
まず目についたのは、少年が好きな菓子。
ケーキはこの前彼に作ってもらったから、却下。
できれば皿にぽんと載せて渡すのではなく、プレゼントみたいにラッピングできたらいいな。
そう思いながらも、少年は菓子にとらわれず、様々な料理を候補として選んでいた。
「うーん、まあ、とりあえずこの辺から作ってみねぇ? このあたりなら、材料もいっぱいあるし。一番上手く出来たのあげたらいいじゃん」
正直、ノイギーアには少年の料理の腕がどれほどなのか分からない。
普通に本に書いてある通りにちゃんと作れば、失敗することなく無難なものが出来上がるだろう。
けれどここには、面白がって休憩に入らずに残ってる先輩たちもいるから、彼らの得意分野の料理であればいろいろアレンジも加えられる。
初めて料理するのが不安なのか、若干緊張した面持ちの少年は、ノイギーアの言葉に素直に分かったと頷いた。
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