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身体を取り巻く厭な空気に少年がゆっくりと目を覚ました。
目に見えているわけではないが、はっきりと空気が澱んでいるのが分かる。
なにかが体中に纏わりついている。
そんな感覚に陥っていた。
気持ち悪すぎて吐き気をもよおしそうな、そんな厭な気分になってくる。
「……いっ」
ゆっくりと上体を起こすと、微かに後頭部に痛みを感じた。
そこに手で触れても怪我らしきものはない。
微かに残るこの違和感は、その痛みが魔術によって引き起こされたものだと告げていた。
「どこだ、ここ……?」
頭を押さえながら周りを見る。
灯りとり用の燭台があるものの、部屋は薄暗い。
出入口はひとつ。重そうな鉄の扉だ。
窓は大人でも絶対に届かない遥かに高い天井付近にあるだけ。
倉庫にしては物が無さすぎるし、普通の部屋として使っているにしても、ベッドやテーブル、椅子などもない。
監禁するためだけの部屋。
そう考えた方がしっくりくるような部屋だ。
どうしてこんな知らない場所にいるのだろうと考えて、意識を失う直前の王立図書館であった事を思い出す。
「あ、そうだ……あのお兄さんに逢って、それで急に頭が痛くなって……でも何で?」
少年には訳が分からなかった。
頭に感じた鈍痛は多分、魔術を使って殴られた証。
けれど、初対面の青年に殴られるような理由が思い浮かばなかい。
「ぶつかった仕返し……な訳ないよな……」
どちらかといえば、尻餅をついて痛かったのはこちら側だ。
わざわざ気を失わせてまでこんな処に連れてくるだろうか。
殴って気が済んだら、そのまま放置しておけば良い。
だが、少年がいるのは王立図書館の中ではなく、どこか、見知らぬ館の一室。
少年は石畳に薄い絨毯がひかれてあるだけの冷たい床の上に放置されていた。
「うーん……もしかして拾った書類の中に見られてはいけないものがあったとかで、口封じ?」
まさかな、と自分の考えに首を傾げる。
彼とぶつかって落としたせいで偶然目に入った書類は、全て時の魔術に関する内容だった。
けれど、それは見られてはいけないような極秘情報などではなく、どれも全て調べればすぐに手に入るような情報ばかりだった。
口封じするほどのものではないと少年は思う。
「まぁ、何でもいいけど……どうやって逃げだそう」
ここでいくら考えても、正解を知っているのはあのリヒトという名の青年だけだ。
とりあえず彼が来ないうちにどうにか逃げ出さなければ。
そう考えた少年は、今度はじっくりと部屋を見回した。
幸い、手や足を縛られているわけではないので、逃げ出すことはできそうだ。
部屋に出入り口は一つだけ。
他には天井付近に窓が一つ。
だが、あれは光を取り入れる物のようで開いているようには見えなかった。
「叫んでも無駄、ってとこかなぁ。ハァ……どうしよう。あの窓じゃ届かないし、魔術で壁に大穴開けて逃げだしたら……う~ん、やっぱり見つかるよな」
床に座ったまま壁に背をもたれかけさせて暫く考える。
「それにしても、この厭な感じ……もしかして魔力吸い取られてる?」
部屋の中のどこにも、それらしき魔術の道具がない。
けれど少年はわずかな結界の波動を感じていた。
吐き気をもよおしそうなこの気持ち悪さはきっとそのせいだ。
「ヤバイなぁ……魔力が空っぽになる前に逃げ出さなきゃ」
壁に触れながら、逃げ出す手段を考える。
魔力は魔術師にとっては力の源。
体力が減れば身体が疲れるように、魔力は精神を疲弊させる。
魔力が底をつけば、体力がなくなったときのように、身体が睡眠を求め、意識を飛ばしてしまう。
そうなってしまうと完全に無防備な状態になる。
此処がどこだか分からないが、意図的に魔力を吸い取られてる以上、安心できる場所ではない事は確か。
少しずつではあるが、眠気に襲われ始めていた。
どのくらいの時間ここにいるのか分からないが、かなりの量の魔力が吸い取られているように感じた。
何か脱出方法はないか。
もういっそ、見つかるのを覚悟で壁を魔術で吹き飛ばしてしまおうか。
壁に手をあててそう考えたとき、少年が閉じ込められている部屋の扉が、ゆっくりと音をたてて開いた。
「おや、お目覚めですか? ツァイト君」
少年が振り返ると、この部屋の唯一の出入り口に、さきほど王立図書館でぶつかったあの青年がいた。
その背後には青年の護衛なのか、数人の魔術師と思われるローブを頭から被った男達が立っていた。
「……リヒトさんだっけ? どうしてこんな事すんの?」
出会ったばかりの青年に、こんな目にあわされる理由が分からない。
少年がそう尋ねると、青年は口元に笑みを浮かべながら少年に近づいてきた。
「ツァイト君、君はヴィント老師をご存知だろう?」
「ヴィント……ってまさか」
その名に少年は驚いたように目を開いた。
数ヶ月前、百年に一度公開されるという魔導書を見に行った際に、少年は偶然ヴィントという名の老魔術師に出会った。
少年と老魔術師は五十年ほど前に同じ魔術学院で勉強した学友だった。
けれど、久々に会ったあの日。
五十年前と一つも変わらない少年の姿に、老魔術師は少年に時の魔術を自分に使えと迫ってきたのだ。
「老師が君をご所望だ」
「え?」
「魔術学院の、ヴィント老師の息のかかった魔術師たち全員に、君を発見し捕まえろって御達しが出ててね。まぁ、僕もまさかあんな所で君に逢えるとは思ってなかったから、本当に偶然なんだけど……僕は幸運だったって事かな。これで僕の魔術師としての地位も向上するし、時の魔術の研究も一歩前進する。君には感謝しなくちゃ」
少年に向ってニコリと微笑む。
逆に少年は青年を睨みつけていた。
ヴィントとはあの日あのまま有耶無耶に別れたままだ。
諦めの悪い性格だとは知ってはいたが、まさかこんな風に探されていたなんて。
「ヴィントは……?」
「いまこちらに向かっていらっしゃるよ。君を捕まえたと連絡はしたからね」
ただヴィントがあの町の魔術学院にいたのなら、距離があるここに来るまでにまだ相当の時間がかかる。
多分、早くて明日だ。
王立図書館で気を失ってから、そんなに時間が経っていなければ。
ああそうだ、と青年は何かを思い出したように小さく手を叩いた。
「言い忘れてたけど、この部屋には魔術を無効化する結界が張られているから、魔術は使えないよ。まぁ、その前に魔力を吸い取られて使いたくても使えなくなると思うけど」
「……っ」
「魔力を吸い取る魔道具はこの部屋にはないよ。壊されると困るからね。それと、ヴィント老師に聞いたんだけど、君……魔族を飼ってるんだって? それも厄介だから、封じさせてもらうよ。魔族対策には、この部屋だけでなく、この館全体に侵入を阻害する防御結界と魔族避けの札も貼ってあるから君の飼ってる魔族は来れないよ、残念だね」
青年はゆっくりと近づくと、座って睨みつけている少年の前に膝をついて屈みこんだ。
「確か、君に怪我させても無駄なんだっけ……?」
口元に笑みを湛えながら、青年は腰元に差してあった小さなナイフを取り出す。
「な、にを……」
「危ないから動かないでね」
ナイフを見せられて蒼褪めている少年の頬に軽く当てると、そのまま素早く引いた。
チクッとした痛みに少年が微かに眉を動かす。
けれど、頬に紅い線が引かれたと思ったら、血が流れ出すよりも早く、まるで始めから何も無かったかのように傷が消えていった。
「へぇ! ホント凄いや。傷をつけてもすぐに治るなんて……不老不死の少年なんて半信半疑だったけど、本当だったんだ!」
初めてみる光景に愉しそうに青年は笑う。
「かすり傷でこうなんだったら、腕とか切り落としたらどうなるのかな?」
「やめろッ!」
興味深げに訊いてくる青年に、聞きたくないとでもいうように叫ぶ。
「ふふ。冗談だよ。そんな怖い顔で睨まないでくれ。興味深い実験はヴィント老師が来てからだ。そう言うわけだから、ヴィント老師が来るまで、そこでしばらく大人しくしててくれると有難いよ。ツァイト君」
楽しみだ、と云って微笑む青年に、悔しそうに睨む事しか出来なかった。
「ねむ……」
ふぁ~と小さく欠伸をした後、数回首を横に振る。
「眠っちゃダメだって! ヴィントが来る前にここから逃げないと!」
数回頬を叩いて気合いを入れる。
魔力欠乏による眠気はそれでも治まらないが、ないよりマシだ。
少年はここから逃げ出そうと、この部屋に置いてあった燭台を使って壁に傷をつけ魔法陣を描いていた。
「ホントは血で描いたほうが効果があるんだけど、すぐ治るからなぁ……」
血で描いた魔法陣には術者の魔力がより一層込められる。
けれど少年の場合、描く為に指に傷をつけてもすぐに治るためにそれが出来ない。
それでもこのまま指をくわえて待っているつもりはない。
先ほどリヒトという名の青年の話では、部屋には魔術を無効化する結界が張られていると云っていたが、少年はやるだけはやってみようと思っていた。
「あー、腕が疲れる……くそっ。描きにくい」
ガリガリと壁に傷をつけながら、だが、表面が凸凹している為にすらすらと描けない魔法陣に苛々していた。
「……アンタさぁ、何で俺を呼ばないわけ?」
「わぁっ!!」
唐突に背後から声をかけられ、驚きのあまり少年は手に持っていた燭台を落とした。
床にあたって金属音が部屋のなかに響き渡る。
勢いよく振り返ると、そこに見知った顔の男がいた。
「レ、レスター!? どうして……此処に……」
突然の出来事に、少年は混乱する。
男はまるで最初からこの部屋に居たかのようにそこに立っていた。
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