ある愛の詩

明石 はるか

文字の大きさ
2 / 10

しおりを挟む

















二人の噂は秘かに、だけど確実に広まっていった。

誰も私には、何も告げない。

物陰から、ただ嗤うだけだ。

一年以上も、二人の事を知っているのか知らないのか、何も言わない馬鹿な女だと。









私は17歳になった。

マリアは変わらず私の傍にいて、誰よりも私の世話を焼いていた。

どうしてだろう。

テオバルト様が好きではないの?

そう聞きたいけれど、臆病な私はただマリアを受け入れるだけ。

信じたかったけれど。

信じていた訳じゃない。

私はただ、目を瞑っていただけなのだ。





均衡が崩れたあの日まで。





ずっと体調が悪かったのだろう。

ダンスのレッスンの時によろめいて倒れそうになったマリアに気付き、誰よりも早く抱き上げたテオバルト様。

慌てるマリアを宥めるように笑ったテオバルト様は、優しい笑顔で。

胸の奥がズキリと痛んだ。

淡い色彩の二人はとてもお似合いで、心がささくれ立つ。

…あんな優しい顔のテオバルト様を、私は見たことがない。

テオバルト様は、誰にでも優しい。

それでも、だからこそ一線を引いていて、そこから他人を入れることは、極稀だった。

…私だけが。

私こそが、特別だと、私は思っていた。

だけど、それは違ったのだ。

突きつけられた現実だった。



マリアを抱いたまま、医務室へ運ぶテオバルト様を見つめる。

周りからの嘲笑に耐えきれず、教室を出ようと、踵を返す。

廊下を数歩歩んだ所で、後ろから袖を引かれ、隣の準備室へ連れられた。

「…マルグリット様」

「…何時もお人好しのカミラ様」

そう言って、クラスメイトのマルグリット様が笑う。

父親が最大派閥に属しているせいで、今は私的には会えなくなった幼馴染だった。

「貴女はどこまで虚仮にされたら、満足なのかしら?」

「マルグリット様…」

「皆が噂していてよ」

彼女の言葉に俯く。

大きなため息が聞こえた。

「どこまでも、自分は後回しなのね」

昔から損な性分ね、とほんの少し優しくなった声。

震えている肩をそっと撫でてくれる、細い指を見つめた。

「…中庭の楡の木」

「え?」

「行ってごらんなさい。…そうしたら、分かるから」

早く、と急かされて、押されるままに準備室を出る。

「…するべき事はわかっていて?」

背中に、マルグリット様の何処か頼りない声が聞こえた。





楡の木には、先程の二人がいて。

人目を避けるように、見つめあっていた。

「…こんな気持ちになったことは初めてだ」

テオバルト様が言う。

背中しか見えない彼女の表情は分からない。

「私は、君の事が」

「…貴方は、カミラ様の婚約者です」

「…ああ。だが」

「カミラ様を裏切るのですか」

聞いたことのない低い声が聞こえた。

「カミラをそんな風に思ったことは、一度もない」

強く握りしめていた手から力が抜けた。

ああ。

…やっぱり。

テオバルト様がマリアに向ける笑顔を見た時から、感じていたのだ。

彼は。

私を、選ばない。

「…カミラ様を裏切るのですか」

小さなマリアの声が聞こえた。

「…君を、愛しく思う気持ちを止められないんだ」

テオバルト様の腕が、引き寄せたマリアを抱きしめる。

だらりと下がったままのマリアの手が、おずおずとテオバルト様の上着の裾を握ったのを視界に捉えて、私はその場に背を向けた。

これ以上、ここにはいられない。

息がうまく出来ず、はくはくと喘ぐように口を動かす。

何度息を吸っても、空気が取り込めない。

喉を掻き毟るように、爪をたてる。



苦しいのは、身体なのか。

それとも、心なのか。



誰にも気づかれないように、木々の茂みに蹲る。

喉がひゅうひゅうと音をたてた。

…このまま、私は死ぬのか。

そんな風に思ったら、嗤いが込み上げる。

何て、寂しい女だろう。

何て、惨めな女だろう。

溢れる涙に嗤いながら、私はそのまま意識を失った。







目が目覚めた。

私の身体は冷たい地面に横たわっていて。

あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。

砂にまみれた制服を手で払って、フラフラと立ち上がった。

辺りを見回せば、夕闇が迫る時間。

きっと、従者と侍女が顔を青くして探しているだろう。

数歩歩いて、視界に入った件の楡の木には、当たり前だけれど、誰もいない。

それでも、目に浮かぶのは、一枚の絵のような二人の姿。

…どうしたら、良いの?





テオバルト様が好き。

マリアが好き。

…それでも二人にとって私は要らない存在なのだ。







でも、最後に一度だけ。

私は手を伸ばしてみよう。

そうして。

終わりにしよう。



私が愛した7年間を。











私は笑えているだろうか。

まるで悪女のように。

「これを」

「…なんでしょうか」

机に置かれた分厚い冊子を見つめながら、マリアが私に向き直る。

「貴女の想いの代償よ」

マリアの領地の直ぐ側の公共事業の計画書。

勿論、全て根回し済みだ。

領地の今後を憂いていた彼女からすれば、喉から手が出る程、欲しいものに違いない

マリアはどちらを選ぶだろうか。

領民?

それともテオバルト様?

あれほどに憂いていた領民よりも、テオバルト様を選ぶのならば。

「これをお持ちになって、二度とテオバルト様の前に姿を見せないで」

そう言い放つ。

多分、私が初めて心を許した少女に向かって。

マリアの瞳に、見る間に盛り上がった涙が溢れる。

頬を伝う、大粒の涙。

それは、さながら真珠のようだ。



その涙は、何の涙?



私悪女にこんな風にされる悔し涙?

もうテオバルト様に会えなくなる涙?



「わ、私はっ、」

言いかけた言葉を扇を振り、遮る。

「もう、お会いする事もないでしょう。…ごきげんよう」

そう言って、背を向けた。

堪えきれなかっただろう嗚咽と、扉の閉まる音。

僅かに巡らした視界に、冊子は映らなかった。

私は小さく息をつく。



それくらいの物なの?

貴女のテオバルト様への想いは。



この胸の痛みは、どうして?



テオバルト様とマリアに裏切られたから?

きっと、そもそも二人は私の事など、何とも思ってなかったのだろう。





私の思いは何時も一方通行だ。



マリアにも。

…テオバルト様にも。















マリアはその日に学園から姿を消した。

事情を誰も知らず、私に聞きたい素振りを見せる者もいたけれど、実際に私に聞きに来る人間は居なかった。



…テオバルト様以外に。







「…マリア嬢について、知っているか」

テオバルト様が表情を乗せない顔で私を見つめる。

「…学園を去られたとか」

「君のせいか?」

僅かに嫌悪に歪む。

「…君がマリアに何かしたのか」

「だとしたら、どうされるのです?」

テオバルト様は、どうされるのか。

私と婚約を破棄して、マリアをとるのだろうか。

それとも、このまま何もなかったように、私と婚姻を結ぶのだろうか。

「…汚いやり方だ」

テオバルト様なら、そう言うと思っていたのだ。

何よりも、裏工作が嫌いな人だから。

「父に、直ぐにでも婚姻しろと言われた」

マリアに渡した書類は私の父が用意したものだ。

勿論、テオバルト様の家にも勧告がいっているだろうことは想像に難くない。

「…」

「もう、いい」

そのまま立ち去るテオバルト様の背を見送る。



それは、どちらに取れば良いのだろうか。

…選ぶのは、何時も優位に立つ者だ。

私は何時も、ただ待つだけ。



彼女はテオバルト様を選ばなかった。



テオバルト様は?













恋は何時か醒めるもの。



彼の寂しさを埋めるくらい傍に居れば、また、いつかと同じように笑えるはず。

恋じゃなくとも。

愛じゃなくとも。



一緒に居られたら。



私はそう考えていた。



涙を浮かべた少女と。

消えた冊子。



結局、彼女の天秤はテオバルト様に傾かなかったのだからと。





















しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

結婚式に結婚相手の不貞が発覚した花嫁は、義父になるはずだった公爵当主と結ばれる

狭山雪菜
恋愛
アリス・マーフィーは、社交界デビューの時にベネット公爵家から結婚の打診を受けた。 しかし、結婚相手は女にだらしないと有名な次期当主で……… こちらの作品は、「小説家になろう」にも掲載してます。

悪役令嬢の大きな勘違い

神々廻
恋愛
この手紙を読んでらっしゃるという事は私は処刑されたと言う事でしょう。 もし......処刑されて居ないのなら、今はまだ見ないで下さいまし 封筒にそう書かれていた手紙は先日、処刑された悪女が書いたものだった。 お気に入り、感想お願いします!

王子様への置き手紙

あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯ 小説家になろうにも掲載しています。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

最近のよくある乙女ゲームの結末

叶 望
恋愛
なぜか行うことすべてが裏目に出てしまい呪われているのではないかと王妃に相談する。実はこの世界は乙女ゲームの世界だが、ヒロイン以外はその事を知らない。 ※小説家になろうにも投稿しています

処理中です...