ある愛の詩

明石 はるか

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「おめでとうございます!…お世継ぎ様でいらっしゃいます」

医師に言われて、頷く。

ぼんやりとした意識の中、小さく泣く声がする。

フニャリフニャリと泣く声に、手を伸ばす。

自分では起こせない身体をソアラが抱えて、幾つもの背凭れを置いてくれた。

そうして、湯で清められた白い産着を着せられた赤ちゃんを渡される。

…ああ。

「漸く会えたわね、私の赤ちゃん」

小さな柔らかな身体を抱きながら、小さな手が私の指を握るのを見つめる。

「…おめでとうございます、お嬢様」

顔を上げれば、侍女達が満面の笑みを浮かべている。

「ありがとう」

小さな音が聞こえて、侍女の一人が扉へと向かう。

少しのやり取り後、私の傍らで、

「ヴィルケ伯がいらっしゃいましたが…」

伺うように聞く。

胃の辺りが重くなるけれど、流石に会わないという選択肢はないだろう事は分かっていた。

「…ええ、入っていただいて」

「…かしこまりました」

頷いて、扉に向かう侍女を見送る。

ぼんやりとそれを見つめていると、

「…大丈夫か?」

すぐ傍で聞こえた声に、慌てて顔を上げた。

驚く程近くにテオバルト様がいた。

「…は、はい」

「嫡男だったと」

「はい…」

私を見ないテオバルト様は、すぐそばに寝かされた赤ン坊を見つめていた。

その瞳に嫌悪はなく、小さく息を吐いた。

愛おしいと思われなくとも、父親に疎まれない子であれば良い。

…いいえ、例え疎まれたとしても、私がそれ以上に愛を注げば良いだけ。

「良く…頑張ってくれた」

「ありがとう、ございます」

抑揚のないその言葉に頭を下げると、すぐ横のテオバルト様の手が動き、ギュッと握られるのを見つめた。

その後、その手が横の小さな身体に伸びる。

「名前は…名前をヴォルフガングと名付けようと思う」

「…ヴォルフガング」

狼という意味を持つ、その名前。

この子は、どんな子に育つのだろうか。

テオバルト様の手がヴォルフガングの髪を撫でる。

優しい仕草に、いつの間にか詰めていた息をついた。

…願わくは。

この子が陰りない幸せに溢れた人生を送れますように。

私は、ただそう願う。

この子は、私のように愛を知らずに育つことのないように、と。









マリアから手紙が来た。

突然の事だった。

あの計画書を持たせてから後もマリアの領地の事は調べさせていた。

順調に発展をしているという報告を受けて、次の展望として、密かに有望な商会を派遣したのに気づかれたようだ。

会って話がしたいと言う彼女に諾の返事を送る。

…今も痛む傷を、過去にするために。







「お久しぶりでございます、カミラ様」

久しぶりに会うマリアは、より美しくなっていた。

儚げな容姿はそのままに、ほんの少し見える陰りの風情が見える。

誰もが手を伸ばしなくなるような危うい色香。

それでも笑顔はあの時のまま。

もう何年も会っていないのに。

…あんな別れかたをしたのに。

領地の商会の件に礼を言った後は、マリアは久しぶりの親友に会うような屈託のない笑顔を浮かべて昔の話を紡ぐ。

「私は、覚えてますわ。お金がなくてお昼ご飯を食べられない私を気遣って、沢山のお弁当を持ってきて一緒に食べてくださったこと。移動教室へ行く時もぐずぐずしている私を最後まで待っていてくださったこと。…私の悪口を言っている他の方からずっと庇っていて下さいましたね」

「…そんな事、していないわ」

「いいえ。マルグリット様が言われていました。…カミラ様は何時も何時も人の事ばかり、と」

小さく首を振る。

「そうそう、学園の舞踏会にドレスがなく、参加を止めようとした私に、似合わないから要らないと言って、素敵なドレスをくださったこともありましたね」

彼女の方が似合った淡い水色のドレス。

どうしても一緒に出たかったあの日の舞踏会。

「あの惨めな学生時代、私はどれくらいカミラ様に助けていただいたかわかりませんわ」

私達が今も親友であれたら。

私もマリアと屈託なく笑えただろう。

でも、私達は道を違えてしまった。

「…いいえ。私は、貴女を」

言いさした私を、遮るように彼女が言う。

「…私は、…テオバルト様に憧れてはいましたわ。…でも、それはカミラ様が私の領地を助けてくださる事とは比べ物にならないような対価でした」

とこまでも穏やかなマリアの言葉に嘘は見えない。

「淡い憧れで、それを諦めるなど領地を救えるならば、いとも容易い事でした」

こんな事で、救っていただけるなんて、罪悪感を抱く程に。

「そんな想いよりも、…私は、カミラ様がとても好きでした」

だからこそ、こんな瑣末事で領地を救ってもらう事が苦しかった。

信じてもらえない事が何よりも辛かった。

貴女が。

誰よりも。

「ずっと、大好きでした」

私を一心に見つめるその眼差し。

それは、彼女が私を見つめていた、あの時のまま。

ああ。

…私は、どうして気づかなかったのか。

どうして慮らなかったのか。

彼女は最後まで私を裏切らなかったのかもしれないのに。

私は逃げ出して。

彼女を排除して。

…挙げ句に、全てを失ってしまった。



私はいつもこうだ。

最善を選びとろうとして、間違ってしまう。



「私…」

溢れ出す涙を側に居を移したマリアが優しく拭ってくれる。

「私、カミラ様が大好きです」

止まらない涙。

「だから…カミラ様のこと、放っておけないのですわ」

昔、彼女にいつも言われた台詞。

細い腕に抱き寄せられる。

「マリア…」

「はい。…これからは、前のように会ってくださいますか?」

優しい優しい声に頷く。

「…ご、めんなさ、い」

腕に力がこもる。

「…はい。…二人とも子供でしたのよ」

だから。

これから、離れてた今までの分を埋めましょうね



そう、マリアは優しく笑った。

















******







「君は本当にカミラ様が大好きなんだね」

「…そんな言葉では足りません」

淑女の微笑みを削ぎ落として、マリアが嘲笑う。

「あの方に出会ってから、何度、女に生まれた事を後悔した事か」

「…因みに、怖いけど聞いても良いかな?」

「何をです」

「もし、君が男性だったらどうしたの」

浮かべたその微笑みは、狂信者のそれで。

ぶるりと震えた背筋は、気付かなかった事にしよう。

「…囲いこんで、言いくるめて、純潔を奪って孕ませますわ」

何を捨てても。

宝物カミラが手に入るなら、大切な物領地も領民も要らない。

迷いなく言い切ったマリアに顔をひきつらせるが、パートナーになれば、これ程頼もしい人間はいない。

たおやかな美しい婚約者が、これ程の激情をその身に飼っていると、誰が信じるだろうか。

「…君が女性で僕は神に感謝するよ」

肩を抱いて、その首筋に口付ける。

「…殺してやりたい」

当たり前の様に彼女の隣にいた。

そうして彼女を裏切ったあの男。

私の宝物カミラを石ころのように扱うあの男を。

最初に出会ったときから、気に食わないあの男を。

ギリリと、歯を食いしばった音は聞かなかったことにしておこう。

マリアの中では、未だ、終わってはいないのだ。









******













マリアが出ていった扉を見つめる。

ぼんやりとマリアが私に告げた台詞を反芻した。

「…マリア」

私の事を憎んでいないと言った言葉に嘘は見えなかった。

それでも、私がした事が消えるわけではない。

況してや、テオバルト様との関係性が変わる事もないだろう。

それでもずっと心の奥底にあった澱みのようなものがほんの少しだけなくなった気がする。

もしかして、もう一度やり直せるだろうか。

マリアとの関係を。



私は小さく息をついた。







ぼうっとしていた私に、それを咎めるように、むずがるような声が聞こえた。

小さなベッドには、何より大切な我が子がいる。

手を伸ばして、小さな体を抱き締める。

ふにゃふにゃとした我が子はなんと愛おしいのか。

フワリと香る甘い匂いの頬に口付ける。

私を見つめ返す瞳は、あの方と同じ深いブルー。

まるで天使のようなその姿は、お義母様によれば、幼い頃のテオバルト様そのものらしい。

3日に一度、義務のようにやってくるテオバルト様は、この子を抱くことはせずに、ただ見つめるだけ。

愛されて当然のこの子は、もしかしたら私を母とするせいで、テオバルト様に愛されないかも知れない。

握り返される柔らかな手の平に、口付けを落とす。

「…ごめんなさいね」

お母様が私で。

その代わりに、

「私が誰よりも貴方を愛するから、許してね」

温かい宝物は、ふにゃりと笑う。



生まれて初めて。



…ようやく一人ではなくなった気がした。













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