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1【妊娠】
1-4 予兆(4)
しおりを挟むそしてまた別の日―――
その日は午後から役員と各部署の長が総勢20名ほど集まる定例会議に参加していた。
長方形の形で机が並ぶ中、短辺の上座に取締役社長である楓珠さんとその後継者である楓真くんが横並びに座り、そのすぐ後ろに置かれた机に秘書室から僕と花野井くんが参加しタブレットを使って各自記録を取っていた時のこと。
「……?先輩?」
次々と移り変わる議題を聞き漏らさないよう高速で入力していた二本の手が突然ピタッと止まり、微動だにしなくなる僕に花野井くんがコソッと声をかけてくるが、それに返事を返す余裕がなかった。
突如我慢できないほどの吐き気が、すぐそこまで込み上げていた。
楓真くんと出会い、昔のトラウマが発覚してから一時期フェロモンの拒絶反応で常に気持ち悪いがデフォルトとして付きまとっていた事もあったが、それも今となっては遠い昔の記憶なくらいここ数年はなんともなかった。なのに……この感覚はその時のそれによく似ている。
「先輩、顔色真っ青ですよ、大丈夫ですか?」
何故――と思う間にも気持ち悪さは限界に近づいていく。
心配気に声をかけてくれる花野井くんの声がぐわんぐわん頭の中で渦を巻き、さらに気分は悪くなる一方。口を覆ったハンカチをぎゅっと握りしめ、きつく目を瞑っていると、不意にフワリと漂うフェロモンに少し息がしやすくなる。
「つかささん」
「――ふ、まく…」
「顔真っ青…出ましょ」
ゆっくり視線を上げると、目の前に立つ楓真くんが集めてしまう部屋中の視線を遮るように僕を隠してくれていた。
フェロモンを流しつつ首筋に触れてくる安心する手。机を回ってより近くまで来た楓真くんのお腹付近にふらりと額を預け、ひっきりなしに回る視界をなんとか落ち着かせようと堪えてみるが、結果は変わらず厳しかった。
「立てますか?」
「だ、め…そう」
「ん、持ち上げていい?」
その言葉に力なく小さくこくりと頷くと、脇と膝裏に回った腕が軽々と抱き上げていく。
「社長、抜けます」
「うん、戻らなくていいから、付き添ってあげて」
「花ちゃん、つかささんの荷物お願いしていい?」
「もちろん任せて」
楓珠さんと花野井くんそれぞれにそう告げるとザワつく視線をものともせず、颯爽と会議室を抜け出し静かな廊下に出た。
向かう先は、一番近くの御手洗。
すぐにたどり着くと奥の個室の前でそっとおろされ、狭い中に二人でおさまった。
「つかささん、一回吐こ」
「や、だ…吐きたく…な、い」
「でも、顔色さっきより真っ青だよ」
楓真くんに全体重を預けもたれかかりながら頑なにイヤイヤと首をふる。どうしたもんか、と悩む雰囲気の楓真くんを困らせてしまっていることは百も承知で、だけど自分でもどうしたらいいかわからなかった。
とりあえず、と蓋をした便器に腰をおろす楓真くんの膝の上に横向きに抱き上げてもらい、ぐてと首筋に顔を埋めた。あっという間に狭い個室内に僕のためだけに流してくれる楓真くんのフェロモンが充満する。
どれくらいそうしていたのだろうか、
「ちょっと落ち着きました?」
「……うん、さっきより楽になったかも」
「よかったぁ。突然つかささんのフェロモンが苦しそうに揺れ出すからビックリした」
「僕も……この気持ち悪い感じは久しぶりで……ビックリした」
吐き気のピークは過ぎ去ったのか、今はだいぶ落ち着いて普通に会話ができるくらいには復活していた。誰もやってこないトイレの個室でいまだ二人で便器の上に座っている。
「今度の休み、一度検査しに行きませんか。定期検診も前行ってから数ヶ月経ってますし」
「……そうだね。やっぱり最近の僕ちょっとおかしいよね」
最近の自分の身体の変化。
もし、何かしらの病気だったら、と思うと正直……怖い。だけど、僕よりも何倍も辛そうな楓真くんの顔を見る方がもっと嫌だった。
「大丈夫、俺も一緒に行きます。一緒に話聞きましょ」
「……うん」
心強い楓真くんの胸に頭を預け、もうしばらくこのままで、とゆっくり目を閉じた。
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