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知らない人
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しおりを挟む―――数時間後、戻ってきた彼は酷い怪我をしていた。
その綺麗な顔になぐられたような跡が残っている。
しかも、雨に降られたらしい髪からは、絶えず透明な雫と、数滴ほど赤い液体が頬に滴りおちているのが見えた。
「…っ、ち、血が、…大丈夫、ですか…?怪我の手当てをしてもらった方が」
「……」
驚いて声をかけたオレの言葉に、彼は答えたくないというようにふいと顔を背けた。
雫をぽたぽたと垂らし、病室に入ってくる。
…それから、数時間前には泣きそうだったのが嘘みたいな冷たい表情で、ベッドの端に膝を乗せてきた。
「…え、」
かと思ったら、後頭部に回される手と…至近距離に近づく顔。
瞬きをする前に、目の前で長い睫毛が伏せられ、
…ゆっくりと、唇が重なった。
叫ぶ暇も、避ける余裕もない。
目前で瞼を閉じている彼と、触れている温度の低い唇の感触に、思わず息が止まる。
ただ、今自分の身に起こっていることに呆然として、固まった。
静かに離れていった吐息に、……どうして、と嫌悪感よりも先に戸惑いを覚えていると、
「さっき、あんたの好きだった女とキスしてきたって言ったら怒る?」
「…っ、」
オレの機嫌を窺うように小首を傾げ、飄々とした口調で突然そんなことを言い出す彼に、また言葉を失った。
全然誰のことも覚えてないはずなのに、一瞬で心臓が握りつぶされたような感覚になった気がして、思わずわけもわからずに泣きたくなる。
それに、今のが、彼の言った言葉のどちらの苦しみに対するものかもわからない。
「…そんな顔するなって。冗談だよ」
こっちを見て、痛々しく思える仕草で頬を緩め、ぐしゃぐしゃと髪をかきまぜるように撫でてくる手。
また、なんだか胸が痛くて泣きそうになった。
なんとなく知っているような気がするのに、わからない。
「あー、もう…覚えてないくせに、」
「…っ、…すみ、ません、」
なぜか涙ぐんだオレを見下ろし、その顔に焦りが滲む。
頭を、酷く複雑そうな表情で今度は優しくなでてくる。
不器用ながらにも安心させようとしてくれてるのがわかって、また涙が溢れそうになってしまった。
「本当に、まだ何も思い出せない?」
「…はい」
曇るオレの答えに、沈黙が返ってくる。
それから、パイプ椅子に座ったのが音と気配でわかった。
「……」
長い、重い静寂。
白い病室に、窓の外で雨がガラスをたたく音がする。
「……た」
「え?」
「その、いきなり…キスして、悪かった」
目線に困って、なんとなく窓に降り注ぐ雨を見ていると…ぶっきらぼうに、申し訳なさそうな声が聞こえた。
…振り向けば、歯切れの悪い言い方で謝っている彼に目を瞬く。
綺麗で大人びている顔に浮かぶ感情の意味を読み取れず、少し戸惑った。
「…結局、あんたは俺から逃げることを選んだんだな」
「逃げる…?」
「……」
俯き加減に、自嘲気味な口調でそう零した彼は、不意に暗く陰った瞳をオレに向ける。
「真白」
「…?」
呟かれた言葉が、自分の名前だとわかるのに時間はかからなかった。
「俺も、真白が好きだよ」
いつの言葉に対する返事なのか。
苦しそうに、今にも泣きそうな顔でオレを見つめる彼の声は、熱が籠って震えていた。
―――――――
(その告白は、)
(…きっと、今のオレに対するものじゃない)
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