君の愛に狂って死ぬ

和泉奏

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発した言葉に、彼が露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
…あれ、でもさっきの二人の様子だと特別親密だったわけではないのかもしれないと今更気づいた。


「彼女とはどういう関係で、」

「違う」

「…え、?」


色々聞きたくて好奇心のままに問えば、遮るように声が被せられる。

違う?って何が、と目を瞬けば、
彼は「今言っただろ、『響』って」と答えた。


「それ、俺の名前じゃないから」

「え、と、でもさっきそう呼ばれて、」

「…あの女には適当に嘘を教えたんだよ」


淡々と吐き出される声音に、戸惑う。


「好意を求めて寄ってくる女に気安く名前を教えるわけないだろ」


倦厭とした返答に、…そうか、と思う。

色々苦労してきたんだろうというのが言葉の節々から窺えた。


「…もしかして、オレに名前を教えてくれなかったのも…それと関係あったり、…する…?」

「なんでそう思った?」

「……だって、」


ほとんど毎日会ってるのに、今日まではぐらかされていた。
言葉に詰まるオレに対して、彼は不意に見惚れるような笑みを零した。

組んでいた足を解き、ベッドに腰をかける。
距離が近くなり、重みで少しマットレスが沈んだ。


「真白」

「…っ、なに、」


頬を指で撫でられ、手で弄ぶように触れられる。
耳のすぐ傍で、耳朶を掠める吐息とともに囁かれればゾクリと体が震えた。


「どういう理由で記憶を失ったのか、自分がどんな人間だったのか…本当に知りたい?」

「…知り、たい」


こくんと、促されるように頷くと、素直でよろしいと髪を撫でられる。

知らなくていいはずがない。
自分の過去も、他の誰のこともわからないのは、…怖い。
オレが今までどうやって過ごしてきたのか、家族はいたのか、どうしてこうなったのか。
医者も看護師さんも、無理に思い出すのは良くないからって、何も教えてくれない。

ずっと、空白でしかいられない。


「何も知らないままの方が、幸せかもしれないのに」

「……」


じっと見つめられ、少し怯んだ。
…彼の暗く美しい目に浮かぶ感情は、詠めない。

確かにそうだろう。
痛みと怪我の程度を考慮すれば、どう考えても良い意味で受けた傷とは到底思えない。

だけど、考え、悩んだのはほんのわずかな時間だった。


「……うん。それでも…、思い出したい」


導き出した結論を吐き出すと、彼は僅かに目を細める。
視線を逸らし、溜息まじりに身体を離した。


……そんなに悪いことがあったのかと邪推してしまうような反応に、少し怖くなる。


「心配しなくても、今考えてることは退院後に全部解決する」

「……?…記憶が戻るってこと?」


問題ないとでもいいたげな態度。
意味を聞いても、これ以上の追及には答えてくれない雰囲気だった。


「それに、俺の名前は既に見ただろうから言わなかっただけで…わざと隠してたわけじゃない」

「……へ、……見た……?」


少々焦りを滲ませたように口ごもった彼が、「何も言わないし、気づいてるかわからなかったから、」とやや不貞腐れているような口調で付け加えて、珍しく言いにくそうにしている。

「あー」と、苦味を滲ませ、


「身体洗うときに、なかった?」

「……え、と…、」


唐突に、問われる。
何の話だろうと、戸惑う。


「太腿の内側」

「…っ゛、」


短く呟かれた言葉に、ぎゅっと喉から変な音が鳴った。
じっと見つめてくる瞳から、…逃げるように視線を逸らす。

…思い当たることがないわけではない。

でも、ありえない、と否定する気持ちで、汗がだらだらと出ている気がした。

(なんなんだろうとは思ってた、…けど、でも、)

だからといって”これ”がそうとは限らない。


「……いや、でも、」

「…良かった。ちゃんと、残ってるんだな」

「ぇ、」


今はズボンで隠れているその部位を思い、狼狽えれば、ひどく安堵したような笑みを零す。

その表情に、見慣れない感情を見て、…息を呑んだ。


「…っ、な、んで…」


無意識に、喉が渇く。


「”Luca”」

「…っ、」


短く呟かれた二文字に、まさか、と目を見開いた。

甘く掠れ、僅かに震えた声音。
彼は、オレの左足の付け根のあたりを見下ろし、睫毛を軽く伏せる。
満足げに細めた瞳に苦しみを滲ませていた。

太腿の内側。
そこに彫られた名前のスペルと、

今、聞いた言葉が、まったく同じで


呆然として二の次を踏めないオレに、彼は薄い唇の端を持ち上げる。


「俺の本当の名前」


”あんたが、つけてくれたんだ”

大事そうに、愛執を隠しきれていない笑みを浮かべて、オレの頬を撫でた。

―――――――

付け根の、すぐ横。
太ももの内側に彼の名前が彫られている。

真新しいものでもない。
けど、嫌がって抵抗した自分に彫り刻まれたと思えるほど、その文字は歪んでいなくて。


(でも、)

(…どうしてこんな場所に)


……思い出せない。



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