7 / 17
痕
2
しおりを挟む発した言葉に、彼が露骨に嫌そうな表情を浮かべた。
…あれ、でもさっきの二人の様子だと特別親密だったわけではないのかもしれないと今更気づいた。
「彼女とはどういう関係で、」
「違う」
「…え、?」
色々聞きたくて好奇心のままに問えば、遮るように声が被せられる。
違う?って何が、と目を瞬けば、
彼は「今言っただろ、『響』って」と答えた。
「それ、俺の名前じゃないから」
「え、と、でもさっきそう呼ばれて、」
「…あの女には適当に嘘を教えたんだよ」
淡々と吐き出される声音に、戸惑う。
「好意を求めて寄ってくる女に気安く名前を教えるわけないだろ」
倦厭とした返答に、…そうか、と思う。
色々苦労してきたんだろうというのが言葉の節々から窺えた。
「…もしかして、オレに名前を教えてくれなかったのも…それと関係あったり、…する…?」
「なんでそう思った?」
「……だって、」
ほとんど毎日会ってるのに、今日まではぐらかされていた。
言葉に詰まるオレに対して、彼は不意に見惚れるような笑みを零した。
組んでいた足を解き、ベッドに腰をかける。
距離が近くなり、重みで少しマットレスが沈んだ。
「真白」
「…っ、なに、」
頬を指で撫でられ、手で弄ぶように触れられる。
耳のすぐ傍で、耳朶を掠める吐息とともに囁かれればゾクリと体が震えた。
「どういう理由で記憶を失ったのか、自分がどんな人間だったのか…本当に知りたい?」
「…知り、たい」
こくんと、促されるように頷くと、素直でよろしいと髪を撫でられる。
知らなくていいはずがない。
自分の過去も、他の誰のこともわからないのは、…怖い。
オレが今までどうやって過ごしてきたのか、家族はいたのか、どうしてこうなったのか。
医者も看護師さんも、無理に思い出すのは良くないからって、何も教えてくれない。
ずっと、空白でしかいられない。
「何も知らないままの方が、幸せかもしれないのに」
「……」
じっと見つめられ、少し怯んだ。
…彼の暗く美しい目に浮かぶ感情は、詠めない。
確かにそうだろう。
痛みと怪我の程度を考慮すれば、どう考えても良い意味で受けた傷とは到底思えない。
だけど、考え、悩んだのはほんのわずかな時間だった。
「……うん。それでも…、思い出したい」
導き出した結論を吐き出すと、彼は僅かに目を細める。
視線を逸らし、溜息まじりに身体を離した。
……そんなに悪いことがあったのかと邪推してしまうような反応に、少し怖くなる。
「心配しなくても、今考えてることは退院後に全部解決する」
「……?…記憶が戻るってこと?」
問題ないとでもいいたげな態度。
意味を聞いても、これ以上の追及には答えてくれない雰囲気だった。
「それに、俺の名前は既に見ただろうから言わなかっただけで…わざと隠してたわけじゃない」
「……へ、……見た……?」
少々焦りを滲ませたように口ごもった彼が、「何も言わないし、気づいてるかわからなかったから、」とやや不貞腐れているような口調で付け加えて、珍しく言いにくそうにしている。
「あー」と、苦味を滲ませ、
「身体洗うときに、なかった?」
「……え、と…、」
唐突に、問われる。
何の話だろうと、戸惑う。
「太腿の内側」
「…っ゛、」
短く呟かれた言葉に、ぎゅっと喉から変な音が鳴った。
じっと見つめてくる瞳から、…逃げるように視線を逸らす。
…思い当たることがないわけではない。
でも、ありえない、と否定する気持ちで、汗がだらだらと出ている気がした。
(なんなんだろうとは思ってた、…けど、でも、)
だからといって”これ”がそうとは限らない。
「……いや、でも、」
「…良かった。ちゃんと、残ってるんだな」
「ぇ、」
今はズボンで隠れているその部位を思い、狼狽えれば、ひどく安堵したような笑みを零す。
その表情に、見慣れない感情を見て、…息を呑んだ。
「…っ、な、んで…」
無意識に、喉が渇く。
「”Luca”」
「…っ、」
短く呟かれた二文字に、まさか、と目を見開いた。
甘く掠れ、僅かに震えた声音。
彼は、オレの左足の付け根のあたりを見下ろし、睫毛を軽く伏せる。
満足げに細めた瞳に苦しみを滲ませていた。
太腿の内側。
そこに彫られた名前のスペルと、
今、聞いた言葉が、まったく同じで
呆然として二の次を踏めないオレに、彼は薄い唇の端を持ち上げる。
「俺の本当の名前」
”あんたが、つけてくれたんだ”
大事そうに、愛執を隠しきれていない笑みを浮かべて、オレの頬を撫でた。
―――――――
付け根の、すぐ横。
太ももの内側に彼の名前が彫られている。
真新しいものでもない。
けど、嫌がって抵抗した自分に彫り刻まれたと思えるほど、その文字は歪んでいなくて。
(でも、)
(…どうしてこんな場所に)
……思い出せない。
21
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
キミと2回目の恋をしよう
なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。
彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。
彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。
「どこかに旅行だったの?」
傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。
彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。
彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが…
彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?
林檎を並べても、
ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。
二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。
ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。
彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。
天然くんは無自覚に手強い
結衣可
BL
営業部の敏腕先輩・真壁洋司は、30歳前後にして社内で一目置かれる存在。
冷静で仕事もできるが、恋愛はいつも軽い気持ち——「来るもの拒まず」で誰か一人に執着したことはなかった。
そんな彼の前に現れたのは、新人の佐倉有紀。
天然で人懐っこく、悪気なく距離の近い言動をするため、男女問わず人気者。
その無邪気さに翻弄される真壁。らしくないと思いつつも、心は変化していく。
一方、有紀もまた、遊び人だと思っていた真壁が自分にだけ見せる真剣な顔や、不器用な優しさに気づき始める。
次第に「僕だけを見てほしい」という独占欲が芽生え、やがて涙ながらに「僕だけにしてください」と告げることに——。
遊びの恋愛しか知らなかった男と、初めて本気で人を好きになった天然後輩。
仕事場とプライベートの狭間で、二人の関係はテンポよく、甘く、“ただの先輩と後輩”から“かけがえのない恋人”へと変わっていく。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる