貴方の隣で呼吸がしたい。

ハリエンジュ

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第二話『こどものぼうけん』

その3 喉に触れたい

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★貴方の隣で呼吸がしたい。 第二話『こどものぼうけん』その3 喉に触れたい

「千歳先生っ」

 本日分の授業が終了し、私は自分の担当する2年1組の教室で淡々とホームルームをも終わらせた。
 聖くんの言っていたように授業を行うにあたって特別困ったことはない。
 何もかも、『元の世界』と変わらなさすぎるのが逆に不気味なくらいだ。
 それでも、授業を受けている生徒たちの姿が、休み時間に廊下をすれ違う生徒や教師の姿が――確かな『魔族』だと言うのが、何だか妙な夢を見ている気分になる。
 私がホームルームを終えると、チャイムが校舎に鳴り響く。
 一気に教室の中の空気が緩み、生徒たちの談笑の声が一つ、また一つと広がっていき、着実に騒がしさを増した。
 まあ授業も全て終わったのだから、注意する理由もない。
 子どもたちの交流の時間を邪魔するのは流石に気が進まない。
 こんな愛想の無い教師が教室にいつまでも居座っていては落ち着かないだろう、と私は職員室に戻ろうとする。
 この空間に小夜さんが、私の愛する人が居るとは言え、私は彼らにとって未だ部外者の域を出ない。
 ――それは勿論、小夜さんにとっても同じだ。
 小夜さんの席へ視線をやりたい自分は居たが、また今朝のように視線を逸らされたら、こちらに怯えるような警戒の表情を浮かべられたら。
 そう思うと、私の方がたまらなく恐ろしかった。
 全ては軽率な私が悪いのだが、それでも小夜さんに拒絶されることをひどく恐れてしまう私は、とても臆病で矮小な弱い男だと思う。
 私は本当に、小夜さんの心をこの先良い意味で動かすことができるのだろうか。
 そんな強烈な不安を抱えつつ、教室を後にしようとした瞬間、私の名を親しげに呼ぶ声が耳に届いた。
 今朝も、何の躊躇いもなくぶつけられた声。
 振り返ると、今朝も親切に私に声をかけてくれた、委員長志望だと言うフウリ・ユーランさんが背後に立っていた。
 フウリさんのこちらを見る笑顔は完全に親切心で構成されたものなのだが、何となく、彼女の頭頂部にある獣の耳につい視線が集中してしまう。
 私はもう少し、この世界に慣れた方が良い。
 それでもフウリさんは特に反応していないのだから、自分の感情、動揺を悟られにくいこの仏頂面に今回ばかりは感謝した。

「千歳先生、私、聖くんに学校案内をしようと思っているんです。先生もこの学校にはまだ慣れてない、ですよね? 良かったらご案内しましょうか?」

「おっ、フウリがセンセー案内すんのか! ほんといいやつだな!」

「っ、だーっ!! リクト、うっさい!! あんたはさっさと帰れ!!」

 帰るところなのか、教室を出がけにリクトくんがぽんぽん、とフウリさんの頭を撫でる。
 その途端、フウリさんはひどく幼い表情でぽかぽかリクトくんを叩き、どうやら怒っているようだった。
 今朝もまあ、見たことには見たような気もする光景だ。
 私がこほん、と咳払いをすると、フウリさんはハッとして、少し照れたように頬を染めてその場に居直る。
 まあしっかりしてはいるものの、彼女は本当に年相応の女の子なのだろう。
 私はそんな彼女の親切心は無碍できず、とりあえず厚意に甘えることにした。

「……フウリさんさえ、ご迷惑でなければ、私の存在が窮屈でなければ、案内していただけると言うなら助かります」

「だったら、お任せください! 聖くんも、千歳先生と一緒に行きたがっているみたいなので! ……あっ、小夜ちゃん、帰るの? 小夜ちゃんも一緒に行く?」

 ふと、私とフウリさんが会話している隙に乗じて教室から去ろうとしている銀髪の少女――小夜さんに、フウリさんの意識が向く。
 フウリさんが小夜さんの名前を呼んだ瞬間、私は嫌な意味で心臓が鳴った。
 同時に、頭の中で警鐘が鳴り響く。
 小夜さんの警戒の視線が、表情が。
 脳内に何度も浮かび上がり、私は小夜さんと目線すら合わせられずにいた。
 こんなにも小夜さんが愛しいと言うのに、今は彼女と目を合わせることすらできない。
 しかも、それは決して甘い意味ではない、とても悪い意味でだ。
 その事実は私に容易に、拷問よりも辛い痛みを与えてきた。
 耳に、彼女の、小夜さんの、愛おしい声が、遠慮がちに届く。

「わ……私は、いいよ。あの……京極先生のこと、お願いね、フウリちゃん」

 銀髪が、揺れた気配がした。
 それと同時に、小夜さんが私から逃げるように教室を後にしたのが視界の端に映った。
 一瞬、時間が止まった錯覚すら感じた。
 聖くんに教えてもらったプレザント・ナイトメアの常識が脳内を埋め尽くす、占領する。
 よっぽどのことがなければ――どんな立場であれ、他人を、ファーストネームで呼ぶのがこの文化。
 しかし、小夜さんは私を『京極先生』と呼んだ。
 つまり私は、そのよっぽどのことをしてしまった大罪人なのだ。
 今すぐ殺してほしいほどの激しい痛みが胸を刺す。
 『千歳さん』と、柔らかい声で私を呼んでくれた彼女は、今は居ない。
 許してくれ、愛してくれ、その細い喉に触れさせてくれ、その喉から紡がれる愛しい声で、私の名を呼んでくれ。
 こんな自分勝手な願いばかりが浮かび上がってしまう私は、やはり咎人なのだろう。
 聖くんの未来を奪った罪の隣に、最愛の彼女を傷つけた罪が並び――私の背中は、ひどく重たく、それでもその罪は、私を殺しきってはくれない苦しみを与えていたのだ。
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