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第三話『貴方はいい子よ』
その1 何億回だって言わせておくれ
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★貴方の隣で呼吸がしたい。 第三話『あなたはいい子よ』その1 何億回だって言わせておくれ
「ただいま……」
小夜さんの力のない声に、私は読んでいた文庫本から顔を上げ、そっとそのまま本を閉じた。
その日は、小夜さんから学生時代の友人と食事に行く、と聞いていた。
久々に友人と会えるから楽しみだ、と私の記憶が正しければ最近まで彼女は浮き浮きとしていた筈だったが。
今の小夜さんの声は妙に暗く、静かで。
いつもの笑顔のように、儚げで。
玄関まで迎えに行こうとソファから立ち上がった瞬間、中途半端に開いたままだった、廊下とリビングを隔てる扉がゆっくりと、今度ははっきりと開いた。
「……おかえりなさい」
「……ただいま」
とりあえず、挨拶だけは交わしておく。
小夜さんは力なく笑ってくれたが、こういう時、彼女の心を救えるぐらいの明るさを持たない自分が、私は嫌いだった。
「……小夜さん」
それでも。
それでも、私にとって小夜さんは、世界で一番大切な人で。
名前を呼ぶと、私の意図を察したのか、小夜さんは私の隣にふらふらと歩み寄ってそっとソファに腰かけた。
二人ぶんの重みに沈んだソファの上で、小夜さんは私の肩に頭を預けてくれる。
酔っているわけではないと思うが、こんなに甘えてくるというのは、それほど彼女の心が弱っている証拠だった。
彼女がもっと甘えやすいよう、彼女の言葉を引き出すように肩に手を回すと、小夜さんはすり、と私に軽くすり寄ってくれた。
ふわりと長い銀髪から香るシャンプーの匂いに、彼女から香る控えめな香水の香りに、年甲斐もなくどきりとしてしまった。
「……友達、みんな、綺麗になってました。華やかで、きらきらしてて、大人の女性、と言った感じで」
ぽつぽつと寂しそうに、小夜さんは語った。
実際、青い瞳には確かな暗い感情が宿っている。
「小夜さんは、綺麗ですよ」
「……千歳さんは、友達のこと、見たことないからそう言ってくれるんです」
「私の言葉は、信じられませんか」
そう言うと、小夜さんは少し照れたように口ごもる。
貴方ほど、綺麗で、可愛くて、愛おしく思える存在を、私は他に知らない。
「そ、れに……手が……」
「手?」
小夜さんの言葉に、つい彼女の手に視線を落とそうとすると、小夜さんは恥ずかしそうに手を引っ込め、隠すように、猫のようにそれを丸めてしまった。
「友達の手、綺麗だったんです。きちんと手入れされていて、ネイル、とかもばっちりされてて。……わたし、お店の仕事があるから、そういうことできないし、水仕事で荒れてるし、だから、何だか……わたし、ほんと、魅力ないなって」
私と目も合わさずに、手をひたすら隠して、恥ずかしそうにそう言う小夜さん。
そんな小夜さんは、きっと、私がどれだけ彼女に惚れ込んでいるのか知らない。
小夜さんの腕をぐっと強引に引き寄せる。
ひゃ、と小夜さんの喉の奥から慌てたような声が漏れたが、私は構わず彼女の、何よりも誰よりも愛おしい手の甲に口付けた。
「ち、とせ、さん」
「……綺麗だ。貴方は、とても」
正直な気持ちをぶつけると、小夜さんの白い肌に赤みが差した。
そういうところが可愛らしくて、ああ、好きだな、と何度だって思う。
「私は、小夜さんの手が好きですよ、綺麗だとも思います」
「や……なん、で……」
「貴方は荒れている、と言いましたが、それは貴方がそれほど熱心に仕事に取り組んでいるからこそです。貴方が日々頑張っている証です。それが、美しくない筈なんてない」
「うそ……」
「嘘、と言いたいのなら構いませんよ。貴方が綺麗なのを知っているのは、私だけで良い」
最後の方はみっともない独占欲をさらけ出す形になってしまったが、それでも小夜さんの心に少しは響いてくれたらしい。
ぎゅ、と私の服の裾を掴んでくる小夜さんを、ぎゅうと抱き締める。
綺麗だ、貴方は。
綺麗なんだ、世界で一番。
ありったけの想いを込めて、私はその日、彼女をずっと抱き締めていた。
小夜さんが綺麗だと思う気持ちは、今だって微塵も変わっていない。
ただ――抱き締めることが、もう今の私には許されていないというだけで。
「ただいま……」
小夜さんの力のない声に、私は読んでいた文庫本から顔を上げ、そっとそのまま本を閉じた。
その日は、小夜さんから学生時代の友人と食事に行く、と聞いていた。
久々に友人と会えるから楽しみだ、と私の記憶が正しければ最近まで彼女は浮き浮きとしていた筈だったが。
今の小夜さんの声は妙に暗く、静かで。
いつもの笑顔のように、儚げで。
玄関まで迎えに行こうとソファから立ち上がった瞬間、中途半端に開いたままだった、廊下とリビングを隔てる扉がゆっくりと、今度ははっきりと開いた。
「……おかえりなさい」
「……ただいま」
とりあえず、挨拶だけは交わしておく。
小夜さんは力なく笑ってくれたが、こういう時、彼女の心を救えるぐらいの明るさを持たない自分が、私は嫌いだった。
「……小夜さん」
それでも。
それでも、私にとって小夜さんは、世界で一番大切な人で。
名前を呼ぶと、私の意図を察したのか、小夜さんは私の隣にふらふらと歩み寄ってそっとソファに腰かけた。
二人ぶんの重みに沈んだソファの上で、小夜さんは私の肩に頭を預けてくれる。
酔っているわけではないと思うが、こんなに甘えてくるというのは、それほど彼女の心が弱っている証拠だった。
彼女がもっと甘えやすいよう、彼女の言葉を引き出すように肩に手を回すと、小夜さんはすり、と私に軽くすり寄ってくれた。
ふわりと長い銀髪から香るシャンプーの匂いに、彼女から香る控えめな香水の香りに、年甲斐もなくどきりとしてしまった。
「……友達、みんな、綺麗になってました。華やかで、きらきらしてて、大人の女性、と言った感じで」
ぽつぽつと寂しそうに、小夜さんは語った。
実際、青い瞳には確かな暗い感情が宿っている。
「小夜さんは、綺麗ですよ」
「……千歳さんは、友達のこと、見たことないからそう言ってくれるんです」
「私の言葉は、信じられませんか」
そう言うと、小夜さんは少し照れたように口ごもる。
貴方ほど、綺麗で、可愛くて、愛おしく思える存在を、私は他に知らない。
「そ、れに……手が……」
「手?」
小夜さんの言葉に、つい彼女の手に視線を落とそうとすると、小夜さんは恥ずかしそうに手を引っ込め、隠すように、猫のようにそれを丸めてしまった。
「友達の手、綺麗だったんです。きちんと手入れされていて、ネイル、とかもばっちりされてて。……わたし、お店の仕事があるから、そういうことできないし、水仕事で荒れてるし、だから、何だか……わたし、ほんと、魅力ないなって」
私と目も合わさずに、手をひたすら隠して、恥ずかしそうにそう言う小夜さん。
そんな小夜さんは、きっと、私がどれだけ彼女に惚れ込んでいるのか知らない。
小夜さんの腕をぐっと強引に引き寄せる。
ひゃ、と小夜さんの喉の奥から慌てたような声が漏れたが、私は構わず彼女の、何よりも誰よりも愛おしい手の甲に口付けた。
「ち、とせ、さん」
「……綺麗だ。貴方は、とても」
正直な気持ちをぶつけると、小夜さんの白い肌に赤みが差した。
そういうところが可愛らしくて、ああ、好きだな、と何度だって思う。
「私は、小夜さんの手が好きですよ、綺麗だとも思います」
「や……なん、で……」
「貴方は荒れている、と言いましたが、それは貴方がそれほど熱心に仕事に取り組んでいるからこそです。貴方が日々頑張っている証です。それが、美しくない筈なんてない」
「うそ……」
「嘘、と言いたいのなら構いませんよ。貴方が綺麗なのを知っているのは、私だけで良い」
最後の方はみっともない独占欲をさらけ出す形になってしまったが、それでも小夜さんの心に少しは響いてくれたらしい。
ぎゅ、と私の服の裾を掴んでくる小夜さんを、ぎゅうと抱き締める。
綺麗だ、貴方は。
綺麗なんだ、世界で一番。
ありったけの想いを込めて、私はその日、彼女をずっと抱き締めていた。
小夜さんが綺麗だと思う気持ちは、今だって微塵も変わっていない。
ただ――抱き締めることが、もう今の私には許されていないというだけで。
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