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第三部:調査ルポルタージュ『Project SILICA』
第2話:ジャーナリストの亡霊
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2024年9月18日 - PCメモ『調査ログ.txt』より抜粋
あれから二日が経った。眠れない夜が続いている。昼間は鳴り止まない通知とメディアからの問い合わせに忙殺され、夜は静まり返った部屋で、モニターに映る反響という名のノイズの奔流をただ眺める。その繰り返し。
俺は、成功したのだ。エンターテイナーとして、これ以上ないほどの成功を収めた。ポッドキャスト『深淵アーカイヴ』最終回は、伝説になった。ネットニュースはこぞって「放送事故か、神の演出か」と見出しを打ち、動画サイトには、あの最後の“咀嚼音”だけを切り取ったクリップが無数にアップロードされ、数百万回再生されている。「カイトは天才だ」「現代の放送作家の頂点」そんな賞賛の言葉が、SNSのタイムラインを埋め尽くしている。
嬉しいはずなんだ。心の底から、歓喜に打ち震えるべきなんだ。これが、俺がずっと求めてきたものだったはずだ。無名の配信者だった俺が、世間をここまで騒がせている。これは達成感だ。紛れもない成功体験だ。
だが、夜、一人きりでPCの前に座ると、その感情は急速に色褪せ、代わりに、冷たく粘ついた、名状しがたい恐怖が腹の底からせり上がってくる。
モニターに映る無数のコメント。「神回だった」「怖すぎて眠れない」「最高のエンタメをありがとう」。彼らにとって、これはまだ安全な場所から眺める見世物なのだ。ジェットコースターと同じ。金さえ払えば、安全が保証されたスリルを味わえる。あの“咀嚼音”も、そのスリルを最大化するための、最高のスパイスだと信じて疑っていない。
違う。断じて違うんだ。
俺は、地獄の釜の蓋を開けてしまった。それだけじゃない。蓋を開けた先の暗闇に向かって、これはエンターテインメントだと叫びながら、大勢の人間を招き入れてしまった。そして、その暗闇の底から、何かがこちらに応えた。あの咀嚼音は、その返事だ。
「あれは映画ではない」
あの差出人不明のメール。あの老人の電話。それらはノイズではない。本物の信号だ。この巨大な反響の中に紛れ込んで、いや、この反響を隠れ蓑にして、俺にだけ届くように送られてきた、静かな警告。
俺は二つの感情の間で引き裂かれている。
エンターテイナーとしての高揚感と、触れてはいけない領域に足を踏み入れてしまったという、純粋な恐怖。光と闇。賞賛と警告。その両極端に引っぱられ、俺の精神は少しずつ軋みを上げている。
どうするべきなんだ。
このまま「最高の演出でした」と笑って、この熱狂を次のビジネスに繋げるべきか? それがプロのエンターテイナーとしての正解だろう。人々が求めているのは真実じゃない。真実らしく見える、安全で刺激的な物語だ。俺はそれを提供し、富と名声を得る。簡単な話だ。
だが、本当にそれでいいのか?
(ここで一度、タイピングが止まる。数秒の沈黙)
…思い出す。大学時代のことだ。俺は、ジャーナリストになりたかった。大手新聞社の面接で、最終まで残ったことがある。面接官に聞かれた。「君は、ジャーナリストとして何を伝えたいのか」と。
俺は、どもりながらも、必死に答えたのを覚えている。「社会の片隅で、誰にも気づかれずに消えていく声や、巨大な権力によって意図的に隠された不都合な真実を、掘り起こしたいです。たとえ誰かに憎まれようと、危険が伴おうと、それこそがジャーナリズムの使命だと信じています」
青臭い、理想論だけの言葉だった。結果は、不採用。理由は「君は少し、主観的すぎる」だった。その後、いくつかの編プロを転々とし、結局、俺はジャーナリストにはなれなかった。食っていくために始めたのが、このポッドキャストだ。オカルトや都市伝説という、真偽不明のグレーゾーン。そこなら、俺の主観的な熱量も「エンタメ」として許容されると思ったからだ。
ジャーナリズムの夢は、とうの昔に捨てたつもりだった。生活のために、プライドも理想も、心の奥底に封印した。俺はジャーナリスト・皆藤誠一ではなく、人気配信者・カイトなのだと。そう自分に言い聞かせ続けてきた。
だが、今、その封印が解けかかっている。
あの“咀嚼音”が。あの差出人不明のメールが。あの老人の怯えた声が、墓の下から亡霊を呼び覚ますように、俺の中で死んだはずのジャーナリストの魂を揺さぶり始める。
これは、エンタメで終わらせていい話なのか?
『天蓋村に関する報告』を遺した「名無しさん」。彼は、最後に何者かの監視下に置かれたことを示唆して、消息を絶った。
映画監督・真田玲。あれだけの告発状を叩きつけながら、一切メディアの前に姿を現さない。
そして、俺の元に届いた、いくつかの不気味なコンタクト。
点と点が、繋がり始めている。それは、俺がポッドキャストで描いた「贄の供給システム」という結論すら、まだ表層でしかないことを示唆している。その奥には、もっと巨大で、根深い何かが横たわっている。社会の片隅どころではない。この国の、もっと中枢に近い場所で、誰にも知られずに蠢いている、何かだ。
もし、俺があの面接官の前で語った言葉が、本心だったのなら。
もし、俺の中に、ジャーナリストの亡霊が、まだ一片でも燻っているのなら。
俺が今、やるべきことは一つしかないのではないか。
この熱狂を、エンターテインメントとして消費し、風化させることじゃない。この巨大な反響そのものを武器に、そして盾にして、誰も暴こうとしなかった、あるいは暴けなかった、この国の暗部へと、さらに深く潜っていくことだ。
それは、危険な道だ。帰ってこられないかもしれない。
「名無しさん」のように、俺もまた、何者かの視線に晒されることになるだろう。エンターテイナー・カイトとして得た名声も、安定した生活も、全てを失うかもしれない。
恐怖が、全身を締め付ける。やめておけ、と本能が叫んでいる。これはお前の手には負えない。お前はただの配信者だ。面白おかしく話をでっち上げて、金を稼いでいればいい。安全な場所から、決して降りてくるな。
だが、亡霊が囁くのだ。
「本当にそれでいいのか?」と。「お前が伝えたかったのは、これだったのか?」と。
(長い、長い沈黙。マウスのホイールをスクロールする音だけが、断続的に響く)
…もう一度、届いたメールを、全て見直してみよう。
数千件のノイズの海。その中に、まだ俺が見落としている「信号」が、埋もれているかもしれない。賞賛も、罵倒も、今はどうでもいい。必要なのは、真実に繋がる、たった一つの、小さな糸口だ。
(ファイルの最後に、数行の空白。そして、カーソルが点滅したままになっている)
あれから二日が経った。眠れない夜が続いている。昼間は鳴り止まない通知とメディアからの問い合わせに忙殺され、夜は静まり返った部屋で、モニターに映る反響という名のノイズの奔流をただ眺める。その繰り返し。
俺は、成功したのだ。エンターテイナーとして、これ以上ないほどの成功を収めた。ポッドキャスト『深淵アーカイヴ』最終回は、伝説になった。ネットニュースはこぞって「放送事故か、神の演出か」と見出しを打ち、動画サイトには、あの最後の“咀嚼音”だけを切り取ったクリップが無数にアップロードされ、数百万回再生されている。「カイトは天才だ」「現代の放送作家の頂点」そんな賞賛の言葉が、SNSのタイムラインを埋め尽くしている。
嬉しいはずなんだ。心の底から、歓喜に打ち震えるべきなんだ。これが、俺がずっと求めてきたものだったはずだ。無名の配信者だった俺が、世間をここまで騒がせている。これは達成感だ。紛れもない成功体験だ。
だが、夜、一人きりでPCの前に座ると、その感情は急速に色褪せ、代わりに、冷たく粘ついた、名状しがたい恐怖が腹の底からせり上がってくる。
モニターに映る無数のコメント。「神回だった」「怖すぎて眠れない」「最高のエンタメをありがとう」。彼らにとって、これはまだ安全な場所から眺める見世物なのだ。ジェットコースターと同じ。金さえ払えば、安全が保証されたスリルを味わえる。あの“咀嚼音”も、そのスリルを最大化するための、最高のスパイスだと信じて疑っていない。
違う。断じて違うんだ。
俺は、地獄の釜の蓋を開けてしまった。それだけじゃない。蓋を開けた先の暗闇に向かって、これはエンターテインメントだと叫びながら、大勢の人間を招き入れてしまった。そして、その暗闇の底から、何かがこちらに応えた。あの咀嚼音は、その返事だ。
「あれは映画ではない」
あの差出人不明のメール。あの老人の電話。それらはノイズではない。本物の信号だ。この巨大な反響の中に紛れ込んで、いや、この反響を隠れ蓑にして、俺にだけ届くように送られてきた、静かな警告。
俺は二つの感情の間で引き裂かれている。
エンターテイナーとしての高揚感と、触れてはいけない領域に足を踏み入れてしまったという、純粋な恐怖。光と闇。賞賛と警告。その両極端に引っぱられ、俺の精神は少しずつ軋みを上げている。
どうするべきなんだ。
このまま「最高の演出でした」と笑って、この熱狂を次のビジネスに繋げるべきか? それがプロのエンターテイナーとしての正解だろう。人々が求めているのは真実じゃない。真実らしく見える、安全で刺激的な物語だ。俺はそれを提供し、富と名声を得る。簡単な話だ。
だが、本当にそれでいいのか?
(ここで一度、タイピングが止まる。数秒の沈黙)
…思い出す。大学時代のことだ。俺は、ジャーナリストになりたかった。大手新聞社の面接で、最終まで残ったことがある。面接官に聞かれた。「君は、ジャーナリストとして何を伝えたいのか」と。
俺は、どもりながらも、必死に答えたのを覚えている。「社会の片隅で、誰にも気づかれずに消えていく声や、巨大な権力によって意図的に隠された不都合な真実を、掘り起こしたいです。たとえ誰かに憎まれようと、危険が伴おうと、それこそがジャーナリズムの使命だと信じています」
青臭い、理想論だけの言葉だった。結果は、不採用。理由は「君は少し、主観的すぎる」だった。その後、いくつかの編プロを転々とし、結局、俺はジャーナリストにはなれなかった。食っていくために始めたのが、このポッドキャストだ。オカルトや都市伝説という、真偽不明のグレーゾーン。そこなら、俺の主観的な熱量も「エンタメ」として許容されると思ったからだ。
ジャーナリズムの夢は、とうの昔に捨てたつもりだった。生活のために、プライドも理想も、心の奥底に封印した。俺はジャーナリスト・皆藤誠一ではなく、人気配信者・カイトなのだと。そう自分に言い聞かせ続けてきた。
だが、今、その封印が解けかかっている。
あの“咀嚼音”が。あの差出人不明のメールが。あの老人の怯えた声が、墓の下から亡霊を呼び覚ますように、俺の中で死んだはずのジャーナリストの魂を揺さぶり始める。
これは、エンタメで終わらせていい話なのか?
『天蓋村に関する報告』を遺した「名無しさん」。彼は、最後に何者かの監視下に置かれたことを示唆して、消息を絶った。
映画監督・真田玲。あれだけの告発状を叩きつけながら、一切メディアの前に姿を現さない。
そして、俺の元に届いた、いくつかの不気味なコンタクト。
点と点が、繋がり始めている。それは、俺がポッドキャストで描いた「贄の供給システム」という結論すら、まだ表層でしかないことを示唆している。その奥には、もっと巨大で、根深い何かが横たわっている。社会の片隅どころではない。この国の、もっと中枢に近い場所で、誰にも知られずに蠢いている、何かだ。
もし、俺があの面接官の前で語った言葉が、本心だったのなら。
もし、俺の中に、ジャーナリストの亡霊が、まだ一片でも燻っているのなら。
俺が今、やるべきことは一つしかないのではないか。
この熱狂を、エンターテインメントとして消費し、風化させることじゃない。この巨大な反響そのものを武器に、そして盾にして、誰も暴こうとしなかった、あるいは暴けなかった、この国の暗部へと、さらに深く潜っていくことだ。
それは、危険な道だ。帰ってこられないかもしれない。
「名無しさん」のように、俺もまた、何者かの視線に晒されることになるだろう。エンターテイナー・カイトとして得た名声も、安定した生活も、全てを失うかもしれない。
恐怖が、全身を締め付ける。やめておけ、と本能が叫んでいる。これはお前の手には負えない。お前はただの配信者だ。面白おかしく話をでっち上げて、金を稼いでいればいい。安全な場所から、決して降りてくるな。
だが、亡霊が囁くのだ。
「本当にそれでいいのか?」と。「お前が伝えたかったのは、これだったのか?」と。
(長い、長い沈黙。マウスのホイールをスクロールする音だけが、断続的に響く)
…もう一度、届いたメールを、全て見直してみよう。
数千件のノイズの海。その中に、まだ俺が見落としている「信号」が、埋もれているかもしれない。賞賛も、罵倒も、今はどうでもいい。必要なのは、真実に繋がる、たった一つの、小さな糸口だ。
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