天蓋村の不可解な求人広告について

月影 朔

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​第三部:調査ルポルタージュ『Project SILICA』

第11話:学者の目

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2024年10月2日 - PCメモ『調査ログ.txt』より抜粋

件名:八代義明へのインタビュー記録

日時: 2024年10月2日 午後1時
場所: 国家安全保障・資源戦略研究所 応接室
記録方法: ICレコーダーによる音声記録(以下、書き起こし)

八代からの返信は、驚くほど迅速かつ、好意的だった。俺が配信者「カイト」として送った取材依頼に対し、研究所の広報室は「八代本人も、若者世代への科学啓蒙に強い関心を持っており、ぜひお受けしたい」と、二つ返事で承諾してきたのだ。

そして今日、俺は霞が関の、いかにも国家の中枢といった重々しいビルの一室で、この物語の最後の門番と、ついに対峙することになった。

応接室は、過剰なまでに無機質だった。磨き上げられた長テーブルと、革張りの椅子。壁には、当たり障りのない風景画が一枚かかっているだけ。テーブルの上には、俺のICレコーダーと、広報の人間が入れたであろう、まだ湯気の立つコーヒーカップが二つ。

やがて、重いドアが静かに開き、一人の男が入ってきた。ウェブサイトで見た、あの穏やかな笑みを浮かべた顔写真そのものだった。歳は60代後半だろうか。上質なツイードのジャケットを品よく着こなし、銀縁の眼鏡の奥で、知性と余裕に満ちた目が細められている。彼が、八代義明。

八代:「やあ、カイトさん。お待ちしていましたよ。八代です」

カイト:「本日はお忙しい中、ありがとうございます。カイトです」

握手を交わす。その手は、学者のものらしく、柔らかく、そして温かかった。だが、その温かさが、これから俺がやろうとしていることの罪悪感を、針のように突き刺した。

八代:「君のポッドキャスト、少しだけですが拝聴しましたよ。非常に面白い試みだ。エンターテインメントの力を借りて、難しいテーマを若者に届ける。素晴らしいことだ」

カイト:「恐縮です。先生こそ、あの天蓋村の論文…『特定地域における地質起因の集団精神変容に関する一考察』。あれは、我々が番組で最終的にたどり着いた“人身御供説”というオカルト的な結論に、科学的な視点から鮮やかなカウンターを与えるものでした。正直、頭を殴られたような衝撃でしたよ」

俺は、道化を演じた。彼の「物語」を信奉する、無知なエンターテイナーの役を。

八代:「ははは、カウンターだなんて。とんでもない。私はただ、地質学者として、観測された事実に即して、最も合理的な仮説を提示したに過ぎませんよ」

彼は、自信たっぷりにそう言った。その態度は、自らの知性と権威に対する、微塵の疑いも感じさせない、完璧な学者のそれだった。

カイト:「ですが先生、我々のような素人には、どうしても疑問が残ってしまうんです。例えば、先生の論文では、村の伝承は『特殊なケイ素同位体を含む鉱脈が発する超低周波音』による集団幻覚だと結論付けておられましたね 。ですが、もしそうだとすれば、なぜその現象は、ダムの底に沈んだ、あの天蓋村という極めて限定的な場所でしか確認されていないのでしょうか?」

八代:「いい質問だ。それは、あの地域の地質構造が、日本…いや、世界的に見ても、極めて特異だからです。複数のプレートが複雑に重なり合う、特殊な地殻変動多発地帯。そして、問題のケイ素同位体も、あの場所でしか産出が確認されていない、極めて希少なものなのです。条件が、あまりにも限定的すぎる。だからこそ、歴史上、他に例を見ない、奇跡のような自然現象が起きたのですよ」

彼の説明は、淀みなく、完璧だった。素人が抱くであろう疑問に対する「模範解答」が、あらかじめ用意されているかのようだ。俺は、ポッドキャストで倉田さんや長谷部先生と議論していた時のような、手応えのある感触を、全く掴めずにいた。彼の権威と理論武装の前では、俺の問いは全て、子供の質問のように、いとも簡単にあしらわれてしまう。

カイト:「なるほど…。では、80年間も続いたという、あの異常な求人広告については、どうお考えですか? 『瞬きをせずに3時間画面を注視できる方』 、『走幅跳を5m以上跳べる方』 …。これらも全て、幻覚が見せた集団的な狂気だったと?」


八代:「もちろん。それこそが、私の仮説の核心です」と、彼は微笑んだ。「超低周波音への感受性には、当然、個人差がある。特に感受性の強い人間は、より強く、より具体的な幻覚を見る。彼らが、自らを神事の『役目』を担う者だと信じ込み、その役目にふさわしい人間を、求人という形で外部から集めようとした…。悲劇的な勘違いの連鎖ですよ。全ては、特異な地質が見せた、壮大な悪夢だったのです」

悪夢。その言葉に、俺の中の何かが、プツリと切れた。
違う。これは、悪夢などではない。真田玲が、今も囚われている現実だ。俺は、もう道化を演じていることに、耐えられなくなっていた。

俺は、ICレコーダーのスイッチが入っていることを確認し、ゆっくりと、最後のカードを切った。

カイト:「…先生。大変、よくわかりました。先生のおっしゃる通り、全てはSFのような、壮大な自然現象だったのかもしれませんね」

八代:「ご理解いただけて何よりです」

カイト:「ええ。ですが、一つだけ、どうしても解けない謎があるんです。…先日、私は山梨のある場所で、一人の男性にお会いしまして」

俺の言葉に、八代の表情が、初めて微かに動いた。

カイト:「彼は、映画『天蓋村』の監督で、そして、経済産業省の元官僚でもありました。…先生も、よくご存知のはずです。天蓋ダムの地質調査を、共に担当されたのですから」

俺は、彼の目を、真っ直ぐに見つめた。

カイト:「真田玲さんから、お話を伺いました」

その瞬間だった。

八代義明の顔から、全ての表情が抜け落ちた。
それまで浮かべていた、学者の知的な微笑みも、権威者の余裕も、全てが、まるで仮面が剥がれ落ちるように消え失せた。急速に血の気が引き、その顔は、能面のように白く、無表情になる。

だが、その目は、違った。
銀縁の眼鏡の奥で、彼の瞳が、激しく揺れていた。
それは、自信に満ちた学者の目ではない。
俺が山梨で見た、あの目だ。
全てを諦め、何かに怯え、見張られている人間の、絶望の色。

彼は、何も言わない。言えないのだ。
ただ、その恐怖に染まった目で、俺を、そして俺の背後にある何かを、見つめている。
広報の人間が淹れたコーヒーカップを持つ彼の指先が、カタカタと、ソーサーの上で小さな音を立てて震えているのを、俺は見逃さなかった。

勝った、と思った。
だが、その勝利の感覚は、一瞬で、別の、もっと冷たい感情に塗り替えられた。
俺は、この男の仮面を剥がしてしまった。
そして、その仮面の下から現れた素顔は、俺が暴きたかった巨悪のそれなどではなく、ただ怯える、一人の哀れな男の顔でしかなかったからだ。

そして俺は、気づいてしまった。
この男もまた、真田と同じ「囚人」に過ぎないのだと。

その時、応接室の重いドアが、ノックもなしに、静かに開いた。
入ってきたのは、研究所の広報担当の男だった。彼は、俺たち二人を交互に見ると、作り物のような笑みを浮かべて言った。

「先生、カイト様。大変申し訳ございませんが、そろそろお時間となります」
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