『未来郵便局』

第三章：言えなかった「ごめんね」

第十六話：気まずい再会

　東京の都心にそびえ立つ、ガラス張りの高層ビル。

　その二十階にある、大手広告代理店のオフィスは、今日も慌ただしい喧騒に包まれていた。

　電話のベルが鳴り響き、キーボードを叩く音が途切れることなく続く。
その中で、一人の女性が、パソコンの画面を凝視しながら、鋭い視線を走らせていた。

　彼女の名は、玲子。
三十代後半、キャリアウーマンとして名を馳せる彼女は、常に完璧を求め、仕事にすべてを捧げてきた。

　洗練されたスーツに身を包み、背筋をピンと伸ばしたその姿は、周囲の社員たちに一目置かれている。

　だが、その完璧な姿の裏には、人知れぬ孤独が隠されていた。

　その日の午後、玲子のデスクの内線電話が鳴った。
受話器を取ると、受付からの声が聞こえる。

「玲子様、未来郵便局の時雨様という方がお見えです」

　未来郵便局？　

　聞き慣れない名前に、玲子は眉をひそめた。

　心当たりのない来客に、玲子は不審に思いながらも、会議室で会うことにした。

　会議室の扉を開けると、そこに立っていたのは、紺色の制服に身を包んだ、線の細い青年だった。

　時雨は、玲子の顔を見るなり、軽く頭を下げた。

　彼の涼やかな目元は、どこか憂いを帯びているように見える。

「未来郵便局の時雨と申します。
玲子様にお届け物がございます」

　時雨は、手に持った一通の封筒を、玲子に差し出した。

　玲子は、訝しげな表情でそれを受け取った。
手紙の差出人の欄に書かれていた名前を見て、玲子は息を呑んだ。

「智也……？」

　その瞬間、玲子の脳裏に、忘れかけていた記憶が鮮明に蘇った。

　智也。

　三年前、玲子が離婚した元夫の名前だった。

　玲子の心臓が、ドクンと大きく鳴った。
まさか、彼から手紙が届くなんて。

「……どういうことですか？　
智也は、もう」

　玲子の言葉は、途中で途切れた。
喉の奥が、乾いたようにヒリヒリと痛む。

　時雨は、玲子の言葉の続きを待つように、静かに立っていた。

「智也様は、一年ほど前に、不慮の事故で亡くなられました。
この手紙は、彼が生前に未来郵便局に預けられたものです」

　時雨の言葉に、玲子の顔から血の気が引いた。智也が、亡くなっていた？　

　玲子は、全く知らなかった。
離婚して以来、連絡を取ることはなかったが、まさか、そんなことになっていたとは。

　玲子の手のひらに、汗がじんわりと滲む。
手紙が、まるで熱を帯びたかのように感じられた。

「事故……？」

　玲子の声は、ひどく掠れていた。

　彼女の心は、激しく動揺していた。
仕事一筋で生きてきた玲子は、プライベートな感情を押し殺すことに慣れていた。

　だが、智也の死という突然の事実に、彼女の感情の鎧は、簡単に剥がれ落ちていった。

　時雨は、玲子の動揺を静かに見守っている。
彼の感情を映さない瞳は、玲子の心の奥底を見透かすかのように、深く澄んでいた。

「配達条件が満たされましたので、お届けに参りました」

　時雨は、再び繰り返した。

その言葉は、玲子の心をさらにざわつかせた。

　智也が、一体どんな条件で、この手紙を預けていたというのだろう。

　玲子は、手紙を握りしめたまま、椅子に深く座り込んだ。

　頭の中は、智也の死という事実と、手紙の存在で混乱していた。
三年前、玲子は自分の仕事に没頭するあまり、智也とのすれ違いが生じ、結局離婚を選んだ。

　後悔はなかったはずだ。
仕事で成功することが、玲子にとってのすべてだったから。

　しかし、智也が亡くなっていたという事実が、玲子の心に、まるで冷たい水を浴びせかけられたかのような衝撃を与えた。

　そして、智也が自分に手紙を遺していたという事実は、玲子の心をさらに搔き乱した。

　玲子にとって、智也との関係は、すでに過去のものだった。

　だが、目の前にある手紙が、その過去を再び玲子の目の前に突きつけている。
しかも、それは、もう二度と会うことのできない、亡き元夫からの手紙なのだ。

　玲子の表情は、硬く凍りついていた。

　手紙を開くことへの抵抗と、そこに書かれている内容を知りたいという衝動が、玲子の心の中で激しくせめぎ合っている。

　彼女は、手紙をじっと見つめたまま、言葉を発することができなかった。

　時雨は、玲子が手紙を受け取ったことを確認すると、静かに会議室の扉へと向かった。

　彼の足音は、玲子にはほとんど聞こえなかった。

　まるで、最初からそこにいなかったかのように、時雨の気配は消えていた。

　玲子は一人、智也からの手紙を握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。