【完結】『謀反人の汚名を着た武田信玄 ~残された秘策と隠された忠義~』

月影 朔

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第五章:風前の灯火

第九十四話:裏切り者の末路

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 黒百合組頭領との死闘を制した小太郎は、深呼吸をして、荒れる息を整えた。

 全身に走る激痛にもかかわらず、彼の瞳には勝利の光が宿っていた。千代女と望月衆が、周囲の残敵を掃討し終える頃、小太郎は、倒れた頭領の傍らに歩み寄った。

「貴様は、なぜ信長に仕える。民を顧みず、ただ血を流させることに意味があるのか」

 小太郎は、苦しげに呻く頭領に問いかけた。頭領は、小太郎の問いには答えず、ただ憎悪に満ちた目で彼を睨みつけていた。
しかし、その視線の奥には、かすかな諦めと、虚無が漂っているようにも見えた。

 その時、千代女が、頭領の懐から一枚の書状を見つけ、小太郎に差し出した。
そこには、信長からの指令が記されており、武田の機密情報が詳細に書かれている。

 そして、その情報源を示すかのように、末尾には、信長が直々に与えたと見られる穴山梅雪の署名があった。

「やはり……穴山梅雪か……」

 小太郎は、その書状を手に、深い怒りを覚えた。
信玄が病に臥せった後、武田家中で重きをなしていた穴山梅雪。
彼の裏切りは、長篠の敗戦だけでなく、武田の密約の縁、絆の糸、人脈といった、信玄が築き上げてきた全てを寸断しようとしていたのだ。

「信長は、用済みとなれば容赦なく切り捨てる。穴山梅雪も、いずれは同じ道を辿るだろう」

 千代女は、冷たく言い放った。
裏切り者は、利用されるだけ利用され、最後は無残な末路を辿る。それが、乱世の常であった。

 庵の中では、信玄が、老近習から頭領を討ち取った報告を受けていた。

「黒百合組の頭領を討ち取ったか……。よくやった、小太郎」

 信玄は、静かに目を閉じ、深く息を吐いた。彼の顔には、疲労の色が濃いものの、どこか安堵したような表情が浮かんでいた。

「そして、穴山梅雪の裏切りが、確たる証拠として掴めました」

 老近習が、小太郎が見つけた書状の内容を信玄に伝えた。信玄は、その報告を静かに聞いた。彼の表情は変わらず、感情の読み取れない顔をしていた。

「そうか……やはり、そうであったか」

 信玄は、目を開き、遠くを見つめる。
彼には、穴山梅雪の裏切りは、すでに予期していたことだった。信頼していた甥の裏切り。その事実は、信玄の胸を深く抉るものであっただろう。しかし、信玄は、それを表に出すことはなかった。

 数日後、遠く離れた織田信長の居城・岐阜城。

 穴山梅雪が信長の前にひざまずいていた。彼の顔には、かすかな焦りの色が見える。黒百合組からの報告が途絶え、信玄の隠れ庵の制圧が失敗したという情報が、間接的に信長の耳にも入っていたからだ。

「ほう。武田信玄の隠れ庵は、いまだ落ちぬと申すか。そして、黒百合組の頭領も、行方不明となったそうではないか」

 信長は、氷のような目で梅雪を見下ろした。その言葉は、梅雪の心臓を鷲掴みにした。
信長は、もはや梅雪に用はないと言っているのだ。利用価値がなくなった裏切り者は、容赦なく切り捨てられる。梅雪の顔から、血の気が引いていく。

「信長様……!滅相もございませぬ!この梅雪、必ずや……!」

 梅雪は、必死に命乞いをしようとするが、信長は、冷酷な目で彼を一瞥しただけで、背を向けた。

「貴様には、もう用はない。用済みの駒など、切り捨てるのが道理というもの。武田の残党ごときに、これほど手こずるとは、貴様らの働き、まこと頼りにならぬ」

 信長の言葉は、梅雪の耳に、死刑宣告のように響いた。彼の身体は、震えが止まらない。

 信長が、裏切り者を許さぬ冷徹な覇王であることは、重々承知していたはずなのに。梅雪の脳裏には、信玄の顔が浮かんだ。
しかし、すでに引き返せる道はなかった。彼は、信長に裏切られ、武田にも見捨てられ、孤独な最期を迎えることになるだろう。

 隠れ庵で、信玄は、小太郎に語りかけた。
「小太郎。裏切り者の存在は、武田の深き傷である。だが、それは、この乱世の表裏一体。武力だけでは、真の安寧は訪れぬ。人心の綻びこそ、最も恐るべきものよ」

 信玄の言葉は、小太郎の胸に深く染み渡った。信玄は、この乱世を終わらせるために、武力だけでなく、「楔」という人心に働きかける手段を選んだのだ。そして、その計画が、裏切り者によって危機に瀕している。

 信玄は、小太郎をじっと見つめた。彼の瞳には、武田の未来、そしてこの国の安寧への、揺るぎない決意が宿っていた。

「小太郎。わしは、武田家を救い、そしてわしの計画を完遂するため、さらなる非情な決断を迫られることになる。それは、一部の犠牲を覚悟し、大局を見据えることだ。お主には、その全てを託したい」

 信玄の声は、かすれてはいたが、その言葉には、武田の総帥としての重みと、そして、この国の未来を小太郎に託す覚悟が込められていた。

 武田の命運は、今、最後の局面を迎えようとしていた。
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