『諸国漫遊 仕込み杖の料理人 ~怒りの一振り、悪党仕置き旅~』

月影 朔

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第五話 権力に巣食う、肥え太った腹

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 街道宿場町を後にして、空人はさらに西を目指した。

 旅は続き、季節は夏へと移り変わろうとしている。強い日差しを避けながら、空人は次の目的地である、ある藩の城下町へと足を運んだ。

 城下町は流石に賑わっていた。大きな商家が立ち並び、侍や町人、旅人が行き交う。しかし、その賑わいの裏には、どこか張り詰めた、息苦しい空気が漂っているように空人には感じられた。商人たちの顔には、金勘定に追われる厳しさだけでなく、どこか怯えや不満の色が見えた。

 空人は町の外れにある小さな飯屋に入った。昼時だが客は少なく、店主は溜息ばかりついている。空人が地元の名物らしい蕎麦を頼むと、店主は手際よく用意してくれたが、その表情は暗いままだった。

「店主さん、随分と立派な城下町ですね。賑わっているように見えますが、皆さんなんだか元気がないように見えますが…」

 空人は蕎麦を啜りながら尋ねた。蕎麦は美味かったが、やはりどこか心がこもっていない。

「ああ…あんた、旅の方かい? この町は…見た目ほど良い町じゃねえんだよ」

 店主は声を潜めて言った。そして、この町にはびこる悪について語り始めた。この藩の勘定方(かんじょうがた)を束ねる高崎(たかさき)という役人が、町人から賄賂を強要したり、法外な税を取り立てたりしているのだという。

「高崎様のご機嫌を損ねりゃあ、商売ができなくなる。難癖つけられて蔵を開けられ、根こそぎ持っていかれる。逆らえねえ…皆、泣く泣く奴らに金を貢いでいるんだ。真面目に働いても、奴らに吸い上げられるだけさ…」

 店主は悔しそうに拳を握った。高崎の手下である手代(てだい)や、彼らに雇われたらしい浪人者が町のあちこちにいて、商人や町民を監視し、重箱の隅を楊枝でつつくように難癖をつけては金を巻き上げているのだという。

 空人は蕎麦を食べる手を止めた。権力という名のもとに、人々の汗と努力の結晶である金銭を奪う悪党。それは、これまでの悪党とはまた違った、陰湿で悪質なやり口だった。彼らが奪っているのは金銭だけではない。真面目に働くことへの意欲、町の将来への希望、そして平穏な暮らしを奪っているのだ。

 空人は蕎麦を平らげ、勘定を済ませると、店主に礼を言った。

「店主さん、ありがとう。美味かったですよ」

 空人が飯屋を出ると、町の大きな商家から怒鳴り声と悲鳴が聞こえてきた。見ると、役人の身なりをした男たち数人が、商家の主らしき男を突き飛ばし、店の帳簿を無理やり奪っている。主は顔を青ざめさせ、必死に抵抗しようとするが、手下たちに押さえつけられている。

「この帳簿に間違いがあるようだな! 不正が見つかった以上、店の財産は全て藩が預かる!」

 役人の一人が高圧的な声で言い放った。それは明らかに言いがかりだった。商家の主は、絶望した顔で地面に崩れ落ちた。

 空人は、その光景を静かに見ていた。彼の顔から先ほどの人の好さそうな笑みは消え失せ、深淵のような静けさが宿っていた。手にした仕込み杖の柄を、無意識に、しかし確かな力で握り直す。

 権力を笠に着て、真面目な商人を踏みにじる役人の姿。全財産を奪われ、打ちひしがれる商家の主。そして、それを見ている町民たちの、怯えと怒りの入り混じった顔。

(…酷い…権力を持つ者が…こんなにも私腹を肥やすのか…)

 空人は心の中で呟いた。

(…彼らは、町を、人々を豊かにするために働くべきなのに…なぜこんなにも容赦なく搾取するのか…)

 心の中に、静かで、しかし底知れぬ怒りが湧き上がってくる。

(…この絶望…この理不尽…)

(…彼らは、真面目に働くことがどれだけ尊いか…分かっていない…)

「…人の営みを乱すたあ…許せねえ」
 空人は小さく呟いた。

(…汗水たらして稼いだ銭を…こんな形で奪われるのは…見ちゃいられねえ…)

 彼らが奪っているのは、金銭だけではない。町の活力、人々の信頼、そして平穏な暮らしだ。

(…飢えを知らぬ強欲には…報いが必要だ…)

 空人は役人たちが商家から立ち去るのを確認すると、その場を離れた。商家の主は、店の前に座り込み、呆然自失としている。空人は彼に声をかけようとしたが、今はその時ではないと感じたのだ。

 空人は城下町を歩き回り、町の様子を観察した。役人の手下や雇われた浪人たちが、町のあちこちで目を光らせている。商人たちは顔色を窺いながら商売をし、町民たちは口を噤んで生活している。皆、高崎とその一派を恐れているのだ。

 空人は飯屋の店主や、恐る恐る話を聞かせてくれた他の商人から情報を集めた。高崎の悪事の手口、賄賂のやり取り、そして不正な帳簿の隠し場所などを聞き出す。

(…根が深いな…この町の腐敗は…)

 元忍者としての観察眼と情報収集能力が、腐敗の糸口を掴んでいく。高崎の屋敷の構造、手下たちの配置なども把握する。

(…権力という名の…欺瞞の城だ…)

 夜になり、城下町が静まり返った頃。空人は高崎の屋敷に近づいていた。昼間とは打って変わって、彼の足音は一切しない。闇に溶け込むように、気配を消して移動する。

 屋敷の中からは、酒盛りの音や、女の嬌声が漏れ聞こえてくる。高崎とその手下たちが、町人から搾取した金で贅沢三昧しているのだろう。

 空人は仕込み杖を手に、静かに屋敷に侵入した。見張りの隙を突き、音もなく内部に忍び込む。

 空人の仕込み杖は、闇の中で鈍く光る。広間から聞こえる騒ぎ声に油断している手下たちが、空人を取り囲む。

「何奴だ!」

「この屋敷に何の用だ!」

 手下たちが凄む。彼らの顔にも、主人である高崎と同じような傲慢さと金への執着が貼り付いている。

 空人は静かに立ち上がった。手にしているのは、仕込み杖。

「飢えを知らぬ強欲には…痛みを教えてやらねば道理が通らねえ。この一振りで、身に刻め」

 空人の声は静かだったが、その声に宿る決意は、岩をも穿つほどの強さを持っていた。

 手下たちが一斉に斬りかかってきた。屋敷の中での乱戦だ。

 空人の仕込み杖は、風を切り裂き、手下たちの荒っぽい攻撃をい軽やかに捌き、無力化していく。屋敷の華美な調度品を避けながら、空人は流れるような動きで敵を制圧する。彼らの暴力は、空人の洗練された技の前には無力だった。一人、また一人と、手下たちは戦意を喪失し、地面に転がる。

 奥から、高崎が現れた。酔って顔を赤くし、刀を杖代わりにしながら現れた。

「何事だ! 何を騒いでおる! てめえか、この騒ぎを起こしたのは!」

 高崎が空人を睨みつけた。その目は、町の富を吸い上げて、さらに肥えようとしている強欲さに満ちている。

 空人は静かに高崎の前に立つ。

「あんたの腹は…町人の血税で肥えているらしいな」

 高崎は空人の言葉の意味が分からず、ただ不快そうに顔を歪めた。

 空人は懐から、彼が見つけ出した不正な帳簿を取り出し、高崎の前に投げつけた。帳簿が広間に広がり、そこには高崎の悪事が克明に記されている。それを見た高崎の顔色が変わった。

「き…貴様…どこでこれを!」

「あんたのような腐った役人がいる限り…町は決して豊かにならねえ」

 空人の仕込み杖が、風を切り裂いて走る。高崎は空人の凄まじい速さに全く反応できず、あっという間に仕込み杖の一撃を食らい、意識を失った。

 こうして、高崎とその手下たちは、誰にも知られることなく、闇の中で成敗された。高崎の悪事は白日の下に晒され、これ以上町人たちが被害に遭うことはなくなるだろう。

 翌朝。城下町は騒然となっていた。高崎が何者かにやられ、不正が暴かれたのだ。町の人々は、長年の圧政から解放されたことを知り、喜びと安堵に包まれた。特に商人たちは、これで安心して商売ができると涙を流して喜んだ。誰がやったのか、町の者には全く見当がつかない。

 空人は町の外れにある小さな広場で、竈に火を熾していた。周りには、高崎の被害に遭った商人や町民たちが集まっている。

 空人は用意しておいた地元の豊かな食材、例えば城下町ならではの新鮮な魚介類や、近くの畑で採れた珍しい野菜などを使って料理を振る舞った。彩り豊かなちらし寿司、地元の野菜を使った天ぷら、そして温かい吸い物。少し贅沢だが、人々の労をねぎらうための料理だ。

 搾取され、希望を失いかけていた人々は、空人の作った美味しい料理を頬張りながら、笑顔を取り戻していった。特に子供たちは、久しぶりに見る親たちの笑顔に、安心した表情を浮かべていた。

 腹を満たし、心も温かくなった頃、空人は静かに立ち上がった。

「さてと、そろそろ行くかな。この先の町には、美味い饅頭屋があると聞いたんだ」

 空人はそう言って、背負子と仕込み杖を手に立ち上がった。

「あの…どちらへ?」
 町の商人たちが空人に尋ねた。

「さて、どこへ行こうかな」

 空人は空を見上げ、のんびりと答えた。その背中には、この城下町に残る人々からの感謝と、そして汚職役人に対する静かな怒りの余韻が宿っていた。

 旅は続く。諸国漫遊、仕込み杖の料理人、空人の怒りの一振りは、終わらない。

【空人の仕込みめし】
『城下町の恵み ちらし寿司と野菜天ぷら、吸い物』

 ──荒んだ心を癒す、研ぎ澄まされた一手間。
 汚職役人の搾取から解放された城下町で振る舞われた、その土地ならではの豊かな食材を使った温かい料理。長年の圧政で打ちひしがれた人々が、再び商売や生活に励むための活力を取り戻させた、希望の味。権力欲で荒んだ心を癒し、町の賑わいを取り戻す力を与える、空人の優しき一手間が込められている。
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