『刃紋の証言 ~江戸刀剣鑑定控・一葉~』

月影 朔

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第二話:呪われた短刀『影喰(かげくい)』

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 江戸の町に、またしても不穏な噂が囁かれ始めていた。ある短刀に関わった者が、次々と謎の死を遂げているという。その短刀は、『影喰(かげくい)』と呼ばれていた。

「影を喰らい、持ち主の命を奪う」と恐れられる、呪われた刀だと。

 その噂を聞きつけ、一葉の鑑定所にやってきたのは、深い悲しみを湛えた一人の中年女性だった。顔には疲労と怯えの色が濃く、声は震えている。

「先生…どうか、娘の夫の無念を晴らしてください…あの『影喰』という短刀を持ってから、間もなく…。」

 女性は、娘の夫が急に体調を崩し、理由も分からぬままあっという間に亡くなったことを語った。夫は、数ヶ月前に偶然手に入れた古道具の中に、あの『影喰』があったのだという。そして、夫の死後、心配した親戚が短刀を預かったところ、ほどなくして同じように原因不明の病で倒れたというのだ。

「皆、『影喰』の呪いだと申しております。先生…本当に、呪いなどというものが…? どうか、あの恐ろしい短刀を調べていただけませぬか?」

 女性は、包まれた短刀を一葉に差し出した。その手は震え、短刀からできるだけ距離を置きたいかのようだ。一葉は慎重に小包を受け取った。ずしりとした、不吉な重みを感じる。

 包みを開けると、黒い鞘に収められた短刀が現れた。

『影喰』。

 鞘は、光を一切反射しないかのような、深く、吸い込まれるような黒。表面は滑らかではなく、どこか生物的な、不気味な歪みさえ感じる。一葉は心を落ち着け、ゆっくりと短刀を鞘から抜き放った。

 ひやりとした、それでいて重い空気が肌を撫でる。刀身は、一般的な短刀よりも少し長く、幅は狭い。刃文(はもん)ははっきりせず、鈍い光沢を放っている。切っ先は、鋭く尖っているが、どこか不自然な角度で歪んでいるように見えた。それは、美術品としての刀とは全く異なる、異様な雰囲気を持っていた。

「…これが、『影喰』。」

 一葉は短刀を手に取り、様々な角度から観察を始めた。その眼差しは、単に刀の美しさや古さを測るものではない。刀が持つ「意味」、その刀に隠された「物語」を見抜こうとする、真剣な眼差しだ。指先で刀身をなぞる。表面には、肉眼ではほとんど分からないほどの微細な凹凸がある。

「刃文が…不自然です。作為的にも見えます。」一葉は呟いた。「そして、この刀身の形状…」

 彼女はさらに短刀の形状を詳しく調べた。重心は偏り、血抜きの溝(血を流れやすくするための溝)は無い。柄(つか)の部分も、どこか握りにくく、不自然な膨らみがあるように感じられた。

 一葉は、短刀全体から漂う異様な雰囲気に静かに向き合った。曰くつきの刀は数多く見てきたが、『影喰』はそれらとは異なる種類の不吉さを宿しているように思えた。それは、「呪い」のせいなのか?

「…この短刀は…」
一葉はゆっくりと語り始めた。

「…護身用や、一般的な武具として作られたものではないようです。」

 女性は驚いて息を呑んだ。娘の夫は、決して争い事とは無縁の、真面目な商人だったはずだ。なぜ、そのような人物が、武具ではない刀を持つことになったのか?

「この刀身の形状、重心の偏り、そしてこの…鈍い光沢。隠し持ちやすく、人目に触れぬよう、そして…相手に気づかれぬよう、一撃で仕留めることに特化して作られた…」

 一葉は、刀身に付着した微細な汚れに目を凝らした。それは、通常では付着しないような、粘り気のある、黒っぽい汚れだった。当時の技術では詳しい分析は難しいが、その性質からある可能性が浮かび上がる。

「…暗殺に特化して作られた短刀かもしれません。」

 女性は青ざめた。夫が、まさか。そして、なぜ暗殺用の短刀を持つことになったのか。

 一葉はさらに鑑定を進めた。特に、柄の部分の不自然な膨らみ。そこに、僅かな隙間があることに気づいた。一葉は、細い竹串などを使ってその隙間を調べた。すると、柄の内部に液体を保持できる小さな空間があることを発見したのだ。そして、その内部には、乾燥してこびりついたような、黒っぽい痕跡が残っている。

「これは…仕掛けられています。そして、この痕跡は…毒物かもしれません。」

 女性は顔を覆い、すすり泣き始めた。夫は、呪い殺されたのではない。毒殺されたのだとしたら…誰に? なぜ? そして、その短刀が親戚の手に渡り、同じことが繰り返されたのは…?

「この短刀は、使われた後、巧妙に毒を柄に仕込むことができるようになっています。」
一葉は冷静に説明した。

「おそらく、刀を使った後に、柄から毒が染み出すようになり、持ち主がそれに触れることで…。」

 毒物の種類までは特定できない。しかし、柄の構造と、持ち主が次々と体調を崩して亡くなっている状況は、毒物による暗殺という可能性を強く示唆していた。

 そして、あの「呪い」の噂だ。女性によると、夫が『影喰』を手に入れた直後から、まるで意図的に広められたかのように、あの短刀には「呪い」が宿っているという噂が囁かれ始めたというのだ。

「つまり…娘さんの夫は、偶然『影喰』を手に入れたわけではないのかもしれません。」一葉は推理した。「あるいは、『影喰』を手に入れたことで、何らかの危険な存在に目をつけられたのかもしれません。『呪い』という噂は、真実を隠すための偽装…。」

 短刀の暗殺用具としての特徴、柄に仕込まれた毒物の可能性、そして「呪い」という噂の流布。これらの点は、単なる偶然の不審死ではなく、ある人物や組織による意図的な犯行であることを強く示唆していた。それは、刀剣に関する知識があり、このような暗殺用の刀を用意できる者。そして、裏社会にも通じている人物、あるいは組織だろう。

 一葉の脳裏に、第一話で耳にした不穏な言葉が蘇る。曰くつきの刀ばかりを集めている、正体不明の者…

「…『影追(かげおい)』。」

『影喰』という短刀の性質、そして「影を喰らう」という不吉な名前。そして、曰くつきの刀を集める「影追」。偶然にしては、あまりにも符号しすぎている。

 もし、『影追』が、このような暗殺用の刀を、特定の人物を狙うために利用しているのだとしたら? そして、用済みになれば、「呪い」という噂で片付けてしまうのだとしたら?

 女性は、一葉の推理を聞き、顔色をさらに悪くした。夫は、なぜ狙われたのか? そして、次に狙われるのは、この『影喰』を調べようとしている自分や、一葉なのではないか? 恐怖が現実味を帯びてくる。

 一葉は、短刀『影喰』を静かに鞘に収めた。ひやりとした感触。それは、鉄の冷たさか、それとも、この刀が背負う闇の深さか。

「この短刀は…確かに危険なものです。」一葉は女性に言った。「ですが、これは『呪い』ではありません。人間の悪意と、巧妙な仕掛けによって引き起こされた悲劇です。亡くなられた方々は、呪われたのではなく…毒殺された可能性が高い。」

 一葉は、女性に今後の調査方針を伝えた。『影喰』がどのようにして娘の夫の手に渡ったのか、その経路を詳しく調べること。「呪い」の噂を最初に流した人物を探すこと。そして、「影追」と呼ばれる存在について、さらに情報を集めること。

「真実を知ることが、亡くなられた方々への何よりの供養となりましょう。」
一葉は静かに言った。

 女性は、一葉の言葉に力づけられたように頷いた。恐怖は消えていないが、少なくとも、夫が正体不明の「呪い」によって殺されたわけではないかもしれないという可能性に、かすかな光明を見出したのだ。彼女は深々と頭を下げ、鑑定所を後にした。

 女性が去った後、一葉は一人、鑑定所に残った。手元には、あの不吉な短刀『影喰』。

 この刀は、何を語ろうとしているのか? 柄に仕込まれた毒。刀身に残された傷。そして、「呪い」という偽装。それらが示す、恐ろしい真実とは?

 そして、「影追」と呼ばれる存在。彼らは何者なのか? なぜ、曰くつきの刀を集め、このような暗殺を行っているのか? 彼らの目的は?

『影喰』という短刀は、単なる事件の手がかりではない。それは、「影追」と呼ばれる、江戸の闇に潜む危険な存在へと繋がる、第二の鍵なのかもしれない。第一話の「濡烏」、そして今回の「影喰」。曰くつきの刀を巡り、江戸の闇で何かが動き始めている。

 一葉は、短刀を慎重に包み直し、棚に置いた。その眼差しは、先を見据えている。この「呪われた」短刀に隠された真実を解き明かすことは、単なる依頼の解決ではない。それは、江戸の闇に潜む巨大な影に立ち向かう、次なる一歩となるだろう。

 彼女は、この『影喰』が語るであろう、血塗られた物語の続きに耳を澄ませた。
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