【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔

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第三部:過去との対峙と陰謀の露見

第二十三話:影を解く糸

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 長屋の工房に、重い静寂が満ちていた。夜明け前の僅かな光が、昨夜の激闘の痕跡を照らし出す。乱れたからくり道具、倒れた作業台、そして…縄で厳重に縛られ、意識を失っている二人の「影」の者たち。甚兵衛とお絹は、その傍らで息を整えていた。体中に鈍い痛みはあるが、長屋の平和は守られた。

「生きてましたね…」

 お絹が、微かに震える声で呟いた。相手は命を狙ってきた者たちだが、甚兵衛は殺さず、生け捕ることを選んだ。彼らから情報を得るためだ。

 甚兵衛は、手早く「影」の者たちの意識を回復させる薬(甚兵衛特製の、江戸時代の知識で可能な範囲の生薬などを用いたもの)を飲ませた。やがて、男たちの瞼が微かに動き、その目に光が宿る。しかし、その光は冷たく、甚兵衛とお絹に向けられる視線には、敵意と警戒心が宿っている。

「お前たちの目的は何だ? 誰の命令でここへ来た?」

 甚兵衛は低い声で問うた。男たちは答えない。ただ、口を閉ざし、甚兵衛を睨みつけるだけだ。彼らは、口を割らないよう、徹底的に訓練されているらしい。

 甚兵衛は、彼らの持ち物を調べ始めた。短い刃物、錠前破りの道具、そして…あの小さな通信用のからくりと同じもの。そこに記された符号も、あの蔵で見つけた紙片の暗号と似ている。命令書らしき紙片もあった。

「『影』は、末端の者に全体の計画を教えない。知っているのは、自分の任務と、直属の上司の符丁だけだ」

 甚兵衛は、かつての知識から判断した。尋問だけでは、核心にはたどり着けないだろう。重要なのは、彼らが持っていた道具、特に通信用のからくりと命令書だ。

 甚兵衛は、分析からくりを使い、命令書と通信用のからくりを調べ始めた。命令書は、特定の薬品を使うことで、隠された文字が現れる仕掛けになっていた。通信用のからくりは、特定の操作を行うことで、過去にやり取りされた短い信号を表示する機能を持っているらしい。

 お絹は、甚兵衛の作業を助けながら、捕らえた男たちの様子を注意深く観察した。尋問には応じない彼らだが、特定の言葉や、甚兵衛が分析する道具を見た時に、僅かに表情を動かすことがある。お絹は、その微細な変化を見逃さなかった。

「甚兵衛さん、この男、烏(カラス)っていう符丁を聞いた時に、ほんの一瞬、目が揺れた気がしました」

 お絹の観察は、重要な手掛かりとなる。甚兵衛は、命令書から隠された文字を浮かび上がらせる。それは、短い、しかし具体的な指示だった。

『対象:平賀甚兵衛、指示:生け捕り、理由:危険因子、回収:道具類、報告先:烏』

 やはり、彼らの目的は甚兵衛の捕縛だった。そして、報告先は「烏」、つまり氷雨だ。彼らは、甚兵衛を危険視し、その能力(からくりや知識)を奪うか、あるいは利用しようとしたらしい。

 さらに、通信用のからくりを分析する。特殊な操作を行うと、過去の信号が短い符号列で表示される。甚兵衛は、この符号が、別の暗号体系で場所や時間を指し示していることを突き止めた。これは、以前解読した暗号とは違う、より高位の者同士が使う暗号だ。

「これが…奴らの連絡網だ」

 甚兵衛は、過去の知識と、分析からくり、そしてお絹の観察眼を総動員し、符号列の意味を解き明かそうとする。それは困難な作業だったが、捕らえた男たちの微細な反応や、命令書の他の部分に残された僅かな手掛かりが、解読の助けとなる。

 ついに、一つの符号列の意味が明らかになった。それは、場所と時間を示す暗号だった。

『場所:柳橋川岸 六刻、報告せよ』

 柳橋。江戸有数の花街であり、船着き場も近い。そして六刻。真夜中ではない、夜明け前の時間だ。これは、実行犯たちが任務完了の報告を行う場所と時間、あるいは…氷雨、あるいはその側近が、報告を受ける場所と時間かもしれない。

 得られた情報で、「影」の組織構造の一端(報告系統)、「氷雨」が甚兵衛を危険視していること、そして、次の手掛かりとなる可能性のある場所が判明した。それは、巨大な「影」という組織の、ほんの糸口に過ぎない。しかし、これまで闇の中だった敵の姿を、わずかだが捉えられたのだ。

「柳橋…報告場所か、あるいは…」

 甚兵衛は、捕らえた男たちと、分析した道具、そして得られた情報を見つめた。辰五郎の行方はまだ分からない。しかし、「影」が彼から情報を引き出し、それをこの連絡網で伝えている可能性はある。柳橋へ行けば、辰五郎の、あるいは「影」の計画の、さらなる手掛かりが得られるかもしれない。

 お絹は、尋問と分析の様子を見て、改めて「影」の冷酷さと、甚兵衛の能力の凄まじさを感じていた。捕らえた相手への恐怖、そして得られた情報への希望がない混ぜになっている。
「甚兵衛さん…柳橋へ…行くんですか?」お絹が尋ねた。その声には、緊張と、そして覚悟が宿っている。

 甚兵衛は頷いた。彼の目には、新たな決意が宿っている。柳橋へ行けば、再び「影」と接触する危険がある。しかし、これは「影」の連絡網に触れる、重要な機会だ。
「ああ。奴らの連絡網を辿る。そして、奴らの糸の先…本体に繋がる手掛かりを見つける」

 長屋の工房に、夜明けの光が差し込む。捕らえた「影」の者たち、そして彼らの道具は、彼らを「影」という巨大な組織の深部へと導く、重要な「鍵」となった。甚兵衛とお絹は、柳橋へと向かう準備を始める。それは、これまでで最も危険な一歩となるだろう。
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