【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔

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第三部:過去との対峙と陰謀の露見

第三十六話:地下からの逃走

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 キィイイ!という「鍵」の悲鳴が、工房中に響き渡る。お絹が打ち込んだ無力化からくりの薬剤が、巨大な歯車の動きを鈍らせたのだ。機械の連動が崩れ、轟音が乱れる。技術者たちの顔に、絶望と混乱が広がる。

「馬鹿な…!」

 氷雨が叫んだ。その冷徹な顔に、初めて明確な激昂の色が浮かぶ。

「貴様ら…よくも…!」

 甚兵衛は、氷雨の動揺を見逃さなかった。「鍵」への一撃は成功した。計画の正確な期日発動は、これで不可能になったはずだ。今は、この混乱に乗じるしかない。

 甚兵衛は、氷雨めがけて飛びかかった。宿敵との、直接的な組み討ちだ。氷雨は、個人用のからくりで応じるが、甚兵衛は、その隙を突いて氷雨の胴に組み付いた。二人はもつれ合いながら、工房の床を転がる。氷雨は激しく抵抗し、懐のからくりで甚兵衛を退けようとする。

 一方、お絹は「鍵」から少し離れ、迫りくる警備や技術者たちと対峙していた。彼女は、身を守るための簡単な道具や、工房に散乱した部品を利用して、彼らの動きを妨害する。混乱は味方だ。彼らは「鍵」の異常にも気を取られている。

「侵入者だ! 捕らえろ!」

「機械を止めろ! 応急処置を!」

 怒号が飛び交う。警備の「影」たちが、甚兵衛とお絹を囲もうと殺到する。しかし、巨大な機械や散乱した道具が障害となり、すぐには近づけない。

 甚兵衛は、氷雨と激しく組み合っていた。氷雨のからくりは強力だが、至近距離での肉弾戦は、からくり操作を難しくする。甚兵衛は、武士時代の体術を使い、氷雨のからくりを封じ込めようとする。
「お前の計画は終わった! 諦めろ!」甚兵衛は氷雨に迫る。

「終わらぬ! この程度の遅延…すぐに修復できる! 貴様らはここで…!」

 氷雨は、懐から何か別の小型からくりを取り出し、甚兵衛に向けて使おうとする。それは危険だ。甚兵衛は、咄嗟にその腕を捻り上げた。

 その時、お絹は、工房の隅に、以前迷宮で見た辰五郎のいた部屋らしき場所が、混乱で警備が手薄になっているのを目にした。一瞬の躊躇。しかし…

「甚兵衛さん! 辰五郎さんが!」

 お絹が叫んだ。甚兵衛は、その声を聞き、一瞬氷雨への集中が途切れる。その隙を、氷雨は見逃さなかった。強力な一撃を放ち、甚兵衛を突き飛ばした。

 甚兵衛は床に転がり、氷雨は素早く立ち上がった。「鍵」の様子を確認し、技術者たちに指示を出す。彼は、まだ諦めていない。

 警備が、甚兵衛とお絹に殺到してくる。これ以上の抵抗は無謀だ。甚兵衛は、反からくりを使って、周囲に煙幕を発生させた。

 プシュー! 白い煙が工房の一部を覆う。その隙に、甚兵衛はお絹の手を取り、叫んだ。

「逃げるぞ!」

 彼らは、混乱と煙幕の中を駆け抜ける。目指すは、入ってきた壁の隙間、そして地下迷宮への入り口だ。背後からは、怒号と、追跡の気配が迫る。

 逃走だ。あの巨大なからくり工房から、命からがら逃げ出す。彼らは、巨大な機械の間を縫い、障害物を飛び越え、警備の追撃をかわす。お絹は、工房の構造を記憶した地図を頭に描きながら、甚兵衛を誘導する。

 ようやく、壁の隙間、地下迷宮への入り口にたどり着いた。後ろから、追跡の足音がすぐそこまで迫っている。

 二人は、狭い壁の隙間へ飛び込んだ。外では、氷雨の指示であろう、基地の閉鎖を命じる声が聞こえる。水路の隠し扉も、閉鎖されるかもしれない。急がなければ。

 地下迷宮への逃走は、さらに困難を極める。入ってくる時よりも、警備は厳しいだろう。罠も起動されているかもしれない。そして、怒り狂った「影」が、執拗に彼らを追いかけてくる。
「期日」に正確な発動を阻止するという目的は達した。しかし、代償は大きい。捕虜を得られず、氷雨の身柄も確保できず、辰五郎も救出できなかった。そして今、彼らは敵の本拠地の地下深くで、絶体絶命の危機に瀕している。

 闇の中、甚兵衛とお絹は、手を取り合い、来る時以上に危険になった迷宮を駆け抜ける。背後からは、敵の追跡の足音が響く。地下からの逃走は、まだ始まったばかりだ。
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