【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔

文字の大きさ
37 / 64
第三部:過去との対峙と陰謀の露見

第三十七話:迷宮の追跡

しおりを挟む
 地下工房から逃れ、壁の隙間を滑り込んだ甚兵衛とお絹は、息を切らせていた。背後からは、氷雨の怒号と、追跡を命じる声、そして警備の足音が響いてくる。彼らは、入ってきた時以上に危険になった、地下迷宮のような通路へと飛び込んだ。

「こっちですい!」

 お絹が叫んだ。彼女は、あの偵察と潜入で記憶した迷宮の構造を思い出し、進むべき方向を示す。甚兵衛は、その後を追う。今は、一瞬の躊躇も許されない。

 迷宮は、闇と、湿気、そして彼らを捕らえようとする敵意に満ちている。曲がりくねった通路、行き止まり、そして、あの偵造時にはなかった新たな罠が仕掛けられているかもしれない。甚兵衛は、探知からくりで足元や壁、天井をスキャンしながら進む。微かな反応があれば、即座に回避するか、お絹の合図で別の道を選ぶ。

「影」の追跡は、執拗だ。複数の追跡者が、迷宮の各所に展開しているのが、足音や声、そして時折聞こえる無線(当時の技術で可能な、音を発する信号機のようなもの)の信号で分かる。彼らは、迷宮の構造を熟知している。

「来るぞ!」

 甚兵衛が声を上げる。通路の向こうから、警備の足音が迫ってくる。逃げ場はない。甚兵衛は、懐から小型の煙幕からくりを取り出し、通路に投げつけた。

 プシュー!という音と共に、通路に白い煙が広がる。追跡者たちが咳き込む声、動きが鈍る音が聞こえる。その隙に、二人は別の通路へと駆け込んだ。

 迷宮の中での追跡劇が続く。彼らは、巨大な機械の轟音が響く工房から遠ざかるにつれて、追跡者の足音がより鮮明に聞こえるようになるのを感じていた。背後、そして時には別の通路から、彼らを追い詰めるように音が迫る。

 お絹は、ナビゲーターとして完璧な役割を果たしていた。彼女は、記憶と、微かな空気の流れや傾斜を頼りに、複雑な迷宮を駆け抜ける。甚兵衛は、彼女の誘導を信じ、後方からの追跡を防ぐことに集中する。残された反からくり(追跡を遅らせるための障害物や一時的な拘束具など)を使い、敵の追撃を阻む。

 途中で、辰五郎が囚われていた部屋らしき場所の近くを通った。静かだ。混乱に乗じて、彼を救出する時間も、機会もなかった。彼の無事が確認できたことが、今は唯一の希望だ。

 追跡は、より巧妙になっていく。敵は、正面から追い詰めるだけでなく、別のルートを使って先回りしようとしているのが分かった。迷宮の構造を利用しているのだ。

「向こうから来る!」

 お絹が叫んだ。曲がり角の向こうから、複数の足音が近づいてくる。挟み撃ちだ。

 甚兵衛は、迷宮の壁の一部を指差した。以前、偵察の際に、壁の構造に僅かな不自然さがあることに気づいていた場所だ。そこが、別の通路への隠し入り口かもしれない。

「ここだ!」

 甚兵衛は、壁の仕掛けに反からくりを使い、強引にこじ開けた。壁の一部が内側へ開き、狭い隙間が現れる。後ろからは追跡者がすぐそこまで来ている。二人は、開いた隙間へ飛び込んだ。

 狭い、這うような通路だ。全身が埃と湿気で汚れる。しかし、追跡の足音は聞こえなくなった。一時的に撒くことができたのだ。

 狭い通路を進むと、やがて空気の流れが変わるのを感じた。そして、遠くから、水の音が聞こえてくる。水路だ。出口は近い。

 希望が胸に灯る。水路の隠し扉までたどり着ければ…

 しかし、その希望はすぐに打ち砕かれた。水路の近くまでたどり着いた時、聞こえてきたのは、水の音だけではなかった。金属が擦れる重い音、そして人の声。

「急げ! 早く封鎖しろ!」

「二度と奴らを逃がすな!」

 水路の隠し扉が、内側から閉鎖されている音だ。氷雨が、基地の全ての出口を封鎖するように命じたのだ。唯一知っている脱出ルートが、今、閉ざされようとしている。

 二人は、水路の近くまで駆け寄った。隠し扉は、もう完全に閉ざされている。重い石垣の壁が、彼らの行く手を阻む。

「そんな…!」
お絹が絶望的な声を上げた。

 背後からは、再び追跡の足音が近づいてくる。彼らは、迷宮の中で袋の鼠となった。唯一の脱出ルートは断たれ、敵はすぐそこまで来ている。

 地下迷宮からの決死の逃走は、壮絶な追跡劇となった。彼らは「影」の追撃を振り切り、罠を回避しながら出口を目指したが、最終的に脱出ルートを断たれた。物語は、地下深く、絶体絶命の状況で、新たな局面を迎える。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

高遠の翁の物語

本広 昌
歴史・時代
時は戦国、信州諏方郡を支配する諏方惣領家が敵に滅ぼされた。 伊那郡高遠の主、諏方頼継は惣領家家族のうち、齢十一歳の姫君を、ひょんなことから保護できた。 頼継は豪傑でもなければ知将でもない。その辺の凡将だろう。 それでも若き姫を守りながら、滅びた惣領家の再興を叶えるため、死に物狂いで強大な敵に立ち向かっていく歴史物語。

十二輝の忍神 ーシノビガミ― 第一部

陵月夜白(りょうづきやしろ)
歴史・時代
天明三年――浅間山が火を噴いた。 神の怒りに触れたかのように、黒い灰は空を塞ぎ、郷も田畑も人の営みも、容赦なく呑み込んでいく。噴火と飢饉が藩を蝕み、救いを求める声の裏で、名もなき影が蠢いた。灰の夜を踏むのは、血も温もりも失った“黒屍人”。誰が、何のために――。 その災厄に呼応するように、忍びの郷に封じられていた「十二輝の干支の珠」が、ひとつ、またひとつと眠りから解かれる。 珠は器を選び、器は力に喰われ、力は人を裏返す。 伊賀と甲賀の長い因縁、奪われる珠、引き裂かれる同胞。 そして、灰の国で拾い集められていく十二の輝きが揃う時、世界の秩序そのものが――動き出す。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

江戸情話 てる吉の女観音道

藤原 てるてる 
歴史・時代
この物語の主人公は、越後の百姓の倅である。 本当は跡を継いで百姓をするところ、父の後釜に邪険にされ家を出たのであった。 江戸に出て、深川で飛脚をして渡世を送っている。 歳は十九、取り柄はすけべ魂である。女体道から女観音道へ至る物語である。 慶応元年五月、あと何年かしたら明治という激動期である。 その頃は、奇妙な踊りが流行るは、辻斬りがあるはで庶民はてんやわんや。 これは、次に来る、新しい世を感じていたのではないのか。 日本の性文化が、最も乱れ咲きしていたと思われるころの話。 このてる吉は、飛脚であちこち街中をまわって、女を見ては喜んでいる。 生来の女好きではあるが、遊び狂っているうちに、ある思いに至ったのである。 女は観音様なのに、救われていない女衆が多すぎるのではないのか。 遊女たちの流した涙、流せなかった涙、声に出せない叫びを知った。 これは、なんとかならないものか。何か、出来ないかと。 ……(オラが、遊女屋をやればええでねえか) てる吉は、そう思ったのである。 生きるのに、本当に困窮しとる女から来てもらう。 歳、容姿、人となり、借金の過多、子連れなど、なんちゃない。 いつまでも、居てくれていい。みんなが付いているから。 女衆が、安寧に過ごせる場を作ろうと思った。 そこで置屋で知り合った土佐の女衒に弟子入りし、女体道のイロハを教わる。  あてがって来る闇の女らに、研がれまくられるという、ありがた修行を重ねる。 相模の国に女仕入れに行かされ、三人連れ帰り、褒美に小判を頂き元手を得る。 四ツ谷の岡場所の外れに、掘っ立て小屋みたいな置屋を作る。  なんとか四人集めて来て、さあ、これからだという時に…… てる吉は、闇に消えたのであった。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...