13 / 150
第一章:鬼灯横丁の怪医者
第十三話:食いしん坊の座敷童子
しおりを挟む
恋煩いの幽霊を送り届けたことで、おみつは玄庵の医術が、単なる病の治療を超え、魂の救済にまで及ぶことを知った。
生者も死者も、その心に宿る悩みを癒す。それが玄庵の「医者」としての役割なのだろう。そんな風に玄庵への理解を深めるおみつの目の前に、またもや新たな妖怪が現れた。
その日、診療所には患者もなく、おみつはせっせと掃除に励んでいた。玄庵はいつものように縁側で茶を啜り、玉藻はひなたで丸くなって眠っている。そんな穏やかな午後のことだった。
「ん? 何か、甘い匂いがする……」
おみつは、ふと台所から漂ってくる、香ばしい匂いに気づいた。焦げ付いたような匂いではない。むしろ、食欲をそそる、甘く、どこか懐かしい香りだ。首を傾げながら台所を覗くと、つい先ほどまでしまっておいたはずの大福が、一つ、減っている。
「あれ? 私、たしか三つあったはずなのに……」
おみつは首を傾げた。そんなことが、このところ続いている。置いていたはずの飴玉がなくなったり、煎餅が減っていたり。最初は玉藻の仕業かとも思ったが、玉藻は甘いものを好まない。玄庵に尋ねても、「気にしなくていい」とだけ言われるばかりだった。
その日の夜、おみつは台所で、こっそりと様子を窺っていた。夜も更け、診療所が静まり返った頃、カチャリ、と微かな音が聞こえた。おみつは息を潜めて覗き込む。
暗闇の中、小さな人影がチョロチョロと動いている。それは、子供のような姿をしていた。おみつが目を凝らすと、その子供は、おみつが隠しておいたはずの饅頭を、嬉しそうに頬張っているではないか。そして、その饅頭を口いっぱいに頬張りながら、フフフ、と楽しげな笑い声が聞こえた。
「あ、あなた、誰!?」
おみつが思わず声を上げると、子供の姿をしたそれは、饅頭を口に詰まらせたまま、ビクッと体を震わせた。そして、そのままサッと姿を消してしまった。
翌朝、おみつはそのことを玄庵に報告した。
「夜中に、子供のような妖怪が、食べ物を盗んでいました! あの、座敷童子(ざしきわらし)ってやつですか?」
おみつが興奮して言うと、玄庵は静かに頷いた。
「ええ。この診療所に、座敷童子が住み着いたようですな」
「座敷童子って、家に取り憑くと福をもたらすって言いますけど……」
おみつは、どこか嬉しそうな顔で玄庵に尋ねた。しかし、玄庵は表情一つ変えずに答えた。
「福をもたらすのは、彼らが気に入った家の場合です。この診療所は、妖怪が出入りする場所。彼らが住み着けば、思わぬ混乱を招く可能性もある。追い出す必要があります」
玄庵の言葉に、おみつは内心、寂しさを感じた。子供のような姿をした妖怪が、こっそり食べ物を盗んで食べる姿は、どこか愛らしく見えたのだ。
その日以来、玄庵は座敷童子を追い出すために、様々な策を講じた。神棚を清めたり、護符を貼ったり。しかし、座敷童子はどこ吹く風で、毎日どこからともなく現れては、診療所の食べ物を片っ端から平らげていった。
「うーん、先生、なかなか手強いですねぇ」
おみつは玄庵の苦戦を見て、思わずクスリと笑ってしまった。
ある日のこと、玄庵がまた新たな護符を貼ろうとしている時、おみつはこっそりと台所へ向かった。そして、昨日作ったばかりの卵焼きと、おにぎりを座敷童子が出そうな場所に置いておいた。
「ねぇ、座敷童子さん。これ、おみやげだよ。こっそり食べるんだよ」
おみつはそう呟き、その場を離れた。しばらくして台所を覗くと、卵焼きもおにぎりもきれいに消えていた。おみつは、そのことに密かな喜びを感じた。
玄庵は、座敷童子を追い出そうと躍起になっていたが、なぜか座敷童子は一向に出て行く気配がない。それどころか、診療所の奥で、時折、子供の笑い声が聞こえるようになった。おみつは、それが座敷童子の笑い声だと分かっていた。
ある日、玄庵が座敷童子対策の新たな薬を調合していると、診療所の外から、賑やかな声が聞こえてきた。古尾が、慌てた様子で駆け込んできたのだ。
「先生、大変でさぁ! 大変なことになりやしたぜ!」
古尾は息を切らして言う。
「町で、謎の豊作が続いているという話がありましてね! 普段は痩せた土地なのに、今年はどこもかしこも、豊作、豊作! みんな、不思議がってますぜ!」
古尾の言葉に、玄庵は首を傾げた。その時、診療所の奥から、子供の笑い声が聞こえた。玄庵はハッとしたように顔を上げた。
「……座敷童子」
玄庵が呟くと、古尾も「へっへっへ、まさか……」と目を丸くした。
「そうか。おみつが、あの子に食べ物を与えていたから……」
玄庵は、おみつをじっと見つめた。おみつはバツが悪そうに目を逸らしたが、玄庵の表情には、怒りではなく、むしろ微かな納得の色が浮かんでいた。
座敷童子は、家が豊かになり、そこで暮らす人々が幸せであればあるほど、その力を発揮する。おみつがこっそりと食べ物を与え、喜ばせたことで、座敷童子は診療所に留まることを選び、その福の力を発揮し始めたのだ。
玄庵は、諦めたようにため息をついた。
「仕方がない。どうやら、この座敷童子とは、しばらく付き合っていくことになりそうですな」
玄庵の言葉に、おみつはホッと胸を撫で下ろした。そして、診療所の奥から聞こえる、楽しげな子供の笑い声に、そっと耳を傾けた。
食いしん坊の座敷童子は、玄庵の思惑とは裏腹に、玄庵診療所の新しい住人となった。それは、おみつの優しさがもたらした、思いがけない幸運だった。
そして、人間と妖怪の関わり合いが、必ずしも玄庵の治療という形だけでなく、日常のささやかな交流の中にも生まれることを、おみつは実感したのだった。
生者も死者も、その心に宿る悩みを癒す。それが玄庵の「医者」としての役割なのだろう。そんな風に玄庵への理解を深めるおみつの目の前に、またもや新たな妖怪が現れた。
その日、診療所には患者もなく、おみつはせっせと掃除に励んでいた。玄庵はいつものように縁側で茶を啜り、玉藻はひなたで丸くなって眠っている。そんな穏やかな午後のことだった。
「ん? 何か、甘い匂いがする……」
おみつは、ふと台所から漂ってくる、香ばしい匂いに気づいた。焦げ付いたような匂いではない。むしろ、食欲をそそる、甘く、どこか懐かしい香りだ。首を傾げながら台所を覗くと、つい先ほどまでしまっておいたはずの大福が、一つ、減っている。
「あれ? 私、たしか三つあったはずなのに……」
おみつは首を傾げた。そんなことが、このところ続いている。置いていたはずの飴玉がなくなったり、煎餅が減っていたり。最初は玉藻の仕業かとも思ったが、玉藻は甘いものを好まない。玄庵に尋ねても、「気にしなくていい」とだけ言われるばかりだった。
その日の夜、おみつは台所で、こっそりと様子を窺っていた。夜も更け、診療所が静まり返った頃、カチャリ、と微かな音が聞こえた。おみつは息を潜めて覗き込む。
暗闇の中、小さな人影がチョロチョロと動いている。それは、子供のような姿をしていた。おみつが目を凝らすと、その子供は、おみつが隠しておいたはずの饅頭を、嬉しそうに頬張っているではないか。そして、その饅頭を口いっぱいに頬張りながら、フフフ、と楽しげな笑い声が聞こえた。
「あ、あなた、誰!?」
おみつが思わず声を上げると、子供の姿をしたそれは、饅頭を口に詰まらせたまま、ビクッと体を震わせた。そして、そのままサッと姿を消してしまった。
翌朝、おみつはそのことを玄庵に報告した。
「夜中に、子供のような妖怪が、食べ物を盗んでいました! あの、座敷童子(ざしきわらし)ってやつですか?」
おみつが興奮して言うと、玄庵は静かに頷いた。
「ええ。この診療所に、座敷童子が住み着いたようですな」
「座敷童子って、家に取り憑くと福をもたらすって言いますけど……」
おみつは、どこか嬉しそうな顔で玄庵に尋ねた。しかし、玄庵は表情一つ変えずに答えた。
「福をもたらすのは、彼らが気に入った家の場合です。この診療所は、妖怪が出入りする場所。彼らが住み着けば、思わぬ混乱を招く可能性もある。追い出す必要があります」
玄庵の言葉に、おみつは内心、寂しさを感じた。子供のような姿をした妖怪が、こっそり食べ物を盗んで食べる姿は、どこか愛らしく見えたのだ。
その日以来、玄庵は座敷童子を追い出すために、様々な策を講じた。神棚を清めたり、護符を貼ったり。しかし、座敷童子はどこ吹く風で、毎日どこからともなく現れては、診療所の食べ物を片っ端から平らげていった。
「うーん、先生、なかなか手強いですねぇ」
おみつは玄庵の苦戦を見て、思わずクスリと笑ってしまった。
ある日のこと、玄庵がまた新たな護符を貼ろうとしている時、おみつはこっそりと台所へ向かった。そして、昨日作ったばかりの卵焼きと、おにぎりを座敷童子が出そうな場所に置いておいた。
「ねぇ、座敷童子さん。これ、おみやげだよ。こっそり食べるんだよ」
おみつはそう呟き、その場を離れた。しばらくして台所を覗くと、卵焼きもおにぎりもきれいに消えていた。おみつは、そのことに密かな喜びを感じた。
玄庵は、座敷童子を追い出そうと躍起になっていたが、なぜか座敷童子は一向に出て行く気配がない。それどころか、診療所の奥で、時折、子供の笑い声が聞こえるようになった。おみつは、それが座敷童子の笑い声だと分かっていた。
ある日、玄庵が座敷童子対策の新たな薬を調合していると、診療所の外から、賑やかな声が聞こえてきた。古尾が、慌てた様子で駆け込んできたのだ。
「先生、大変でさぁ! 大変なことになりやしたぜ!」
古尾は息を切らして言う。
「町で、謎の豊作が続いているという話がありましてね! 普段は痩せた土地なのに、今年はどこもかしこも、豊作、豊作! みんな、不思議がってますぜ!」
古尾の言葉に、玄庵は首を傾げた。その時、診療所の奥から、子供の笑い声が聞こえた。玄庵はハッとしたように顔を上げた。
「……座敷童子」
玄庵が呟くと、古尾も「へっへっへ、まさか……」と目を丸くした。
「そうか。おみつが、あの子に食べ物を与えていたから……」
玄庵は、おみつをじっと見つめた。おみつはバツが悪そうに目を逸らしたが、玄庵の表情には、怒りではなく、むしろ微かな納得の色が浮かんでいた。
座敷童子は、家が豊かになり、そこで暮らす人々が幸せであればあるほど、その力を発揮する。おみつがこっそりと食べ物を与え、喜ばせたことで、座敷童子は診療所に留まることを選び、その福の力を発揮し始めたのだ。
玄庵は、諦めたようにため息をついた。
「仕方がない。どうやら、この座敷童子とは、しばらく付き合っていくことになりそうですな」
玄庵の言葉に、おみつはホッと胸を撫で下ろした。そして、診療所の奥から聞こえる、楽しげな子供の笑い声に、そっと耳を傾けた。
食いしん坊の座敷童子は、玄庵の思惑とは裏腹に、玄庵診療所の新しい住人となった。それは、おみつの優しさがもたらした、思いがけない幸運だった。
そして、人間と妖怪の関わり合いが、必ずしも玄庵の治療という形だけでなく、日常のささやかな交流の中にも生まれることを、おみつは実感したのだった。
31
あなたにおすすめの小説
【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』
月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕!
自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。
料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。
正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道!
行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。
料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで――
お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!?
読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう!
香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない!
旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること?
二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。
笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕!
さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
古書館に眠る手記
猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。
十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。
そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。
寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。
“読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる