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第二章:絡み合う糸、深まる謎
第二十二話:消えた恋文
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黒衣の男、夜叉丸の来訪は、玄庵の謎めいた過去に不穏な影を落とした。
彼が背負う「癒やされぬ傷」が、想像以上に深く、そして危険なものであることを悟ったおみつは、その夜叉丸が残した「弱点」という言葉の意味を測りかねていた。
そんな重苦しい雰囲気の中、玄庵診療所に、またも奇妙な患者が訪れた。
その日の午後、診療所の木戸を叩いたのは、しおらしくも顔色の悪い若い娘だった。その手には、何枚もの文(ふみ)が握られている。娘は、診察台に座るなり、震える声で話し始めた。
「先生……わたくし、恋文を、書いたのです。しかし、送っても送っても、相手には白紙の文が届いてしまうのです……」
娘は、手に持った文を玄庵に見せた。確かに、便箋には何も書かれていない。墨の跡すら見当たらない。おみつは首を傾げた。もしや、文字が消える術があるのだろうか。
「最初のうちは、失敗かと思いました。ですが、何度書き直しても、どんなに丁寧に書いても、相手には白紙の文が届いてしまうのです。これでは、わたくしの思いが、いつまでたっても伝わりませぬ……」
娘は、目に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうだった。その顔には、恋が成就しない焦りだけでなく、精神的な疲労の色が濃く表れている。
玄庵は、その白紙の文を手に取り、静かに目を閉じた。おみつには見えないが、玄庵にはその文から発せられる、微かな気配が感じられているのだろう。
「これは、文食い(ふみくい)の仕業ですな」
玄庵は淡々と告げた。おみつは聞き慣れない妖怪の名に、思わず聞き返した。
「文食い、ですか?」
「ええ。人の恋心を糧とする、小柄な妖怪です。特に、成就しそうでしない、焦れったい恋心に引き寄せられ、その思いが書かれた文を食い荒らすのです。文を食うことで、そこに込められた恋の力を吸い取っている」
玄庵の言葉に、おみつは納得した。娘の恋は、まさにその焦れったい状態だったのだろう。相手の男性も、どうやら娘に好意を抱いているらしいのだが、なかなか二人の関係は進展しないのだと。
「では、どうすれば、この文食いを追い払うことができるのでしょうか……?」
娘は、藁にもすがる思いで玄庵に尋ねた。
「文食いは、純粋な恋心を好みます。しかし、その心が揺らぎ、疑念や諦めに囚われると、彼らはさらに力を増す。肝要なのは、あなたの揺るぎない恋心を示すことです」
玄庵はそう言うと、おみつに視線を向けた。
「おみつ、あなたがこの娘さんと共に、恋文を書いてください。そして、文食いが現れるのを待ち、その妖怪に、この娘さんの恋心を、真正面からぶつけてください」
おみつは驚いた。まさか自分が、恋文の代筆をすることになろうとは。しかし、娘の切ない恋心に共感し、何としても助けてあげたいと思った。
「はい、先生! 承知いたしました!」
おみつは、娘の傍に座り、優しく語りかけた。
「さあ、お嬢さん。あなたの、本当の気持ちを聞かせてください。どんなに恥ずかしくても、どんなに伝えたい言葉でも、私が代わりに書き記しますから」
娘は、最初は恥ずかしがっていたが、おみつの真摯な眼差しに、やがて心を開いた。
そして、愛する男性への溢れんばかりの思いを、一つ一つ言葉にした。おみつは、その言葉の全てを、丁寧に筆に込めて書き記していった。
夜になり、玄庵診療所の奥の部屋で、おみつと娘は、完成した恋文を机の上に広げて、文食いが現れるのを待った。玄庵は、二人の様子を静かに見守っている。
しばらくすると、文の周りに、半透明の小さな影がチロチロと現れた。
それは、人の手のひらほどの大きさで、薄い紙のような羽を持ち、まるで蝶のように文の周りを舞っている。それが、文食いの妖怪だった。文食いは、甘い匂いを嗅ぎつけるかのように、文に近づいていく。
「あれが……!」
娘は、文食いを見て、思わず声を上げそうになった。
「今です! お嬢さん、あなたの気持ちを、声に出して!」
おみつは、娘の背中をそっと押した。娘は震える声で、文に書かれた言葉を、精一杯の声で読み上げた。
「――わたくしは、あなた様を、心からお慕いしております! この思いは、決して、誰にも邪魔させません!」
娘の言葉は、最初はか細かったが、次第に強い意志を帯びていく。
その声が響くと、文食いは、まるで熱いものでも浴びせられたかのように、ビクッと身を震わせた。文食いは、娘の真っ直ぐな恋心に、怯えているようだった。
「お嬢さんの恋心は、もう揺るぎません! あなたの食べるものではないのです!」
おみつもまた、娘の言葉に続き、文食いに強く言い放った。
文食いは、娘とおみつの、純粋で揺るぎない恋の力に耐えきれなくなったのか、キーキーと甲高い鳴き声を上げながら、文から離れ、そのまま障子の隙間から逃げ去ってしまった。
文食いが去ると、部屋には静けさが戻った。娘は、まだ少し震えていたが、その顔には、確かな希望の光が宿っていた。
翌日、娘は再び恋文を書き、男性の元へ届けた。そして、その数日後、娘は満面の笑みで診療所を訪れた。
「先生! おみつさん! わたくしの恋文、今度はきちんと、相手に届いたのです! そして、彼からも、お返事が……!」
娘は、大切そうに懐から取り出した恋文を、玄庵とおみつに見せた。そこには、確かに男性からの愛の言葉が綴られていた。
玄庵は、娘の幸せそうな顔を見て、静かに頷いた。
「よかったな」
その短い言葉に、おみつは、玄庵の温かい心を感じた。
この一件を通じて、おみつは、玄庵の医術が、単なる治療だけでなく、人の心の奥底にある感情に寄り添い、それを解放することにあると再認識した。
そして、自分の共感力や「見える」力が、患者の心の奥底に触れる上で、いかに重要であるかを実感したのだった。
彼が背負う「癒やされぬ傷」が、想像以上に深く、そして危険なものであることを悟ったおみつは、その夜叉丸が残した「弱点」という言葉の意味を測りかねていた。
そんな重苦しい雰囲気の中、玄庵診療所に、またも奇妙な患者が訪れた。
その日の午後、診療所の木戸を叩いたのは、しおらしくも顔色の悪い若い娘だった。その手には、何枚もの文(ふみ)が握られている。娘は、診察台に座るなり、震える声で話し始めた。
「先生……わたくし、恋文を、書いたのです。しかし、送っても送っても、相手には白紙の文が届いてしまうのです……」
娘は、手に持った文を玄庵に見せた。確かに、便箋には何も書かれていない。墨の跡すら見当たらない。おみつは首を傾げた。もしや、文字が消える術があるのだろうか。
「最初のうちは、失敗かと思いました。ですが、何度書き直しても、どんなに丁寧に書いても、相手には白紙の文が届いてしまうのです。これでは、わたくしの思いが、いつまでたっても伝わりませぬ……」
娘は、目に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうだった。その顔には、恋が成就しない焦りだけでなく、精神的な疲労の色が濃く表れている。
玄庵は、その白紙の文を手に取り、静かに目を閉じた。おみつには見えないが、玄庵にはその文から発せられる、微かな気配が感じられているのだろう。
「これは、文食い(ふみくい)の仕業ですな」
玄庵は淡々と告げた。おみつは聞き慣れない妖怪の名に、思わず聞き返した。
「文食い、ですか?」
「ええ。人の恋心を糧とする、小柄な妖怪です。特に、成就しそうでしない、焦れったい恋心に引き寄せられ、その思いが書かれた文を食い荒らすのです。文を食うことで、そこに込められた恋の力を吸い取っている」
玄庵の言葉に、おみつは納得した。娘の恋は、まさにその焦れったい状態だったのだろう。相手の男性も、どうやら娘に好意を抱いているらしいのだが、なかなか二人の関係は進展しないのだと。
「では、どうすれば、この文食いを追い払うことができるのでしょうか……?」
娘は、藁にもすがる思いで玄庵に尋ねた。
「文食いは、純粋な恋心を好みます。しかし、その心が揺らぎ、疑念や諦めに囚われると、彼らはさらに力を増す。肝要なのは、あなたの揺るぎない恋心を示すことです」
玄庵はそう言うと、おみつに視線を向けた。
「おみつ、あなたがこの娘さんと共に、恋文を書いてください。そして、文食いが現れるのを待ち、その妖怪に、この娘さんの恋心を、真正面からぶつけてください」
おみつは驚いた。まさか自分が、恋文の代筆をすることになろうとは。しかし、娘の切ない恋心に共感し、何としても助けてあげたいと思った。
「はい、先生! 承知いたしました!」
おみつは、娘の傍に座り、優しく語りかけた。
「さあ、お嬢さん。あなたの、本当の気持ちを聞かせてください。どんなに恥ずかしくても、どんなに伝えたい言葉でも、私が代わりに書き記しますから」
娘は、最初は恥ずかしがっていたが、おみつの真摯な眼差しに、やがて心を開いた。
そして、愛する男性への溢れんばかりの思いを、一つ一つ言葉にした。おみつは、その言葉の全てを、丁寧に筆に込めて書き記していった。
夜になり、玄庵診療所の奥の部屋で、おみつと娘は、完成した恋文を机の上に広げて、文食いが現れるのを待った。玄庵は、二人の様子を静かに見守っている。
しばらくすると、文の周りに、半透明の小さな影がチロチロと現れた。
それは、人の手のひらほどの大きさで、薄い紙のような羽を持ち、まるで蝶のように文の周りを舞っている。それが、文食いの妖怪だった。文食いは、甘い匂いを嗅ぎつけるかのように、文に近づいていく。
「あれが……!」
娘は、文食いを見て、思わず声を上げそうになった。
「今です! お嬢さん、あなたの気持ちを、声に出して!」
おみつは、娘の背中をそっと押した。娘は震える声で、文に書かれた言葉を、精一杯の声で読み上げた。
「――わたくしは、あなた様を、心からお慕いしております! この思いは、決して、誰にも邪魔させません!」
娘の言葉は、最初はか細かったが、次第に強い意志を帯びていく。
その声が響くと、文食いは、まるで熱いものでも浴びせられたかのように、ビクッと身を震わせた。文食いは、娘の真っ直ぐな恋心に、怯えているようだった。
「お嬢さんの恋心は、もう揺るぎません! あなたの食べるものではないのです!」
おみつもまた、娘の言葉に続き、文食いに強く言い放った。
文食いは、娘とおみつの、純粋で揺るぎない恋の力に耐えきれなくなったのか、キーキーと甲高い鳴き声を上げながら、文から離れ、そのまま障子の隙間から逃げ去ってしまった。
文食いが去ると、部屋には静けさが戻った。娘は、まだ少し震えていたが、その顔には、確かな希望の光が宿っていた。
翌日、娘は再び恋文を書き、男性の元へ届けた。そして、その数日後、娘は満面の笑みで診療所を訪れた。
「先生! おみつさん! わたくしの恋文、今度はきちんと、相手に届いたのです! そして、彼からも、お返事が……!」
娘は、大切そうに懐から取り出した恋文を、玄庵とおみつに見せた。そこには、確かに男性からの愛の言葉が綴られていた。
玄庵は、娘の幸せそうな顔を見て、静かに頷いた。
「よかったな」
その短い言葉に、おみつは、玄庵の温かい心を感じた。
この一件を通じて、おみつは、玄庵の医術が、単なる治療だけでなく、人の心の奥底にある感情に寄り添い、それを解放することにあると再認識した。
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