【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

文字の大きさ
31 / 150
第二章:絡み合う糸、深まる謎

第三十一話:隠された罪

しおりを挟む
 玄庵の古い友人で薬師の河童・芥子との出会いを経て、おみつは玄庵の交友関係の広さと、彼が人間と妖怪の間に立つ存在であることを改めて知った。

 彼の謎めいた過去が少しずつ明らかになる中で、診療所には、過去の罪悪感から夜毎悪夢にうなされるという武士が訪れた。

 その日の朝、診療所の木戸を叩いたのは、見るからに憔悴しきった様子の武士だった。

 その顔には深い隈(くま)があり、瞳は怯えと苦痛に満ちている。武士は、玄庵の前に座るなり、震える声で話し始めた。

「先生……毎夜、悪夢にうなされて、もはや眠ることすら叶いませぬ……。夢の中では、あの男が、私を……私を恨んで、血まみれの姿で現れるのです……」

 武士の言葉は、まるで現実の出来事のように生々しく、その表情は恐怖に歪んでいた。おみつは、武士の訴えに、背筋が凍る思いがした。

 玄庵は、武士の脈を診、その肩にそっと手を置いた。おみつには見えないが、武士の周囲には、冷たく淀んだ怨念の気配がまとわりついているように感じられた。

「これは、怨霊憑き(おんりょうつき)ですな。貴殿が過去に手にかけた者の怨念が、悪夢となって現れている」

 玄庵は淡々と告げた。武士はハッと顔を上げ、青ざめた表情で玄庵を見た。その瞳には、隠しきれない動揺が浮かんでいる。

「まさか……私が、あの時……」

 武士は、言葉を濁したが、その態度から、玄庵の指摘が真実であることが明白だった。おみつは、武士が過去に誰かを殺めたことを知り、恐ろしさに身がすくんだ。

「怨霊は、恨みの念が強いほど、その力を増す。貴殿の心に、拭い去れない罪悪感がある限り、この悪夢から逃れることはできぬでしょう」

 玄庵の言葉は、武士の心の奥底を見透かしているようだった。武士は、もはや隠し通せないと悟ったのか、ぽつりぽつりと過去の出来事を語り始めた。

 それは、数年前の出来事だった。
武士は、主君の命により、ある男を斬り殺したという。男は罪人であったが、武士には、その男の最後に向けられた、強い恨みの眼差しが忘れられなかった。

 以来、その記憶は武士の心に深く刻み込まれ、夜毎、悪夢となって彼を苦しめていたのだ。

「斬ったのは、主命ゆえ……しかし、あの男の怨念は、私の心の奥底に、深く根を張っているのです……」

 武士は、震える手で顔を覆い、すすり泣いた。その涙は、恐怖だけでなく、過去の罪に対する後悔の念も混じっているように見えた。

「怨霊を祓うだけでは、貴殿の苦しみは消えぬ。貴殿の心にある罪悪感そのものを、贖罪(しょくざい)によって癒やす必要がある」

 玄庵はそう言うと、おみつに視線を向けた。

「おみつ、この武士の心の中にある、怨念の形を視(み)なさい。そして、それがどのような感情を求めているのか、感じ取ってください」

 おみつは、武士の側に座り、ゆっくりと目を閉じた。集中すると、武士の背後から、血に濡れた男の影が、ぼんやりと浮かび上がってくるのが見えた。その影は、武士の心臓に、まるで鋭い爪を立てるかのように、絡みついている。

 そして、影からは、激しい怒りと、断ち切られた命への未練、そして何よりも、「なぜだ」という、問いかけにも似た感情が押し寄せてきた。

「先生……この怨霊は、武士の方に、何かを問いかけているようです……。なぜ、自分は殺されたのか……」

 おみつは、震える声で報告した。玄庵は静かに頷いた。

「やはり、そうか。怨霊は、時に、自分を害した者への報復を求めるだけでなく、その理由や、心の解放を求めることもある」

 玄庵はそう言うと、武士に語りかけた。

「貴殿の心にある罪悪感は、その怨霊が求めている問いに、貴殿が答えを出せないでいるからだ。あの男は、貴殿に、ただ死んだ理由を問い、そして、その命を奪った貴殿の心に、安寧(あんねい)を求めている」

 玄庵は、懐から一本の清らかな筆を取り出した。そして、武士の前に置かれた白紙に、静かに墨をすり始めた。

「貴殿は、自らの言葉で、あの男に語りかけなさい。そして、あの時の状況を、そして、貴殿の心の底にある真実を、全て書き記すのです。それは、謝罪であるかもしれないし、あるいは、貴殿自身の苦しみであるかもしれない。だが、貴殿の真の言葉こそが、怨霊を鎮め、貴殿の心を癒やす道となる」

 玄庵の言葉に、武士は震える手で筆を握りしめた。武士は、玄庵の言葉に導かれるように、白紙に向かって筆を走らせ始めた。最初は途切れ途切れだったが、やがて彼の言葉は、堰を切ったかのように溢れ出した。

 そこには、主命という大義があったにせよ、罪なき命を奪ってしまったことへの後悔、そして、悪夢にうなされる日々の中での自身の苦悩が、赤裸々に綴られていた。

 武士が書き終えると、その白紙から、微かな光が放たれ、武士の背後の怨霊の影へと吸い込まれていった。怨霊は、苦しげな呻き声を上げた後、次第にその姿を薄めていき、最後には完全に消え去った。

 武士は、怨霊が消えたことに気づくと、張り詰めていた気が緩んだのか、その場に崩れ落ちた。しかし、彼の顔には、悪夢から解放された安堵と、そして、過去の罪と向き合った清々しさのようなものが浮かんでいた。

 玄庵は、静かに武士を見守っていた。

「これで、貴殿の心も、いくらかは安寧を得られたでしょう。だが、この罪は、一生背負っていくものだ。それを忘れることなく、償い続けることが、貴殿の生きていく道となる」

 玄庵の言葉は、時に厳しく、しかし、武士の魂の救済を願う、深い慈悲に満ちていた。

 この一件を通じて、おみつは、玄庵の医術が、単なる治療ではなく、人の心の奥底に隠された「罪」や「業」と向き合い、それを浄化する役割も担っていることを実感した。

 そして、玄庵自身が語った「癒やされぬ傷」という言葉の重みが、おみつの心の中で、さらに深く響くのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

処理中です...