【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

文字の大きさ
37 / 150
第二章:絡み合う糸、深まる謎

第三十七話:盗まれた霊薬

しおりを挟む
 夜叉丸の去った後も不穏な空気が残る中、診療所から、ある特殊な病に効く貴重な霊薬が盗まれるという事件が発生した。

 その日の夜、診療所の奥にある、玄庵が厳重に管理しているはずの霊薬棚から、異変が起きた。

 普段は鍵がかけられているはずの棚の扉が、わずかに開いている。
そして、中には、玄庵が最も大切にしている、いくつもの小瓶が収められた箱が、ぽっかりと空になっているのをおみつは発見した。

「先生! 大変です! 霊薬が……霊薬がなくなっています!」

 おみつは、慌てて玄庵に報告した。
玄庵は、おみつの声にハッと顔を上げ、霊薬棚の異変に気づくと、その瞳に鋭い光が宿った。

「馬鹿な……」

 玄庵は、霊薬棚に近づき、中を覗き込んだ。
彼の顔には、普段は決して見せない、動揺の色が浮かんでいる。

 霊薬棚は、玄庵以外には触れることのできない、厳重な結界が張られていたはずだ。
それを破って中に入り、霊薬を盗み出すなど、並大抵の者には不可能だ。

「誰が……一体、誰がこんなことを……?」

 おみつは、周囲を見回したが、荒らされた形跡はなく、盗んだ者の手掛かりは一切見当たらない。

 その時、古尾がひょっこり姿を現した。彼の鼻が、くんくんと何かを嗅ぎ取るように動いている。

「へっへっへ、先生、こいつは嗅ぎ慣れた匂いですぜ。まさか、あいつが……」

 古尾が指さした方向には、診療所の外へと続く、微かな土の足跡が残っていた。その足跡は、小さく、人間のものとは思えない。

 玄庵は、その足跡を一瞥すると、すぐに犯人の正体を悟ったようだった。その瞳に、複雑な感情が宿る。

「……やはり、貴様か」

 玄庵はそう呟くと、霊薬棚の前に立ち尽くした。

「先生、犯人は誰なのですか? まさか、あの夜叉丸が……?」

 おみつが尋ねると、玄庵は静かに首を振った。

「夜叉丸ではない。犯人は……診療所に何度も出入りしている、意外な人物だ」

 玄庵の言葉に、おみつはハッとした。診療所に出入りしている者。古尾、玉藻、そして、楓や村人たち。まさか、彼らの中に、そんなことをする者がいるというのか?

 玄庵は、盗まれた霊薬の種類を思い返し、顔色を変えた。

「盗まれたのは、特に強力な浄化作用を持つ霊薬だ。並の者が扱えば、その身を滅ぼしかねない。一体、何の目的で……」

 玄庵はそう言うと、霊薬が盗まれた方向へと、静かに歩き始めた。おみつと古尾もまた、玄庵の後を追う。

 夜の鬼灯横丁は、静寂に包まれていた。微かな風が、木々を揺らす音が聞こえるばかりだ。玄庵は、地面に残された微かな足跡を辿りながら、小道を奥へと進んでいく。

 やがて、足跡は横丁の隅にある、小さな地蔵堂の前で途絶えた。地蔵堂の周りは、最近になって清められたのか、以前よりも清らかな気が満ちているように見えた。

 玄庵は、地蔵堂の前に立ち、静かに目を閉じた。そして、小さく息を吸い込むと、その瞳をゆっくりと開いた。
「出てきなさい。そこにいるのは分かっている」

 玄庵の言葉に、地蔵堂の影から、小柄な人影がひょっこりと姿を現した。

 それは、紛れもない、あの座敷童子だった。
彼の小さな手には、玄庵の霊薬が入っていたはずの小瓶が、ぎゅっと握り締められている。

 座敷童子の顔には、怯えと、そして何か大きな秘密を抱えているかのような、複雑な表情が浮かんでいた。

「座敷童子!? あなたが、どうして……」

 おみつは驚きを隠せない。座敷童子は、診療所に住み着こうとしたり、幸運をもたらしたりする、どこか憎めない妖怪だった。まさか、彼が霊薬を盗むとは、夢にも思わなかった。

 玄庵は、座敷童子の表情を見つめ、静かに問いかけた。

「なぜ、私の霊薬を盗んだ。そして、その薬で、何をしようとしている」

 玄庵の声は、普段よりもわずかに厳しく、しかし、どこか悲しみを帯びているようにも聞こえた。座敷童子は、玄庵の問いに答えることなく、ただ小瓶を胸に抱きしめ、ふるふると震えている。

 座敷童子が霊薬を盗んだ動機とは。そして、彼がその薬で何をしようとしているのか。玄庵の表情が険しくなる中、この小さな妖怪の背後に隠された、意外な真実が明らかになろうとしていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔
歴史・時代
江戸の長屋から、奇妙な事件を解き明かす! 発明家と世話焼き娘の、笑えて泣ける人情捕物帖! 江戸、とある長屋に暮らすは、風変わりな男。 名を平賀甚兵衛。元武士だが堅苦しさを嫌い、町の発明家として奇妙なからくり作りに没頭している。作る道具は役立たずでも、彼の頭脳と観察眼は超一流。人付き合いは苦手だが、困った人は放っておけない不器用な男だ。 そんな甚兵衛の世話を焼くのは、隣に住む快活娘のお絹。仕立て屋で働き、誰からも好かれる彼女は、甚兵衛の才能を信じ、持ち前の明るさと人脈で町の様々な情報を集めてくる。 この凸凹コンビが立ち向かうのは、岡っ引きも首をひねる不可思議な事件の数々。盗まれた品が奇妙に戻る、摩訶不思議な悪戯が横行する…。甚兵衛はからくり知識と観察眼で、お絹は人情と情報網で、難事件の謎を解き明かしていく! これは、痛快な謎解きでありながら、不器用な二人や長屋の人々の温かい交流、そして甚兵衛の隠された過去が織りなす人間ドラマの物語。 時には、発明品が意外な鍵となることも…? 笑いあり、涙あり、そして江戸を揺るがす大事件の予感も――。 からくり長屋で巻き起こる、江戸情緒あふれる事件帖、開幕!

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

【完結】『江戸一番の菓子屋と嘘つき娘』

月影 朔
歴史・時代
江戸日本橋の片隅に佇む、小さな甘味処「春告鳥」。 そこで看板娘として働くおみえは、笑顔と真心で客を迎える、明るく評判の娘だ。 しかし彼女には、誰にも言えぬ秘密があった―― おみえは、心優しき店主夫婦に拾われた孤児なのだ。 その恩に報いるため、大好きなこの店を守るため、「江戸一番」の味を守るため、おみえは必死にもがく。 これは、秘密と嘘を抱えた一人の娘が、逆境の中で真心と向き合い、家族や仲間との絆を通して成長していく感動の物語。 おみえは、大切な春告鳥を守り抜くことができるのか? 彼女のついた嘘は、吉と出るか、それとも凶と出るか? 江戸の町を舞台に繰り広げられる、涙と笑顔の人情譚。

【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜
歴史・時代
​その男、失敗すればするほど天下が近づく天才軍師? 否、只のうっかり者 ​天運は、緻密な計算に勝るのか? 織田信長の天下布武を支えたのは、二人の軍師だった。 一人は、“今孔明”と謳われる天才・竹中半兵衛。 そしてもう一人は、致命的なうっかり者なのに、なぜかその失敗が奇跡的な勝利を呼ぶ男、“誤先生”こと呉学人。 これは、信長も、秀吉も、家康も、そして半兵衛さえもが盛大に勘違いした男が、歴史を「良い方向」にねじ曲げてしまう、もう一つの戦国史である。 ※ 表紙絵はGeminiさんに描いてもらいました。 https://g.co/gemini/share/fc9cfdc1d751

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...